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はいそっ 作者:相野仁

四話

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1

 じめじめした空気、どんよりと暗い空、そして豪快な音。
 今年も梅雨の季節がやってきたのだった。
 ただ、今年は例年ほど辛くはない。
 英陵は各教室に除湿機も冷暖房もあるからだ。
 さすがに廊下や下駄箱は無理だが、教室に入りさえすれば快適なのである。

「おはよう」

「ごきげんようヒーロー様」

 挨拶をすると「コレ」が返ってくるのにも慣れた。
 もっとも、うちのクラスに限って言えばクスクスといった笑い声がついてくる。
 冗談めかしたものなのだと捉えるなら、そう悪いものでもない。

「勘弁して下さい」

 こうやって切り返しすのまでが日常の一コマとなっているのだ。
 そして快適な空気が体を包んでくれる。
 これは非常にありがたい。
 お嬢様達の前であまりだらしがない姿を見せるわけにはいかないからな。
 とは言え、難関もないわけではない。
 少なくともこの国ではありふれた現象なのだが、衣替えというやつがある。
 お嬢様学校ですら平等に訪れるこれは、俺にとっては新しい拷問となっていた。
 健全な男子諸君なら、もう俺が何を言いたいのか察してくれるだろう。
 クラスメート達も生地の薄い夏服になっているのだ。
 さすがに背中から下着が透けて見えるという事はない。
 何か高級な生地でも使っているのかもしれないな。
 それでも二の腕は露出しているし、体のラインもだがそれなりには露になっている。
 デジーレがナイスバディの持ち主だという事は、ほぼ確定したと言ってもよい。
 一瞬、白い目で見られた気がしたのは……思い過ごしだといいなぁ。
 更に言えば、薄着になったのは女子達ばかりではないのだ。

「おはようございます」

 小笠原先生もである。
 より正確に言うなら、教師陣もとなるだろう。
 白いシャツに半袖、紺のスカート。
 隙と言えるほど隙なんて全くないのだが、これまでがこれまでだけに充分色っぽく見えてしまう。
 そんな対象で見ていると知られたら、絶対零度の眼差しで魂ごと氷付けにされてしまいそうだが。
 くわばら、くわばら。
 なんてのほほんと考えている余裕は、小笠原先生の次の言葉で吹き飛ぶ。

「赤松君はご存知でしょうが、ダンスの授業が始まります」

「えっ……?」

 俺は思わず声に出していた。
 慌てて口を押さえたがもう遅い。
 皆にばっちり聞かれてしまったと思う。
 それなのに小笠原先生は咎めなかった。

「赤松君は初めてで戸惑う事も多いでしょう。皆さんが手を差し伸べてあげて下さいね」

「はいっ!」

 クラスのお嬢様がたは全員同時と言った勢いで、元気よく返事する。
 それが心強かった。



「ダンスの授業ってどんな事をするんだい?」

 休み時間、俺がクラスメートに向けた第一声である。
 今日は小早川のグループだった。
 相変わらずローテーション制なのである。

「何をって言われても……」

 小早川は即答を避けて考え込む。
 俺でも理解できるよう、言葉を選んでいるんだろう。

「踊りと曲を指定されてその通り踊る、といった感じかしら?」

「それで踊れるのかい?」

 俺は首をひねる。
 言葉足らずかもしれないと思い、急いでつけ加えた。

「踊りを知らない子とかいないのかな?」

 全員どんな曲だろうと踊れるなら、ハードルが高いとかいう次元じゃない。
 そう考えて不安になったんだけど、小笠原の次の言葉が打ち消してくれた。

「いいえ。少なくともこれまでは誰か一人踊れる子がいるから、先生と一緒に手本を見せるのよ」

「なるほど」

 そういうものなのか、と納得する。
 するしかなかったと言うのが本当のところなんだが。
 とは言え不安は表情から消しきれていなかったのだろう。
 高梨が微笑みながら言った。

「大丈夫ですよ。上手に踊れる子なんてほんの一握りですから。学校で習うまでまともに踊った事はないという子も多いのです」

「そうなのかい?」

 正直なところ半信半疑である。
 舞踊館なんてものがある学校に通っているお嬢様達のはずなんだが。 
 それは俺の偏見、あるいは決めつけだったんだろうか。
 俺の反応からそれを察したのだろう。
 小早川がくすりと笑った。

