第58話 『リカード王国道中記:足元に、ご注意を。』
――ドドサッ! と、地面に人の降り立つ音が新たに生まれた。
ザッザッジャッと、それはこちらへ向かう軽快な足音に変化し……
「! ……イトバ君。やっぱり、足が……」
「…………」
俺は、右足を両手で押さえたまま、小さく頷いた。
顔を上げることはできなかった。
眉間にシワが寄っていることが分かる。
そのシワにしぼられるかのように、じんわりと浮き出てきた脂汗が鼻筋を伝う。陽気のせいだと思いたい……が、右足のうずきが即座に否定してきた。
ハァ…………。
ため息――ナディアさんのだ。
なんとか頭を持ち上げ視線を投げると……ナディアさんは状況を確認するかのように、周辺をぐるっと見渡していた。
そして、ナディアさんは顔を戻すと、いささか眉をしかめ、
「まさか、出発する前からずっと無理を――」
「いっ、いや……! ないです! 違います……! ほ、ホントに、いま急に痛みがぶり返して、それで、漕げなくなって……。……」
「……。どのみち、その足じゃあ旅を続行するのは難しい。……っ。幸い、目と鼻の先に地続きの平野がある。そこで一旦休もうか」
「は、はい……」
「この荷車はー……あーっと……ウチが荷台の後ろから手で押して持っていくから。イトバ君は先に向こうへ行って休んでなよ。というか、歩ける?」
握っている取っ手を支えにして”運転席”から立ち上がり、小さな段差を一歩……一歩と下りて、着地――――。
……………………。
ギチギチと、俺はナディアさんの方へ首を回し、
「………………肩を、貸していただけると、ありがたいです……。申し訳ないです…………」
ぎこちない動作で、ぺこっと、頭を下げた。――「フッ」と。
一拍置いた後、ナディアさんは「……イトバ君」と、口元を緩めた温和な表情で例のウィンクをした。
「こういう時は――『ありがとう』、だぜ? ウチは君の護衛なんだ。こういう時こそ、頼ってくれなくっちゃあね」
「……っ」
あぁ……くそっ……。
本当に、嫌になる…………さっきまでの自分が……。
そうだ、ナディアさんはやっぱり、最初からこういう人なんだ――。
「んまぁ、そろそろ腹も減ってきた頃合いだったし……。ちょうどいいよね!」
「…………」
この人、まだ食うのかよ……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――サロンパス的な硬膏剤を、恐る恐る剝がしてみる。
いやぁ……これはちょっと……。…………。まぁ、今朝できたばっかのものだしな。
有事のためにと持ってきていた”救急箱”から、携帯用・『ニコレットの塗り薬』を取り出し、ぬりぬりし、その上から予め小さく切ってある真新しい硬膏剤に貼り替える。
あとは……『回復魔術』だが、知識はあれど今まで一度も使用したことのない俺が、この場で完璧に実践できるわけもなく。
というわけで、重ねて申し訳ないが、スーパー魔術師・ナディアさんのお力を借りようと頼んでみたものの……
「実はウチもねぇ……いや、できないわけじゃないんだけど、こういう繊細な魔術操作が必要とされる系は苦手なんだよね……。『回復魔術』って、そういう技量を一番求められる分野だからさ。ウチは、時にイトバ君の盾となり、場合によっては剣となる覚悟でここにいるわけだけど……ん~、このケガの具合だと、”今すぐに完治させる”となるとどうも……。力になってあげたい気持ちは、山々だけどさ……」
ゴメン……と、肩を落とし、珍しくしょげた様子を見せるナディアさん。
あんなスゴイ攻防劇を繰り広げたナディアさんでも、できないことってあるんだな――純粋に驚くと同時に、なんだか少しだけ安心感みたいなものを得た。
「フフッ。そういやぁ、いま思い出したけど……ウチの”同僚”の一人にさぁ、『回復魔術』がめちゃくちゃ得意なやつがいてね……」
「へぇ……」
「あーあ……こんなことなら、アイツに魔術操作の基本からでも教えてもらっとくべきだったかな~。というかルミーネも、そいつほどじゃないけど得意だったような……?」
やっぱりそうか……。ま、なんとなく予想はつくが。
しかし、ルミーネは現在この場にいないのだから、嘆いても仕方がないだろう。
まぁ、アイツの場合――
『ハッハッハッハァッ! クックック……「治してくれ」、だって? 私は別に構わんが、君はそれでいいのかね? ”憎き相手から施しを受ける”という形になるが……君の心というのは、そんな程度のことで満足してしまうものなのかね? ククク……アハハハハハハッ! これは愉快……愉快極まる』
――とか何とか言って、結局治してくれないに違いない。絶対にそうだ。なけなしの銀貨一枚を賭けよう。
そんなこんなで、ナディアさんには応急処置として”外傷系の中級回復魔術”を患部に施してもらった。
俺からすれば、”中級魔術”を扱える時点でウルトラスーパー級の魔術師――モンスターズ・イン・ポケットで例えるならジムリーダー最強格――の認識なのだが……ナディアさんほどになれば、むしろ廉恥の情が湧くと、頭を垂れて謙遜してしまうものらしい。
俺も、もっと頑張らないとな……。
その後、昼食を取る運びとなった。
モナの”お弁当箱”の登場である。
木籠の中には、赤と黄色のソース(?)がかかった、これまたサンドイッチに近い見た目をしたモノが所狭しと並んでいた。
『ヤッタレス(レタスに似た野菜類)』に『マトマ(トマトに似た野菜類)』に、これはぁ……おそらくスクランブル・エッグ? っぽいタマゴ料理もあり、それらがスライスされた『パンズー』二枚の間に行儀よく収まっている。
