ユーリが目に映るルシウル兵の全てを撃退した頃、急に門の向こう側の森がざわめいた。
「本軍か…」
培ってきた知識が答えを導き出す。
と、ユーリの後方からも同じようなざわめきが聞こえて、振り向いた。
広い中央通りの向こうから大勢のヴェール兵が駆けてきていた。
その先頭にはイシュメルとアガサ、それにリリアーヌ。
そして大勢のヴェール兵と先頭のイシュメル達に守られるようにして馬に乗るエンピオネの姿があった。
着込んだ薄手の鎧にはヴェール皇国の紋章、緑炎に燃ゆる不死鳥が刻まれており、その決意の籠った表情も相まって、実に勇ましかった。
「ユーリ、無事だったんだね。よかった…」
「当然だ。おそらく直ぐに本軍が攻め入ってくるだろう。エンピ姉、早々に兵を配置させるんだ」
イシュメルの言葉に答えつつ、その後ろのエンピオネに指示する。
「解った。他に指示はあるか?」
「今のところはない」
エンピオネとユーリの経験差は大きい。
エンピオネはその自負を基に、ユーリの指示におとなしく従っていた。
「アガサ、リリィ、無事だったか」
「『当然だ』。あたしとフィオレがいる以上リリアーヌには指一本触れさせないさ!」
「ユーリこそ。大丈夫だった?」
アガサは力強く答え、リリアーヌはユーリを気遣った。
そこで二人の違いが出た。
強がってはいるものの、ユーリの周りに広がる光景はアガサには刺激が強すぎた。
時折眉を顰める。
が、リリアーヌは全くと言っていいほど動じなかった。
凄惨な光景を意に反さないリリアーヌの態度が、ユーリには酷く悲しく映った。
踏み込んでしまった領域は余りに暗く、悲しい場所だから。
「フィオレも…頼むぞ」
ユーリはその内心の危惧を悟られないように、すぐにアガサとリリアーヌの乗る黒馬に話しかけた。
フィオレは当初ユーリに対して異常な怯えを見せたが、今度ばかりはその圧倒的強者による労いに鼻息を荒くする。
「喜んでいるよ」
アガサがフィオレの言葉を代弁した。
そして最後にイシュメルの方を向く。
「『大丈夫か?』」
「うん。僕は大丈夫。大丈夫だよ、ユーリ」
「そうか。…だが一つだけ言っておく」
「なんだい?」
◆◆◆
「いざという時は…何も考えるなよ。思ったままに動け。その後の重荷は俺も背負ってやる」
◆◆◆
「…有り難う」
頼りない微笑。
ユーリはそれに答えるように同じような微笑を浮かべ、イシュメルの肩を軽く叩いた。
不意に後方の森のざわめきが大きくなって、遂にルシウル軍の全貌が姿を現した。
思いもよらぬ物量。
人、人、人。
ユーリが苦笑する。
「よくもまぁこれだけの人数を森に潜ませることが出来たもんだ」
「気付かなかったのは妾じゃ。何も言えん」
「または向こうの策士が優秀だったか、だな」
「ともかく…迎え撃つまで!」
エンピオネの張り上げた声にヴェール兵が反応する。
エンピオネが引き連れてきた人数もかなりの物で、両軍の兵士が入り乱れると凄まじい数だった。
ユーリ達は一旦エンピオネと同様に後方に下がり、戦況を見つめる。
森の中からはどんどんとルシウル兵が姿を現し、留まることを知らぬように見えた。
そして十数秒で激突する両軍。
上がる悲鳴、罵声、叫び声。
戦の戦慄が、旋律を奏で始めた。
「何も出来ぬ…か」
「見守れ。そして決断をするんだ。いつ退くか、いつ攻めるか。兵達はエンピ姉の指示をいつでも待っているんだ」
「…そうじゃな」
両軍が激突すれば、必ず死者は出る。
否応なくして。
必ず。
それが戦だ。
避ける事の出来ない運命。
定め。
エンピオネは瞬きせずに戦況を見つめた。
幾分かして、森の中から一際守りの強固な一団が姿を現す。
数十人の歩兵に守られるように出てくる騎兵。
騎兵は紋章旗を掲げて姿を現した。
ルシウル紋章―――天馬の姿が刻まれた旗を持って。
ユーリは凝視する。
その騎兵を。
「あいつが軍師か…」
そう呟いた時、騎兵を囲んでいた歩兵、そのうちの弓兵が流麗な仕草で弓を構えて射てきた。
凄まじい速度で近づいてくる矢。
その軌道は確実にエンピオネの体を狙っていた。
ユーリの体が同様に凄まじい速度で動く。
