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はいそっ 作者:相野仁

九話

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 家に帰ると姫小路先輩の家から連絡があり、今度の日曜日に決まる。
 同時に高遠先輩が来られないとも。
 残念だけど急用ができたみたいだから仕方ない。
 そして例のごとく迎えをよこしてもらえるという。
 こうなったら甘えるだけ甘えてしまうか。
 俺の小遣いだけじゃ往復費用すら怪しいかもしれないしな。
 とりあえず、小早川に連絡を入れておこう。
 後の調整は先方に任せれていればいい。
 と思っていると、三十分も経たないうちから小早川から連絡があった。
 早いな……と感じた俺は危機感が足りないんだろうか。
 せっかく自分の時間を俺の為にさいてくれているのに、その当事者がこんな感覚じゃ悪いな。
 気合いを入れ直さないといけないだろう。
 幸い、及第点はもらえているんだから、意識を切り替えれば何とかなるはずだ。
 その後、特に語るべきことは特にない。
 ただ、次期会長と副会長に決まった人間の仕事が増えたくらいだ。
 生徒会役員の交代のシーズンが近づいているのだから、何か変化があるのかと思っていたのだが、拍子抜けしたくらいそのままである。
 クラスメートに質問されることさえもなかった。
 もしかすると、もっと後の話かもしれないが……。
 いずれにせよ、今の俺が集中するべきなのは、姫小路先輩との美術館めぐりを無事乗り切ることだろう。

 

 頑張って美術の勉強をしたつもりだが、学校の教科書やインターネットくらいだと限界があると思われる。
 ……素直に分かりませんと言った方がいいんじゃないかなって、今の時点で考えてしまう程度の成果しかなかった。
 単純にピカソやゴッホの絵を当てるくらいなら何とかなるかもしれないが、真贋を見極めろとか、絵から何かを感じろと言われたらお手上げである。
 先輩は俺の知識が大したことはないなんて想像できているだろうし、意地の悪い無茶振りをしてくるような人でもないから、その辺は安心しているんだが。
 小早川からこっそり連絡があって、先輩のところの美術館に行くなら制服か、スーツかジャケットのようなちゃんとした服がいいだろうとのことだった。
 あいにくとスーツもジャケットも持っていないし、美術館に行く為だけに買うのはためらわれる。
 そう思ったところで、ダンスパーティーの時はどうするのかとふと思いつく。
 小笠原先生に訊いてみたところパーティー用の服は学校側から支給されるとのことだった。
 そこまではよかったんだが、「パーティー用の服で外を歩かないでくださいね?」とやんわりと釘をさされてしまったのである。
 念の為確認してみようと思っていたこと、どうしてばれたんだろうか?
 それはさておき、結局今着ているのは学校の制服である。
 それが一番無難だと思ったからだ。
 ……万が一不合格だったとしても、先輩が何とかしてくれるのではないかという淡い期待があるのは否定できない。
 先輩の前で恥をかいてもまあいいかと思うのは、甘えだろうなとは思うけども。
 チャイムが鳴ったので対応すると、聞き覚えのある男性の声が届く。
 前回も迎えに来てくれた人だ。
 もしかすると、同じ人の方が俺にはいいだろうという配慮なのだろうか?
 運転手なんて何人も雇うものなのかどうか知らないが、先輩の家なら家族全員分の送迎用の車と専属運転手がいてもおかしくないレベルだしな。

「おはようございます、赤松様。本日もよろしくお願い申し上げます」

 相変わらず俺に対しても丁寧で、礼儀正しい人だった。
 先輩の客、すなわち大事なお嬢様の客だから当然なのかもしれない。
 ……つまり俺の恥は先輩の恥にもつながりかねないとも考えられるので、注意をしなければならないだろう。
 前回までは家だったから家の人に笑われるだけですんだけど、今回は外、美術館なのである。
 先輩はいちいち言わなかっただけで、ハードルがかなりあがっていると思っておいた方がいい。
 そしてこれは推測だけど、小早川からの連絡はそういうことを事前に伝えようとしてくれたのではないだろうか。
 もしかすると考えすぎなのかもしれないが、我らがクラス委員長はそういう気配りができる女子である。
 その頼もしさ故にクラス内でも信頼を勝ち取っているのだ。
 帰ってきたら一言、お礼のメールでも出しておこうか。
 いつものように後部座席に乗りこもうとすると、すでにそこには先輩が座っていた。

