―今こそ『約束』を果たそう
「どうして…?」
開口一番にそう呟いた少女にクロエは微笑んだ。同時に彼女の顔が苦し気に歪む。
そこは深い森の中。何人たりとも入る事を禁じられた、神秘の森。
少女はそこで眠っている筈だった。これから先、何年も。誰にも邪魔される事なく。それなのに…
「約束、したから…」
そう言ったクロエに少女は驚いて目を見開いた。少女の脳裏に、あの夜の光景が蘇る。
それは彼女がこの森で眠る事を決めた日。村一の霊力を持つ大巫女が告げた一言から、彼女の運命は動き出した。
『リリア。お前はいつか、クロエを殺す』
そこに集まった大人達がどよめく中、少女・リリアは決意していた。
『なればその前に私を殺して下さい』
更に大きくなるどよめき。しかしそれを気にせず、大巫女は首を振った。
『それはならん。そなたは次代の大巫女となる身。誰もそなたに手は降せん』
『私がクロエを殺せば、私は血の穢れに触れます。その身で大巫女の位は頂けません』
暫しの沈黙が降りた。集まった者達が固唾を飲んで、向かい合う二人を見つめている。動かない二人の内、先に口を開いたのは大巫女だった。
『そこまで言うなれば仕方あるまい。そなたを森にて眠らせよう』
大巫女の言葉にそこにいた全員が項垂れた。
リリアが森で眠る。
それは彼女が殺すであろうクロエが死に絶えるまで、大巫女が不在となるという事。
とはいえ、次代の村長とうたわれるクロエを死なせる訳にもいかない村人達は大巫女の出した提案に頷くしかなかった。
「貴方を殺したくはなかった…」
リリアの瞳から温かな雫が零れ落ちる。そんな彼女に抱えられる様に横たわったクロエは、リリアの頬に軽く触れた。
「泣かない、で…これは、ボクが望んだ、未来だ…」
そう言ってクロエは何とか微笑もうとするが、直ぐに顔を歪めた。
彼の腹部に開いた穴。そこからドクドクと、波打つ様に鮮血が沸き出している。
リリアは何とか血を止めようと、自分の手で彼の傷口を塞ごうとしていた。だが、そんな事をしても温かな血は止まる事を知らなかった。
「どうして来たりするの?」
涙で濡れたリリアの瞳を真っ直ぐ見上げ、クロエは無邪気に微笑んだ。
「昔…約束した、から…ずっと、一緒にいるって…」
「クロエ…」
それは、今や遠い過去となった幼い日。いずれ大巫女となる事を定められたリリアは一人泣いていた。
大巫女となるのはとても名誉な事。リリアの持つ不思議な力が、ようやく認められた証だった。
しかし、それは同時に彼女が『孤独』の中で生きなくてはならない事も示していた。
『ボクがリリアのそばにいる』
まだ幼かった少年の一言。その言葉一つにどれだけ救われたか。
彼もまた村長となる事を密かに定められ、同じ様に大きく見えない何かに押し潰されるしかなかった。そんな似通った境遇にあったからだろう。その言葉が彼の口をついて出たのは。
『約束する。ボクはリリアを独りにしない』
「リリア…ずっと、傍に…」
皆まで言わず、クロエは静かに瞳を閉じた。それだけで、リリアは彼が力尽きた事を知る。
「うん…ずっと一緒よ、クロエ…」
リリアの瞳から絶え間なく雫が零れ落ちる。その一滴がクロエの頬に落ちた時、目映い閃光が二人を優しく包んでいった。
何時もの祈りを終えた女は、扉の代わりである御簾を潜り、外へ出た。空は白さを増しており、朝の訪れを告げる鳥が鳴いていた。
女はふと、こちらに向かい来る人影を見つけ、微笑んだ。
「おはよう、また寝なかったな?」
ため息混じりの言葉に女は困った様な笑みを向ける。その視線を受け、男は女の頬に軽く口付ける。
「あまり無理はするなよ?」
男の言葉に女は素直に頷いて見せる。そんな女を抱き寄せ、男は胸に哀しみを抱いていた。
女は声を発する事が出来ない。それは自分のせいだと、男はずっと自分を責めていた。
「…ごめんな」
不意に口をついた言葉。それは男の本音だった。
すると女は、そんな男の胸に頬を擦り寄せ、腹部に軽く触れた。そこには肉が削がれたかの様にへこんだ部分がある。
『良いの。私の望んだ未来だもの』
男の胸板に、女は指で確かにそう書いた。いつかのあの日、自分が口にした言葉に男は苦笑いを浮かべる。
顔を上げた女は、彼の顔を見て微笑んだ。そんな彼女に微笑み返し、男はゆっくりと起き出した村に目を向けた。
柔らかな光を纏った朝陽が二人と村を優しく包んでいる様だった。
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