梅雨と悪役と少女漫画
「どうしよう……、帰れないよ。困ったなぁ」
現在、私たちの目の前では、漫画で典型中の典型な恋愛イベント「雨なのに傘が無い」が、展開されております。
ちらり、とこちらを窺う少女。憂い顔でも大変可愛らしい、まるで漫画のヒロインのよう。
そんな可憐な彼女を、私の隣にいる兄と従兄は目ざとく見付けると、すぐさま私を連れて下駄箱の端に隠れた。え?なんで?
「お兄ちゃんたち、帰らないの?私は傘あるよ」
はい、と折り畳み傘を差し出す。兄はそれを受け取らず、そのまま私の肩に手を置くと、とても真剣な顔でこう言った。
「……いいか?お前は今日から『悪役』だ。『悪役ライバルキャラ』になって、俺たちを救ってくれ!!」
「……お兄ちゃん、頭大丈夫?」
「蝶子が俺を心配してくれる!幸せだ」
母よ、うちの兄が壊れました。梅雨時期なので、脳みそにカビが生えたもようです。
「うるさい、あいつに見つかるだろう!」
あいつとは、もしやあそこにいる、カワイコちゃんですか?どっちかの彼女かな。私がそう言うと、二人は心底嫌そうに顔をしかめた。
「彼女とかありえないから。あいつの思考回路やばいから。マジで」
「どういうこと?」
兄では埒が明かない。仕方がないので、頼りになる従兄に尋ねてみる。
「簡単に言うと、俺たちは『自称主人公ちゃん』に付き纏われてんの」
「それで、『あなたを救ってあげられるのは私しかいないわ!』とか気持ち悪いこと言うんだよね」
俺には蝶子さえいればいい、と調子に乗った兄が気色の悪いことを言う。自分で言うのも何だが、兄は私さえいれば生きていけると全校生徒に宣言するほどの重度のシスコンだ。
「ふーん」
よくわからないので、取り敢えず相づちをうってみた。話は聞いてますよ、のポーズです。
「『この世界は私の大好きだった「〜〜〜〜」の世界なの!』『イケメンは攻略対象になるから私のモノ!』『目指せ逆ハーレム!』とクラス内で叫んだ猛者だ、強者だ、剛の者だ」
従兄が淡々と説明してくれる。
なにそれ、『自称主人公ちゃん』ってあんなにか弱そうに見えて、実はラスボス級の強さなの?
兄は「ちょーこちょーこ」と意味もなく人の名前を連呼し、とてもうるさい。
私の名前は、呪文ではない。そんなに唱えてると私の拳がおまえの脳天に召喚されるぞ。
「あいつは自分が物語の主人公か何かだと勘違いをしている。だから、俺たちが何を言っても通じない」
ため息を吐きながら従兄が説明を続けてくれる。
ああ、なんか分かんないけど大変なことに巻き込まれているんだね?
「わかりやすい説明をありがとう。で?なんで『悪役ライバルキャラ』なの?」
「相手が主人公だったら、俺たちを守ってくれそうなのは『妹』とか『婚約者』とかのお邪魔キャラという『悪役』ではないかと思ってな」
……兄よ。トラブルは自分で解決してくれ。人を巻き込まないでくれたまえ。
「頼む!あいつに『悪役ライバルキャラ』として対応してくれたら、おまえの行きたがっていた所に連れていくから」
「本当に!?」
そういうことは早く言ってもらいたい。どこに連れていってもらおうかな。
でも、『悪役ライバルキャラ』か。うん、昔読んだ漫画を参考にすればいいだろう。
よし、役割としてきっちり『悪役』をこなしてみせようではないか。
いくぞ、自称主人公ちゃん!
「あ、鳳凰院くん。今帰りなの?」
自称主人公ちゃんが、うちの兄に話し掛けてきた。
兄よ、私の後ろに隠れないでくれ。
上も横も、まったく隠れてはいないから無駄だよ。
「平等院くんもいたの!すごい!偶然だね!!」
『平等院』と『鳳凰院』、二人合わせて『平等院鳳凰堂』。小学生でも知っている、日本人には馴染み深い建造物です。知らない人は十円玉を見よう。読めない人は親に聞こう。
こんな変わった名前だから、変な人に絡まれるのだろう。まあ、私も『鳳凰院』なんだけど。『鳳凰院蝶子』……確かに、悪役っぽく見える名前ではある。
「どうしたの、こんなところに突っ立ってて」
「傘、忘れちゃって……帰れないの」
「お気の毒さま、じゃあ」「一緒の傘に入れて帰ってくれるの!?ありがとう!!平等院くん、大好き!」
さようなら、と続けようとした従兄の言葉を遮って、彼女は自分に都合の良い方向に話を持っていこうとする。
うわあ、これはイヤだわ。鳥肌が立つわー。
あ、お兄ちゃんが涙目だ。あのノリで毎日来られたら、いくら可愛くても付き合いたくはないだろう。
仕方がない。
我々の傍に図々しく寄ってくる自称主人公に、私は『悪役』として言ってやることにした。
頑張れ私!
「……黙って聞いていれば、なんという、身のほど知らずな女だ!
梅雨時期に傘を持たない愚民が、うっとおしい!
他人の傘にタダで入れてもらえると思うとは、片腹痛いわ!
おまえなんぞと会話をするのは、労力の無駄以外の何物でもない!
今すぐ我らの前から消え失せろ!!私の兄や従兄と付き合いたいと思うなら、まず私を倒してみろ!!
とっとと負けて、その薄汚れた心にふさわしく、みすぼらしい濡れネズミとなってしまうがいい!」
……よし!『悪役』っぽく言ってやった。
呆然と立ち尽くす自称主人公ちゃんの様子に満足し、私は二人のいる背後を振り向く。さあ、二人とも私の演技力を誉め讃えなさい!
期待して振り向いた視線の先、……そこには、大爆笑寸前の従兄と、頭を抱える兄の姿があった。
「………蝶子、それは『少年漫画の悪役ライバル』だ」
「………え?
少女漫画にも『悪役ライバル』なんているの?」
そんな漫画は、読んだことがない。なんてタイトル?
「…あはははははははは!……蝶ちゃん!最高ッ、腹筋がよじれて死ぬ!!」
ちゃんと自分達が説明してくれなかったくせに!笑うなんてひどい!!
「お兄ちゃんたちのバカー!!」
あんまり腹が立ったので、昨日お父さんから習ったばかりの回し蹴りを二人にたたき込んで、自称主人公ちゃんのトコに放置して帰ってやった。
お兄ちゃんたちなんて、もう知らない。
自分のことは、自分で対処してください!
てゆーか、『少女漫画の悪役ライバル』って、なんでふたりとも知ってるの!?
私にも漫画貸してよ!!