その代わり”個数”としては…………まぁまたなんともギュウギュウに詰め込んだもので……。ありがたいけど。
そういえば、サンドイッチもとい『ハムカツ玉子サンド』の存在を知るのは、俺とフランカと……クソジジイやカルドも知ってるのか……? まぁ、とにかく俺の周辺にいるごく限られた人物だけだ。俺がモナに教えた憶えは無いんだがな……。
あぁでも、フランカが俺の知らない間に教えたのかも……。あの二人ポワポワ同盟で結託している仲良しさんだし……有り得るな。
フランカに伝授された調理法を元に、今回モナなりにサンドイッチを作ってきてくれた……ってわけか。
とはいえ、朝食時に満たした俺の腹袋に容量の空きはまだなく、たとえナディアさんと半分ずつ分けっこしても食べきるのは難しいと脳が訴えてくる。
…………………………………………誠に残念だが、俺は一つだけいただいて、残りはナディアさんにお任せすることにした。
まぁ、さすがに全身胃袋の大魔人・ナディアさんでも無理か――
「えっ、いいのかい!? うぃやっふぉォオオオオオオオオ――――ぅいっ!!」
朝食時と一片も違わぬ様相で、またもや子供のように目を輝かせるナディアさん。もはや”キラりん”という効果音まで聞こえてきそうだ。
アンタ……マジですげぇよ……。
虚勢でも何でもなかった。
ナディアさんは俺の言葉を受け取るや否や、「豊穣の女神のご加護があらんことを我らは是として主からの祝福を受け入れます」と、アナウンサーもびっくりの早口で食前の祝詞を唱え――ムシャムシャガツガツバクバク!!
片っ端からサンドイッチを口の中へ放り込んでいった。
…………。
……この人、ぶっちゃけ寝てただけだよな……? 荷台の上で口笛吹きながら寝っ転がってただけだよな……? そのエネルギー消費量はどこから……?
これは決して嫌味とか皮肉とかではなく……もしナディアさんのエネルギー消費量がこちらの常識をブチ壊す異世界基準なら、持ってきている食料が『リカード王国』へ到着する前に尽きてしまうのではないかという一抹の不安がよぎるのだ。
非力な俺に物理的な危害が及ばぬよう、このたび”護衛”という役割をもって配達に同行してくれているナディアさんだが、肌身が赤く染まる出来事ではなく、”飢え”によって俺たちの命の灯が揺らぎかねないとは……しかも”自滅”という形で……。
後世で語り継がれる”喜劇”の一つに加えられるだろう。
「な、ナディアさん……」
「……んー? ひゃんひゃい?(なんだい?)」
「…………。いえ、なんでもないです……」
いや、止そう。
人生経験の色濃いナディアさんのことだから、これまでにも幾度となく過酷な旅路を歩んできたはずで……で、現在ここに無事でいるということは、なんとかなったってことだ。なんとかなったってことは、大丈夫ってことだ。
大丈夫…………だよな……たぶん……………………。
いいや、やっぱり……!
いま訪れてもいない未来の姿を勝手に想像して、アレコレと思い悩んで不安になるのは、それこそ心をすり減らすだけで無駄なことだ。
ナディアさんを、信じよう。
…………………………………………。
通りがかった馬車の御者が、こちらに手を振り、俺とナディアさんも手を振って応答した。
「今日も気持ちの良い日和ですなあー」と、笑っている。
馬車はそのまま、俺たちの目の前を横切っていった――。
…………………………………………。
……と。
いくら目の前に美しい青空が広がっていたとしても、ぼーっと眺めているだけでは贅沢にも飽きてくるもので……。空の余白を埋めるように、雲のようなぼんやりとした思考が、浮かんでは流れて行った。
そして、『荷転車』の走行中にナディアさんが読んでいた『新耳』があったなと、ふと思い出した。
ナディアさんの食事が済むまでのヒマつぶしには、まぁちょうどいいだろう。
――バサっ! と、『新耳』を広げる。
写真こそ無いものの、見出しとか広告っぽい宣伝欄とか、見た目はごく普通の”新聞”である。厚みが薄かったり、使用されている文字が違ったりするだけで、”現実世界”のそれとの差異はほとんどない。
全国紙なのか地方紙なのか分からないが……一面には”『リカード王国』にまつわる最新の注目情報”みたいな記事がいくつか掲載されていた。
目をすべらせる――。
ムシャリ、とサンドイッチを口へ運ぶ。お、ほどよい塩味があって美味いな……ちょっと酸味もあるのか……? とにかく美味い。モナには改めて感謝だな。
…………。
……。
たしかに、ナディアさんの言う通りだった。
ここ最近も『リカード王国』の景気は上り調子、人に活気があり露店は賑わい、オススメの店があーだこーだ――みたいな事柄が羅列している。また、王国内支持率トップ(らしい)の『魔導衛士』のインタビュー記事みたいなものも載っている。
薄っぺらい無機質な紙の上で文字がイキイキと躍り跳ねるその様は、『リカード王国』がもはや地上に創られし”理想郷”か、あるいは天からそのまま落っこちてきた”楽園”であるかのような印象をもたらしてくれる。俺の受け取り方によるのかもしれないが……。
しかし…………なんだ……?
どこか内容がしっくりこないというか、魚の小骨が喉に引っかかるというか…………。
そう、正に……………………
「”違和感”………………………………………………………………」
ゾクッ……と、気候にそぐわない寒気が背後から襲ってきた。
3月は各週で更新したい。