どうやら、ゲームをやってない人もいるみたいなのである程度のネタバレは伏せることにしました。
ああ……でもまぁ、この話を読めば帰還編の趣旨は大体分かってもらえると思うんだ。
と、いうわけで帰還編第4話、始まり始まり〜♪
※注意:前回も書きましたが、アレでアレなことになるので耐性のない方は即刻お帰りください。
帰還編4:ハメツのオト
ユメカラサメル。
外の世界ではほとんど拝めなくなった、抜けるような青い空と澄み渡る白い雲を見つめていると、なにもかもを忘れてしまう気がする。
冷たいお茶を喉に流し込みながら……ぼーっと空を見つめる。
「おでん屋さん。暇なら掃除くらい手伝ってくれないかしら?」
「暇だが、ゆっくりだらけの境内を掃除させるのは勘弁してくれ。俺は餡子が苦手っつーか生理的に受け付けないんだよ。洗濯とかなら喜んでやるから」
「……自分の服くらい、自分で洗うわよ」
「そこは服じゃなく『下着』って言った方が喜ばれる。主に俺とかに」
音速でぶん投げられたゆっくりを手刀で叩き落す。さすがというかなんというか、博麗の巫女ってのは伊達でも酔狂でもないらしい。受け止めるとか無理な相談だった。
ゆっくりとした時間。まったりとした時間。穏やかで安穏とした時。可愛い巫女。うるせぇのは地面と激突したゆっくりの泣き声くらいなもんだろうか。
まぁ……よく考えなくても、手刀で叩き落されて地面と激突すればそりゃ痛いに決まってる。ちょっとやりすぎてしまったかもしれないが、こっちが謝ると『人間なんてちょろい』と思ってしまうゆっくりもいるので、決して謝らないけども。
犬みたいに力の差を見せつけりゃいいってもんじゃないし、猫みたいに餌をやってりゃいいってもんじゃない。ゆっくりと上手に付き合うのは、実はわりと難しい。
「なァ、博麗さん。なんで神社にこんなにゆっくりがいるんだ?」
「さぁ? なんか、いつの間にか住み着いてたのよね。雑草も食べてくれるし、特に目立った悪さもしないみたいだから放置してるけど……あ、楽しみにしてた羊羹を食べられたことはあったわね」
「………………」
命知らずのゆっくりもいたもんだと思う。
そのゆっくりの末路は想像するまでもない。ただ、博麗さんは見た目よりは容赦がない人だが、羊羹ごときでゆっくりを始末したりはしないだろう。
しかし、ゆっくりは食事のグレードを下げることができない生き物だ。
いや……正確には、贅沢を忘れられない生き物だ。
自然に自生している蜂蜜や野菜を食べても虫や草を食べ続けるが、人間から奪った、あるいはもらった菓子や野菜を味わってしまうと、もう元の食生活には戻れない。
元の食事に戻れるゆっくりもいるが、豪華な食事を忘れることはできない。
これに関しては色々な推論があるが……単純に考えることもできる。
ゆっくりと人間は、同じモノなのだ。
若い頃の武勇伝に執着する老人と、人間の畑や家から食い物を奪ったり人から甘いお菓子をもらうことに執着するゆっくりとで、なにが違う?
勝利と成功はいつの時代も、身を滅ぼしかねない甘露だ。優越感は自分の価値観を狂わせ、代償にしたはずの努力すら無価値にする。
その末路はいつだって破滅と決まっているのに、同じことを繰り返す。
同じことを繰り返した結果が、俺が住む外の世界の現状だ。
結局……誰も彼も、掴み取った贅沢を手放すことなんてできやしない。
人間もゆっくりも、同じように。
「一応聞いておくけど、そのゆっくりはどうしたんだ?」
「さっさと追い出したわよ。私の不注意が原因だし、羊羹はちょっと勿体無かったけど仕方ないわね。……まぁ、一瞬幻想郷に存在するゆっくりを一族郎党まとめて皆殺しにしてやろうかと思ったけど」
どうやら、食い物の恨みは思ったよりもおっかないらしい。
自制できたぶん、博麗さんはまだ大丈夫な人なのだろう。
もっとも、神社に住み着いている謎生物について興味も関心もないのは、人間としてちょいと問題ありって気がしないでもないが。
「あ……でも、そのゆっくり、三日後くらいに餓死してカピカピになってたわね。食料は豊富にあったのに、なんでかしら?」
「しつこく叫んでなかったか? 『あまあまさんちょうだいね!』とか」
