ぱぁん
この小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
最近起きた出来事を機に、自分の見解を「あなたのSFコンテスト」サイト内の「感想欄」に記載しようと思いましたが「感想返信は企画終了後に」という一文がありましたので、サイトルールに従うことにしました。
(2014年8月6日 記)
私は居心地の悪さを感じながら待合室の壁を見上げていた。
この建物の壁は薄いピンク色をしている。
ひょっとするとピンクではなく、ライラックと呼ばれる色かもしれないが、あいにく私は色には疎いので、今ひとつ違いが分からない。
妻がここにいたら、即座に教えてくれたはずだ。
ともあれ、私がここに来た目的を考えると、白かグレーといったもっと寒々とした色がふさわしく思える。
私のような、定年間際の老いぼれ刑事がたむろする場所には。
本来、捜査活動は二人一組で行うことになっており、私にも一緒に行動する相棒がいる。
しかし、今日は私ひとりでここに来た。
相棒は私の子供といっていいほど年下で、去年念願の捜査課に配属されたばかりである。この仕事も絶対に容疑者を確保すると息巻いていたが、私が説得して待機あつかいにした。
今ごろは病院で初産に臨む愛妻の手を握って励ましているはずだ。
私は自分の妻の出産に立ち会ってやれなかった。
出産だけでない。
子供の父兄参観も、運動会も、卒業式も晴れの門出すらも仕事で見ることが叶わなかった。
そして。
病み衰えていく妻をもじゅうぶん介護してやることもできないまま旅立たせてしまった。
だからこそ、相棒には私のような後悔の残る刑事人生を歩んでほしくなかった。
それに、これから行うのはただの聞き取り調査だ。
被疑者とはいえ著名な人物で、相手も私が来る理由を知った上で自分の職場を面会場所に指定してきた。
逃亡の恐れもなく、調査ファイルを読んだかぎりではとても危害を加えてくるとも思えない。
いつもの作業のひとつと考えていい。
私はそう判断した。
やがて、受付の女性が私を奥の部屋に案内した。
「お待たせいたしました」
ドアが開き、白衣を羽織った女性が部屋に入ってきた。
「すみません、ラボから直接来たものですから」
捜査ファイルにあった資料によると33歳だが、私の目の前にいるのはまだ20代前半でもじゅうぶん通りそうに見えるうら若い女性だった。
「今日うかがった理由はお分かりですね」
私の言葉に彼女はうなずいた。
「取り調べにいらっしゃったんですね」
「岡田博士。あなたには幼児拉致および人身売買を行う国際組織に関与している嫌疑がかけられています」
白衣を着、眼鏡をかけ髪を後ろで無造作に束ねているため医療関係者らしく見えるが、そうでなければごく普通の会社勤めのOLで通るだろう。
彼女—岡田野々美博士は落ち着いた様子で私の向かいの椅子に座った。
「最初から一貫して言っておりますが、私は潔白です。確かに私は身寄りのない子供に新しい里親を手配する団体の責任者として名を連ねております。しかし、それはあくまでも慈善活動で、報酬は一切いただいておりません」
ファイルにも彼女の主張どおりのことが書かれていた。
岡田野々美、医学博士。
専門は再生医療研究。特に細胞活性化の研究で多くの論文を発表し、その研究発見を裏付けるべく、海外を含め幾つかの大学が彼女が行った実験を再現しようとしている。そして晴れて研究が証明された暁には、10年以内に間違いなくノーベル賞を取るであろうと予想される。
現在は自分のクリニックで再生医療を用いた治療を行うかたわら「(財)ファミリー・リ=クリエーション」の理事として、孤児の養子縁組推進を支援している。
趣味は料理。
独身。
まるでそのまま釣書に出来そうな非の打ちどころのない経歴だった。
だが。
私のような仕事を長くしていると、非の打ちどころがなさすぎると逆に訝しく思えてしまう。
一種の職業病かもしれない。
私は正面から嫌疑を追求する代わりに、違う角度から目の前に座る女性の人となりを見極めることにした。
私の視線は壁をなぞった。
ここも待合室と同じ色で塗られている。
「壁が何か?」
「いえ、病院にはめずらしい色だと思いまして」
そう言うと彼女は穏やかな笑みを見せた。
「来る人が親しみを持てるような、明るくやさしい雰囲気にしたくて」
私が色に気づいたことを喜んでいるふうだった。
「……簡単に言うと、遺伝子の劣化によって同じ細胞を再生産できなくなることが老化、すわなち個体の衰退、ひいては死、につながります。ですが、細胞に外的刺激を加えることで活性化をうながし劣化した遺伝子情報を修復させれば、老化を止め、活性化の度合いによっては個体を若返らせることだって可能なんです」
彼女が自分の研究について私に分かりやすく説明している。
