Metal Spirit――ソニスフィアの軌跡―― 前編
『男の娘』
男の娘とは、男性でありながら女性にしか見えない容姿と内面を持つ者を指す言葉。
服装や化粧を整え女性として生活していることも多い。
男の娘は、医学的な性転換の有無、性的指向が「同性愛」であるのか「異性愛」であるのかは重視されない。男の娘とは外見のことであり、内面やセクシャリティは関係なく、問い正すのは御法度とされる。
『4!4!METAL』
さくら学院の部活動(重音部)時代に結成したユニット。
メンバーであるSU-METAL/Ba.Vo(中元崇♂十六才、YUKIMETAL/Dr.Vo(水野由樹♂十五才)、KOAMETAL/Gt.Vo(菊地核良♂十五才)の3名による男の娘スリーピースバンド。訳あって女の子の姿で活動しているが、世間はまったく気づいていない。
「アイドルとヘヴィメタルの融合」をコンセプトとしているが、本格的なメタルサウンドと、アイドルらしからぬ世界観とダンスを融合した過激なパフォーマンスが大きな特徴である。が、しかし、訳あってPV映像では楽器を持たずに歌って踊っているだけのものしか公表していない。
『さくら学院』
スーパーレディを育てるための私立小中一貫校。
『ソニスフィアフェスティバル』
世界最大級のヘヴィメタルの祭典で、ロンドンから車で30分程で行けるネブワースという街で開催される。
『ヘヴィメタル』
重くて、速くて、うるさい音楽。
『メイト』
熱狂的なバンドの信者。
ライブほど、人を感動させるものはない。
ライブほど、人を幻滅させるものもない。
なぜ、僕らはライブに行くのか?
幸せなバンドにひきいられたファンはまことに幸せである。
僕らは、長い間におよぶ熱狂に財産を失い彼女さえ失っても、そのMetal Spiritに仕えてきた。
平成二十六年七月になると、口から心臓が出るほどの心配、緊張の空気が僕らの心をしめつけていた。
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『ソニスフィアフェスティバル』ひと月前。
「何だと! またソールドアウトしたのか⁉︎ 」
古ぼけたソファに座ったまま、頭を抱え込んだ男がいた。彼はソニスフィアの責任者で、ある選択を迫られていた。一見したところ四十そこそこ、背は低く、ぽっちゃりした体格で、いくらか猫背だ。
「はい。テント(一番小さな会場)の次に用意した会場も即チケットが完売してしまいまして……。どうしましょう 」
ドアの前で、すっかり日焼けしたスタッフが困惑した顔で返事を待っている。
「ちょっと待ってろ! 」
そう言うと男は、長くて赤黒い葉巻に火をつけた。
「みんなが見たいかどうかだ……」
小声でつぶやき、ぱっぱっと煙を吐きつづけた。
「彼らをメインステージに上げろ! 責任は俺がとる 」
彼はスタッフの一人にそう告げると、懐からスマホを取りだしある男に電話をかけだした。
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『ソニスフィアフェスティバル』当日。
七月五日、午後十二時――。
「4!4!4!4!4!4!4!4!」
腕にびっしりタトゥーを入れて、青い長髪を逆立てた青年が、興奮をむきだしに叫んでいる。
後方から人混みをかき分け、ステージ前柵に向かって突き進んでいるようだ。しかし、目的半ばで動きが止まった。
メインのアポロステージの最前付近は、さっきから大勢の人影が立ちつくしており、舞台設営が続くステージを興奮気味に見つめている。
中には日本からこの日を見届けにきた熱心なファンもおり、日の丸国旗を手にしてる者もいた。
「信じられないぜ! まさかヘッドライナーの*アイアン・メイデンと同じステージとはな――ハハハハ 」
五十代ほどのイギリス人の男性が、陽気な笑顔で言った。
ビールを片手に、メインステージ近くまで見に来たようだ。同年代ぐらいの妻と、二人の幼女を連れていた。
