K.record 17 「火華、舞い降りる争い…」
「こちらがヴェール皇国最速の駿馬、『フィオレ』です」
厩。
カージュに案内されてユーリ達は厩に来ていた。
目的は戦場に連れて行く馬の選別。
カージュに言われ、アガサが率先してフィオレに近づいた。
黒色の見事な毛並み。
全身の筋肉は適度に隆起し、無駄がないと人間の眼から見ても解る程だった。
「しかし気性が荒いので気を付けてください」
「大丈夫だ、あたしゃ『ラ・シーク』なんだからな」
アガサが近づくと、フィオレが大きく嘶いた。
「確かに気性は荒いな。どうも厩の環境が気に食わないらしい」
「…そういえばいつもフィオレは厩に入る時嫌がっていましたね。なるほどそう言う訳ですか」
アガサが馬と話せるという事実はカージュの言葉から推測しても周知の事実だった。
フィオレは後ろ脚でもどかしげに地面を蹴りながらアガサの方を向いた。
「どの馬よりも速いという自負。それと周りの馬の不甲斐無さ。諸々気に食わないとさ。とんだナルシストだよ」
フィオレが自慢げに一度後ろ足で立ちあがる。
「あたしたちは戦場に行くんだけどさ、あんたついて来るかい?…自分が一番の駿馬だって披露したいんだろう?」
フィオレが鼻で大きく息を吐く。
アガサはうんうんと頷いてユーリ達の方を振り向いた。
「行くってさ」
「知らぬ間に会話が成立しているらしいな」
「アガサすごい!フィーちゃんもよろしくね!」
リリアーヌがアガサを褒め称えながらフィオレに近づく。
「リリアーヌ!近づくな!」
アガサの咄嗟の叫び。
誰よりも早く、その意図に気付いたのはユーリで、体も勝手に動いていた。
リリアーヌが近づいた瞬間、フィオレが後ろ足を大きく踏ん張る。
そしてあろうことか、次の瞬間には蹴りを繰り出していた。
「え?」
リリアーヌの呆けたような声が出て、馬の足がリリアーヌに凄まじい速度で近づいた。
間一髪、ユーリが覆いかぶさるようにしてリリアーヌを守る。
フィオレの足はユーリの髪の毛をかすった。
「大丈夫か!?リリィ!」
「う、うん」
フィオレが得意げに鼻を鳴らす。
ユーリがその音にぴくりと反応した。
しゃがみこんでリリアーヌを抱いたまま、少しフィオレの方を振り向いてドスの利いた低い声で呟く。
その右眼が金色に輝いているのを誰もが確認した。
『図に乗るな、三下』
フィオレの怖気づきようも凄まじかった。
綱で繋がれていながら、ユーリから離れようとひたすらにもがいている。
そしてまたイシュメル達も、一歩ユーリから後ずさった。
生物の本能に訴えかける迫力。
ユーリの体から噴き出るその威圧に耐えられなかった。
「ユーリ、もう大丈夫だよ」
「え、あ、そうか」
「すまない!フィオレは気が立っているんだ!」
その後、アガサがフィオレと話し込み―――ラ・シークである事を考慮してそう表記する―――結果、丸く収まった。
◆◆◆
事態の急変はそれから数時間後。
ユーリ達が荷を整え、ヴェール城を出ようとした頃だった。
驚愕の表情を浮かべた軽装のヴェール兵がエンピオネの元に走り込んでくる。
あからさまな事態の悪化を雰囲気として醸し出しながら。
ユーリ達の見送りに来ていたエンピオネはその兵の顔を見て同様に驚愕し、そして尋ねた。
「何があった」
「ジュ、ジュラール森林からルシウルの紋章旗を掲げた軍隊が!!」
「なんじゃと!?」
ユーリは思った。
甘かった、と。
北から来ると思われたルシウルの軍隊はあろうことかジュラール森林から姿を現した。
本来、最も安全であるはずのジュラール森林に密着している皇都デルサス。
そのデルサスへの最短距離。
つまり森林からの侵攻。
一体どれほど前から軍隊を派遣していたのか。
周到な用意。
そして一気に開戦。