しかし、私の頭にはほとんど残らず、右から左へと耳を通り抜けてしまう。
やはり寄る年波には勝てないのだろうか。
あるいは、午後に会う約束を取りつけたのが失敗だったのか。
私は疲れを彼女に悟られないよう、心の中で自分に活を入れ背筋を伸ばした。
「他の大学の追試ではまだ私の実験と同じ結果は出ていないので、私の理論に反対する学派からはいろいろ言われています。でも、私の研究は将来必ず再生医療に活かせると信じています」
「では、あなたへの嫌疑も」
彼女はうなずいた。
「おそらくは反対派かその支持者が私を陥れるためにでっち上げたものでしょう。孤児を集めてドナーとして海外の臓器移植ブローカーに輸出? とんでもない。「ファミリー・リ=クリエーション」の活動報告を見ていただければ、そんなことはあり得ないってすぐに分かるはずです。……すみません」
彼女は言葉を切ると、テーブルの上にきちんと畳んで置いてあるハンドタオルの山から一枚手にとってそれで眼鏡のフレームを拭いた。
どうやら彼女の好きな色らしい。
タオルも壁と同じ色だった。
次に私の目は自然にタオルの横にあるガラスの器に止まった。
果物籠ほどの大きさの器に黒く丸い球がいくつも入っている。
サイズはちょうどピンポン球ぐらいで、風船のように一方の端が短いヒモで結んである。
もっと大きければ爆弾にも見えなくもない。
研究に使う薬品だろうか。
「ところで、これは?」
眼鏡をかけ直して顔を上げた博士は、私の指差す先を見てイタズラがバレたときの顔をした。
「私のおやつです」
「おやつ?」
「たまようかんっていうんですけど、食べたことございます?」
「たまようかん? ……ああ」
玉羊羹、か。
子供のころに食べた記憶があったが、ずいぶん昔のことだったので、名前を聞いてもすぐにピンとこなかった。
「知ってますよ。ゴムの中に入ってるんですよね。孔を開けると、ぱぁんと中身が出る」
私の言葉に博士はうれしそうにうなずいた。
「そう、それ。私、仕事をしていて小腹が空いたときにいただくんです。一口サイズで食べやすいし、手を汚さずに食べられるのが便利で」
器の横には小皿と金属で出来た洒落たデザインの楊枝が置かれていた。
「よろしかったら、おひとついかがですか? 私もちょうどいただこうと思っていたところなんです」
いえ、仕事中ですから。
言おうとした言葉を私は飲み込んだ。
研究施設に場違いな玉羊羹が妙に私の好奇心を刺激していた。
「さあ、どうぞ」
私は博士から手渡された小皿の上の玉羊羹を見た。
博士はさっさと自分の玉羊羹に孔を開け、中身を楊枝で切り分けて食べている。
「いただきます」
私は楊枝の先を玉羊羹に刺した。
ぷつっ。
孔が開いたゴムはぱぁんと一瞬で弾け、中からつややかな丸い羊羹が現れた。だが、慣れないせいか博士のようにうまくいかず、汁が飛び散り袖口を濡らした。
「どうぞ」
テーブルの上に積まれたフェイスタオルの一枚を渡され、私は汁を拭った。
恥ずかしさに、私は羊羹を口に放り込み、味わう余裕もなく咀嚼し、飲み下す。
「何の味でした?」
「……つぶあん、でしたか」
私の答えに彼女はにっこりと笑った。
「つぶあん、まだ残ってたんですね。私、もう全部食べてしまったかと思ってました」
その視線はなおも器の中の球にある。
「これ、他にはこしあん、栗羊羹、芋羊羹、柚子や梅、抹茶入りなんていうのもあるんですよ」
この歳になると、ときどき目の焦点を合わせるのが辛い。
私は目を凝らし、球を見た。
「外のゴムが黒くてどれがどれだか分かりませんね」
「中が見えないのが、またいいんですよ。何が入ってるのか孔が開くまで分からないので」
「なるほど」
「もうひとつ、いかがですか?」
「いえ…」
結構、と言う前に博士は器から球を二つ取り出していた。
「わたしがやりましょうか」
小皿を私に手渡したものの、博士の目はその上の球を食い入るように見つめている。
「いや、そんな」
「毎日のように食べてますから、汁をこぼさずにできますよ」
手にした楊枝を今にも突き立てようと構えている。
そうか。
彼女は、この「ぱぁん」が好きなんだな。
ふと、そう思った。
「じゃ、お願いします」
私は小皿を差し出し、博士の持つ楊枝が玉羊羹に近づくのを見た。
ぷつっ。
音を立てて楊枝が刺さった。
私の手の甲に。
「いたっ。ちょっと、これ……」
楊枝が抜けた手の甲に小さい孔が開いている。
そして。
ぱぁん。
何かが、弾けた。
私は目を開けた。
顔が濡れている。
しまった。
また汁まみれになった。
私は慌ててテーブルの上のタオルに手を伸ばした。
手はとどかなかった。
それだけでない。
私は全身が濡れているのに気づいた。
シャツが肌に貼りついて、思うように身動きできない。
これは汁、だろうか?
