はい、そういうわけで蓬莱編の蛇足をお送りします。
いやぁ……本当は先週UPできるはずだったんですが、色々と精神が参った状態で執筆するのもアレなので、結局今週までズルズルと来てしまいました。
待っていた方には本当に申し訳ないっす(謝)
というわけで、蓬莱編蛇足の始まり始まり♪
ちなみに、精神的フルボッコ描写があるので要注意してお読みください。
蓬莱編蛇足:惨餌
にがさない。
おまえだけは。
からん。ころん。からん。ころん。
下駄を鳴らしながら、そいつは笑いながら歩いていた。
短い髪に簪を通し、帯を締めて袖を揺らし、唇にはほンの少しの紅を引き、歩きにくそうな竹林の中を、平気の平左で歩き続けていた。
夜の迷いの竹林を、我が物顔で闊歩していた。
「な……なぁ、お前さン……どこに行くつもりなんだ?」
「とある場所へ、後始末をしに」
からん。ころん。からん。ころん。
さっきまでは、ただの生意気な女だと思っていた。口数が多く、嘘が上手く、反吐吐きながら世の中をそれなりに渡っている……そういう女だと思っていた。
だが、目の前を歩く女は、まるで少女のようだった。
まるで……親に置いていかれた、童女のような目をしていた。
「グリフレットさん」
「……なンだ?」
「五年前、私は幸せじゃありませんでした」
歩きながら、そいつはそンなことを言い放った。
言い放ちながら、どんな表情を浮かべているかなんざ……想像すらできなかった。
「私は、どこにでも転がっている、不幸な小娘でした」
母親は死にました。弟を産んで、体を壊して死にました。
父親は死にました。私の自業自得で、私を守って死にました。
祖母は死にました。心臓の病なのに畑に出て、死にました。
好きな人は死にました。好きだったのに……つまらないことで死にました。
私は壊れました。
「まぁ、『それがどうした?』って感じの話なんですけどね」
「……なにが言いたいンだ?」
「あなたのような善良な人物は、ここから先には踏み込まない方がいい。と、言いたいんですよ、グリフレットさん」
女は振り向かなかった。
振り向かずに、俺に納得させた。
無理矢理……納得を、押し付けて、飲み込ませた。
「ここから先は、『異形』の領分です」
人間ではなく。妖怪でもなく。妖精でもなく。ましてや神や悪魔でもなく。
それ以外の……壊れたなにか。
「まぁ、正直に白状すれば……『異形』だのなんだの言った所で、あなたから見れば子供のわがまま以外のなにものでもないでしょう。こんなものは、大人になり切れない……子供のまま大人になってしまった、ちょっと痛いメンヘラ女の妄言ですよ。不幸自慢に良かった探し。……ああ、みっともないみっともない」
自嘲気味に呟いて、ゆっくりと女は振り返った。
真っ黒で、茫洋とした……まるで、人形のような瞳。
無機質なプラスチックのような光を放つ瞳を俺に向けながら、女はにやりと口元を緩めて言った。
「それでも、私は『俺』でいたいのです」
本人は笑っているつもりだったのかもしれない。
しかし……俺には、どう見ても、恐らくは誰から見ても。
泣いているようにしか、見えなかった。
「では、グリフレットさんはここでお待ちください。分かっているでしょうが、ここは迷いの竹林です。下手に動けばあっという間に遭難しますよ?」
「ちょ……おい!」
「用が済んだら戻ります。……では、後ほど」
俺を置いて、女は背中を向けて走り出す。
下駄を履いているくせに、あっという間に俺の前から姿を消した。
あの女の言う通り、下手に動くことはできない。もしかしたらもうとっくに迷っているのかもしれないが、夜に歩きまわればさらに迷うことになる。
女が帰って来るにしろ来ないにしろ……朝まで待った方がいいだろう。
いいはずなのだが。
「……クソッ」
毒づいて、女の後を追う。
なにができるのかは分からなかったが、追わずにはいられなかった。
善性も悪性も関係ない。
ただ、生き足掻く誰かを嘲笑う行為が許せなかっただけ。
その精神が許せない。その魂を憎悪する。
死を笑う、その心に殺意を向ける。
「…………くすっ」
笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。