「赤松さん、おはようございます」

「……おはようございます」

 あまりの意外さに一瞬返事が遅れてしまう。
 すると先輩は申し訳なさそうな顔で詫びてくる。

「ごめんなさいね。本当ならば車の外に出てあいさつをするのが当然だと思うのですけれど、どうしても許してもらえなかったの」

 誰に許してもらえなかったのかは、あえて口にしようとはしなかった。
 そのせいで何となく相手を推測できたが、言葉にしない方がいいだろう。
 相手は大富豪で家柄もいいお嬢様なのだから、馬鹿馬鹿しくても守らなければならないものがあるに違いない。
 先輩がそういう人ではないことくらいとっくに理解しているから、表情と肩の動きだけで「大変ですね」と言ってみる。
 幸いなことに彼女には伝わったようで、申し訳なさそうな表情はそのままに、小さくうなずいてくれた。

「しがらみなんてない方がよいのですけれど、それを無下にするには今まで享受してきたものがあまりにも大きすぎるのです」

 小さな声でそう言った彼女の顔はどこか寂しそうである。
 彼女なりに自身の境遇について思う点があるのかもしれない。
 暗くなってしまいそうな空気を打破するべく、俺は話を変えようと試みる。

「今日行くところには、どんなものが展示されているんですか?」

「そうですね……一つは日本の画家や陶芸家で揃えられていますけど、残り二つは混在しているのです。お恥ずかしい話ですけれど、なにぶん趣味で収集していた蔵が発祥ですから、そのあたりの工夫が甘いのです。その為、厳密には“美術館”と呼んでもよいものか、怪しいのです」

 先輩は目を伏せて本当に恥ずかしがっているように見えた。
 だけども、美術館や博物館? をいくつも作れてしまうほどの芸術品や美術品を集めていたこと自体が、半端ないと思う。
 このあたりの感覚は俺たち庶民とは違うんだろうか?
 何にせよ本当に恥じらっているようだから、つっついてみない方がよさそうだ。

「先輩はどのようなものがお好きなんですか?」

 微妙に話の矛先をずらしてみると、彼女は頬に手を当てたまま乗ってきてくれる。

「そうですね。北斎などがいいですね。後は陶器でしょうか。個人的に備前焼と信楽焼が好ましいですね」

 お、北斎なら名前くらいは分かるぞ。
 それにしても陶器か……こう言っちゃなんだけど、花の女子高校生でお嬢様な人の趣味としては、ずいぶんと渋いと思う。
 ちらりとこちらに向けられる視線は、まるで犬が主人の機嫌をうかがっているようだった。
 何となくそんな風に見えるだけで、先輩が俺の顔色を本気で気にしているとはちょっと疑問である。
 たぶん、空気が白けたりしたら嫌だってところだろう。
 もちろん俺だって嫌である。

「どれも名前は知っていますが、先輩と語り合える自信がありません。できれば教えていただきたいのですが」

 だからこういう無難な発言をしておく。
 すると彼女はパアと顔を輝かせる。
 真夏の太陽を直視してしまったかのような破壊力がある、綺麗な笑顔だった。

「はい。もし、分からないことがあれば何でもおっしゃって下さいね。精いっぱい励ませていただきます」

 あれ、何だかおかしいぞ。
 「初心者だから色々と教えて」「うん、いいよ」というやりとりに過ぎないはずなのに、どうして新人教師みたいな答えが返ってくるんだろう。
 深窓のご令嬢だから、言葉選びが庶民とは少々ずれているのかな……?
 まあ感覚の違いはうかつに踏み込まない方がいいだろう。
 せっかく悪くない空気なんだし。
 そう判断して無難だと思う答えを言っておく。

「それは頼もしいですね。色々と頼らせてください、先輩」

「はい」

 彼女はとても嬉しそうに返事をした後、不意に少し悩むような顔つきになる。
 眉と口元が数ミリ動くレベルのささやかな変化なので、きちんと観察しておかなければ気づけない。
 それでいて相手はお嬢様なのだから、失礼にならないよう見すぎてもいけないのだが。