「4!4!METALは最高!『Kawaii』から当然だよ! 」
幼女のひとりが、勝ち誇ったような口調で応えた。
その幼女は4!4!METALのロゴの上に、三人のメンバーが可愛く描かれたTシャツを着ており、まるでステージからアニメのヒロインが出てくるのを待っているような雰囲気である。
ときおり吹きつけてくる雨風に、軽く巻いたセミロングが乱されていた。
当日のネブワース地方は、イギリス特有の気難しい天候になっており、朝から小雨が降ったり止んだりしている。レインコートを着用する観客も多くいた。
「周りのおじさん達怖いよ……。もう帰ろうよ」
もうひとりの幼女はうつむいたままそう言った。
ひどく怯えているようだ。
*【アイアン・メイデン】イギリスのヘヴィメタルバンド。現在までのレコードセールスは8500万枚を超え、世界で最も成功しているヘヴィメタル・バンドの一つ。
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「俺は4!4!METALがメインステージに移されたことにかなりイラついてる――あいつらはニセモノだ――奇妙だ――メタルじゃない――本当のコンサートは出来ないくせに――口パクだろ――西側の聴衆は甘くないぞ――カラオケで歌うのか? ――あいつらを好きなのは友達がいない男達と小児性愛者だけだ」
どうやらネットの中だけでは気が済まないらしく、完全否定派達が会場にまでも駆けつけて騒いでいる。
ションベン入りのペットボトルを投げつけてやろうと待ちかまえている者や、中にはナイフを懐に隠し持っている者、動物の死骸を肩からぶらさげて持参してくるアンチもいた。
「おい、見ろよありゃ何だ⁉︎ 」
「さっきまでいなかったよな? 」
「熱狂的なファンか? 」
ステージ中央前列に突然着ぐるみが三体現れた。
よく見るとピカチュウ、アンパンマン、キティちゃんである。しかも頭には奇妙に髪の毛を生やしている。
「しっかり頼んだぜバディ! 今回は十数メートルはある。失敗すれば確実に死んでしまう。失敗は許されない」
ピカチュウはアンパンマンとキティちゃんにキツくそう言いきかせ、大きな空の袋を柵の向こう側にいるセキュリティに投げ入れた。ガタイのよさげな男はいつもの慣れた手つきでキャッチし、ウインクした。
『守り神来た――! 』
ツイッターで早速彼らの画像が上がるとほぼ同時にコメントが載った。
「すぅちゃんここでもやる気だよ、マジすげーよな! 」
「でもここのステージって、観客まで相当な距離があるんじゃじゃねーのか? 」
ツイッター、2ちゃん、インスタ、フェイスブックなどを忙しく開いて待ち構えてる日本のメイトは歓喜した。
守り神とは、ステージから観客にダイブしてくるすぅが怪我しないように、柔らかい着ぐるみで受け止める神のことである。通常のライブでは一神しかいないが、規模の大きなステージになると二、三神が出現する。
ここでは詳しく触れないが、すぅは、ある日、何の前振りもなく、初めてステージからダイブをして、大事故を起こした。それでも首にコルセットを着用し、ライブツアーをしていたが、ケガが完治するまでには相当な月日を要した。スタッフは二度とこのような事故が起こらないようにと対策した。
――――メインステージ袖に立った人影は、この時なにかを鈍く口走ると、さっとステージ奥へ戻って行った。
「すぅちゃん、すぅちゃん、 お客さん全然来てない…… 。 おーい、すぅちゃん」
倒れ込んだように横になっているすぅに、色白でややつり上がった切れ目の少女らしき人物が話しかけている。
どうやらすぅは眠っているようだ。
「うにゃっユキ? むにゃむにゃzzz」
一度目を開けたが、再び眠りについた。
『ガチャ 』
♪「お~い! もういいかい? もういいか~い⁉︎ まあだだよっ!」
まあるい大きな黒目でややタレ目の、えくぼが印象的な少女らしき人物が楽屋へ入ってきた。狭いコンテナ内を歌いながらウロウロしている。