私は舌を出し、唇を舐めてみた。
微かに潮の味がした。
「びっくりした?」
視界がピンク色になった。
いや、ライラックだったか、この色は?
「今、拭いてあげてるから」
私は壁と同じ色のバスタオルで頭を拭われていた。
岡田博士に。
「これは……?」
「あなたの体液。成分は羊水に近いから、潮のような匂いがするでしょ?」
体液、だって!?
「あらあら」
タオルを押しのけると博士の顔がすぐ目の前にあった。
まじまじと私を見ている。
「中にこんなかわいい子が入ってたなんて」
……今、なんて?
かわいい子、と言わなかったか?
私に向かって?
「今のあなたは、そうね、見たところ2歳ぐらいかしら」
「なんラって!?」
彼女が言った言葉、そして自分が発した不明瞭な発音、甲高い声に私はショックを受けた。
「私、言ったでしょ? 細胞に外的刺激を加えて劣化した遺伝子を修復させれば、活性化するって。あなたは若返った。2歳の子供になったのよ」
若返った?
この私が?
私は自分の体を見下ろした。
「さっきあなたを刺した楊枝は短期間で異常増殖する生殖幹細胞の培養液に浸してあったの。それがあなたに開けた孔から体内に侵入し、既存する細胞を修正した上で増殖させた。まあ、一種の無性生殖、あなたの中で新しいあなたが作られたってことね」
身動きできないのは、シャツが濡れているからではなかった。
シャツもスーツも大きすぎ、私は服に押しつぶされそうになっていた。
ズボンと下着はすでに椅子からずり落ち、床の上で山になっている。
博士は手を伸ばすと私のシャツのボタンを外した。
「だいじょうぶよ。ちゃんとあなたに合うサイズのお洋服は用意してあるわ。男の子用も……」
シャツにかかった手が一瞬、止まった。
「……女の子用も」
「ロういうことラ?」
濡れたシャツを脱がされ、私は生まれたままの姿になっていた。
自然に視線が下に行き、足の付け根に達したとき、私は震え上がった。
「めったにないけど、若返りがきっかけで性の反転を引き起こすケースもあるわ。たぶん、生殖幹細胞が劣化した細胞を修正する際に遺伝情報の取り違えが起こるのだと思われるけど、まだ症例が多くないからはっきりしたメカニズムは分かっていないの。でも、性は変わってもその後の成長には問題ないから心配しないで」
「なジェそんなことがいえる?」
私は苦労して言葉を口にした。
幼い舌やあごがまだ複雑な口の動きに慣れていないため、呂律が回らない。
「なぜって? それは私も同じ経験をしたからよ」
博士は指先をガラス容器に差し入れ、玉羊羹をまたひとつ、つまみあげた。
「私が生まれたのは明治39年、西暦に直すと1906年。今年で108歳になってたはず。そのまま生きてたら、の話だけど。そして、以前の私も医学博士で細胞の研究をしていて、若返る前は……正真正銘の男性だった」
楊枝を刺さずに丸ごと口に押し込む。
ぷつっ。
歯で孔を開けたのか、汁一滴こぼすことなしに指先で器用にゴムを唇から引き出す。
普段はこうやって食べているのだろう。
優雅な仕草でゴムの切れ端を皿に置くと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「お行儀悪くてごめんなさい。これ、私の好物なの。戦時中はめったに甘いものが食べられなかったから、軍の配給で玉羊羹を貰うとそれはそれはうれしくて」
なるほど。
だから玉羊羹などという昔ながらの菓子にこだわっていたのか。
「実はあなたが来る前にも、マスコミやジャーナリスト、ライバルの研究者や私の発見を悪用しようとする人、いろんな人たちが私について調べていたわ。こんな若い娘がこんな研究が出来るはずないってね。でも、誰一人、昔の私との関連までたどり着けなかった。みんな、ここで玉羊羹みたいに弾けちゃったから」
「まチャか……」
