わたしの美丈夫さまっ!~純な乙女のヤンデレ回避~
気付いた。気付いてしまった。
この世界が生前わたしがハマっていた女性向け恋愛ゲーム『わたしの美丈夫さまっ!』の舞台にそっくりで、登場人物と同じ名前の人々がチラホラいることに。
そして、わたしの所属している隊がまさにヒロインがいる隊だったんだけど……なにコレ、死にながら見るひとときの夢? そんなハズないよね。
わたしは羽田野ツル。いままで二十年間の人並みの人生(男にモテないけど)があったし、この地球防衛隊ジッポン国支部に入るという選択も自分でした。
まあ、小さいころからそれほど可愛らしい子でもなかったから、しっかり手に職をつけなさいっていうのは親に刷り込まれていたけどさ。
職さえあれば、多少難ありでもお嫁さんにもらってくれる人は多いのよね。隊は資格がたくさん取れるし、公務員だから、お嫁さんにはおあつらえ向きって感じ。自営業でも全然嫁にいけるよ。
でも、この羽田野ツルという名前は生前のわたしが好んでキャラクターに使っていた名前。本名は確か多田鶴子だったかな? ってちがうちがう。生前なんておかしい! せめて前世とか。いやいや前世なんてのは幻想よね。中二の時に患うことの多いような心の病的っていうか。
いろんなことに既視感を感じるようになったのも最近だし、あれ? でもゲーム開始は入隊後だったかも? あやふや?
前世について考えると頭がおかしくなりそうだったので、とりあえずただのデジャヴということにしておこうっと。
それならただの予知夢っていうか、なんかありそうだもんね。
ただその予知夢には何種類かパターンがあって全部で六人の男性から一人を選んで落とすという内容だった。ま、顔とか普通だし内気な性格のわたしに同名であるイケメン達を落とせるはずもない。関係ないね。
だけど、そのイケメン達の特徴がえらくゲームとそっくりなんだ。そのおかげでイケメンとの恋愛に発展しそうな同僚たちになんとなくアドバイスをすると面白いほどうまくいく。
だけど今日、気づいてしまった。
今残っている攻略対象は二人、一人は王道のメインヒーロー(確かパッケージのど真ん中にいたっけ?)ともう一人が、
病的なまでの束縛ストーカー男
だということに。
えっと、誰一人落とせない時の終わりはどんな風だったっけ? 思い出せないわたしはメインヒーローであり、同僚の獅子光輝を落とす……なんてこともできるはずがないので、体を鍛えることに決めた。予知夢より自分の筋力の方が信用できる。
ちなみにストーカー男(愛好家にはヤンデレと呼ばれていたっけ)は一期下の猪狩涼夜という黒髪の艶やかな男だ。じとっとした瞳が気に食わなくて、鶴子は一回ですべての特典画像を集められるように攻略サイトを見ながらプレイしたと思う。なかなかホラーな演出があって、苦痛だったらしい。わたしもホラーは苦手なのよね。黒髪男子は好きだけど。
「ツルったらまたトレーニングルームに行くの?」
ロッカールームで隊服からトレーニングウェアに着替えていると、同期で友達のトモちゃんに心配された。
普段の訓練でいじめ抜かれた体をさらに鍛えようなんて女子はほとんどいない。男子ならそれなりにいるみたいだけど。集団の身体能力が高い場合、男に勝つには平均以上の体力と技術が必要だと思うのよね。
「まあね。いざというときに体が動かないと困るからさ」
「なにそれ~」
「ストーカーされてるお友達を守ったりとかさ」
少し恥ずかしくなってわたしは建前を言ってみた。
「やだツルちゃんったらおっとこまえ~」
「あと、ストーカーされたときとかさ」
「その体でないない」
「ひどいね? トモちゃん」
そりゃあわたしは貧乳気味だけどさ、最近腹筋も割れてきたからまな板よりも洗濯板という表現が似合う……って胸筋もついてきたからね?
予知夢による実際にありそうな方を答えるとこのありさま。
周囲から見たわたしの女子力偏差値は恐ろしいほど低いみたい。お化粧でも教えてもらおうかな? 隊にいるときには汗で役に立たないけど、オフの日に新しい人脈作りたいの。(合コン的な意味で)
合コン……そうだ、昨日トレーニングルームで牛尾さんに誘われてたんだった。
「ねえ、トモちゃん。今度の日曜、合コンいかない? 二期上の牛尾さんから誘われてさ」
「ええっ、牛尾さんってあの筋肉でちょっとオネェな感じの?」
「そうそう。獅子君とか、設備の高山君、外の人もくるらしいよ?」
「光輝君か! 行く!」
「え? あの獅子君が合コンくるの?」
お隣の隊でフェミニン全開な衣装の藤原さんだ。彼女は合コンに嵐を呼ぶ。お気に入り全員持ち帰りとかしていった事がある。でも、なんか憎めない性格で……素直にすごいって思う。
「藤原さんは彼氏いるじゃないですか」
「そうよね。彼の束縛キツいから止めとくわ」
藤原さんの彼氏は攻略対象だった俺様系である。嵐が来ないとわかるや合コンメンバーはあっという間に集まった。うまくくっつけた甲斐があった!