「どうかなさいましたか?」

 質問してみると驚いたように、眉を一ミリほど動かす。
 それからどことなく嬉しそうに頬をゆるめながら答えてくれる。

「いえ、どこから回ろうかと思っていたのですよ。赤松さんがご興味をお持ちなのはどれですか?」

 こんな笑顔で訊かれてしまうと、まさかどれでもいいだなんて言うわけにはいかない。
 しばし迷った挙句、俺は一番無難と思われる回答をひらめいた。

「文化祭の時に困りそうにない程度には抑えておきたいのですが」

「そうですね。ではそちらから参りましょうか」

 予期していたのか、彼女は笑顔を崩さずに応じる。 
 いや、そう言えばそういうコンセプトで今日会っているんだっけ?
 色々と考えることがありすぎて、何か分からなくなってきたな。
 ちょっと怖いので、一度しっかり脳を休ませた方がいいかもしれない。
 そんな時間がはたしてとれるのか、少し心配ではあるけど。
 こうして先輩と二人で動き回る時間がやってきたわけだが……うん、正直鑑賞するどころじゃない。
 この人が人目を集める美女だというのは今更すぎるんだけど、連れて歩くとどうなるかという予想は甘すぎた。
 ハチミツに砂糖を百グラム入れたようなレベルの甘さだったと痛感している。
 男が鼻の下を伸ばして彼女に見とれるのはともかく、女性までが似たような状態になっているのだ。

「あの子、芸能人かしら?」

「あんな美人、一度見たら絶対忘れないけどな……」

 このようなひそひそ声が聞こえてきたりする。
 そして最後には決まって俺を見て「何でこんな奴が」と露骨に変な顔をするのだ。
 悪かったな、冴えない面で。
 これは生まれつきなんだよ、と言いたいがまさか本当に声に出すわけにもいかない。
 そうすれば間違いなく彼女は気にするだろう。
 今だって時々気遣わしげな目を向けてきているくらいなんだから。

「さすが先輩は別格ですね」

 そうやってささやきかけてみると、彼女は困ったように眉間にしわを寄せる。
 褒めたつもりだったんだけど、この人にとっては違うらしい。

「そういうのはちょっと……」

 やんわりとたしなめられたので、慌てて謝る。

「ごめんなさい。不愉快にさせてしまって」

「いえ、いいのです。ただ、苦手なもので」

 彼女のとびぬけて秀麗な顔に、わずかな陰りが見えた。
 何か嫌な思い出でもあるのかもしれない。
 そう感じたの為、水を向けてみる。

「俺でよければ話を聞くくらい、できますよ」

 物は試しというつもりだったんだが、彼女は教えてくれた。

「自慢に聞こえるかもしれませんけど、私は昔から特別扱いされることが多かったのです。あの子は違う、あの子は例外、という言葉がどれだけ聞こえてきたか、数えたくもないくらい。だから疎外感を覚えることも珍しくありませんでした」

 美しい声色は相変わらずだったけど、どこか寂しそうな響きがある。
 この人にはこの人ならではの苦労があったようだ。
 まあ、お嬢様揃いの英陵の中でも別格扱いされるクラスなんだもんなぁ。
 そりゃ周囲も気を使っただろうなぁ。

「そうなんですね。俺なんか、羨ましいとしか思っていなかったので、恥ずかしいです」

 おどけながら詫びる。
 少しでも心をほぐせればと思ってやったんだが、見事成功して先輩はくすりと笑ってくれた。

「お気遣いさせてしまってごめんなさい。でも、今はもう受け入れています。多くの面で恵まれていると理解できる年になりましたしね」

「そうなのですか」

 自分は人とは違う。
 人ができること、望めることとは無縁だという境遇をそんな簡単に受け入れられるものだろうか。
 俺としては首をかしげざるを得ない。
 だが、俺とこの人だって違うんだ。
 様々な苦悩や葛藤を経て、その境地に到達したのかもしれない。
 そのすごさを推し量り、敬意を払うべきだろう。

「先輩は本当にすごいですね」

 そう褒めてみると、彼女は最初意外そうな顔になる。
 それから少し恥ずかしそうに微笑む。

「赤松さんこそ。たいていの人はわたくしのような年で何を分かったようなことを、と言いたそうな態度になるのですよ。まさか純粋に褒めていただけるとは、思いもよりませんでした」