まるで子供のようにお粗末。エロ本を隠す中学生でも、もう少しましなトラップを仕込むだろうことは自明の理を通り越して、至極当然の常識だろうに。
そんなトラップを踏んでしまった私は、馬鹿に輪をかけて馬鹿なのかもしれないが。
「ああ……なんで、私はばかなんだろう」
馬鹿じゃなければ、自分のやったことを再現しなくても良かっただろう。
餡子まみれの廊下を歩く。虫の息のゆっくりをよけつつ、歩き続ける。
きモチワルイ。
キもチワルイ。
キモちワルイ。
キモチわルイ。
キモチワるイ。
キモチワルい。
悲鳴が気持ち悪い。頭が割れそうだ。魂が終わりそうなほどに一歩が重い。
殺した。また殺した。私が馬鹿みたいなトラップを見抜けなかったせいで、命がいくつか終わって果てた。その事実に泣きそうになり、吐きそうになった。
私が余計なことをしなければ、彼らは死なずに済んだのに。
のに。たら。れば。後悔はいつもいつでも傷になる。
傷が一つ増える度に、私は■■から遠ざかっていく。
足跡を追って階段を降りる。そこが終着地点で、始まりの場所。
恐らく彼はここで見つけたのだ。古き文明の遺産の欠片。己の欲望を成し得るかもしれない手段を、こんな場所で見つけてしまったのだろう。
私には関係ないことだけど。
襲いかかって来たなにかに触れる。真っ暗な中で、それでも体は動いた。
ひらけごま。
破裂し、八つ裂きになり、歪な命が一つ……あるいは、無数に終わりを告げた。
返り血を浴びながら、私は口元を緩めて笑う。
「……おかしいなぁ」
目指していたものがあったはずだった。
夢があったはずだった。
誰かに教えてもらったもので、私の夢じゃないけれど。
その夢に向かって歩き続けようと思ったはずなのに……もうどこを目指そうとしていたのかすら、ちっとも思い出せない。
笑えばいいとあの人は言った。
少なくとも……こんな笑い方じゃあの人は納得してくれなかったような気がする。
ほほを伝うなにかを拭い去りながら、私は地下室を歩き回る。
地下室を見つけるのには一分もかからなかった。
彼は科学者だった。
彼は超越することに挑んだ。
そのために魔術を学び、偶然にも見つけた地下施設でこの世ならざる技術を知った。
「……づ……はぁっ! あの小娘……化け物め!」
炎に焼かれ傷ついた体を引きずって、彼は最初の場所に戻ってきた。
迷いの森の竹林に、偶然に出現した奇妙な小屋。そこが始まりだった。
ヤゴコロダイオーの自爆すらも全てブラフ。全ては己の研究を続けるために打った芝居に過ぎない。
科学者にとって……己の研究成果こそが、全てなのだから。
「くく……はは……っ! しかし、私は生き残ったぞ。あの時のように!」
かつて、永遠の命を望んだ。
永遠と同一。他者との合一。全てが一つになれば争いもなく、一つであるが故に変化もなく、停滞が永遠であると位置づけ研究に励んだ。
それを阻んだのは鋼鉄の大巨人と一人の青年。
自分は液体化した人間に取り込まれ……そして、結果的に取り込まれなかった。
協力者であった他の二人と異なり、彼の自我はあまりにも強すぎた。
圧倒的多数をも退けた自我の存在。皮肉にも、自分自身の存在によって彼は研究が完全に失敗に終わったことを悟った。
研究は失敗した。他者との合一は不可能と判断し、彼は0から研究を再開した。
世界を渡り、異世界の技術を習得し、幾度となく失敗を繰り返し、彼は少しずつではあるが禁忌の紐を解くことに成功していった。
そして、あらゆる可能性の中で『死者の蘇生』を選択した。
死を凌駕する。それはなんとも甘く甘美で素敵なことか。誰もが死に怯えることがなくなり、争いはそこで終わる。
争いがなくなれば世界は平和になる。液体人間になどならずとも魂は救済される。
だから、外の世界の技術を広め、竹林の薬師を騙して近づいた。
結果的に死者の蘇生は上手くいかなかったが、副産物もあった。
特殊なカプセルに収めれば液化生物の意志で動力や機構を操られることはなく、蓬莱の薬さえあれば無限のエネルギーが得られるということが、一つ。
そして、もう一つはソイレント=ベースの機能を利用した複製体の開発。
自分の体の複製。
あとは、脳を入れ替えればそれで済む。研究成果は全てこの頭に詰まっている。
そう――研究の全ては、この生の全ては――。
スブシャッ! ドジャァア!
