「随分とバカな連中がいたものね」
頬にべっとりと張り付いた返り血を拭っていると、後ろから聞き慣れた声がした。
振り向いた少年は、不機嫌そうな表情で「ああ」と相槌を返す。
いつのまにやら背後にたたずんでいたその人物が、たとえ自分に害をあたえる危険性のない味方であるとはいえ、他人の気配を事前に察知することが出来なかった自身の醜態に舌打ちをしたくなる。
そんな少年の心中を知ってか知らずか、声をかけてきた同年代の少女は、クスリと僅かに笑みを浮かべた。
「あなたに奇襲をかけたところで、勝てるわけがないのに。…どうして自ら死にに行くような行動をとるのかしらね、この連中は。本当に、救いようのないバカどもだわ」
言いながら、少女は暗闇の中から姿を現した。
今さらに思うが、かなり小柄で細っこい体つきをしている。
黒のキャミソールに細身のジーンズ、その上に男物のジャケットを羽織ったラフな出で立ちで、服が大きすぎるのか、胸元が少し露わになっていた。
その白い肌には鎖骨がくっきりと浮かび上がっていて、それがまた少女の体の貧弱さを強調させている。
―――…こいつが、戦ったら俺と同等に強いだなんて、誰が気づくだろう。
足下にごろごろと転がる肉の塊―――少年に殺される前までは「人」であったモノたちを一瞥して、少年は再び少女へ目を戻す。
少女は無表情で、自分の近くに転がるスーツ姿の死体を見やると、そのあとブーツを履いた足で、鬱陶しそうにその物体を蹴っ飛ばしていた。
血の海の中、少女の傷ひとつ無い真っ白な肌だけが、まるで異様なもののように浮かんで見えた。
「あなたの帰りが遅いから、ボスに様子を見てこいと言われたの」
面倒くさげな口調でそう言って、少女はちらりと少年を見やる。
痕跡を残さないようにと細心の注意を払って、2人は血なまぐさい部屋を後にした。
服に少々匂いがうつってしまったけれど、これはまあ、いつものことなのでお互い気にしない。
染みついて赤黒く固まってしまった見苦しい返り血も、帰りは真っ暗な路地裏を通っていくつもりだったから、特に問題はなかった。
「あの人、本当にあなたのこと気に入ってるみたい。実の娘である私のことは、たいして心配しないくせにね」
淡々と話す少女の声には、嫉妬も羨望も含まれない。
非情な世界に生まれ育った少女にとって、親の愛など理解しがたいものなのだろう。あえて、それが欲しいとは望まないのだ。
「ねえ。さっきの連中、あんな面倒くさい殺し方をしなくても良かったんじゃない?」
「どういう意味」
「だって、部屋中が血だらけになるほど派手にやる必要はないでしょう。あなたなら、返り血も最小限に抑えて急所にナイフを突き立てるくらい、朝飯前なのに」
「…わざとだよ」
「どうして」
「連中は、俺だけじゃなくて、あの方の命も狙ってたんだ。…だから、できるだけ苦しませる殺し方を選んだ。身の程知らずなバカどもには、それぐらいしてやらないと気が済まない」
「なるほど。だーい好きなボスのため、ね」
「茶化すな」
少女の言う「ボス」とは、少年にとって命の恩人であり、心から仕えるべき大切な相手であり、また、少年を闇の世界へと投じた張本人でもあった。
少年が、まだ十代半ばでありながら「殺し屋」という稼業に就いているのも、そのためだ。
ただ、少年はボスを慕いこそすれ、恨むことも憎むこともしなかった。
この人がいなければ自分は死んでいたであろうし、これからもその事実が揺らぐことはないからだ。
今さら、裏切ろうとも思わない。
何があろうとも、ずっと付いていこうと誓っている。
どちらにしろ、両の手に染みついた血の匂いは、もう消えることなどないだろうから。
「あなたって、自分の命よりボスの方が大事なんでしょう」
「当たり前だろ」
「…ふぅん」
「なんだよ、その目は。何が言いたいんだよ」
夜闇に慣れた少年の目は、少女の微妙な表情の変化もはっきり見える。もともと夜目が利く体質なこともあるのだろう。続いて少女が立ち止まり、じっと自分の方を見つめているのもよく分かった。
「あなたって、けっこう愛すべきバカなのね」
「…はぁ?」
思わず間抜けな声が出た。
少年は剣呑に眉をひそめつつ「意味がわからない」と溜め息を吐く。
一方、少女はけろっとした表情で、特に気にした風もなく言葉を続けた。
「ボスが言っていたの。―――…世の中には、救いようのないバカと、愛すべきバカがいる、って。あなたは、間違いなく後者だわ」
「・・・・褒めてくれて、ありがとう」
「あら。けなしてるのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
この女は一体何が言いたいんだと、少年はイライラしつつ思う。
いいかげん、早くボスのもとへ帰って任務完了の報告を済ませたかったし、体にこびりついた汚い返り血も洗い落としたかった。
この面倒くさがりな少女を様子見によこすぐらいだ。
ボスはきっと、自分のことをとても心配してくれているのだろう。
これ以上、あの方を待たせたくない。
そう思った瞬間、少年は身を翻した。
「…ご託はいい。これ以上ゴチャゴチャ言うなら、俺、先に帰るから」
言い終わるやいなや、少女の返答も待たずに歩き出す。
少年は闇にとけこむように消え、去っていった。…よほど早く帰りたかったと見える。
少女は「お好きにどうぞ」とその後ろ姿を見送った。
もともと相手に聞いて欲しいと思って振った話ではなかったし、これ以上ひきとめると、ただでさえ短気な少年の機嫌が急降下してしまうであろうことは想像に難くない。
そして、その機嫌を直すことが出来るのは、一人しかいないのだ。
きっと今頃、彼はその相手のもとへ急いでいるだろう。
危険分子を排除し、大切な人の命を自分が守ったという、甘美な喜びに酔いしれながら。
相手の気配と血の匂いがほとんど消えたころ、あーあ、とゆっくり嘆息した彼女は、そっと目を閉じた。
「本当にバカ。他人の命を守ってどうするのよ」
殺し屋という非情な稼業に就きながら、半ば盲目的なほどにボスを慕う少年の情の深さは、少女にとって、あまりにも滑稽に感じられた。
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