「ええ。習い事でダンスをやっている子、たぶん赤松君が思っているよりは少ないわよ。私も書道くらいしかやっていないしね」

「そうなのか。何かごめん」

 勝手なイメージを抱かれているのは、さぞ迷惑だろう。
 そう思ったので謝罪の言葉を口にする。

「いいのよ。お互い、まだ知らない事は多いだろうから」

 優しく許してもらえた。

「そう言ってもらえると助かるよ」

 俺はホッとする。
 知り合ってまだ三カ月にも満たないんだから、当たり前なんだが、当たり前だと言ってもらえる事が大切だった。
 どこに地雷があるのか、読み切れないからな。

「俺が入る場合、どうなるんだ? ペアとかは」

 この一言にお嬢様達はお互いの顔を見合わせる。

「そりゃ、背格好があう子と組むんじゃない?」

 小早川の何気ない一言で空気が若干変わった。
 ような気がした、と言えば正確かな。
 はっきりと肌で感じるようなレベルではなかったからだ。
 もしかして言ったらまずい方向だったかと少し後悔しつつ、今更止めるわけにもいかないので続ける。

「俺と背格好があう子って誰だ?」

 単純に背の高さで言えば大崎かデジーレ、小早川あたりだろうか。
 でも、ダンスでペアを組むのに適した高さなんて、俺じゃ分かるはずもない。

「そうね。あなたに教える事も考えれば、海晴さんかデジーレが適任じゃないかしら」

 小早川はアウトなのか。
 個人的には小早川が一番教えを乞いやすいんだが。
 あくまでも感覚的なものだけど。
 そんな俺の心情を鋭く察知したのか、我らが学級委員長殿は悪戯っぽく笑った。

「私と組めなくて残念?」

 ここで否定すると傷つける事になりかねないし、千香の奴に「お兄ちゃんは女心ってものを分かっていない」なんて激怒されるんだろうな。

「うん、少し」

 かと言って冷やかされるのも嫌だったので、なるべくおどけた様子で答える。

「あらら、少しだけなのね」

 敵もさるもの、悲しそうな顔をしてきた。
 うん、これが演技なら女って怖いと思う。
 とは言えこういうやりとりができるようになって嬉しいのも確かだ。

「小早川と組めないのは残念だけど、大崎やデジーレと組めるのは嬉しいかな」

「あらまあ」

 お嬢様がたは示し合わせたように軽く睨んでくる。
 これもコミュニケーションの一環だろう。
 俺の言動一つ一つに対して、いちいち嫉妬したりするはずもないからな。
 どちらかと言えば、ナンパ的な言動を咎められているという方がまだありえる。
 もっとも誰かを褒めるのをことごとくナンパ扱いされても困ってしまうが。

「いずれにせよ、何を踊るのかによって変わりますよ。海晴さんやデジーレさんが苦手なものだってありますからね」

「そういうものなのか」

 俺は今一つ理解し切れてはいなかったけど、納得したという表情で引き下がる。
 貴族令嬢が踊れない踊りなんてあるのかね。
 盆踊りやステテコダンスなんかは無理だろうけど、そういうの学校の授業ではやらんだろうし。
 ああ、日本舞踊は苦手かもしれないな。
 でも、それなら大崎あたりがいけそうだし……。
 やがて考えてもキリがないという結論が出た。
 体育の時間になれば分かる事だしな。


 チャイムが鳴ったので一人寂しく着替えて舞踊館へと向かう。
 この時期にダンスの授業が始まるのは、梅雨でグラウンドを使えるか分からないという点と、二学期のダンス祭に備えるという意味があるそうだ。
 そう言えば、中学校の頃も六月に入ってからバレーやバスケになっていたりしたな。
 今まで意識をした事はなかったけど、学校の方はそのへんを想定して授業のカリキュラムを組むものなんだなぁ。
 着替えると言っても体操服である。
 あくまでも体育の授業の一環でしかないからだ。

「でも、ダンスパーティーではきちんとした服装が必要ですよ。そうでないと参加できません」

 隣を歩く大崎がそう教えてもらった俺は焦ってしまう。

「え、ちょっと待ってくれよ。俺、そういう時に必要な服装なんて持っていないぞ」

 そもそもどういう服装ならいいんだ?
 ええと、結婚式に出るのがフォーマルで、パーティーに出るならドレスコードってやつになるのか?