エンピオネの体に矢が突き刺さる前に、ユーリが飛んできた弓矢を掴んだ。
「ご挨拶だな。弓兵がいる。馬からは降りていた方が良い」
「妾とて今ので逝く程やわではないぞ」
「念のためだ」
ユーリが矢を膝で真っ二つに折りながら言う。
当のエンピオネは強烈な視線を激戦部を挟んで向こう側の騎兵にぶつけていた。
ユーリとてこのままで済ます訳もなく、再び双剣を強く握る。
「行くか…」
そして低い声で呟く。
だが、ユーリが一歩踏み出そうとした瞬間、眼の前の激戦部に大きな動きがあった。
まだ大々的に開戦して幾分も経っていないのに、ルシウル兵が一気に後退し始めたのだ。
不意の行動に固まるユーリ達の思考。
だが、さらなる動きをルシウル兵が見せたことで、誰よりも早く、ユーリの思考が目まぐるしく回転した。
森の中から相当数の弓兵が列をなして姿を現していた。
相手方の軍師が狙ったのは―――弓兵による一斉掃射。
味方に矢が当たらないように、わざわざ激戦部から後退させた。
その答えに行き着いた瞬間に、ユーリが叫んでいた。
「兵を引かせろ!!」
エンピオネもユーリの言葉で相手の真意に気付く。
しかし遅かった。
ヴェール兵達はルシウル軍の後退の意味に気付いていない。
むしろ早々の敗退と誤認して追走を始めていた。
恰好の的。
エンピオネを守る壁としての役割さえ、半ば放棄している状態。
ユーリが打開策を練ろうとした時には―――
空に無数の矢が放たれていた。
「イシュメェェェル!!」
叫ぶ。
イシュメルの行動は早く、即座にユーリ達の前に一歩躍り出て、呪文を唱えていた。
「水流よ、その身を以てわが身を守れ!!」
イシュメルが両手を広げる。
矢がユーリ達に到達するより先に、眼前に巨大な水の壁が姿を現していた。
その半透明の水の壁は、ことごとく矢を受け止めていく。
だが、帰って半透明な事が、壁の向こうで起きている惨状を余りにも簡単に映してしまっていた。
降り注ぐ矢に無防備な状態で放置されるヴェール兵達。
「おい!妾を此処から出せ!イシュメル!」
隣ではエンピオネが取り乱す。
不本意ながら、相手方の軍師の策は余りにも完璧だった。
相当数の矢が降り注ぎ切り、イシュメルの作り出した水の壁が消え去った後、眼前に広がったのは凄惨な光景だった。
「…やられた」
ユーリが呟いた。
数本の矢によって無残にも殺された兵。
なまじ中途半端に矢が突き刺さり、息も絶え絶えな兵。
運よく矢には当たらなかったが、仲間達の惨状に取り乱す兵。
「なんじゃ、この惨状は…」
馬から降りていたエンピオネは地面に跪いた。
だが現実は非情なり。
一旦退いていたルシウル兵達が再度猛烈な勢いで攻め入ってくる。
先程までは互角だった物量差も、今となっては余りにヴェール兵に劣勢だった。
跪いているエンピオネの傍らにイシュメルが近づく。
「エンピオネ様、まだ戦は終わっていません。それまで僕が守りますから…どうか気丈でいてください」
「わかっておる…わかっておる…」
それにつられてアガサとリリアーヌもフィオレから降りようとしたが、それをユーリが止めた。
「降りるな」
「で、でも…」
「いいか、絶対に降りるんじゃない。自分達の身を守ることだけを考えろ」
ユーリだけ、王剣と黒剣を構えて臨戦態勢を取っていた。
「エンピ姉。気丈でいるんだ。君臨者がそれでは兵も勢いが出ない。ほら、指示を出して」
残酷ではあったかもしれない。
ただ、そうしなければならないのは確かだった。
それが解っていたからこそ、イシュメルも黙ってユーリの言葉を聞き、咎めなかった。
「俺は行くよ」
「ユーリ!駄目だよ!余りにも危険だ!」
だが、次の言葉にイシュメルは反論した。
劣勢過ぎたのだ。
あからさまに。
「こうなっては行使できる術が少ない。だが打開策がないわけじゃぁない」
「どうするつもりだい」
「俺がルシウルの軍師を消す。隊長格が消えれば相手も退かずには居られない」
「もしあの騎兵が君より強かったら…」
「どうあっても、それでも退却はさせてみせる。止めるなよ…必要なんだ。此処でヴェールに滅んでもらっては俺も困る。だからお前も守れ」