何かが破裂する音と、重々しい物体が地面と衝突した……そんな音が響いた。
「…………え?」
誰かが罠を踏んだ気配があった。地上でキマイラが解き放たれたのも分かった。
しかし、対峙してからおおよそ二秒。そんな時間で倒されるはずがない。
からん、ころん、からん、ころん、と下駄の音が響く。
隠し扉を発見したのか、ギイイィィッという鈍い音が響く。
くすくすくすくす。
耳に残りそうな笑い声が響く。
からん、ころん、からん、ころん、と足音が響く。近づく。大きくなっていく。
そして、不意に足音は止まり、扉が開いた。
「こんばんわ。……今日は月が綺麗な、いい夜ですね」
鈴の音のような、静かな声が響き渡った。
そこには、目付きの鋭い少女がいた。
かんざしを挿し、着物を着て、下駄を履いた、目付きの鋭い少女が立っていた。
「………………っ!?」
特徴はたったそれだけ。際立った所もなければ、霊力や魔力も感じない。
それでも……この部屋に立っているというだけで、彼女は異質だった。
「そんなに驚かなくてもよろしいじゃないですか。私はただ……脱出したあなたの後を追いかけただけ。地面を這いずった痕跡は、すぐに見つかりましたよ」
「な…………なぜ」
「あなたが生きているという確信はありませんでした。……しかし、考えてみればおかしな話なんですよ。科学者は危機意識が高い。危険な劇物を使うから当たり前です。けれどあなたは最後の最後に自爆という手段を選んだ。でも、それは違うんです。あなたのような人間なら、最後の最後まで生に執着していないとおかしい。死に進むのは間違っている。じゃあ、他の目的は? 自爆するメリットは? ……ええ、簡単ですよね? 『自分が爆発に巻き込まれて死んだように偽装できる』ってことですよね」
無表情のまま、彼女は語る。
プラスチックのような無機質な瞳を向けて、彼女は機械的に口を開いた。
「痕跡を追いかけてみたら案の定。そして、あなたは真っ直ぐに竹林に向かって進み始めていました。……全く、困った人ですね。悪人は悪人らしく自爆に巻き込まれて死んでくれればよかったのに。ああ……本当になんて蛇足。不死の炎に焼きつくされ、なお生き残るあなたの生き汚さには共感すら覚える」
「……お、お前は……お前はなんだ?」
「…………くすっ」
ここで、ようやく彼女は笑った。
口元だけを緩めて、目を大きく見開いて、楽しそうに笑っていた。
笑って、笑って、笑って、彼女は真っ黒な瞳を彼に向けた。
「分からないんですか?」
「……なにが」
「私は、あなたと同じ『モノ』ですよ」
同じもの。
同じもの。
同じモノ。
「同類と出会うのは久しぶりですが……あなたほど、図抜けた人も珍しい。液化生物からの生還なんて、まともじゃありません。私はそこまで狂えない」
「……なぜ、それを」
その事実は――液体人間から元に戻ったという事実は。
彼しか知らないことのはずなのに。
彼女は口元をゆるめて、にっこりと笑った。
「今更なにを驚いているんですか?」
「……え?」
「まともじゃないのは、あなたも同じでしょう?」
「はは……まともじゃないというのは褒め言葉ですよ。それだけ私が優秀で、彼らごときでは取り込めなかったということでしょう」
「………………」
彼女はなにも言わずに、微笑んだ。
その笑顔はまるで天使のようで……しかし、その目はまるで笑っていなかった。
浮かぶ感情は怒りでも悲しみでも憎しみでもなく、無でもない。
あえて言うならば……彼女は嘲るように笑っていた。
「あなたが液体人間に取り込まれなかった理由はもっと簡単でつまらなく、極めて些細で至極どーでもいいことなんですよ?」
「……どういう、こと」
「不純物」
彼女の一言は唐突に、彼の思考を停止させた。
「みんなが一緒に溶けていく中で、あなただけは不純物と判断された。それだけです。特別でもなんでもない……あなたは『要らない』とみんなに思われたんですよ。だから一人だけ液体人間に取り込まれなかった。それだけのことです」
「……そ、それがなんですか? 私が不純物だろうがなんだろうが、どの道他者との同一化による救済は失敗していた。ならば、次のステップに進むだけです」
「ああ……」
ここで、彼女はなんだか悲しそうな表情を浮かべた。
聞き分けのない子供に哀れみを向ける……人とは思えない表情。
彼女は、苦笑を浮かべたままゆっくりと歩き出す。
「そうですか。あなた……同類に出会ったことがないんですね?」
「……同類? なんですかさっきから、その同類というのは……」
「ええ、同類です。私とあなたは同じ『モノ』です。さっきも言いましたが何回でも繰り返します。あなたと私は同じ……」
ゆっくりと……深々と、面倒そうに、哀れみと侮蔑の視線を向けて。
彼女は、口を開いた。
「ばけものです」
化物。
それは、彼が不老不死の少女に向けた言葉。
しかし……彼女はきっぱりと断言した。
「不老不死? 妖怪? 能力の有無? 本当の化物にそんなことは関係ない。化物とは喰らう者。喰らい尽くそうとするモノ。少なくとも……永遠の中で必死に『人』たらんとする、可愛い女の子じゃありませんよ」
「はは……それは詭弁ですよ、キミ」
「詭弁だろうが戯言だろが箴言だろうが、言葉や概念なんてものは遊びでしかないんですよ。個人の価値基準に委ねられる……極めて曖昧な、遊戯でしかない」
にこにこと……笑っていない瞳を向けながら、彼女は語る。
その視線を受け止めながら、彼はここをどう突破しようか考えていた。
