60話 エルマ・バート
魔道具のロウソクの火を消す練習はなかなか難しいらしく、成功する生徒はレナリア以外にはまだいない。
そこでポール先生は、レナリアに他の女子生徒にアドバイスをしてくれと頼んだ。
本来はポール先生が教えるべきなのだが、ランスとエリックの二人の指導で手一杯なのだ。
二人とも、魔法の発動はできるようになった。
だが操作が苦手らしく、魔法をあさっての方向に豪快に飛ばしてしまう。
これでは、きちんと見張っていないと、誰かが怪我をしかねない。
そこで最初の授業でロウソクの火を消すことができて練習の必要がないレナリアに、補助をお願いしたのだ。
「よろしくね、マリーさん、エルマさん」
風魔法クラスでレナリアと同級生になる女生徒は、マリー・ウィルキンソンとエルマ・バートの二人だ。
マリーは無口な少女で、なぜか最初はレナリアに怯えていた様子だったが、最近は前よりも普通に接してくれるようになってきていた。
エルマは赤毛にそばかすの活発な少女だが、平民ということもあって、レナリアとはどこか一線を引いた態度を取っている。
だからレナリアはこれを機会にもっと仲良くなれないだろうかと期待していた。
「このロウソクの火を消すには、炎と同じ大きさの風を当てないといけないのだけれど、二人とも風の魔法を発動できるようになったかしら?」
レナリアが質問すると、マリーは頷いたが、エルマは「まだなんです」と答えた。
平民であるエルマは普段の生活で魔法に触れる機会は少ない。それもあって、発動がしにくいのだろう。
「では、ナイフに魔力を通すのは、できるようになりました?」
「それは……うん、できるようになったよ。……じゃなくて、なりました」
学園に入るまで貴族と会話する機会などなかったエルマは、普段通りに答えてから、あっと口をおさえて言い直した。
「別に普段通りの言葉づかいで構わないのよ?」
レナリアはそう言うが、エルマにしてみれば、レナリアは歌劇にもなっているあのシェリダン夫妻の娘で王族の血も引いていて、まさに雲の上の存在である。
しかも最初の頃は地味な印象だったのが、髪型を変えてからは近寄りがたいくらい華やかになってしまって、なおさらに近づきがたい。
どう会話していいのか分からずに、今までも話しかけられずにいたのだ。普通に話しかけてくれと言われても、すぐにできるはずもない。
「分かりました……じゃなくて、ええと……分かったよ……?」
舌をもつれさせているエルマに苦笑しながら、レナリアはそのうち慣れてくれればいいわと思った。
「ナイフに魔力を通すのと同じように、杖に魔力を流してあげるといいわ。その時は、少しずつ体の中の魔力を練って、杖に通すの」
「体の中の魔力……? ねる……?」
レナリアの説明を聞いても、エルマにはさっぱり理解できない。
腕を組んでう~んと考えこむエルマに、マリーがおずおずと声をかけた。
「あ、あの……」
「なに? マリーさん」
「えっと、あの、家でパンを焼いたことって……ある?」
マリーはレナリアのように気おくれするほどの美少女ではないが、それでもうつむきがちな顔は整っているし、長い黒髪も艶があって美しい。
学園に通うようになってエルマは知ったのだが、貴族と平民では、言葉遣いも違うし、肌の美しさや髪の美しさがまるで違う。
一番違っているのはその指先だ。爪の先まで綺麗に整えられていて、やはり平民とは全く違う生活をしているのだということを実感させられる。
「ある、けど……なんで?」
「パンをこねたこと、は?」
「そりゃあるわよ」
エルマの家は魔石を扱う商家だ。
普通の平民よりも良い暮らしをしていて家にメイドもいるが、洗礼を迎えた年頃で、パンの一つも焼けない娘はよほど育ちが悪いと思われるのが常識だから、母から一通りの家事は教えこまれている。
「ええっと、パンを作る時は、小麦粉をこねるでしょう? あんな風に、バラバラのものを、まとめる感じに……するといいかなって思うの……」
「どういうこと?」
「だから、その……」
誰にも言ってはいないが、マリーには魔力が色で見えるという特別な力がある。
レナリアの持つ魔力は今まで見たこともないような真っ赤な色で、マリーは最初はその強い魔力を恐れていたが、レナリア本人は優しくおっとりとした性格だということが分かってから、前ほど怖くはなくなってきた。
むしろエルマのような平民とも分け隔てなく接していて、他の特別クラスの生徒たちとは全然違うのだということが分かってきた。
特に今の一年生の特別クラスには第二王子であるセシルが在籍しているからか、一部の生徒たちは平民どころか特別クラス以外の生徒とは話す価値もないとでも思っているような横柄な態度を取る。
マリーのクラスは特別クラスに入れなかった貴族が在籍するAクラスだからまだマシだが、平民も在籍するBクラスの生徒などはあからさまに無視されていた。
けれどもレナリアは学園の中で最も高貴な姫だというのに、少しも驕ったところがない。
だからそれを見習おうかと思って、勇気を振り絞ってエルマに説明してみたのだが、うまく伝わっていないようだ。
やっぱり私なんかダメなんだ、と落ちこみそうになった時、レナリアが「凄いわ」と目を輝かせていた。
「私は作ったことがないけれど、パンは小麦粉から作られるのよね。ええ、本で見たわ。確かに魔力を小麦粉と考えればいいかも」
レナリアはそう言って両手を広げた。
「魔力というのは体の中に流れる力なのよ。多分、一つ一つは小麦粉のように小さいんだわ。それを意識してまとめてあげて、指先から杖に流すの。もしイメージが湧かなかったら、エアリアルに頼んでみてもいいかもしれないわ。指先に魔素を集めて、って」
「エアリアルに?」
驚いて、はしばみ色の目を見開くエルマに、レナリアは「そうよ」と言って自分の右肩を見る。
「だってエルマさんのエアリアルは、あなたが大好きなんだもの。お願いしたらとっても喜ぶと思うわ」
その言葉に、エルマだけではなく、マリーも驚いて目を丸くした。