 彼女の声には明らかに喜色がこめられている。
 この人のこの反応こそ、こちらとしては意外だったわけだが……いいところのお嬢様だし、色んな人と出会っているんだろうな。
 そしてそれ故に内心の感情を見抜くスキルが磨かれているのかもしれない。
 俺みたいなガキならともかく、大人たちなら「この小娘が」と内心思ってしまうのだろうか。
 彼女はそれにきちんと気づいているのだとすれば、今のような返答もうなずけるというものだ。
 そこまで考えたところで、背中に冷たいものが流れる。
 もし、万が一の話だが、俺が下心の一つでも持っていれば、たちどころに見抜かれていたんじゃないだろうか。
 そしてその場合はもちろん俺の人生デッドエンドだ。
 何しろお嬢様揃いである英陵の女の子たちが全員、顔色をうかがうレベルがこの姫小路先輩なんだから。

「いや、実際すごいと思いますよ。庶民には想像もつかない世界なんですし」

 重圧も桁違いなのだろう。
 そう思うからこそこう言ったのだが、彼女はあいにくと喜んでくれなかった。
 やや悲しそうに眉を動かし、たしなめるような顔つきになって口を開く。

「そういうのはあまりよくありませんよ、赤松さん。あなたはわたくしを褒めてくださっているのだと思うのですが、育ちが違うと突き放されているようにも感じられてしまうのです」

「えっ? そうなんですか?」

 これには正直びっくりする。
 憧れや敬意を込めて言っただけだったんだけど、彼女のような境遇の人は疎外感を覚えるのか。
 ……言われてみれば「お前は特別だから」で片付けられたら、俺だってあまりいい気はしないな。
 これは反省しなければいけない。

「すみません。そこまで気づいていませんでした」

 どうせ謝るなら早い方がいいと判断し、すぐさま頭を下げる。

「いえ、いいのですよ、分かっていただけたならば」

 彼女はにっこりと微笑み、許してくれた。
 たまたま見てしまった人が、石像となってしまうほど破壊力がある美しい笑みである。
 ただ美しいですませてしまえる俺って、すっかり耐性ができたんだなとしみじみ思った。
 そこで彼女はちらりと自身の腕時計を見る。
 小さくてシンプルで可愛らしいデザインで、金持ち令嬢の持ち物だとは見えなかった。
 あるいはそういうものは意識して身に着けてこなかった可能性も捨てきれない。
 先ほどの口ぶりからすれば、「ただの女の子として扱われたい」という気持ちがありそうだったからだ。

「いかがいたしましょうか、赤松さん。まだ少しお昼にするには早いかもしれないですけど」

 彼女はそう言って時計を見せて来たので、それに応えて近づく。
 互いに顔を寄せ合うような形になり、とてもドキドキさせられる。
 こういうケースはまだまだ慣れていなんだよな。
 時刻を見ると十一時四十分だった。
 早いと言えば早いが、今から店を探すのであれば早すぎるということもないだろう。
 俺がそう言うと何故か彼女はきょとんとする。
 それから申し訳なさそうな顔へと早変わりした。

「あっ、ごめんなさい。そう言えば、申し上げるのを忘れていました。実はお昼を食べるお店、用意してあるのです。休日はお店を探すのが難しいという話を聞いておりましたから」

 何だ、そういうことかと素直に納得する。
 この人は意外と抜けていると言うか、普段は誰かが気を利かせてやってくれていることなのかもしれないと思う。
 それなのにも関わらずいきなり何もかも自分でやろうとすると、ほころびがあるのは仕方ない。

「大丈夫ですよ、先輩。うっかりミスくらい、誰にでもあることですから」

 だから気にしなくてもいいと伝えれば、彼女は実に嬉しそうに微笑む。

「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけて、幸いです」

 そして彼女は店へと案内してくれる。
 どこに連れて行かれるのかと思えば、どこからどう見ても由緒正しい料亭だった。
 間違っても学生が遊びに来たついでに寄っていいところではない。
 ぎょっとなる俺を尻目に先輩は扉を開ける。
 すると中にいた旅館の仲居さんのような着物、それもかなり上等そうなものを着た女性が応対した。

「いらっしゃいませ。まあ、翠子様!」

「少し早くついたかもしれませんが、案内していただけるかしら?」

「もちろんでございますとも、ただちに女将を呼んでまいります!」

 それだけ言うとその女性はやや焦った表情で、見苦しくならない程度に素早くその場を去る。
 俺はそんな様子を「いやー、さすが姫小路先輩、名乗る必要すらない上に女将さんがわざわざ来るんだ」と、まるで他人事のように眺めていた。
 生存本能……もとい防衛本能が頑張ってくれた成果だと思いたい。
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