この少女をなんとかすれば自分は助かる。
殺すのが手っ取り早いが……少女には得体の知れない所がある。
唯一残った機能である、スキャン機能を走らせる。少女の身体能力から種族を判定し、戦闘能力と付随する能力を計算し、現状で最適と思われる突破方法を模索する。
いざとなれば、最後の最後、本当の切り札すら使わざるを……。
「ぐびゃあっ!?」
思考が中断する。
彼女が腰から抜いた銃から放たれた弾丸が、彼の腕を撃ち抜いていた。
「さて……それじゃあ死んでもらいましょうか。言っておきますが、呪文を詠唱する暇も魔法の道具を使う暇も与えません」
「……クッ……ハハっ! それで私を追い詰めたつもりですか?」
「いいえ? 手足を撃ち抜いて喉を潰すまで追い詰めたとは言えませんね」
無機質な瞳を彼に向けながら、彼女はあっさりと言った。
当たり前のように、化物のように、言い放った。
「なるほど、確かにあなたは化物ですね」
「今更確認しなくてもいいでしょう……それじゃあ、死んでください」
「死ぬわけにはいかないんですよ!」
彼は懐から取り出した指輪を、己の指にはめ込む。
異世界の遺物。人を『別のもの』に変える指輪。
指輪による魔力で疑似的な不死化の実現、そして人間を捨て、死の世界と繋がりを得たたことにより膨大な魔力と強力な魔法耐性を得ることができる。
黒い闇が彼を包み込み……闇が晴れた時に現れたのは、禍々しい瘴気を放つ、黒いローブを羽織った骸骨だった。
「ウシャシャ……素晴らしい! 力がみなぎってくる! 我が身で試すことになろうとは思いませんでしたが、こんなことなら早く使っておけばよかった!」
「……へぇ、死霊王ですか」
「ほう? ご存じでしたか?」
「ええ。お伽噺程度の知識ですがね」
「ならば、その恐ろしさも十分に知っているでしょう? この姿になった今、あらゆる攻撃は通用しないということも!」
「………………」
彼女はゆっくりと溜息を吐いて、銃を下ろした。
それから、目を細めて、口を開いた。
「ええ……それを待っていたんですよ」
ぱちゃん。
そんな音が聞こえた。
「…………え?」
ぽた。
ぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽた。
消失する。消えていく。自分の記憶が失われていく。
意識が少しずつ曖昧になる。自分が曖昧になる。自分が失われていく。
自分がいなくなっていく。
少しずつ『液体』になっていく自分の体を見つめ、彼は半狂乱になって叫んだ。
「な……なんだこれは!? な、なぜ私の体が……っ!」
「液化生物から元に戻った。……でも、それはつまり一度液化生物になってしまったということです。ええ……もっときっちり突っ込んでおくべきでしたね。自分しか知らないことを他人が知っているということを……もっと、恐怖しておくべきでした」
彼女はにっこりと笑う。
まるで、少女のようににっこりと笑う。
プラスチックのような無機質な瞳を細めて、まるで悪鬼のように、笑って言った。
「傷口を開く程度の能力。……それが、わたしのちから」
傷を再現する。掠り傷なら掠り傷を、致命傷なら致命傷を。
既に跡形もなく治っていたとしても……過去に負った傷が私には見えている。
だから、あとは簡単。指を差し込んで、思い切り開いてやればいい。
液体人間から元に戻ったのなら、私がまた液体人間に戻してあげる。
「やめろ……やめろおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
自分は液体人間などにはならないはずだった。
確固たる自分。六万リッターの意志にすら押し潰されない、自分という存在。
少女の『不純物』という言葉で、ほんの少しだけ揺らいだ。
彼女の攻撃はそこで既に始まっていたのだ。
「やめろ! やめてくれ! わ、私は、私は液体人間などになりたくない!」
「そう言って、あなたは誰かに返したことがありますか? 奪うばかりで他人に施したことがないあなたを、あなた以外の誰が助けるんですか? 他者が不要だから拒絶して、自分しか要らなかったから肯定した。ならば……今更誰かに助けられようなんて、そんな虫のいい話が転がっているわけはないでしょう?」
きっぱりと言い放ち、彼女は一歩下がる。
「化物は、他の化物を許容しません。……そして、化物を殺すのはいつだって人間ですが、化物を喰らうのは、他の化物です」
楽しそうに口元を緩めて、口を開いた。
「言ったでしょう? 私も化物なんですよ」
炎。不老不死。幻想郷。魔女。ここ最近のことが消えていく。
自分が……自分自身が積み重ねてきたものが、消えて行く。
「あなたは一度液体人間になった。そこから元に戻った。……じゃあ、もう一度同じことはできますか? あと千回同じことはできますか? まぁ、仮にできたとしても今度は一万回繰り返すだけ。一万回で駄目なら一億でも一兆でも好きなだけ繰り返してあげます。あなたはどこまで自分を肯定できますかね? ただ一度も間違いを起こさず、ゲシュタルト崩壊を乗り越え、同じことを繰り返すことはできますか? ……ああ、できないのは明白なんで、別に答えなくてもいいんですが」
「わ、私がお前になにをしたっ!?」
「別に。ただ……私はあなたが嫌いです」
「………………え?」
ワタシハアナタガキライデス。
そんなことで?
たったそれだけのことで?
自分を……こんな小娘が殺しに来た?
