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明日、二人で
作:弥生 祐



―心景―


 
 流れる風景が灰色のビル群から少しずつ変化していく…… あたし達が乗る新宿初のロマン何とかいう特急電車から見える世界は、ぐずついた朝からの空模様もあって依然として濁り水を滲ませたようだった。

 心配してたように身体の具合は悪くならなかった。でも空と同じで心は晴れないでいる。何故なら隣に座って気持ち良さそうに船を漕いでるのがコイツ。陣内 明だからだ。

 通路を挟んだ向こう側の座席には燐堂君も明日菜もいる。別に誰かが仕組んだわけじゃないけど、指定された座席番号を恨まずにいられない。

 車窓の景色を眺めるあたしの顔が、風景に重なりダブった。明日菜がこっちを見てる。多分、二人だけで離れた座席になったから心配なんだろう。あたしは気づかないフリをして、瞼を半分だけ閉じた。

 数日前に受けた陣内からの電話。“あの約束”からあたしは明日菜の顔をまともに見れないでいる。窓に反映する顔でさえ伏せてしまう。

 多分、今のあたしの心を精確に読み解ける百科辞典はどこにもない。自分自身ですら把握出来ない。ううん、したくない? 不意に肩にかかる重力が増した。陣内があたしの気も知らず、もたれてきてる。すごくムカつく。

 この嫌な同級男子から電話があった時、あたしは固まった。遠く離れてるはずなのに、足が竦んで小刻みに震えた。でも予想してたコイツの用件は違って、変な想像から頬を赤らめたあたしは馬鹿みたいだった。

 キャンプ初日の夜に予定されてる、クジ引きで決める男女ペアの肝試し祭。湖畔近くの神社へ繰り出す、夜の探険行。陣内は明日菜と行きたいと言った。姉の明日菜と二人きりになりたいと、電話越しからもハッキリ分かる、真剣な口調で言ってきた。

 結論から言えばあたしは冷静に『分かった』と返事をした。してしまった。最初に芽吹いたのは安堵の根。これで傷つけたという軽い罪悪感から開放されるというもの。次いで、あたしと違い明日菜なら平気という言い訳の幹が伸びた。明日菜を肝試しに参加させて、何の番号を引いたのか知らせるだけでいい。陣内は参加する男連中に先回りして計ってあると伝えて、電話を切った。

 前に明日菜から聞いたことがある。真夜中、午前零時に男女二人で、その湖畔にある神社の鳥居をくぐると、その二人はずっと結ばれるとか何とか。ハッキリ言って嘘くさい。まるで根拠もない下らない話だと笑った。

 自分もそう思う―― 明日菜も笑った。笑って、でも明日菜は盛り上げるためだからと、くっつきそうな同級生をペアに仕組んだりしてた。自分は実行係として、一昨年も去年も参加してないらしい。

 あたしも参加する気はなかったけど、明日菜曰く『初めてで最後なのに参加しなきゃ駄目よ。思い出にもなるんだから』という言葉と、陣内からの約束もあり、明日菜も参加するという条件付きで、肝試しの初夜に望むことにした。

(何でだろう……)

 後ろの座席に座る同級生たちの楽しげな会話が、背中越しに耳に入ってきた。

『うそ〜、今年は館山が出るの? くぅ〜、一緒になりてぇ〜』
『無理無理、あんたじゃオトせないって』
『何でだよ。分かんねえぞ〜 もしかすっと』
『ないない。まあアンタが燐堂並に格好良かったらね〜』
『じゃあ、おまえで我慢するか』
『うげぇ〜』

 館山と言っても自分じゃない。姉の明日菜のことだ。比較される風潮を忘れかけてた自分がいる。こうゆう場を避けてた理由。決してみんなに悪意があるわけじゃないと分かってるけど、キツい。

(何で今更…… あたし、何してんだろ)

 まったく自分でも分からない。陣内が明日菜を好きだと理解した時から生まれた感情。だからって、あたしが陣内を好きなわけじゃない。それだけが今、分かる確かなこと。でも……

『おい、明日香』

 突然、思いもよらぬところから声が届いた。

『あ、あ、陣内……君。起きた、の』

 コイツは本当にタチ悪い。起きたんなら、もたれてんのやめてよ。と、そんな心の中での文句が聞こえたのか、ゆっくり陣内は背伸びして、姿勢を正した。

『ふぁ〜あ。席、変わるぜ』

 一瞬、あたしが座る窓際に来たいのかと思った。けど、それは違った。首を左右に振って、音を鳴らしながら立ち上がる。陣内は通路の向こう側の男子と何か喋って、そちらに移った。反対に明日菜の隣にいた男子、燐堂君がこちらに……って!