「そう言われても、ここにいるほとんどのゆっくりが二言目には野菜くれだの甘いものくれだもの。いちいち覚えちゃいられないわよ。……それに、この神社で野菜やお菓子を一番欲しいと思っているのは、この私よ?」
どんよりと、黄色い光を放つ博麗さんの目はまじで怖かった。
まぁ……興味も関心もなければそんなものだろう。
見る人によっては宝物でも、興味がない人間にとっちゃガラクタ同然ってのはよくある話だ。
ゆっくりには悪いが……この神社はある程度の身の安全は保障してくれるが、『ゆっくりぷれいす』には程遠い環境だ。草は多いが虫もきのこも少ないし、巫女は容赦ない。
現代風に言えば、そのゆっくりは理想を抱いて餓死したんだろう。
ゆん生の敗因は『あの味が忘れられませんでした』ってところか。このあらいを作ったのは誰だでお馴染みの、某グルメ漫画のキャラに聞かせてやりたい言葉である。
ちなみに、俺も『空を飛んでみたかった』という理由で、小さい頃に実家の屋上からジャンプして死にかけているので、そのゆっくりのことを笑うことはできない。
いや……誰だって、ゆっくりのことを笑うことなんてできやしない。
できることと言えば、死に様を目に焼き付けて一生懸命生きることくらいだ。
まぁ、それはともかく目が怖すぎるので早急に話題を変えることにする。
「……あの、博麗さん。この神社ってそんなに貧乏なのか?」
「貧乏ってほどじゃないわよ。この神社までの道のりには妖怪が出ることもあるけど、安産祈願やら学業成就やら、その他諸々で参拝客はわりと来るし、お祭りやら正月やらのかき入れ時には満員になるし、私にはよく分からないけどゆっくりを見に来る人もいるし。……まぁ、それはそれとして、人里に行くのも面倒だし野菜やお菓子はあるに越したことはないわよね。あと、お金とかもっと欲しい」
うわぁ……お金とかもっと欲しいとか言っちゃったよ、この巫女。結婚してくれ。
こういう見栄もプライドもあったもんじゃない女はわりと好みなのだった。
ゆいさんと同居してる時点で分かってはいたが、俺の趣味はつくづくおかしい。
「……やれやれ」
携帯灰皿にタバコを押し込んで、空を見上げる。
と、空に関係することで、唐突にあることを思い出した。
「あー……そういえば博麗さん。アンタ、空を飛べるんだって?」
「ん? まぁ、飛べるけど」
「後で見せてくれよ。なんか面白そうだし」
「嫌よ。面倒くさい」
予想通りの回答だったので、俺は賽銭箱にいくばくかの金を放り込む。
チャリンという音の後、博麗さんは一瞬ものすごく嬉しそうに笑いかけて……こほんと咳払いをした後、あさっての方向を向いて言った。
「ま、まぁ見せるくらいなら別にいいわよ。減るもんじゃないし」
頬が引きつってるあたり、説得力に欠ける感じだった。
ツンデレ……じゃなくて、『ダルツン』かよとか突っ込みそうになったが、博麗さんが可愛かったので、なにも言わずにただ少しだけ口元を緩めて、笑った。
あと、この巫女がデレることは未来永劫ないだろうな、とも思った。
リフレッシュルーム。月面調査船メメントモリー内で個室を除けば唯一仕事には関わりあいのない、休憩室のような場所。時には会議室として使われるその部屋の間取りをシャンは把握していたが、見るのは初めてだった。
会議用の大きなテーブルに人数分の椅子に大きなモニター。そして、暇つぶしのために設置されたゲーム機と紅茶メーカーが、リフレッシュルームの全てである。
「あ、シャン。ちょうど良かった。ちょっとおいでよ」
部屋に入るなり触角少女……リグルに呼ばれた。
シャンが首をかしげながらリグルの方に向かうと、リグルはゲーム機の画面を前にしながら、にやりと不適に笑っていた。
「んっふっふ……このゲーム機は最初から備え付けてあるものなんだけどね、発想力と応用力が必要とされる、とても知的なゲームなんだ。私も一回はクリアしてる」
「千回以上プレイしてれば、そりゃ一回くらいは偶然でクリアできるかもね。っていうか、その一回クリアした時と同じ手順でいいはずなのに、さっきからステージが進む気配すらないんだけど?」
「う、うるさいよミスティア! とにかく……シャンもやってみなよ。面白いから」
リグルはにこにこ笑いながら、シャンをゲーム機に座らせる。