「因果は回る。ぐるぐる回る。それを人は絶対応報という。……分からないならはっきり言ってあげましょう。あなたは私に殺される。曖昧な生と死は同意義。あなたが死なないんだったら液化生物にして終わらせる。研究結果はあなた以外の他の誰にも必要ない」
「ふ……ふざけるなァ! わ、私は……私の研究は、私は人類のために!」
「人類のため? 自己満足の理由を作るのはそろそろやめませんか? 私は死んだ後に再び生き返りたくなどない。そんなおぞましき地獄は、こちらから願い下げです。世界の救済? 死者の蘇生? そんなものは存在しない。世界は色鮮やかな天国の形をした地獄のようなものだ。あなたや私ごとき化物では変えられようはずもない。そしてなにより、あなたは私の友達を傷つけた。……ああ、理由はそっちの方が格好いいですね。前言を撤回し、訂正しましょう」
さも、今ようやく理由を見つけたように、彼女は笑いながら語る。
彼には理解できなかった。
彼女という存在が理解できなかった。
目の前の化物がなにを考えているのか、さっぱり理解できなかった。
「ようやく分かりましたか? 不明とはすなわち恐怖なんです。あなたは人にそう見られていた。液体生物にすら拒絶され、己のことを続けるしかないあなたと、あらゆる意味で挫折した私には未来などない。ただ平坦で無残な、ありきたりの末路が待つだけです。それを死者の蘇生だかなんだか知りませんが……逃げ出そうなどとは、片腹痛い。大人しく、最初の末路と同じように、自業自得で破滅してください」
「やめろ! やめてください! なんでもしますから! お願いだから『私』をこれ以上壊すのはやめてください! これ以上失ったら……『私』はなんのために……なんのために、こんなことを!」
「あら、目的なんてあったんですか?」
「あった! あります! 私は……私はァ!」
叫んで……彼はそこで言葉に詰まった。
なんのために、自分はこんなことを続けてきたんだっけ?
手ですくった水のように、記憶が流れ落ちていく。
早く思い出さなければなにもかもを失ってしまう。なにもかもってなんだっけ? いや、とにかく思い出すんだ。なぜ……えっと細かいことはともかく、私はとにかく人間を越えたかった。人間を越えればなにかを成せると思っていた。
なにを成したかった? 私はなにをしたかった? なにを……なにを……なにを?
「ああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
城が崩れる。記憶が壊れる。サラサラと崩れて生きてきた時間が無に帰していく。
「時間があっても同じことです。あなたは初心を思い出せない。理由も思い出すことはない。なぜなら……あなたは心を忘れたから。罪悪も羞恥も失ったから。現代科学とあなたのやっていることは同じかもしれない。中には、あなたのやっていたことよりも非道な研究も数多くあることでしょう。それでも、その研究を行った人間は罪悪に負け、羞恥に泣き叫びながら研究を成した。結果が全てではなく経過が全てです。経過なくして結果は得られない。心を亡くした研究などで誰かが救われると本当に報われると思ったんですか? 人じゃなくなった心で、誰かを救えると思ったんですか? 化物になり幻想に逃げ、責任から逃れようとしたあなたには誰も救えない」
言葉だけが冷徹に響き、液体人間になりつつある彼の心を抉った。
最後に残ったのは、綺麗な笑顔と、笑っていない目と、漆黒の瞳。
プラスチックのような、無機質な瞳。
意志を感じさせない、虚無と絶望の瞳。
「あなたは自分すらも救えない。私と同じように」
同情と憐憫と……そして自虐と自嘲が混在した、哀れな誰かの瞳だった。
「では、さようなら。……あなただけは、今をいつまでも」
ぱちゃん、と静かな水音が響いて、彼は液体になった。
疑似的な永遠を得て、永遠に曖昧なまま、存在し続けることになった。
足音が遠のき、扉が閉まる音が響き、彼はそれでも足掻き続けた。
曖昧なまま考え続けた。元に戻る方法と、復讐を遂げるための方法を。
永遠にも感じられる時間が過ぎても、彼は考え続けた。
曖昧なまま時間が過ぎ、建物が朽ち果てた頃。
彼はようやく――考えることをやめた。
知っていますか?