一手も二手も先手を取られた。
いや、今はそんなことどうでもよかった。
ただ一つ言える事、それは―――
「北からのルシウルの使者は囮か!!」
ユーリは叫ぶ。
一計を見舞われた屈辱と、その焦燥に駆られて。
「カージュ!即座に兵達に伝令を送れ!デルサスの皇国民を出来るだけ避難させるのじゃ!」
「御意!」
カージュはエンピオネの命を受けて皇城内に駆け込む。
「北からの使者が存在しないとは限らない。北からの侵攻にも抵抗できるよう最低限の兵力は残すんだ!」
「解っている!!」
ユーリの助言も、エンピオネにとっては煩わしいものでしかなかった。
解っている。解っているのだ。
だが現にデルサスの皇国民が危険に晒されている。
焦らずにはいられなかった。
「俺達は直ぐに出る!援軍は後発で良い!おい、お前!南に出現したルシウルの軍隊はどれ程だ」
「一個大隊、約五千人程かと!」
「五千か…森に身を隠すには多い。だが気付かなかった。くそっ、イシュメル!行くぞ!」
「解っているよ!」
焦燥。
忌々しい悪夢の再現を見ているかのようだった。
◆◆◆
街中を逃げまどうヴェールの民。
ユーリ達は彼らを器用に避けながら、馬を駆った。
彼らの表情を見れば、ジュラール森林側から攻め入ったルシウル兵が既にデルサスの門を潜っている事は自明の真理で、それを見て馬の腹をより強く蹴ることしか出来ない自分達がひどくもどかしかった。
皇城からデルサスの南門までならばそれほど距離があるわけでもなく、アガサが自信を持って推薦した馬を駆れば、たいした時間もなく戦場部に到着できる。
だが、門までの時間が幾分長く感じられた。
ユーリは馬上でエスクード王剣を抜き去り、片手で手綱を握って馬を誘導する。
イシュメルも既に弓を片手に構えていた。
アガサはリリアーヌを守る様に抱きながら、やはり片手で剣を握っている。
手綱を握らずに荒馬フィオレに容易く乗る様は、確かにラ・シークにしか出来ない芸当だった。
ユーリはひたすらに前方に目を凝らす。
「速く…」
早く門へ。
三頭の馬のいななきがデルサスの路地に木霊した。
そして遂に捉える。
ヴェール兵の斥候と、その数を遥かに超えるルシウル兵が交戦している状況を。
「イシュメル!アガサ!激戦部には近づくな!リリィを守れ!」
ユーリが叫びと共に、自分の後ろを走るイシュメル達の方を振り向いた。
イシュメルとアガサが大きく頷き、馬の足を止める。
そして、リリアーヌが叫んだ。
「ユーリ!」
その名だけを。
大丈夫だ、と力強くリリアーヌの言葉に頷き、即座に視線を前に戻した。
此処からは―――血の世界。
馬の蹄が地を蹴る音に気付いたルシウル兵達も即座にユーリに視線を向ける。
ユーリの行動に迷いはなかった。
ルシウル兵がユーリに気付いて近づいてくるより早く、馬から飛び降り、エスクード王剣を地面に突き刺す。
即座に右掌からエンピオネに貰った黒剣ゼムナールを引き抜いた。
右手にエスクード王剣を、左手に黒剣ゼムナールを握り、金と紅の三白眼を前方のルシウル兵に向けた。
頭の中が真っ白になる。
そして一つの行動原理のみを頭の中に思い描き、力強く地を蹴った。
行動原理、即ち―――
◆◆◆
敵対者への殺戮衝動。
◆◆◆
忌まわしい戦乱の記憶が―――叫びを上げた。
◆◆◆
一歩、二歩、三歩。
跳躍に近い歩幅で、凄まじい速度を保ちながらルシウル兵に近づくユーリ。
眼に映るのは兵士の鎧の左胸に刻まれたルシウル紋章。
対して、ルシウル兵はその余りの動きの違いに、戦慄せざるを得なかった。
生物としての本能が危険を察知する。
『アレ』と相対してはいけない。
だが、危険を察知するのが遅すぎた。
ユーリが捉えた最初のルシウル兵まで残り十数歩。