「これはね、箱を所定の場所に移動させるっていう、単純に見えるけど論理的かつ頭脳的なゲームなんだ。生まれたばかりのシャンにはまだちょっと難しいかもしれないけど、何回でも試してみれば……いいんじゃないかと思いました」
「……リグル。現実から目を逸らしちゃ駄目だよ? 作文みたいな締めくくり方をしたって、目の前の現実は変わらないんだから」
「違うよ? これは汗であって、涙とかそういうんじゃないから!」
ALL CLEAR! と表示された画面を直視しないように、リグルはしょっぱいもので濡れた頬を隠すように、顔を逸らした。
っていうか、生まれたばっかりとはいえ魔導コンピュータと『ただの虫』が演算能力で張り合っちゃ駄目だよねぇとミスティアは思っていたが、あえてなにも言わなかった。
「ミスティア、なんか今失礼なことを考えなかった?」
「それはリグルの被害妄想だよ?」
「じゃあちゃんと目を見て話そうよ! 会話はキャッチボールでしょうが!」
キャッチボールを拒否したミスティアは、ガクガク揺さぶられながらも決して目を合わせようとはしなかった。
リグルはシャンを優しくゲーム機からどかすと、涙目になりながらも画面に向かう。
「シャンに負けてられるかー! 幻想郷に着くまでにあと一回クリアしてやる!」
「……幻想郷到着まで、あと六日と六時間三十二分六秒……五秒」
「カウントすんなー!」
血眼になってゲーム機に向かうリグルと、それをにやにやしながら眺めるミスティアはやっぱり仲がいいのだろう。
二人の様子を微笑みながら見つめ、シャンはそっとゲーム機から離れた。
テーブルに目を向けると、アリスはシャンを完成させた疲れからぼーっと天井を見上げており、早苗はなにやら紙の束に目を落としている。
その本の表紙には、『幻想郷における環境問題とその対策』と書かれていた。
著者はパチュリー=ノーレッジ。資料提供は射命丸文とも、書かれていた。
「あ……シャン。これは本っていって、情報を蓄積させる媒体の一つなの。ハードディスクと似たようなものかな。図書館で借りてきたんだけど、読んでみる?」
コクコクと頷くと早苗は椅子を引いて、横にどいてくれた。
進められるがままに椅子に座り、『本』に目を落とす。
そこには、見たこともない世界が広がっていた。
「私が幻想郷に来る前の世界ではね、環境問題っていうのがあって、森林破壊とか、温暖化とか、汚染とかそういうのに悩まされてきたの。幻想郷はそんな心配はないと思ってたんだけど、調べてみると最近は人間だけじゃなくて妖怪も木を切ってたりするんだって。今はまだ自然でいっぱいだけど、そのうち外界の二の舞にならないか心配なの」
シャンの知識には、ある程度の辞典や図鑑も含まれている。
それは、データとしての知識。シャンにとっては極々当たり前の知識だ。
しかし……本の中とはいえ、実際に触れていないとはいえ、視覚から取り込まれる情報は、あまりに鮮烈だった。
切り倒され無残な姿を晒した木々。
汚泥の流れる川。
処理しきれなくなったゴミ捨て場。
「今はまだ自然でいっぱいだけど、そのうち外界の二の舞にならないか心配なの」
外界。外の世界。早苗が元々いた場所で、幻想郷とは違う世界。
幻想郷でこんなに酷い有様なのに……外の世界というところは、もっと酷い?
シャンが不安そうな表情を浮かべると、早苗はにっこり笑ってシャンの頭を撫でた。
「そんなに不安がらなくても大丈夫。今回の月面調査でね、船長と色々話し合って、幻想郷に帰ったらみんなで妖怪や人に掛け合ってみることになったの」
「……上手くいけばいいけどね」
少しだけ船を漕いでいたアリスの呟きに、早苗はにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ。諏訪子様と神奈子様はもとより、幻想郷のことになれば八雲紫さんも手を貸してくれるでしょうし、環境汚染で一番困る河童さんや天狗さんたちも力を貸してくれるでしょうし、排気ガスや粉塵が天敵なパチュリーさんのことを想う吸血鬼さんだって巻き込めますし、薬草が取れなくなったら困る永遠亭の薬師さんもなし崩しに協力してくれますよ。あとは……霊夢さんをどうやって引きずり出すか、ですね」