報いはいつかやって来るんです。
逃げても、逃げても、どこまで逃げても追いついて。
自業自得に、因果のように、人を破滅させるためにやって来る。
「……あはっ……あははははははっ」
だから、私も破滅する。
いつか、私も破滅する。
彼と同じような末路を向かえることになるだろう。
私はとっくに壊れている。破滅し壊滅し掃滅し、自分自身を失って、もう自分がどんな人間で、どんなモノで、どんな風になりたかったのかもよく分からない。
だから……私は化物になった。
心が壊れているから誰かを壊せるし、痛むものがないから失うものもない。
嘘を嘘で塗り固め、人格を盗んで模倣して、堅牢な城を作り上げ、壊れていることを気付かせないように偽装して、そうやって私は人間に化けている。
私は、化物だ。
階段を上がる。上がりながら懐を探る。煙草を買い忘れたことに気づいて、仕方ないと割り切って気に病むのをやめる。
この階段を上ったら、もうやめようと心に決める。
もう、幻想郷に来るのはやめよう。
ここに来ると、私は『俺』でいられなくなる。
この場所はあまりに居心地が良くて……楽しくて……辛くて……難しい。
自分が保てなくなる。
自分が誰を装っていたのか分からなくなる。
階段を上って、建物の外へ。
そこで私を待ちうけていたのは……苦労が顔ににじみ出ているおじさん。
いや、実際の年齢を考えればおじさん未満の若人以上といったところだろうか。
彼はものすごく不機嫌そうな顔で、それでも無理矢理笑顔を作っていた。
ものすごく、怒っているようだった。
「とりあえず……歯ァ食い縛れや、小娘」
そして、まるで当たり前のように、拳を振り上げた。
当たり前のように……躾のなっていないクソガキを叱るように、思い切り、遠慮なく、私の頭に拳骨を叩きつけた。
目の前に星が散った。
若い娘の頭に拳骨をくれたのは、初めてかあるいは何度目か。
柄にもなく色々な理不尽さに怒り狂い、正座と説教を始めて数時間。夜が明け空が白み始めた頃、ようやく俺の怒りは収まった。
なンつーか……本当に。柄にもないことをしたとは思ってンだ。
俺は説教ができるほど偉い人間じゃねぇし、割り切れる人間だと思っている。
理不尽を、割り切れると思っている。
「んにゃ、グリフのとっつあんよ。アンタは割り切れない人間だね」
「……どーゆー意味だよ、そりゃ」
数時間の正座にも関わらず、女はケロッとした顔をしていた。
土蔵で柱にくくりつけられるよりはましだと、わりと重いことを言い放ちながら……さっきまで神妙な顔をして説教を受けていたのが嘘のように、にやりと笑った。
「だってそうだろ? 理不尽を飲み込める人間は、そもそも俺を追ったりはしない」
「……そりゃ、お前さンの様子が尋常じゃなかったからな」
「だから、そういうことだろ?」
楽しそうに笑って、女は口元を緩める。
「自分の不幸は飲み込める。でも、他人の不幸は我慢がならない。……心当たりが絶対にあるはずだぜ? 胸に手を当ててよーく考えてみな」
「………………」
そンなもの、考えるまでもねぇ。
翼を失った誰かの姿がちらりと浮かんで、消えていった。
ゆっくりと溜息を吐いて、俺は女を睨みつけた。
「で……お前さン、あそこで一体全体なにをやってたんだ?」
「だから、後始末だよ。変な形の人型ロボットが戦ってるのを、グリフのとっつあんも見ただろ? 変なネギを背負ってた方の人型に乗っていた野郎が今回の事件の黒幕でな……化物だった」
「……化物?」
「俺と同じ欠陥生物ってことさ」
「ほぅ? あンだけ『自分を卑下すンな』って言ったのにまだ言うかね、お前さンは。もう一発拳骨が欲しいのか?」
「いらねーよ。ま、あんたの長い説教のおかげで多少は目が覚めたからな」
肩をすくめながら、女は口元を緩める。
どこか悲しげな……あるいは寂しげな、そんな微苦笑だった。
「俺はさ、殺したり、殺されたり、そういうのは嫌いだ」
「そりゃ、誰だってそうだろう」
「でも、許せなかった。俺の知り合いや友達を傷つけて、平気な顔して笑う。……同じ欠陥だろうが化物だろうが、絶対に許せなかった」
「……殺したのか?」
「破滅させた」
足を止めて、女は俺を見据える。
殺しも破滅も似たようなもンだと、その目が物語っていた。
覚悟と決意を秘めた目で、真っ直ぐに俺を見据えて、きっぱりと言い放った。
「今回、俺がやったことはそれで全部だ」
「……馬鹿だよ、お前さンは」
「知ってるし、とっつあんのおかげで、色々と思い知った。……だから、いいんだ」
吹っ切ることはできないだろうし、恐らく後悔もしているだろう。
笑顔なのは口元だけで、顔は今にも死にそうな病人のように青ざめている。
それでも、彼女は背負うつもりのようだった。
自分の罪と業を、背負っていくようだった。
迷いの竹林を抜け、最近整備された道に出る。迷いの竹林からどうやって迷わずに出れたのかは分からないが、まぁ……今回はそういうもンだと割り切っておこう。
「じゃ、色々と世話になったな、とっつあん」
「お前さン……これからどうするんだ?」
「この着物を返してから、家に帰ってクソ熱い風呂に入る。それからアホみたいに飲み食いして……ま、それからはちょいと畑仕事だな」
「畑仕事?」
「花の種を撒くって約束をしたんだ。……約束は、果たさなきゃいけないだろ?」
「………………」
さらっと言った一言は、それなりに重かったと思う。
ゆっくりと息を吐く。口元を緩める。笑顔になっていることを願って、口を開く。
