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童話

辛夷の花、風に散りゆく

作者: 楠瑞稀

 あるお金持ちの家の庭に、こぶしの木が植えられていました。

 こぶしの木はお金持ちの家の、高い塀の陰に植えられていたので、塀の外のことを何も知りません。

 なので、こぶしは外の世界のことを知りたくて仕方ありませんでした。

 こぶしはお金持ちの家の、高い屋根のてっぺんにいる風見鶏に尋ねます。


「おーい、風見鶏さん。そこからはいったい何が見えるんだい?」


 風見鶏は面倒臭そうに答えます。


「山が見えるね」

「大勢の人が行き来してる」

「広い草原が広がっているだけだよ」


 風見鶏が言うことはいつも違っていましたが、こぶしの木はまったく気にしませんでした。

 風見鶏が話を聞かせてくれるお陰で、こぶしの木はいつも新鮮な気持ちで、楽しく塀の外の世界を想像できたからです。

 こぶしの木は、風見鶏の言う白い雪の冠を被った峰や、青々と葉を風になびかせる草原、賑やかに人が行き交う町並み、空の色を映したような大海原を想像しては、一度自分もそれを見てみたいと強い憧れを抱いておりました。


 ある日、大金持ちの家の庭に、一頭のライオンがやってきました。

 大金持ちの家の主人が他人に自慢するためのペットとして、高いお金を出して買ってきたライオンです。


「ねえ、ライオンさん。君はいったい何処から来たんだい?」


 こぶしは庭の新しい仲間であるライオンから、さらに遠くの外の世界の話を聞くことができるぞ、とわくわくしながら尋ねます。

 ライオンはぐるぐると、険しげに喉を鳴らして答えました。


「俺は海の向こうのサバンナで暮らしていた。それを密猟者に捕まって、船に乗せられこの家まで連れてこられたのだ」


「つまり君は、朝露に光る青い草原も、どこまでも続く広い海も、両方とも知っているんだね」


 こぶしの木がキラキラした声でそう問うと、ライオンは呆れたようにうなずきました。


「一応、そうなるな」


 それから毎日こぶしの木は、風見鶏の屋根から見える景色の話の他に、ライオンが暮らしていた遠くのサバンナや、ここに来るまでに見た海や町並みの話をたくさん聞かせてもらいました。

 そしてこぶしの木は、さらに外の世界への憧れを強めていったのでした。




 庭で飼われるライオンには、いつも新鮮な生肉やミルクが用意されていました。専門の飼育員が、毎日たてがみを綺麗にブラッシングします。

 しかしライオンは、日を経るごとにどんどん元気を失い、塞ぎ込んでいきました。


「ねえ、ライオンさん。どうしてそんなに悲しそうなんだい?」


「ああ、こぶしの木よ。お前には分かるまい」


 この頃には、すっかりと打ち解け仲良くなったライオンは、こぶしの木に向かって寂しそうに首を振りました。


「どれだけ毎日ご馳走を用意されようと、どれだけ毎日毛艶を整えられようと、この狭い庭に閉じ込められている以上、俺は満足できないのだ。俺の住む世界は、あのどこまでも広いサバンナなのだ」


 ライオンは猛々しくひと吼えします。しかしその遠吠えは、サバンナの風に乗ることなく、庭の塀にぶつかり四散しました。


 風見鶏は言いました。


「ライオンは懐郷病なんだね。ライオンは自分の暮らしていたサバンナに帰りたいんだ」


 こぶしの木は、塀の外の世界のことを何一つ知りません。

 しかしライオンは、塀の向こうの、広い広い世界を知っています。ならばライオンが本来いるべきなのは、塀の向こう側だろうとこぶしの木は考えました。


「ライオンさん、それならば僕の枝を伝って、塀の外に出ればいいよ」

「おい、こぶし」


 風見鶏は焦ったように口を挟みます。しかしライオンは、嬉しそうに言いました。


「なんと、本当に良いのか! こぶしの木よ」


「もちろんだよ。いつも外の世界の話を聞かせてくれるお礼だよ」


「そうか。ありがとう、こぶしの木よ。この恩は死ぬまで忘れぬ」


 ライオンは、こぶしの幹に爪をたて、細い枝を何本もボキボキと折ながらどうにか塀を乗り越えて行きました。後に残るのは、こぶしの木の甘い香りだけです。

 風見鶏は深々と溜め息をつきました。


「ねえ、風見鶏さん。ライオンさんが見えるかい?」


 わいわいガヤガヤと屋敷が急に騒がしくなりました。


「ああ、見えるよ」


「ライオンさんは、どうしてる?」


 塀の向こうから、ズドーンと、大きな音が聞こえます。


「海の向こうの太陽に向かって、一直線に走って行ったよ。もう、足跡とまっすぐ伸びる影法師しか見えない」


「そうか。ライオンさんは、塀の向こうのサバンナに帰ることができたんだね。良かったね!」


 こぶしの木は嬉しそうに言いました。風見鶏も、風に吹かれてくるくると回りながら、静かに言いました。


「そうだな、良かったな」



 それから、数年あるいは数十年が経ちました。

 綺麗に整えられていたお金持ちの家は少しずつ荒れて行き、空には何機もの飛行機が不気味に空を飛んで行くのを、頻繁に見るようになりました。

 風見鶏はある大風の日にぽっきりと折れ、庭の反対側に落ちてしまいました。

 なので、庭にはこぶしの木がひとりぼっちで残されていました。

 ひとりぼっちのこぶしの木は、それからも風見鶏やライオンが話してくれた外の世界のことを思い出しては、想像を膨らませていました。


 ある日、空を飛んでいた飛行機が、お金持ちの家にいくつもの爆弾を落としていきました。

 屋敷は燃え、塀は崩れ落ちました。

 お金持ちの家があった場所には、何も残っておりません。

 しかし、焼け野原となったそこに不思議と、まるで雪のように白いこぶしの花びらが何枚も散り落ちていました。

 そしてそれは風に吹かれると、どこまでも、どこまでも遠くに飛んでいったのでした。





お題:足あと ライオン 影法師 お金 こぶし 風見鶏

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