♪「みぎっひだり? きょろきょろりっ? 」
所狭しと置かれた荷物の間を覗きこんでいる。何かを探しているようだ。
「なあユキ! *バッタくん見なかった? 」
「コアさあ、紛らわしい名前やめろよ。カエルなのにバッタとか可哀想すぎじゃねーか? 」
ユキが悲壮な口調で言った。
*【バッタくん】青蛙。体長25cm体重1.1kg
「変かぁ? もともとアイツはカエルのくせに、バッタを食おうと追いかけてた悪い奴なんだぜ? 」
「お前は悪い奴をペットにするのか? 」
「バッタ助けたのに、カエルが勝手になついて離れないんだよ。しょうがなく世話してあげてるだけさ……」
「エサってどうしてんの? ミミズとか? 」
「ハエだよ」
「うわっ。お前それ捕まえるの得意だもんな……」
コアが部屋の隅に置かれたテーブルの下を覗き込んだとき、そばにいたすぅにやっと気がついた。
「あれ?すぅちゃんまだ寝てるの? 」
コアはそう言って死んだように眠っているすぅを揺すってみた。すぅはピクリともしない。
「すぅちゃん、いつもリハーサル歌なしでも燃え尽きてるからね。コアはたまにふざけてるけど、……ってか今日リハーサルないし! 」
「確かに!ならなんで寝てるの⁉︎ 」
「ライブ前なのに緊張感ゼロだね」
ユキはそう言うと、テーブルの上においてあるトマトを手に取り丸ごとかぶりついた。
テーブル上には、お茶・牛乳・トマトジュース・野菜ジュース・おいしい青汁・ウエハース・いちご・こんにゃくゼリー・トマト・軟骨のから揚げ・つくねの梅しそ・うめぼし・きゅうりの浅漬け・おにぎり・イカゲソ・スルメ・バナナ・乾き物・ミルクレープ・屋台のブリトーなど様々な物が置かれているようだ。
「やっぱり日本のトマトは最高! 」
ユキは幸せいっぱいの表情をうかべている。
「あれっ? そういや今朝市場で買ってきたやつは? 」
コアは今朝のことを思い出してユキに聞いた。
メンバーが会場に向けて移動している途中、市場を通り過ぎたが、ユキがどうしても現地のトマトが食べたいとだだをこねたので、わざわざ引き返して立ち寄ったのだった。
「ああ、あの小さいトマトときたら固くて青くて酸っぱくて食べられたもんじゃなかったよ……」
ユキの目が悲しそうにしぼんだ。そしてこみ上げてくる悲しい思いを抑えきれずぽろぽろ涙をこぼした。
「ふ~ん」
ユキは突き放したような表情をした。冗談じゃないと思ったに違いない。
『ケロケロ! 』
すぅの方から何か聞こえた。
カエルの声だ。
しかし、誰も気づかない。
すぅの*チュチュが、まるで生命を宿したかのように踊っている。
*【チュチュスカート 】バレリーナが着ている紡錘型の腰から広がるようなスカートの事、もしくはそれを模したスカート。
「みぃ――つ――けたっ! 」
スカートの裾からひょっこりと顔を出してしまったカエルは、ついにコアに発見されてしまった。瞬間、コアに片足をつかまれたが全力で振り切りって、すぅの腕に飛び乗った。少し体制を崩して斜めにしがみついている。
「ゔぅ……。何? ゔぅ……」
すぅは悪夢でも見てるようなうめき声をあげている。
ユキとコアはすぅを見て大爆笑した。
二人の笑い声ですぅは目覚めた。
「ギャ―――――――! 」
すぅの悲鳴に、カエルは気絶して落ちた。
「お~い! 用意できたか~? 早く来いよ」 本番も近づき外からホバの声がした。
「そろそろ行かなきゃ! 」
すぅは少し乱れたポニーテールを、綺麗に直しながらみんなに促すように言った。
「今日どれくらいのお客さんきてくれてるかな? 」
コアはいつもの明るい表情を二人に向けたが、狭い部屋の中をぐるぐる歩いている。
心配してるのが垣間みれた。
「さっき俺、気になったからステージ袖まで見に行ってきたんだけどさ……。」
ユキはそう言って、ワックスで固めたツインテールにトドメのスプレーを死ぬほどかけている。
「で? 」
二人は何も言わないが、そういう顔でじっとユキを見ている。
「全然いなかった」
中編へつづく