「牛尾さ~ん、獅子君効果ありました!」
「やっぱりぃ? エサにはもってこいなのよね。こっちも資格持ちの女子が欲しい一般男性が集まったわよ」
合コンは五対五の計十人。居酒屋で騒ぐにはなかなかいい人数かしら。
牛尾さんは表情筋の素敵な笑顔で親指を立てている。これでオネェじゃなければ相当モテたろうに。
器具の充実しているトレーニングルームで、わたしと牛尾さんはお互いにフォームを見たり二人でするストレッチをしたりする仲だ。一人だとどうも変に無理をかけてしまう所があったりして良くないからね。
ちなみに獅子君もたまにトレーニングルームに来たりする。時折わたしと牛尾さんの方を見てぎょっとしている時がある。そんなにわたしのことが嫌いか。でもごめんね、エサにしたから合コンで小一時間一緒にいないといけないのさ。フッ。
それから牛尾さんや、他のトレーニング仲間と汗を流し、着替え。食事の時間にはトモちゃんと食堂で合流した。
「ねぇ、ツルってさ牛尾さんのこと好きなの?」
「え? ないない、あの人オネェでしょ?」
一瞬ドキリとした。姿かたちはとっても好みだけどオネェには興味がない。
「だって男が苦手なツルがさ、あんなに話せた相手ってそんなにいないじゃない」
「確かに。でもオネェだから話せるっていうか」
「そうきたか。でもね、牛尾さんが合コン誘ってきたってことはノーマルだってことじゃん?」
私は息が詰まった。でも、ちょっと思い直す。
「あれ、たた確か、女嫌いの獅子君のリハビリも兼ねてるから」
「へぇ~牛尾さんと獅子君くっつく可能性は」
「ないよ! 彼らだって好みが……そうか、女は飾りで一般男性を食うために」
「ひどいわ、ツルちゃん!」
っ!聞かれた!? 顔を手で覆った牛尾さんがいつの間にか背後にいた。
「ツルちゃんが男日照りだからわざわざ合コンを開こうと思ったのに」
「そうなんですか? わたしが悪かったです。ごめんなさい。牛尾さん泣かないで」
わたしは素直に謝罪し、牛尾さんの背筋が分厚い背中を撫でた。
「わかればいいのよ。ちゃんと化粧とか、服とか女の子してきてよねっ!」
けろりとした表情で背中をバシバシ叩かれた。う、嘘泣き?
土曜日。そうと決まったら、やるしかないっしょ! ってことでトモちゃんに連れられショッピングセンターに来た。流行の服から化粧品、そして最上階には美容室まである親切設計。
美容室には事前に予約を入れてあった。これで逃げられない。ひええ。
美容室、しばらく来てなかったなあ。半年?くらいは切ってない。ちなみに隊の規則ではヘルメットを被るのに邪魔な髪型はNGです。
「髪ちょっと痛んでますね、ちゃんと寝る前に髪の毛乾かしていますか?」
「いえ、ちょっとさぼったりしちゃいます」
「トリートメントしていきませんか?」
「え? いや」
「してもらいなよ。女の子してきてってリクエストされたじゃない。閉じこもり気味だからお金だってあるし」
隣の席のトモちゃんがツッコミを入れてくる。うう、わかったよ。
休日もなんとなくトレーニングとかランニングで終わっちゃう事が多かったかも。寮生活だからあんまりやることもないしなあ。
次は服。まるでトモちゃんのマネキンになったようにあれこれ合わせてもらう。
いくつかの候補の中からわたし好みをひとつ。
「だめだめ。合コン成功したら今後デートの時も期待されちゃうんだから三種類くらい買って着回しを考えなよ」
「そういう物なんだ? よし、まだ見ぬ彼氏よ待ってなさい!」
トモちゃんはニヤニヤとわたしを見つめた。
試着をし、決定して元の服に戻る段になってトモちゃんから待ったがかかった。
「あの、この子にこの服着せたまま帰りたいのですが」
え? このままわたしはふりふりの恰好をしていなきゃいけないの?