不意にユーリの体が左右にぶれて、剣が地面を削る不気味な音を残し、遂にその場から姿を消した。
ルシウル兵は剣を構える。
少し離れたところでヴェールの斥候と鍔迫り合いをしていた仲間から叫びがあがった。
「後ろだ!」
振り向く余裕などなく。
ただがむしゃらに腕だけで剣を振るった。
バキ、と不意に振るった剣が大きな音を立てて軽くなる。
諦念を感じ取った時には腹部を黒い剣が貫いていた。
「化…物め…」
ユーリはまるで薄っぺらい紙を刺し貫くかのようにルシウル兵の体を黒剣で突き刺しており、だが即座にまた高速で動きだす。
猛烈な加速。
その場にいたルシウル兵全てが、ユーリを同じ生物だとは認識していなかった。
初撃決殺。
ユーリの高速移動からの強烈な斬撃が、次々に一撃でルシウル兵の命を奪っていく。
鎧の意味など無いように思えた。
黒剣を袈裟に振るえばルシウル兵の鎧ごとその体を叩き斬り、王剣は鎧と鎧の隙間を寸分違わず刺し貫く。
防ぐ方法など考え付かなかった。
時間の経過と共に、ルシウル兵達のユーリに対する警戒度が形を為してくる。
ヴェールの斥候達を無視し、ユーリを取り囲み始めたのだ。
うち一人が声を荒げて指示を出す。
「こいつは獲物の前で急加速し!裏を取る!見逃すな!攻撃の瞬間に狙いを定めろ!」
端的に言えば、囮作戦だった。
本能が理解していたのだ。
誰かを犠牲にしなければこの化物は捉えられないと。
そしてルシウル兵達は戦を知っていた。
故に、其処に迷いはなく、ユーリの攻撃速度を衰えさせるに至った。
数秒の間のみ。
ユーリの動きは一見して解る程に数秒の間遅くなった。
だが、その速さは直ぐに本調子を取り戻す。
ルシウル兵にはユーリが諦めたようにも見えただろう。
知っていながら我らの作戦に乗ってくると、そう思った。
だがユーリの方が戦を知っていた。
知らぬ間に、ルシウル兵達は自らが後手に回っている事に気づきはしなかった。
ユーリは何の迷いもなく、一人のルシウル兵に狙いを定めて近づく。
左手の黒剣を横一閃に振った。
踏み込んだ足が地の石版をその圧力で割る。
尋常でない力。
其処から腰を回転させ、力を上乗せさせる。
黒剣自身の重量も相まって、黒剣がきりきりと鳴きながら風を切り、ルシウル兵の鎧を叩き割り、その腰を、肉を、抉った。
声など上がらない。
在るべき場所を離れたルシウル兵の上半身が地面に落ちる。
一瞬の間を置いて、ユーリの動きが止まった事に気付いた他のルシウル兵達がユーリに襲いかかった。
「今だッ!」
だが失念していたのだ。
動きが止まったところで、その化物が自分達より強いという事を。
動きの速さという一つの脅威に理性を囚われ、後手に回ったルシウル兵達に悪夢が襲いかかる。
ユーリは即座に身を翻すと、大きく振りかぶって中段蹴りを繰り出した。
一度に三人が吹き飛ぶ。
ユーリの蹴りは最初に当たったルシウル兵の肋骨を数本壊し、その凄まじい余力で体ごと三人を吹き飛ばした。
だが、ルシウル兵も決死の覚悟。
たとえ数人仲間が攻撃されても、振り下ろす剣の勢いを弱める事はなかった。
甲高い金属音がなる。
ユーリは黒剣で兵達の斬撃を驚異的な速度でいなし、態勢が崩れた所へ王剣を叩きこむ。
顔面に一撃。
原型をとどめる事などありもせず。
ひとたびの攻防で無傷で生き残ったのはたった一人のルシウル兵。
蹴りで吹き飛ばされた三人は再び高速で動き出したユーリに止めを差された。
「…何なんだこいつはぁあああああ!!」
唯一生き残ったルシウル兵も、エスクード王剣の前に命を散らせた。
飛び散る血と臓物と人であった何か。
凄惨。
ヴェールの斥候達は、味方と解っていながらユーリに近づく事が出来なかった。
「化物…」
そう一言、呟くことしか―――