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血族の城主
 楓父は、黒い扉を抜けた先で静かに佇んでいた。
 鳥の声一つしない鬱蒼とした森の手前に、古びた城が常闇に包まれ悠然と構える。
 視線を上に向ければ、蝋燭の灯であろう温かなオレンジ色の光が、この冷たく凍りついたような城の所々の窓で揺らめく。
 そんなちぐはぐさに、訪れる度に苦笑して、楓父は草を踏みしめた。

 建物をぐるりと囲っている灰色の高い塀に沿って進む。
 飛び越えて潜入する事も簡単だが、ジャロックの状況も分からずに騒動を起こす事はためらわれた。
 生き物の気配すらしない森と陰湿な建造物に挟まれた、道なき道の先を見る。
 一歩一歩、ゆっくりと足を進めながら、神経を研ぎ澄ます。
 ジャロック卿の失踪がすぐさま楓父の耳に入り、この場へと訪れる事など見抜いているだろう。

 白髪で、彫りの深い端整な顔立ちをしているジャロック。
 いつも渋面で寡黙な彼から、時折発せられる低く響く声には、不思議と逆らえない独特な魅力がある。
 永い時を生きる彼らの中には、感覚が鈍くなり、血を浴びてただそこに存在するだけの者や、正気を失い同族、人間関係なく襲い始める者。
 そんな者たちを統べているのがジャロック卿だ。

 彼が普通の吸血鬼だったならば、事は簡単に済んだだろう。
 こんな形だけの塀など飛び越え、彼の痕跡を辿り、助け出して恩を着せればいいのだ。
 だが、そんな簡単ではないだろうと楓父が警戒する一番の理由は、彼も『特別』だからである。
 普通の血族どもが、太刀打ち出来るような人物ではない。そのはずなのに――

「お待ちしておりました。ジョイス・フィネガー様」

 一枚岩を切り出した大きな門の前で、足首まで闇色のマントで覆い、同色のフードをかぶった女が声をかけてくる。
 それに返事をするでもなく、楓父――ジョイスは、ただ切れ長の目を細めた。
 期待などしていなかったのか、女はマントを翻して城へと続く石組みの橋を渡っていく。
 堀と呼ばれるには底の見えない裂け目にかかる橋は、誰が乗った所でびくともしない。
 豪奢なフロアに足を踏み入れた所で、マントとシルクハットを外し、身なりを整える。

「勝手知ったる城だが」

 脱いだ物を預かろうと伸ばした手を断り、冷たく瞳を光らせた。

「いつから血の臭いが充満するような作法がまかり通っているのか」

 漂うなどとは程遠い、臭いの渦にジョイスは顔を顰める。
 女は答えに逡巡したが、答える事はなかった。

「ご案内致します。少々、お待ちください」

 そう言い残し、彼女は隣の侍従部屋へと消えた。
 ジョイスは吹き抜けになっているフロアへと目を向ける。眼前には敷き詰められた美しい緋色の絨毯が広がっているはずであった。今ではどす黒い汚れ目がまだらに広がっている。
 大きなシャンデリアの蝋燭も所々消え、大理石で造られた壁も気持ち拭き取られているだけで、なにかが飛び散った様ははっきりと見てとれる。

 本当に、いつから堕落していたのか。

 踏み出せば、確実に革靴が痛みそうなその湿った床に、さすがのジョイスも眉間にシワを寄せた。
 ――整然とした美しさを誇るこの城が、嫌いだった。
 掟に縛られ、それを押し付けられる事に反発もした。
 この城を出てからというもの、爆音を撒き散らす人間の集団を、八つ当たり気味に潰しまくった。
 それで何かが変わったかと言えば、ただのウサ晴らしなだけであったが。

 いつまでも続くと思っていた城が、このざまか。

 しかし実際この無様な状態を見てしまえば、以前の華やかさがこんなにも名残惜しくなるものかと、ジョイスは軽く見回しながら、苦虫を噛み潰した。

「これだから正常心を失った輩は……革靴が汚れても構わなくなったら、お終いだな」

 侍従部屋に消えた女は『待っていた』と言った。
 画策した者は、卿の話がジョイスの耳に入りさえすれば、すぐにでも現れると思っていたのだろう。
 事実、その通りになってしまったが。

