67話 おいしさは人それぞれ
指に粉をつけてパン生地に穴をあけて、指を抜いてもしぼまずに跡が残っていれば発酵は完了している。
もう一度濡れ布巾をかけて生地をやすませ、誰のパンかすぐに分かるように表面に簡単な模様を入れる。
あとはオーブンで焼けば完成だ。
みんなでワクワクしながら待っていると、焼きたてのパンの良い匂いと共に、レナリアたちが作ったパンが運ばれてきた。
「同じ分量なのに、結構大きさが違うのね」
できあがったパンを見て、レナリアは不思議に思う。
「重さも違いますよ。多分、味も違うんじゃないでしょうか」
パンを運んできたハンクが、レナリアの質問に答える。
「そんなに?」
驚くレナリアに、ハンクは「ええ」と頷いた。
「こね方が違うだけでも味が違ってきますからね。自分たちも毎日同じように作っているつもりでも、その日の気温や湿気なんかで微妙に味が違ってきますよ」
ではレナリアたちの作ったパンも、それぞれ味が違うのだろう。食べてみるのが楽しみだ。
「レナリアのパン、ボクも食べてみたい!」
大人しくパン作りを見ていたフィルが、レナリアのパンの周りをパタパタと飛んでいる。
(おいしいかどうか分からないわよ?)
「絶対においしいよ! だってレナリアが作ったパンだもん」
フィルの期待に応えられるかどうか分からないが、そう言われればレナリアも嬉しい。
(フィルの分も取っておくわね)
「うん。あ、チャムの分も残しておいてね。後でうるさいから」
(分かったわ)
ポケットの中のチャムはまだ起きてこない。
焼きたてのパンのこんなにいい匂いがしていても起きてこないのだから、よっぽど眠いのだろう。
「さて。じゃあまずはランス君とローズさんの対決だね。レナリアさん、食べ比べてみて」
ランスのパンには槍のような模様が、ローズの作ったパンには大きな丸が描いてある。
パンの形はランスの作ったもののほうが整っている。ローズのパンは少しボコボコしていた。
二人が作ったパンを、エルマに頼まれたハンクが用意していたパンナイフで切り取り、一切れずつお皿に載せてレナリアの前に置いた。
「あの、じゃあ、頂きます」
一応、毒見としてハンクが先に一口食べてくれているので、レナリアは護衛としてついてくれているクラウスと頷き合うと、まずはランスのパンを食べてみた。
いつも食べているパンよりも固くて味気ないが、初めて作ったのだし、こんなものだろうと思う。
次にローズのパンを食べてみた。
おいしくなれという気持ちをこめて作ったというが、ランスのパンとどう違うんだろうと思いながら口に入れると、思いがけずバターの風味を感じる。素朴なおいしさのパンだった。
「レナリアさん、どっちがおいしい?」
「どちらがおいしいというのは好みによると思うんだけど、私はローズさんのパンのほうがおいしいと思うわ」
「ほら! やっぱり気持ちをこめるとおいしいのよ!」
エルマが両手を腰に当てて勝ち誇ったように言うと、ランスは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「そんなの、レナリアさん一人の意見じゃないか」
「だったら本職のハンクさんに聞いてみましょうよ」
エルマに話を振られたハンクは、どうしようかとポール先生を見る。
するとポール先生は、にっこりと笑って「そうですね。専門家の意見も聞いてみましょう」と言った。
ハンクは困ったように眉を下げながら口を開いた。
「二人とも、というか、みなさん初めてパンを作ったとは思えないほど、上手に作っていらっしゃいますよ。ただあえて言うなら、こちらのパンは、少しこね方が足りなかったのかなと思います」
「じゃあローズさんの勝ちでいいですよね?」
エルマが確認すると、ハンクは「う~ん」と言葉を濁す。
「先ほどお嬢さまがおっしゃっていたように、好みの問題もあるかなと思いますので、どちらが勝ちというように決めるのは難しいのではないでしょうか」
「ええっ。じゃあランス君のパンの方が好きだって人もいるってこと?」
「そうですね。パンをスープにつけて食べるのがお好きなかたであれば、こちらのパンを選ぶと思いますよ」
それでは勝負にならないではないか、とエルマは思った。
おいしくな~れと、気持ちをこめてパンをこねるのが大事なのに、好みの問題だと言われてしまっては、そもそも勝負にならない。
「自分はみなさんがパンを作るところを見ていましたけど、みなさん、一生懸命に作っていらっしゃいましたよ。言葉に出さないだけで、ちゃんとおいしくなれと思いながら作っていたんじゃないでしょうか」
ハンクの言葉に、エルマはランスもおいしくなれと思いながらパン生地をこねていたのかと意外に思って顔を見た。
その顔はうっすら赤い。
しかも反論しないということは図星だ。
エルマはランスに向かって勢いよく頭を下げた。
「ごめん、ランス君。あたしが勘違いしてた。ランス君もおいしくな~れって思いながら作ってたんだね。責めるようなこと言っちゃってごめんね」
「いや、僕はそんなことは――」
「もーっ。照れなくってもいいよ~。じゃあ勝負は引き分けってことでいいよね。先生、あたしたちもパンが食べたいでーす!」
この話はこれでおしまいとばかりに、エルマはポール先生に向かって手を挙げた。
「うん。せっかくだし、みんなで試食しようか」
ポール先生に頼まれて、ハンクがみんなの焼いたパンを切っていく。
どのパンも、とてもおいしそうだ。
レナリアは、初めて作ったパンはどんな味がするのだろうと、わくわくしながら自分が作ったパンを口にした。
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イラストは、すがはら竜先生です。
書き下ろしは「マリウス王子の願い」という、レナリアが前世で聖女だった時のマリウス王子視点のお話となっております。
書影は下記をご覧ください。
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巣ごもりのお供に癒しをお届けできれば嬉しいです。