「そう。わたしは幼児誘拐なんてしてない。クリニックに来た身寄りのない子供たちに新しい家族を紹介してあげてるだけよ」
「チかチ」
重い頭もどうにかもたげ、私は姿勢を立て直した。
「ひがいチャがチョうげんチュれば、あんたはたいほチャれる」
それは唯一残った私の刑事としての矜持だった。
頼りない腕に力を込め肘掛けにしがみつき、私は椅子の上に立った。
「こうなったのラから、わたチだってひがいチャだ。ラまっていいラりにはなナない。チョうげんチて、デッたいにあんたをたいほチュる」
「それが、そうはいかないのよ」
博士の手に肩を軽く押され、私はあっけなく椅子の上で尻もちをついた。
「弾けるって、思った以上に体に負担がかかるらしいの。だから被験者は直後に意識を失う。そして次に目が覚めたときには、それまでの記憶がすっかりなくなってしまうのよね」
「ラが、あんたはいってたじゃないか。せんじちゅうのことを。はいきゅうのたまようかんがうれチかったって……」
私のひ弱な声は彼女の勝ち誇った声にかき消された。
「私、自分に試す前に日記と実験の記録を残しておいたの。万が一赤ん坊まで戻ってしまったときのために。そうじゃなかったら、研究も一からやり直しになっていたはず。それとも、研究なんかせずに普通にお嫁に行ってたかもね」
彼女の言葉は正しかった。
頭が重く感じるのは体型の変化のせいだけではなかった。
体から急速に力が抜け、今すぐにでも横になりたいほど私は疲れきっていた。
「おチえてくれ。ロうチてこんなことをする?」
「そうねぇ……」
私が苦労して姿勢を保とうとする間に、博士は慣れた手つきで私が着ていた服と靴を黒いゴミ袋に入れ、医療廃棄物用の大きなプラスチックの箱に投げ込んだ。
私と目が合うと、一仕事終わったようにぱんぱんと手をはたいてみせた。
「私、見たいんだと思う」
その手が握りこぶしを作り、開く。
「ぱぁんと弾ける瞬間を。そして中から何が出てくるか」
細い指に頬をつつかれ、私は閉じかけた目を開けた。
あぶなく眠り込むところだった。
「ほんと、あなたかわいいわね」
「うるチャい」
「私、そろそろ適齢期過ぎちゃうから、周りがうるさいの。結婚しろ、早く子供作れって。でも、仕事が忙しくてなかなか素敵な人に出会うチャンスがなくて。もう、こうなったら結婚せずに養子でももらおうかって思ってたところなのよ」
頭が重く、首をもたげてやっと支えている状態だ。
そして、頭が下がるやいなやまぶたも下りてくる。
「どうかしら?」
上から柔らかな声がかかる。
タオルで拭かれた体が毛布に包まれる。
毛布もタオルと同じ色だ。
「あなた、私の子供にならない? 大事に育ててあげるから」
私は何と返事をしたのだろう。
ただただ、下がろうとするまぶたを必死で押し上げ、まばたきを繰り返して視界が回りだすのをどうにか止めていた。
眠ってはいけない。
眠ったら、私は私であった記憶をなくしてしまう。
眠っては……。
「これ、なあに?」
「たまようかんっていうのよ。こうやって、ようじでさすと、ぱぁんって、なかからようかんがでてくるの。やってごらんなさい、おようふくをよごさないようにきをつけてね」
「あ、ほんとだ、ぱぁんって。これ、おもしろいね、ママ」
(あとがき)
SF as the Species Fantasy(人類のファンタジー)
若返りや不老不死は人類の夢ではないかと思います。
美容整形で10歳ぐらい若く見せるのには興味ありませんが、赤ん坊レベルまで若返ったり、1000年ぐらい生きられたらいいな、なんて空想にふけることはあります。
(本音のあとがき)
実は別の話を書いていましたが、なかなか進まず締め切りまでに書き上がらないかもしれないと思ったので、急遽200字小説用に考えていたプロットを流用しました(笑)
しかし。
200字 → 6500字超って。
乾燥ワカメかっ!?