リリアーヌ達を。
イシュメルは止めても無駄だと確信する。
だから言った。
「生きて帰る事を約束して」
「あぁ、約束する」
そう言ってユーリは一歩前に出た。
「ユーリッ!」
「大丈夫だ、リリィ。お前も出来る事をしろ」
リリアーヌは思う様に言葉が出ない自分を呪った。
だから目で訴える。
「子供なりに、な」
「そうやってまたユーリは子ども扱いする!」
「ははっ」
ユーリの優しさが身にしみた。
それでもなお、ユーリをこの場に留める術がない事を自覚している自分が嫌になった。
ユーリは微笑を残してその場を去る。
再び前を向いた時、穏やかな表情はどこかに消え失せていた。
◆◆◆
切り替えろ。
今必要なのは―――
敵に対する殺害衝動のみだ。
◆◆◆
ユーリの類まれな決意は、その眼にも現れていた。
右眼が金色に変わる。
そして新たなる変化がその眼に現れた。
瞳孔が、縦に細長く姿を変えた。
まるで竜族のそれ。
あろうことか、その変化は紅の左眼にも影響を及ぼし、遂に両眼の瞳孔が姿を変える。
ユーリ自身が、体の変化を鮮明に感じていた。
(馴染んだ…か)
イシュメルに言われた言葉が脳裏に蘇る。
それもつかの間、ユーリの行動に勘付いたルシウル兵達がユーリを足止めしようと近づいてきた。
圧倒的速力を保つユーリはある程度をその速さのみで振り切るが、遂には進路をふさがれる。
最短でルシウルの騎兵に近づいていれば当然の事だった。
だが、ユーリは進路を塞がれても速度を緩めない。
むしろ体に纏う威圧感を一層濃くしてルシウル兵達に突っ込んだ。
うち数人はその余りの気当たり思わず一歩後ずさる。
その隙間をユーリが駆け抜けた。
されど、他の兵達は必死の形相でユーリに攻撃を仕掛けてくる。
「いちいち構ってられないんだよ」
止めを刺すわけでもなければ、大した練度でもない兵士たちの攻撃を掻い潜りながら歩を進めるのは思いのほか容易だった。
両の剣で斬撃をいなしつつ、走行速度を保つ。
そうしていると、一人の果敢なルシウル兵がユーリの眼の前に躍り出た。
「覚悟!」
気合いの言葉と共に上から剣を振り下ろす兵士。
ユーリは黒剣でその剣を弾き飛ばし、そして容赦なく彼の腹部を切り裂いた。
殺す事を全く意に反さない者の太刀筋。
ユーリは駆け抜ける。
ただひたすらに、遠くに映るあの騎兵を目指して。
時折矢が頬を掠め、また兵士の剣も服を掠めたが、ユーリが足を止める事はなかった。
それはエンピオネ率いるヴェール兵達が奮起した事も関係していた。
時折飛ぶエンピオネの怒号。
おそらく彼女も戦線に交じっているのだろう。
やむなしとは思いつつも、ユーリは多少心配ではあった。
だがそのおかげでルシウル兵達も中々手が離せない。
故にユーリに裂いている兵力もそれほどではなくなる。
(他の事を考えるな―――)
自分を叱咤しつつ、走り抜けた。
そして遂に辿りつく。
あの騎兵の前に。
「よく見える」
その顔が。
「曲者!エンデ様に近寄るな!」
近衛兵らしいルシウル兵がユーリに向かってくる。
その剣を黒剣でぶち折り、即座に蹴りを放って悶絶させた。
瞬間、彼らは理解する。
圧倒的な力量差を。
一瞬怖気づく近衛兵達。
だが、騎兵は怖気づいていなかった。
肩の辺りで切りそろえられた少し捻じれた青白い髪。
ユーリの銀髪に近い。
そしてユーリの目と酷く似ている薄い青の瞳。
整った顔立ちはどちらかと言えば幼子のようで、その声色はユーリよりも幾分高かった。
「いい、下がっていてくれ。僕が相手する。お前…名は?」
「名乗る時は自分からと言うだろう?」
「余裕だな。囲まれているのに。…僕の名はエンデ。エンデ・ファル・シーク」
「…ユーリ・ロード・エスクード」
銀青色の髪を揺らしながら、その青年―――エンデは馬から降り、驚いたような表情を浮かべた。
◆◆◆
「あぁ、君はあのエスクードの王族か」
◆◆◆
神がいるのなら、この運命を呪おう。
◆◆◆
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