さりげなく、『巻き込める』とか『なし崩し』とか言ってるあたりが恐ろしい。
しかも、巻き込もうとしている相手は幻想郷でも『最強』や『実力者』と付く妖怪ばかりで、おまけに博麗の巫女まで引っ張り出す気満々である。
真っ黒い笑顔を浮かべる早苗にドン引きしながら、完全に眠気の覚めたアリスは、深々と溜息を吐きながらも、苦笑を浮かべる。
「ま……その辺は早苗に任せるわ。私の方はあんまり協力できそうなコネもツテもないけど、協力できることがあったら、いつでも言って」
「はい、ありがとうございます。外の世界の問題については……多分、私が一番詳しいと思いますから、なんとか分かってもらえるように掛け合ってみます」
いつも微笑んでいる早苗は、見せたことのない真剣な表情を浮かべていた。
それはつまり……この『環境破壊』というのは、幻想郷の存亡に関わることであり、現状で『環境破壊』が進行すればどうなるかを知っているのは早苗だけということでもあった。
「あ……シャンはまだ幻想郷がどんなところか見たことないんだっけ? ミーティングが終わったら私は図書館にいるから、来てくれたら、写真でだけど幻想郷を見せてあげる。あなたはまだ生まれたばかりだから、色んなことに興味を持った方がいいわ」
にっこりと微笑んでシャンの頭を撫でる早苗は、さっきとは打って変わって穏やかな表情を浮かべていた。
と、早苗は不意にアリスに向かって問いかける。
「アリスさん。シャンはなにかできないんですか?」
「んー……今はこれといってないわね。シャンは魔導コンピュータだから、色々な経験を通じて段々覚えていくのよ。シャンの中にインストールしてある辞典や教本があるにはあるけど、理論と実践はまた別の話だからね」
「どういうことですか?」
「料理の教本を持っていても、その料理を再現できるわけじゃないでしょ? 材料の切り方、味付け、鍋の大きさが違えば味も違っちゃうんだから。結局、なにもかもやってみないことには経験にならないってことよ」
「なるほど。……あー、なんだか安心しますねぇ。霊夢さんとか魔理沙さんだと、料理の話とかしても、全然噛み合わなくて困っちゃうんですよね」
「……あいつらは味付けに凝るってことを知らないのよ」
採取した食べられるきのこを火であぶる。塩と胡椒を振ってかぼすを一滴。美味い。
川で取れた魚に塩を振る。火であぶる。あとは美味しくいただくだけ。
食材の味を生かした料理と言うべきか、あるいは単にあれこれ考えるのが面倒なだけなのか、博麗の巫女と白黒の魔法使いの料理はかなり質素だ。
八目鰻を人間相手に売っているミスティアはもとより、リグルですら果実を砂糖漬けにするくらいの工夫はするというのに。
「霊夢さんに『外の世界にクリームシチューっていう料理があるんですよ』って話題を振ったら、その日の夕食から翌日の朝食まで作らされましたよ?」
「……相変わらず脈絡ないわね、あの巫女。シャンは絶対そんな子には育てないわ」
「あ、じゃあ簡単なものから試してみるのはどうでしょう?」
「それはいい案ね。シャン、いい? あの紅茶メーカーを使って、紅茶を作ってみなさい。茶葉の選択とかはシャンの好きにしていいから」
アリスに言われて、シャンはこくりと頷いて紅茶メーカーに向かう。
紅茶葉は一般的に飲みやすいとされるアールグレイを選択。カップは紙コップ、温度は飲みやすいとされるぬるめでいいだろう。砂糖は……砂糖?
砂糖の分量って、どのくらい?
残念ながらシャンの中には辞典や料理の本はインストールされていても、『紅茶の煎れ方』などという情報はインストールされていない。
「………………!」
ボタンの前で指が止まる。シャンの中に内蔵されたCPUが思考という負荷に対応するために、無音の冷却ファンが活発に起動する。
どうしよう。砂糖の分量が分からないと先に進めない。小さじ一杯が五ミリリットルなのは分かるけど、人間がどの程度の砂糖を好むのか分からない。あれ? そもそも一杯というのは本当に『一杯』でいいんだろうか? 画面の表示は『いっぱい』となっているけど、これはもしかして『たくさん、なにかが多い様』といった意味合いの『いっぱい』なのではないだろうか?