「俺はグリフレット。グリフレット=アンダーソン。南の人里で鍛冶屋をやってる。近くを通りかかったら寄ってくれ。今度は酒でも飲もうや」
「………………ああ」
返事があるまでに若干の間があったが、見て見ぬふりをした。
名乗りもせずに背を向けて、彼女はゆっくりと歩き出す。
「とっつあん」
「ん?」
「……またな」
それから、背中越しに手を振って、歩いて行った。
その背中を見届けてから、ゆっくりと息を吐いて空を見る。
本日は快晴。お日柄も良く日本晴れ。空には雲一つなく、雨が降る気配もない。
「……ったく」
欠伸を噛み殺しながら、俺は俺の居場所に戻ることにした。
心が壊れていたとしても。壊れた分だけ痛みを感じる。
誰かを殺して、終わらせて、破滅させたぶんだけの、痛みを感じる。
その痛みは叫び出したいほどの激痛で、終わることのない疼痛で、生きている限り続いていくだろう。
それでも、私たちは生きることを終わらせることはできない。
間違っていることは分かっている。
死んだ方がましだということも分かっている。
私たちを死ねばいいと願う人たちがいることも分かっている。
それでも――私たちは、傷つくと分かっていながら、寄り添いながら、生きたいと願うのだ。
だから……私は、大雨の中で傘を差しつつ彼女を待っていた。
「ゆいさん?」
「お帰り、なべっち」
「……こんな大雨の中でなにやってんだよ。濡れちまうぞ?」
「なべっちこそ、なにをやっていたのかな? さすがにこう毎日帰るのが遅いと、私もサンちゃんもご立腹ですよ?」
「…………うん」
彼女は、素直に頷いて……私のことを真っ直ぐに見つめた。
それから、無理矢理、無理を通すように、口元を上につり上げた。
まるで、泣いているように見えた。
泣くのを嫌がって、無理矢理涙を堪えている女の子のように、見えた。
「……ゆいさん」
「なぁに?」
「……えっと……いや……なんでもない」
なべっちは、ばつが悪そうに頬を掻いて、私から目を逸らした。
悪いことをして、それを隠す子供のように、挙動不審で落ち着きがない。
仕方なく……私は溜息混じりに、苦笑しながら言った。
「なべっち」
「……ん?」
「なべっちがどんな存在だろうと、他の人がなんと言おうと、私はなべっちに会えて良かったと思う。一緒にいて楽しい友達で、家族だと思ってる」
「…………うん」
「じゃ、家に帰ろうか?」
「…………うん」
なべっちは素直に頷いて、私が差し出した手を素直に握った。
力強くはなかったけれど……確かに、握り返した。
「ゆいさん」
「なに?」
「……ありがとう」
「ん」
雨に打たれて体は冷えている。
こういう日は、お鍋をつつきながらお酒を飲んで、さっさと寝てしまおう。
家族らしく、三人そろって、川の字になって。
血は繋がっていないし、心も微妙に繋がっていないし、なべっちは壊れてるし、私は終わってるし、サンちゃんは……なんというか、微妙にじじくさいけど。
正直、一番まともなのはまりさとれいむなんだけど。
まぁ……それはともかく。
それでも、私たちは家族だった。
私を助けてくれた男はな、武家の……まぁ、それなりにいい所の生まれでな、私を家に連れ帰って、保護してくれた。
それからまぁ……色々あってそいつの子供を産むことになった。
武家の跡継ぎだったから、表だって婚姻とかそういうことはできなかったし、あいつには正室もいて、側室も一人いたけど、みんな私に良くしてくれた。
変わり者ばっかりだったのかもしれない。
正室の彼女はなんかいかにも貴族のお姫様って感じでぽややんとしてて、側室の彼女は気は強くて私にもつんけんしていたが、いい子だった。
幸せだったと思う。
私は、人殺しで、修羅で、化物なのに、みんなは私を幸せにしてくれた。
この髪と肌のせいで屋敷から外には出られなかったけど……幸せだったよ。
お前と比べれば、瞬きのような短い人生だった。
それでも、胸を張って『生きた』と言える一生だった。
私の子供も、その子供たちにもそう思って欲しいが……どうだろうな。私のせいでいらない業を背負わせてしまったからな。
さて……それじゃあ、そろそろ行くよ。
最後に、一つだけ聞かせてくれ。
妹紅、お前は今幸せか?
あれから、二週間ほどが経った。
癒えた傷もあれば、癒えない傷もある。戻って来たものもあるし、戻ってこないものもたくさんあったと思う。
親がいなくなった子供たちは、すぐに里親が見つかった。慧音に話を聞いた限りでは、それほど大きな問題はないらしい。……もちろん、実の親子ではないとか、子供らと里親が協力して解決していかなきゃいけない問題は多々あるけど、それは私たちが関与していいことではないだろう。
人里に出た被害は現在も修復中で、工事のおっちゃんたちがあくせく働いている。
どんな根回しがあったのか、永遠亭について言及されることもなく、新聞のネタにされることもなかった。ただ、怪我人が出まくったり、風邪がちょっと流行ったりしたせいで永琳医師はもとより妖怪兎までてんてこ舞いだったらしい。
永琳医師はソイレントベースを封印し、怪我人と病人の治療を終えた後、しばらく休んでから輝夜を元に戻すための研究を始めた。見た感じでは普段通りに振舞ってはいるが、色々と思う所があるのだろう。前よりも溜息は多くなった気がする。
パチュリーはロボの開発を終え、ロボとは違う物騒な研究を始めたらしい。要塞とか城塞とか……まぁ、私にはよく分からないが……そんなことを言っていた。最近では同じ穴のムジナを見つけたらしく、そいつとよく言い争っている。
そいつの顔はどこかで見たことがあるのだが……はて、どこだっただろうか?