「あら、学校側が用意してくれているはずですよ」

 軽く混乱していると、助け舟が出てきた。
 その名前はデジーレという。
 先の球技大会において身もふたもない無双をやってみせた、貴族のご令嬢だ。

「え? そうなのかい?」

「ええ」

 肯定したのは大崎である。

「自前のドレスを持っている子も少なくはありませんが、学生に相応しいものをという基準がありますから」

 あくまでも高校のダンスパーティーなのだから、相応のものではないと困るというわけか。
 と言うか自前のドレスを持っている子って少なくはないんだな。
 こういうところで場違い感が出てくる。
 ダンスを習っているわけじゃないのに、ドレスは持っているのかという疑問は持たなかった。
 ダンスの授業は中等部とかでもあるらしいから、その時に用意されたのだろう。
 慣れっこと言えば誇張になってしまうかもしれないけど、ある程度の耐性はできあがっているので今更驚いたりはしない。
 だって皆、高級車で送り迎えされているもんなあ。
 それも執事やメイドらしき人達に。

「そういうものなんだね」

 高級車で送迎されるのは学生らしいのかというツッコミを入れたくなる気持ちもあるけど、そこは生徒達の安全を優先しているんだろう。
 相羽の実家で下の方って、上には一体どういうレベルが存在しているんだろうな。
 少なくとも俺の貧しい想像力の限界を超えている事は確かだろう。
 お嬢様達に先導されて舞踊館の中に入っていく。
 上靴はそのままでいいらしい。

「本当はダンス用のシューズに替えた方がいいのでしょうけどね」

 体育の授業ではそこまではやらないのだと、恵那島が教えてくれた。
 ただし、ダンスパーティーでは替えなきゃいけないとも。

「俺、ダンスシューズは持っていないんだけど」

 そう言って眉を寄せる。
 学校側が知らないはずはないが、もしかして用意し忘れているという事はないだろうな。

「小笠原先生に相談してみては如何ですか?」

 デジーレがそう忠告してくれたので、首を振っておいた。
 舞踊館の中は思っていた通り立派なものである。
 床こそフローリングっぽいが、豪華なシャンデリアがいくつもぶら下がっていて眩しい。
 テレビで見た芸能人のビッグカップル同士の結婚式の会場が、こういう場だったんじゃないだろうか。
 財力的にはむしろこの学校の方が上なんだろうけどな。
 整列して待っているとほどなくして先生がやってきた。

「それじゃ始めよう。今回はワルツね」

 ざわめきは起こらない。
 こういうところで話し声一つ聞こえてこないのが英陵なのだ。
 俺だってワルツくらいは知っている。
 踊り方は知らないが。

「まずはペアを作って頂戴」

 先生の指示でペアが生まれるが、俺はどうしたらいいのか分からない。
 ぽつんと一人たたずんでいるとデジーレがやってきた。

「ワルツならば私と組んだ方がいいと思いますけれど?」

「そうなのか。じゃあお願いしようかな」

 俺が言うと白い肌の美少女はくすりと笑う。

「本来でしたら、殿方が申し込んで下さらないと」

 もちろん冗談だろうな。
 だから俺は厳めしい表情を作って一礼しました。

「失礼しました、お嬢様。一曲踊っていただけませんか」

「どうにか及第点といったところでしょうか」

 授業中、あまりふざけるわけにもいかないからな。

「じゃあまず、前に出てお手本代わりに一曲踊ってもらいましょう。小早川さん」

 先生に指名された小早川が前に出る。
 そう言えばラジカセが見当たらないな。
 どうやって曲を流すんだろうか?
 俺が抱いた疑問の答えはほどなくして分かった。
 先生がポケットからリモコンのようなものを取り出し、スイッチを押すと館内に曲が流れ始めたのである。
 何とも豪華な事だ。

「赤松君、よく見ていてね」

 わざわざ俺を名指しで忠告してから踊りはスタートする。
 言われなくてもじっくり見ておくつもりだ。
 一回で覚えなきゃいけないのなら、瞬きする間も惜しい。
 先生が男役、小早川が女役をやるようだ。
 男は右手を肩甲骨あたりに回したりするんだな。 
 そしてステップが始まる。
 左足を前に出し、次に右足を右斜め上へ出す。
 左足を右足の方へ動かして閉じ、右足を後ろへ下げる。
 左足を左斜め下へ下げて、左足の方へ右足を動かす。
 こんな感じでいいのか?
 リズムは三拍子で、繰り返しが多いみたいだ。
 基本的な動きは大体分かったけど、相手と呼吸を合わせるのが問題だな。
 オリエンテーションの時とは訳が違う。
 あれは周囲が暗かったのでごまかしようがあった。
 今回は明るくて皆が見ているから、頑張って覚えるしかないだろう。
 俺以外にも真剣な面持ちで「お手本」を見ている子達もいる。
 この子達もダンスが苦手だったりするんだろうか?
 もっとも、英陵生は全員真面目だから、というごく単純な理由かもしれないんだが。
 踊り終えると小早川は列に戻り、先生は手を一つたたいて言った。