ボタンを一回押してみる。ヴーンという耳障りな音を立てて、カップの中に砂糖が投入されるが、『いっぱい』には程遠い。いっぱいの概念は微妙でシャンにもよく分かっていないが、多分十回くらいが『いっぱい』だろう。桁上がりするし、十以上はいっぱいと判断してもいいはずだ。
(あーあ……ありゃ絶対に分かってないわね)
神妙な顔で砂糖のボタンを連打しているのを見ていたのは、鈴仙だけだった。
疲れているアリスはぐったりと机に突っ伏し、早苗は本に目を落としながら、ちらちらとアリスのほうを見ていたし、リグルやミスティアに至ってはシャンに気を配っている余裕などありはしない。
ボタンを十回ほど押した後、紅茶を煎れられたと判断したのか、カップを手にシャンはテーブルに戻っていく。
「ありがとう、シャン。じゃあ……ちょっと味見を」
早苗はカップを受け取り、中の紅茶を口に含む。
笑顔だった表情が、一瞬にして引きつった。
「あ……あまい、です」
「あちゃ……すみません」
苦笑しながら、アリスはシャンの頭を撫でる。
「シャン、よくできたわね。でも、砂糖がちょっと多すぎだわ。分からないことがあったらすぐに誰かに聞くこと。みんな仲間なんだから遠慮しなくていいのよ?」
失敗はしたが、アリスはそんな風に優しく諭してくれた。
分からないことがあったら、誰かに聞く。それは、至極当たり前のこと。人と人、動物の間でも『誰かと話す』というコミュニケーションは欠かせないものだ。
と、その時。立っているのに疲れたのか、鈴仙は溜息混じりに席に着いた。
そうだ、鈴仙にも紅茶を入れてあげよう。シャンはそんな風に思った。
今度は失敗しないように、砂糖の量はあらかじめ聞いておかなければいけない。
シャンはアリスに言われた通りに、遠慮せず、鈴仙の背後から声をかけた。
パァン!
景色が反転する。一瞬後に壁に叩きつけられて、ノイズが走った。
なにが起こったのか分からなかった。
「なにすんのよ!」
体を起こすと、アリスが鈴仙に食ってかかっていた。
どうやら自分は鈴仙に叩かれたのだと、シャンは判断した。
「あいにく……私は、あなた達と違って自我を持った機械に対してロクな目に合ってないのよ。いつ暴走するか分からないってのに、よくお気楽にしていられるもんよね?」
「鈴仙……アンタねぇ!」
激昂しかけたアリスを、早苗が手で制する。
そして、ゆっくりと溜息を吐いてから、早苗は口を開いた。
「鈴仙さん」
「……な、なによ?」
「でもそれは、シャンには関係ないことでしょう?」
真っ直ぐに鈴仙を見つめて、はっきりと言い放つ。
あまりの迫力に鈴仙は反論することもできずに、思わず息を呑んだ。
東風谷早苗。メメントモリーの副船長。普段は温厚で温和で、わりといたずら好きの彼女だが、副船長の肩書きは伊達ではなかったりする。
褒める時は褒めるし、怒るときはとことん怒る。副船長という肩書きにふさわしく……彼女は、人間関係の不和には特に敏感だった。
と、リフレッシュルームがいつにない緊迫感に包まれた、その時。
「やっふー! みんなのスーパー船長、河城にとりただ今参上だよ!」
そんな、能天気な声が船内に響き渡った。
本人が現れたわけではなく、リフレッシュルームに設置してある大型のモニターに船長であるにとりの姿が映し出されたのだが、たったそれだけで緊張の糸が切れた。
「やー……遅くなってごめんね。幻想郷に急ぎで送る資料があって、それを仕上げてたら時間食っちゃって。みんな、調子の方はどうだい?」
「特に異常はないです」
表情一つ変えずに、早苗はきっぱりと言い切る。
モニターの向こうのにとりは、少しだけ苦笑して、溜息を吐いた。
「そうかい。それならいいけど……東風谷副船長はわりと抱え込むタイプの人だから、船長としてはちょっと心配してみたりするんだけど?」
「本当に異常はありませんってば」
「ふむ……ま、それならいいや。鈴仙が最初に言っていた通り、宇宙空間じゃチームワークの乱れはそのまま死に直結する。この中に気に食わないメンバーがいたとしても、仲間として振舞わなきゃみんなが死ぬんだ。……みんな、それだけは肝に銘じて欲しい」
「ちょ……船長っ!? いきなりなにを言い出すんですかっ!?」
「気を引き締めろってことさ。仮に月面調査が再度行われたとしても、次は別のメンバーになるだろう。このメンバーでの月面調査は、どう足掻いてもあと一週間で終了だ」
気に食わない誰かがいたとしても、あと一週間で終わり。
楽しくも苦しかった宇宙の旅は、もう少しで終わるのだ。
「私としては、このメンバーで幻想郷に無事帰りたい。楽しいことや苦しいことなんかを愚痴ってお酒を飲みたいのさ。……宇宙空間じゃ宴会なんてできやしないからねェ」
「……船長、確実にそれが本音ですね?」
「はっはっは……まぁ、幻想郷に戻るまでは自重するよ」
にこにこと楽しそうに笑いながら、にとりはリフレッシュルームを見回す。
と、そこでようやくメンバーが一人増えていることに気づいたようだった。
「あれ……そこにいるのは、もしかしてあの子かい?」
「はい、シャンっていいます!」