『悪いな、館山。明の奴、向こう、明日菜の隣がいいってさ』

『あ、ああ……そう。そうだ、ね。うん』

 や、やばい。絶対に聞こえてる、この心臓の鼓動。車両の揺れより大きい。え? 座る。あたしの隣に座るの? 燐堂君が? うわ、どうしよう。

 さっきまで悶々としてたあたし、どこに行った? 気持ちを落ち着けようと窓に顔を向ける。すでに首都圏からは遠く離れ、電車は丹沢に連なる大山連峰が見えるところまで来ていた。

 朝の予報では今日一杯、雨は降らないだろうと、媚びを売るように女性アナウンサーが伝えてたけど、どうやら外れっぽい。

『何だか今にも降ってきそうだな』

『…………うん』

 独り言かもと思ったけど、勇気をふり絞って相槌を打ってみた。でも次は何を喋ればいいんだろう。わずかに目を泳がせてみる。視界の隅にさっき読んでいた、丹沢の観光パンフレットが入った。

『あ、あの大山って別名あふり山っていう意があって、えっと、それで……』

 大山には阿夫利神社という雨降り信仰の場があるぐらいだから、雨が降り易いんじゃない。そう続けようとした。でも窓に映った燐堂君も持つ案内パンフレットが、頭を真っ白に飛ばせた。

『あ、あめ、あ……』

『ぷっ、ははは』

 唐突に燐堂君が吹き出す。やや置いて申し訳なさそうに口を開いた。

『……は、いや悪い。しかし、姉の方と違うよな』

『あ、う』

 聞いた。聞いてしまった。聞きたくなかったのに。それだけは燐堂君から。

『あ、ごめ……ん、なさい』

 謝る。謝るしかない。昔からそうだ。そうやって今までも耐えてきた。でも、でもね。本当は嫌なんだよ、あたし。だって。だってあたしは……

 ぎごちなくてもいいから、どうにかして笑おう。そう思い顔面筋を横に突っ張ってみる。その時、燐堂君が投げた何かが、チェック柄のスカート越し、太股の上に転がった。それは白いリボン状の紙に包まれたキャンディーだった。

『舐めてみろよ。それ魔法のヤカンならぬ、魔法のアメ玉だから、どもりグセも治るかもよ』

『う、うん』

 そう言えば燐堂君が所属してるラグビーで、倒れた人にかける冷水を見たことがある。

『あ、信じてないだろ、その顔。本当にスッキリするんだぞ、それ舐めると。俺の恵みの雨って感じで』

『め、恵みって』

 意味合いが違うような気もしたけど、何だか肩から力が抜けて、あたしはレモンイエローの、少し大きめのキャンディーを口に転がした。

 味わったことがあるけど思い出せないような。そんな果実の清涼感が広がっていく。甘さを押さえた、でも濁りのない綺麗な味だ。

 美味しい…… 素直にそう思った。暗穏として自分にかかった、かけていた無明の雲が開いていく。

『な、効くだろ。結構それ』

『……うん。どこで買ったの、これ』

『それ、田舎から送ってきた奴でな。俺もよく知らないんだよ』

『そう、なんだ』

 明日菜と会話してるようにスムーズに声が出た。まだ燐堂君の日に焼けた顔は直視出来ないけど、普通に喋れる。返せる。

 多分、他人には、明日菜にだって芯から分からないだろう。あたしにとって会話をこなせることが、どれだけ嬉しく、凄いことか。まして憧れの燐堂君となんて。

 それからキャンプ場に着くまでの三十分ぐらい、あたしは幸せの時を過ごした。何を話し合ったのか覚えてないくらい有頂天になった。そう、晴れ間を覗かせない大山にかかる厚い雲を突き抜けるぐらいに。

 だけど現実の天気は悪くなる一方で、宿に着いて夕食を済ます頃には、(すさ)む風が湖畔を騒がし初めてきていた。














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