「それじゃ、早速踊ってもらいましょう。小早川さんは連続になるけど、構わないかしら?」

 一見すると確認しているようだけど、事実上は連続で踊れって命令なんだよな。
 そう感じたのかは定かじゃなかったものの、小早川は拒否しなかった。
 大丈夫なのかな?
 ダンスって見かけによらず体力使うみたいだし、小早川も女の子なのに。

「ヤス?」

 怪訝そうな顔したデジーレの顔が、目の前にあった。

「おっと」

 のけぞりそうになるのをどうにか堪える。
 どうやら人の心配をしている暇はなさそうだった。
 先生としても俺が一番不安だろうしな。

「デジーレ、よろしくな」

「ええ」

 俺の言葉にデジーレは、朗らかな笑顔で応えてくる。
 改めて金髪の貴族子女と向き合う。
 オリエンテーションでは踊らなかったから、今回が初めてだ。
 デジーレは十センチほど俺より低いはずだが、そうとは思えない雰囲気がある。
 透け通るように白い肌、桃色の唇、青い目、改めて見ると相当な美人だ。
 化粧はしていないはずだが、何のマイナス要素にもなっていない。
 先生と小早川がしていたように、左手で右手を握り、右手を肩甲骨あたりにやる。
 デジーレの手は女子にしては大きいものの、やはり柔らかくてすべすべしていた。
 右手からは体温も伝わってくる。
 おまけに豊かで柔らかい感触までついてきていた。
 ワルツへの初挑戦という緊張感がなかったとしても、全く別の緊張感に襲われていたに違いない。
 そう断言してしまえるほど、俺のパートナーは魅力に溢れていた。
 そんな俺の思いとは関係なく、音楽はスタートする。
 一、二、三、一、二、三。
 心の中でリズムを刻みながら、足を動かしていく。
 たどたどしい、あるいはぎこちないという言葉でも褒めすぎ。
 なんて思えるくらい、俺の足運びはおぼつかない。
 相手の少女の足を踏まないのがやっとというありさまだ。
 それにも関わらず、デジーレは嫌な顔一つしないで踊ってくれている。
 何とか動きを頭に叩き込んでいたおかげか、最後まで踊れたものの、どうだったかパートナーに訊く気にはなれない。
 そんな残念なできだった。

「初めてなのですから、むしろ上出来ですよ。できない人はもっと酷いですからね」

 よくできた相棒は、優しく微笑みながらそう言ってくれる。
 これが慰めだと分からないほど俺は馬鹿じゃないし、鈍感でもない。
 だからと言ってむげにする訳にもいかないのもまた事実だった。

「ああ、ありがとう。デジーレのおかげで、みっともない結果にならずにすんだよ」

 実のところ、彼女の苦労がいかほどなのか、俺に理解する事はできない。
 ただ、自分のへたくそさについては自覚があったから、合わせる方は大変だろうと推測したまでだ。
 俺の言葉についてデジーレは微笑むだけで、何も言わなかった。
 恐らく、俺の名誉の為に明確な言葉にするのを避けたんだろうな。
 何とかしてこの心遣いは無駄にしたくないものだ。
 少しの休憩を挟んでもう一度踊る事になる。
 場所が狭いなら代わる代わる休みながらとなるんだろうが、生憎と舞踊館は広々としていて、俺達が全員踊ってもたっぷりと余裕がある。
 推測になるが、全校生徒が全員参加したとしても、全く差し支えがない広さなんだろう。
 ダンスパーティーというものがどんなものか分からないけど、学校行事なんだからそれ相応の場所であるはずだった。
 全員が同時に踊る必要があるとは思えないし、現にオリエンテーションでもそうだった。
 だが、だからと言ってパーティーもそうだとは限らない。
 俺の常識なんて通じる学校じゃないからな。
 何とかダンスパーティーまでに、最低限踊れるようになっておきたい。
 そう決意した。 
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