アリスに促されるままシャンは頭を下げる。
にとりは笑って、おじぎを返した。
「じゃ、シャンのことは後でちゃんと見せてもらうことにして……実は、まだ事後処理とかそういう仕事が溜まっててね、私だけわりと忙しいんだ。そういうわけで簡単だけど、今回はこれで解散。あと一週間、各自気を抜かないように」
最後に船長らしいことを言ってモニターはブラックアウトし、それと同時に今までゲームをやっていたリグルは、大きく背伸びをした。
「やれやれ……ミーティングはゲームやって終了か」
「たまには良いんじゃないの? あなたも楽しんでたみたいだし」
「まぁね! ライバルも出てきて俄然燃えるってもんだよ!」
「………………ライバル?」
「あっはっは……ミスティア。ちょっと広い場所まで行こうか? リアルファイトで決着をつけてやる!」
「だって本当に勝負になってなかったじゃーん!」
逃げる鳥と追う虫。自然界とは逆の構図だが、それでも二人は楽しそうだった。
鈴仙は溜息混じりに立ち上がり、何も言わずにリフレッシュルームを出て行った。早苗はちらりと鈴仙の背中を見たが、結局なにも言わずにアリスに向かう。
「私は図書館に行きますけど、アリスさんはどうしますか?」
「そうねぇ……じゃ、私も行こうかしら? なんか眠気吹っ飛んじゃったし」
「シャンもあとでおいで。それじゃあ、行きましょうか?」
「え……ちょ、早苗?」
シャンを一人残して、早苗はズルズルと心配性のアリスを引っ張っていく。
二人を見送り……シャンは鈴仙に叩かれた頬をさする。
魔導人形であるシャンに痛覚はない。各種センサーやメーターは痛覚よりも過敏にシャンに異常を伝えてくれる。その異常を感知した際は人間でいう『疼痛』のようなものが走ることは理解しているが、現状では特に異常はない。
損傷は軽微。むしろ叩いた鈴仙の方が痛かったのではないだろうか?
近寄らないで!
明らかな拒絶。自分が鈴仙に嫌われていることは、理解できた。
その理由も……なんとなく、分かった。
自我を持った機械。ロクな目にあっていない。いつ暴走するか分からない。
つまり、彼女は自律機械に酷い目に遭わされた経験があるということ。
早苗は関係ないと言ってくれたけど、多分鈴仙にとっては……関係あることなのだ。
「………………」
そこまで考えて、シャンは己のやるべきことを悟る。
情報が要る。アリスにインストールされたものだけじゃなくて、もっとたくさん、幻想郷のことから月のことまで、知り得る限りの情報が欲しい。
その上で……自分で考えて決めようと、シャンは決意した。
少しだけ船内を見て回ったので、図書館に到着したのは少し遅くなった。
図書館と言われるだけはあり、外の世界の資料からこの図書館を作った人物のが編纂した電子媒体から書物まで、宇宙旅行に必要なものは全部揃っているようだった。
専門書だけでなく、漫画や小説まで揃っている所を見ると、この図書館を作った人物は宇宙というものをよく知っているらしい。
心の安定を保つためにも、書物というものは必要なのだ。
「来たわね、シャン。見づらいでしょ? 隣に座っていいわよ」
シャンが話かけると、早苗は隣の席にシャンを座らせて、端末を操作する。
早苗がマウスをクリックすると、上空からの撮影画像が端末に表示された。
「これが幻想郷よ。射命丸さんから譲ってもらった妖怪の山付近の映像と……ああ、これは人工衛星からの上空写真。綺麗でしょ?」
一面に広がる緑。森に囲まれた山。ずっと向こうには人里らしき影。
どこか懐かしさを覚える映像を、シャンは食い入るように見つめていた。
早苗がマウスをクリックすると端末は次の映像を映し出す。
奇妙な帽子を被った少女と、神々しい威厳を称えた女性と、早苗が写っていた。
三人とも、楽しそうに笑っていた。
「これが、私たちの神社。私と一緒に写ってるのが、私の家族で……」
と、早苗が説明に入ろうとするが、不意にアリスがひょっこりと顔を出す。
「ちょっといい? さっきから気になってたんだけど、その機械なに?」
「これは、ノートパソコンです。外界で情報をやり取りする時に使う端末なんですけど、幻想郷を発つ前に部品だけ持ち込んで、こっちで組み立てたんですよ」
「へぇ……それってどんなことができるの?」
「えっとですね……今みたいに保存しておいた画像を表示したり、この船のサーバーからアンテナを通じて、地上から情報を得ることもできるんです。例えば、こんな感じにすると映像やニュースが見れたりします」
「えっと……こういうのを、インターネットっていうのよね?」
「なんだ、知ってるんじゃないですか」
「魔導について書かれた本に書いてあったのよ。ネットワークを通じて、魔導コンピュータを直接いじることができるって」
「そうなんですか。でも、これは知らないでしょう。えっと……あら?」
表示されたのは『ページを表示できません』というメッセージ。
「あれ? これ、回線切れてない?」
「………………っ!?」
アリスの言葉に、早苗は一瞬で状況を理解する。
「ちょっと……それって大変ですよ!」
「え?」