森近霖之助は相変わらずだ。たまに変な物品を子供たちに見せては、真っ黒に焦げたり感電したり、よく分からないことをしている。もしかしたら親を失った子供たちを励まそうとしているのかもしれないが、単に趣味丸出しなのかもしれない。
慧音は前より少しだけ忙しくなった。里親の所に毎日顔を出しては、様子を聞いたり子供たちに話かけたり……先生らしいことをやっている。寺小屋の壊れた部分もまだ修理中だったりして、色々と大変らしい。
私はいつも通りだった。工事のおっちゃんら相手に焼き鳥を売ったりしている。
輝夜は……まだ戻って来ない。
「あんまり待たせると……おばあちゃんになっちまうぞ」
私がじゃなくて、子供らが、だけど。
パチュリーが置いていったロボの上に登って空を見上げながら、私は息を吐く。
いつか絶対に、輝夜は戻って来ると信じているけど。
なんというか、こう……物足りなさを感じている。
「よう、妹紅ちゃん。なに辛気臭い顔してんだよ」
「……アンタかよ」
声をかけられて、少しだけ……うっかりその女の膝枕で爆睡したことを思い出し……顔を赤らめながら視線を向ける。
パチュリーロボの足元に立っていたのは、商売敵のおでん屋だった。
ロボの上から会話するのもなんなので、私はロボから飛び降りた。
「なにしに来たんだよ? 言っとくけど、輝夜はまだ帰ってきてねーぞ」
「妹紅ちゃんに、ちょっと頼みたいことがあってな」
そう言うと、おでん屋は数冊の本を取り出して私に手渡した。
なんだか……古びたというか、奇妙な装丁の本だった。
「なんだこれ?」
「液化生物に関する研究資料と、死霊秘術の各種呪文書だ。永琳さんに渡してくれ」
「…………へ?」
なにか今、とんでもないことをさらっと言いやがったような。
用事はそれだけだとばかりに、おでん屋は私に資料を押し付けて背を向けた。
「じゃ、頼んだぜ。俺はこれから色々回る所があるから」
「ちょ……待てよ! なんでアンタがこんなものを持ってるんだ?」
「詮索はすんなよ。蛇の道は蛇。化物のことは化物がよく知ってるってだけだ。輝夜ちゃんが戻って来る可能性が高くなるんだったら、それで問題ないだろ?」
「………………」
おでん屋は振り向かずにきっぱりと言い切って、ゆっくりと歩き出す。
その背中に向かって、私は声をかけた。
「なぁ」
「……ん? まだなんかあるのか?」
おでん屋は足を止めて、ゆっくりと振り返る。
その顔はいつかどこかで見た女の子と、よく似ていたような気がする。
私は……いつかどこかで、自分のことを化物だと言っていた女の子に聞きたかったことを……口に出した。
「アンタ今、幸せか?」
「幸せじゃない。でも、俺は不幸じゃない」
言葉は、真っ直ぐだった。
おでん屋はゆっくりと振り向いて、軽く口元を緩めて笑った。
「俺は馬鹿だからさ、ちゃんと真正面から言われないと分からない。説教されて、思いを伝えられてようやく分かった。幸か不幸かを決めるのは自分自身だ」
「………………」
「妹紅ちゃんはどうだ? 自分は不幸だと思うか? 君の眼には何が見える?」
私の眼に映るもの。
この世界。幻想郷。大切な人たち。私の居場所。
それは……きっと、いや、絶対に。
「私は幸せだ。ここには私の居場所があって、私と一緒にいてくれる人がいる」
それが、私の答えだった。
おでん屋はまるで女の子のように軽く笑うと、再び背を向けた。
「じゃ、そろそろ俺は行くよ。しばらくはこっちに寄れないかもしれないけど……また会ったら酒でも飲もう」
「その時は、多分輝夜と一緒に寄らせてもらうよ」
「それじゃあ、またな」
「ああ」
おでん屋の背中を見送ってから、私は空を見上げる。
「さて……と」
空の青さを目に焼き付けてから……私は、渡された本を手に竹林へと歩き出す。
さて、それじゃあ今日も生き続けよう。
私が参って降参するか、輝夜が折れて戻って来るか。
この幸せな世界で……根競べといこうじゃないか。
三途と浄土と極楽と。
閻魔すらにも見放され。
苦痛と痛苦と煉獄と。
終わらぬ日々の不老不死。
無限の地獄のその果てに。
見つけたものはただ一つ。
黒い御髪の宿敵に。
秘めし思いはただ一つ。
はい、そういうわけでようやく蓬莱編が終了です!
いやぁ……自分の遅筆のせいとはいえ長かった。まさか九ヶ月もかかる羽目になろうとは思いもよらなかったですw
と、いうわけで次回はちょいと外伝の方を更新してから氷精編の方を進めていく予定になります。お楽しみに♪
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