「ショーは、始まったか」

 この場所で、自分の持つ力を隠す必要などあるはずがない。
 冷酷に光る深紅の瞳は、いつになく楽しげに輝いていた。
 音もなく浮かび上がり、階上に降り立つ。
 足場の気持ち悪さは、どの階も同じなのだろうか、眉間にシワを寄せ辟易するしかない。
 この城にジョイスが入り込んだ事など、当に知られているだろう。
 赤黒く染まった、白の扉に手を触れる事もしたくない為、力で扉を開ける。
 ――現実には、吹き飛ばしたわけだが。

 蠢く血族どもの姿は視覚としては見えないが、はっきりとこちらを窺う様子が感覚として分かる。
 一際、ニオイの強く集まっている気配の一室で立ち止まった。

『入っていいぞ』

 声ともつかない声が、ジョイスの脳に語りかけてくる。
 金で造られたドアノブに触る事なく、先程と同じように吹き飛ばしてやった。
 それはもう気持ちが良いほどの勢いで扉が弾け飛ぶ。
 中からその状況を喜ぶように、一人の血族が手を叩いてジョイスを招いた。
 その広い一室には、他のどの場所よりも血のニオイが充満し、数名の血族が陶酔するように微動だにしない。
 カウチに横になる者や、豪奢な椅子にもたれかかり動かぬ者。
 ただ一人、奥の椅子に腰掛けた二十歳前後にも見える男だけが足を組み、その惨状を眺めるように座っていた。

「思っていたより遅かったな」
「……コートニー。ジャロック卿はどうした」

 まだ子供のような声で、楽しげに笑う男――コートニー。
 用事を早く済まそうという雰囲気を隠す事もなく、ジョイスは言葉を口にする。

「グレッグは、何をしている」
「やーだな。何だよ、結論なんてどうだっていいじゃないか。せっかく『オモテナシ』しようって用意したのにさ、そんな堅苦しいマントと帽子なんて捨てて楽しもうぜ」

 コートニーはワイングラスを持ち上げ、中に入った赤い液体を回して見せる。
 横に備え付けられている小さなテーブルに、とりあえず手持ちの物を置き、呪をかけた。
 家にかけているモノと同じ、何があっても『在り続ける』類の呪を。

「私にはそれは必要ないと、ジャロック卿から聞かなかったのかね?」
「あいつはこの地位を降りたんだ。そんな奴の話に耳を貸す事なんて、ないだろう?」

 ジョイスは、その部屋に一歩踏み込んだだけで、席につこうなどとは思うべくもなかった。
 この男の事は、城を離れる前から知っている。
 ジョイスを慕い、しつこく後をついて回っていた。
 血族の力としては、特に突出していたわけでもないコートニーが、何故ジャロックを陥れる事に成功したのか。
 この踏み込んだ一歩とて何かの罠かもしれないが、ジャロックとは違い、ジョイスには例え城を粉砕しようとも、目の前の血族を何十人と消すことになろうとも、なんの気兼ねもない。
 力を思う存分使えるだけ、ジョイスのほうが自由である。
 当然、その点もコートニーは分かっているはずなのだが。

「なんだ、本当に飲まないんだ?」
「もう一度だけ聞く。ジャロック卿とグレッグはどうした」

 つまらなそうに首を竦め、コートニーは唇をとがらせる。

「あいつらはあいつらで、お楽しみの真っ最中さ。邪魔は出来ないぜ」
「それが答えになっていると思っているのか?」
「ふん、だからなんだよ。俺はここの城主になったんだ、言う事を聞いてもらおうか」
「断る」

 言い出す言葉は、分かっている。そう言いたげにジョイスは考えるまでもなく却下する。
 コートニーは苦笑し、ワイングラスをテーブルに戻した。

「そう言われてもな。城主として皆を統べるには、光が必要なんだよ」
「お前は、その器ではない」
「それは光の力がないからだよ。だからこの液体で皆の心を掴むしかないじゃないか」
「そんな粗末な考えしか浮かばないのだろう? くだらん」

 鼻で笑い、ジョイスは目の前に存在する物全てが邪魔だとでも言うように右腕を横に薙いだ。
 ぐったりと動かない者どもと家具が、容赦なく壁に叩きつけられる。
 コートニーはそれを見ても、楽しそうに手を叩いた。

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