「回線が繋がらなくなったってことは、回線に異常があったってことです! 地上と交信がでなくなったら大変です! 急いでコックピットに行って確認しないと!」
「ちょ……ちょっと、待ちなさいよ!」
慌てて出て行く早苗を、アリスはそれ以上に慌てて追いかける。
シャンも二人を追いかけようとしたが……ふと、思いついて、早苗の残したノートパソコンを見つめる。
「………………」
ネットワークが繋がってないというメッセージが表示されている。
シャンは自分に付属されているUSBケーブルを、ノートパソコンに刺した。
新しいドライブ『シャン』を発見。適合するドライバをインストール。解析開始。コンマ3秒で終了。ネットワークの接続はなし。キャッシュに問題はなし。接続履歴もオールクリア。閲覧した画像にもウィルス等の感染は見受けられない。
少し気になることはあったが、プライベートには触れるべきじゃないと判断し、シャンも慌てて早苗とアリスを追うことにした。
月面調査船メメントモリーの頭部とも言える部屋。それがコックピットである。
月面に降り立つ時にもなかった緊迫感が、部屋の中を包んでいた。
「こいつはやばいな……」
「リグルさん、どうなんですか?」
通信技師のリグルが、通信状態を確認して目を細める。
「駄目だ……送受信共にできなくなってる」
「そんな! ……じゃあ、私たちは宇宙に取り残されたってこと?」
「ミスティアさん、落ち着いて。通信ができなくなっても、航路は確保してあります。ただ、現状では幻想郷と連絡を取ることはできません」
「副船長……大丈夫だよね?」
「………………」
ミスティアの問いかけに、早苗は答えることができなかった。
緊迫感がコックピット内を包み、誰もが言葉を発することすらできない中、一人だけ……鈴仙だけは、ゆっくりと溜息を吐いて口開いた。
「アンテナが壊れる原因として、考えられるのは一つ……通信技師の管理能力不足よ」
「酷い言い方ですね! それじゃあ、リグルさんが真面目にやっていなかったみたいじ
ないですか!」
早苗は鈴仙に向かって食ってかかったが、当のリグルは口を閉ざしたままだった。
口を閉ざして、真っ直ぐにパネルを見つめてコンソールを叩いていた。
「否定しないの?」
「この中で一番技術力が劣っているのは私だ。いつも、船長や鈴仙にフォローがあったからここまでやってこれたんだ。……でも、今回はおかしいって私でも分かる」
「おかしいってなにが? いきなりアンテナが壊れるなんて普通じゃ考えられないわ。人為的なミスと考えるのが自然でしょ?」
「送受信のアンテナはそれぞれ独立してるのは鈴仙も知ってるでしょ? その二つがいきなり壊れるなんて、普通じゃ有り得ないよ。整備をしたのはついこの間だし、さっきまで正常に動いていたアンテナがいきなり壊れるなんて……」
「だから……あなたのミスなんでしょう?」
「原因調査もせずに決め付けるのは早いって言ってるんだよ!」
それは、リグルらしかぬ言葉だった。
叫びながらコンソールをぶっ叩いて、リグルは真っ直ぐに鈴仙を見据える。
「ああ、そうだろうね。この中で一番技術力に劣ってるのは私だ。ちゃんとやったはずだけど間違いがなかったなんて言い切れない! でも……ミスをしてもきちんとやり直せばいいって教えてくれたのは、鈴仙じゃないか!」
「それは取り返しのつくミスの場合よ。今回のは……洒落にならないわ」
「ミスをしたかどうかはこれから調べるんでしょ! 勝手に決め付けないで!」
「どうだかね。技術力の一番劣る人にそんなこと言われても、説得力に欠けるけど?」
「………………っ!」
「もうやめてよ、二人とも!」
殴り合いに発展しかねない口論を止めたのは、ミスティアの叫び声だった。
「みんな、落ち着いて! せ、船長も言ってたじゃない、仲間なんだから……喧嘩は、駄目だよ? お、お腹が空くとイライラするって誰かが、言ってたし……わ、私……鰻でも焼いてくるから、みんな待ってて!」
それだけを言い放って、ミスティアはコックピットから大慌てで出て行った。
単に空気に耐えられなくなっただけかもしれない。
それでも……彼女が泣いていることを咎めることは、誰にもできなかった。
ゆっくりと溜息を吐いて、早苗はリグルに問いかける。
「……船長は、なんて?」
「詳しく調べてから……対処を考えようって」
「私もそれが適切だと思います。リグルさんが言う通り……送受信アンテナが二本同時に故障するなんて事態は考えにくいです。よほどのことがあったと考えるべきでしょう」
二本あるアンテナは、本来送信と受信両方の処理を行うことができる。
それを送信用と受信用にあえて分けているのは、処理を分担することによりアンテナにかかる負担を軽くするためなのだ。
これにより、不測の事態が発生したとしても、壊れてない方で送受信を行えるように設定を変更すれば、処理速度は落ちるもののネット環境の利用は可能となるのだ。
「リグルさんはとりあえず調査の方をお願いします。鈴仙さんはフォローを、アリスさんとミスティアさんは待機で、私は船長と今後のことを話し合……」
ドン!
