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 結局ボブは飼育係の老人に文句を言うことは出来ず、不機嫌さを露にしつつも黙って重いゲージを元の場所に運び込んだ。老人は今朝と全く同じ表情を浮かべて犬のためにステンレス製のボールを持ってくる。
「なにせ、ウサギの肉だからな。毛並みも一流だ」

「ヴァルの奴、女二人をぎゅうぎゅう詰めにして、今頃どっかにしけこんでやがるんだ」
 帰りの車の中で、ボブは呟いた。
「バンよりランボルギーニの方が女は好きに決まってるって」
「何で引き止めなかったんだよ」
 ジョーも負けず劣らず不機嫌な声で、何処まで走っても変わることのない真っ暗な海を睨み続けていた。
「自分の作品には、欲情しないって言ってたじゃん」
「所詮口先だけさ」
 車の動きに合わせ、リステリンとコンドームの入った袋がガサガサ音を立てる。
「大体、あの状況でどうやって女を引き止めろってんだ」
「哲学科専攻だったんだろ、詭弁なら得意技じゃないか」
「馬鹿いえ、あんな鶏みたいな頭の女に観念論で愛を語れってのか。あいつらが知ってるのは、カントはカントでもプッシーのほうだろ」
 ロサンゼルスに向かう対抗車線は日曜日の夜らしく車の数も多く、次々と走り来るライトが目に痛かった。サイドボードをまさぐる手が探すのはサングラスだということくらいわかっていたが、手を貸すつもりはない。
「今日、最悪だった」
「おまえ一人が不幸だと思うなよ」
 一瞬だけ明るく照らしていく光で見たボブの口は、盛大に歪んでいた。
「生殺しだし、女には逃げられるし、挙句の果てに死体の処理まで」
「まさか、とは思うけど、誰も疑ったりしないよね」
「するわけないだろ」
 唇の端から細い息を吐き出す。
「ホームレスの野垂れ死になんて日常茶飯事なんだから」
 夕闇に染まった何処とも知れぬ路地裏で、クリスマスプレゼントの包装紙を破くかのような乱暴さでビニールシートを剥いでいたボブの姿を思い出す。モルタルの壁に背を向け、ごろりと転がった男の表情は、日差しの落ちかけた中でははっきりと見えなかった。死後硬直が解けたのか、先ほど見たときよりもその身体はいっそう力なく、ぐにゃぐにゃと頼りなさげにその場に存在していた。
「この男に哀れみを」
 ボブはふざけた厳粛さで唱えた。
「そしてこんな不幸を背負わされた俺達にも哀れみを」
 車体にもたれかかったまま、ジョーは一瞬だが、本気で男のために祈りを捧げた。
「大体おまえ、今日何か役に立ったか?」
「マットに踏み込まれるのだけは防いだように思うけど」
「それだけじゃないか」
 あとは、女みたいに失神したり、鬱になったり。確かにろくなことをしていない。
「人のこと言えないだろ」
 反論しようとしたところで、サングラスの隣においてあったボブの携帯電話がけたたましい音で着信を知らせる。
「ワルキューレの騎行? 趣味悪い」
 着信ボタンを押したボブが、一瞬目を見開く。
「テレフォン・セックスなら番号間違えてるぜ」
 微かに聞こえてくる声は確かにヴァルのもので、ボブの悪趣味な冗談にいくらか機嫌を損ねたようだった。ボブは微笑んでジョーに目配せした。
「ああ、今高速。隣にジョーもいる」
 うん、だとか、ああ、だとか、適当な相槌の後、ボブはいきなり盛大に笑いを爆発させた。
「それはそれは……残念だったな」
 言葉とは裏腹に、唇はまだ笑いの余韻でひくついている。
「うん、分かった。今から向かう」
 電話をきった後、ボブはシートに頭を思い切り打ち付けて大声をあげた。
「ケッサク。これはケッサクだ」
「なんだって」
 ジョーの問いに、目じりにためた涙を拭うこともせず、ボブはまくし立てた。
「レニーとマリア、あんまりしょぼくれてるから手をつけないで言われたバス停に下ろしてやったんだとよ。で、しばらく見てたら、あいつら慰め合いながら何処に入ったと思う?」
「バーガーキングかな」
 ボブの期待する目を受け流し、ジョーは投げやりに答えた。こんなオチ、自分の口から言いたくない。
「安ホテル」
 自分で言ったあと、またもや発作的な笑いをあげる。
「本物のレズだったってわけだ、なんてこたぁない」
「あーあー」
 頬杖をついて、ジョーは胸に溜まった空気を全て吐き出した。
「僕、何のために女を庇ってたんだろ」
 求めよ。さらば救われんなんて大嘘だ。
 どちらにせよ、それほど落胆してはいなかった。これが現実。嘘のようにあっけない。予想範囲内で、歪みに歪んでいる。


「で」
 ようやく適応した虚無感に身をゆだね、ジョーはボブに視線を投げた。
「今からどこ行くの」
「ヴァルが『ルビー・アイランド』で待ってる」
「伝統的南部料理、ね」
「あそこ、ロブスターが美味い」
「でも僕は魚の香草焼きを食べる」
「お好きに、ひねくれもの」
 ボブが躁全開の弾けた笑いを浮かべ、ジョーも思わず釣られて微笑んだ。

 
 
 了
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