あまりにも唐突に、轟音が響いた。
宇宙旅行で、聞いたことのないほどの大きな音。
まるで破滅の花火を打ち上げたかのように……盛大で荒々しい音だった。
なにかがおかしくなってしまった。
歯車が食い違ったような感覚が、ミスティアを支配していた。
「……みんな、みんなどうしちゃったのよぅ……」
廊下を走り涙を拭いながら、ミスティアは思い返す。
今までだって危機はたくさんあった。リグルもそうだが、自分もいっぱいミスをしてきて、その度に怒られたけど、それでも誰かがフォローをしてくれた。
仲間じゃないか。みんな仲間だと思っていたのに……どうしてこうなったのか?
怒鳴ったり怒鳴りあったり、そういうのは仲間のやることじゃないはず、なのに。
『仲間ってのはな……幻想だよ。幻想郷に入る資格のない、幻想だ』
商売敵の言葉を思い出しながらも、ミスティアは涙を拭った。
違う。それだけは違う。幻想なんかじゃない。みんなイライラしてるからああなっているだけで、お腹が一杯になればまた元通りになれるはずだ。
あの時……おでんを売っていたあいつに自分は仲間の重要性を説いた。
そして、商売敵を納得させて……あれ?
「……なにこれ?」
気がつくと、ミスティアは地面に倒れこんでいた。
キッチンに入って、取って置きのヤツメウナギを焼こうとかがんだところで、バランスを保っていられなくなって、倒れこんだ。
「や……やだなぁ。あはは……私まで、どうしちゃったの、かな」
意識が朦朧とする。頭がばらばらになっていく。体がぐちゃぐちゃになっていく。
上も下も右も左も分からない。自分も分からなくなっていく。
「……もぅ……やだなぁ、みんな。これって……どっきりって、やつ、でしょ?」
ああ、そうだ。そうに違いない。
喧嘩したのもフェイクで、私をここにおびき寄せる罠だったのだ。
シャンの完成パーティのついでに、私をびっくりさせてやろうってわけだ。なるほど、間違いなく考えたのはリグルに違いない。きっと、早苗も一枚噛んでる。
まったくもぅ……世話の焼ける仲間たちだ。
『ああ、そうだ。幻想だからこそ、最後まで信じなきゃもったいない』
肯定なんだか否定なんだか、よく分からない言葉を思い出す。
途切れがちになる意識の中で地面を這いずりながら、ミスティアは笑う。
「うなぎ……やか、なきゃ。シャン……きっと…………よろこ、ぶ」
電子キッチンの温度を上げるために、スイッチを入れる。
それが最後の力だったかのように、ミスティアは動かなくなった。
かくて、終わりは始まりを告げる。
転げ落ちるように、なにもかもが破滅を始めた。
と、いうわけで早苗無双の回でしたw
ゲームだと副船長らしさがちょい薄めだったので、小説で副船長らしさを出してみたり。
普段は温和で温厚な女の子。現代っ子らしい所もあってしたたかでいたずら好きだけど、今回のように役職を振られるとあんな風にやれる子だと思うんだ!
あとは……幻想郷バカルテット(チルノ、ルーミア、リグル、みすちー)は最高に好きなんですが、ここで一人退場してしまうのが残念無念。
帰還編では数人のキャラが死んでしまいますが、ゲームだとわりとあっさり亡くなってしまうので、そこをあえて掘り下げます。
読む際はそのあたりをご了承ください。
さて、次回は帰還編第五話『アナタをオモウ』
お楽しみに♪