「訓練だよ。あと、この後重要だからね」
化粧の段になって疑問がやっと解けた。
「この格好に似あう簡単な化粧を教えてください」
トモちゃんはわたしを化粧品販売員の方にすべて託した。餅は餅屋。化粧は化粧販売員。
「それだとこちらのお色はいかがでしょう?」
「はい、それで」
「あの失礼ですが、お客様、ファンデーションは……」
「使ってません!」
「お肌綺麗ですね」
老廃物はきっと汗で排出されていると思う。
「使うともっときれいになれますよ」
甘い言葉にすべて乗り、わたしはファンデーション、アイシャドー、チーク、マスカラ、ビューラー、クレンジングなどなど基本の道具をそろえてしまった。
使い方は今晩確認しておこうっと。
しばしの間他の買い物に出ていたトモちゃんは化粧をしたわたしを見て笑いをこらえたような顔をした。
「おかしい?」
「いや、こんなに変わるのかと、面白すぎて」
「へえ?」
「いやあ、かわいいよ。七五三的な意味で」
笑い顔を修正したトモちゃんの顔はほほえましいものを見る目だ。
「ふおおおおお、ひどい。筋肉童顔女といいたいの?」
「筋肉ってはいってないけどね。結構大げさな顔になっちゃってるから、明日は私が確認と直しをしてあげる」
「ありがとおおお」
「目はこすったらダメ」
それから化粧をしている時の振る舞いについて教わった。おしぼりで顔を拭いちゃいけないことくらいわかっているんだけどね?
そして来ました日曜日。不安なので三時間前から着替えたり化粧をしたりしてみた。
トモちゃんが化粧を直しに来てくれたんだけど、またものすごく笑ってた。
「あはは、キャバレーか宝塚のメイクみたい」
言ってトモちゃんはわたしに全部落としてくるように指示をだす。トモちゃん監督が見るにファンデーションまでは大丈夫のようだ。チークも、アイメイクも少し物足りないかなというくらいで落ち着いた。
「じゃ、いざ出陣」
集合場所となる居酒屋に獅子君が先に待っていた。ん? またデジャヴを感じる。
そういえば、合コンが獅子君ルートのフラグで……あのストーカーのフラグでもあった。獅子君以外の誰か男性と一緒に帰るだけでストーカーフラグが立つのだ。こわい。
なんとか誰か女子と帰るしか……? みんななんか仲良くなっちゃってる?
もういいや。とりあえず来るかわからない予知夢と戦ってもしかたない。いざとなったら自力で何とかするか、警察を呼ぼう。
わたしも男ゲットじゃああ。
さっきから獅子君がこちらをチラチラ見ている。もしかして興味あるの? 隊随一のイケメン君がわたしに?
「獅子君はなんか食べる?」
聞くと彼は冷たい表情で
「軟骨」
と返した。ですよね。わたしなんか気になるはずがない。
「皆さんは注文ありますか?」
「おっ気が利くね」
なかなか評判がよろしくってなにより。わたし、今、普通の女子してる!化粧効果か。
牛尾さんはなぜか席替えでわたしの隣に陣取った。
「いいんですか? 女子ゲットしに行かなくて」
「大丈夫。ちょっと酒に酔ってきて」
「大丈夫ですか?」
「うん。ツルちゃんの隣が落ち着く。いつもより色気があるね」
胸がドキドキしてくる。
「えへへ、がんばっちゃいました」
牛尾さんがみんなの邪魔にならないよう大きな体を縮めて、ちょこんと座る姿にときめきを感じる。でも、牛尾さんはオネェだからなあ。
合コンはそこそこ盛り上がり、一応全員と連絡先を交換した。一般男性はあんまりわたしには興味がなさそうで残念だったけど、ここから交友関係を広げていけば、いつかわたしの王子様に出会えるはず。
帰りはそれぞれ個人的に飲みに行く感じになったよう。カップル成立出来なかったのはわたしとトモちゃんと獅子君と牛尾さん。
「みんなで飲みに行こうか?」
牛尾さんが提案する。
いいなあ。
心惹かれるわたしの手を獅子君がぐいっと引いた。合コン中に見せた他の女性に対する優しい態度ではない。
「え?」
「羽田野ツル、俺と来い」
獅子君? ツンデレじゃなかったと思うんだけど。ストレート直情型よね?
やはり予知夢と違うことはあるのかもしれない。しかしイケメンだなぁ。
牛尾さんは紳士なオネェだからトモちゃんを無理やりなにかすることはないよね。トモちゃんはタイプじゃないみたいだから大丈夫だよね。ね。若干ひきつった笑顔で手を振ってるけど、し、心配。
連れてこられたのはファミレス。いくら開いているお店が少ない田舎だからって、ひどいんじゃない?
獅子君はコーヒーを勝手に頼むと話を切り出した。
「羽田野、お前転生者だろう?」
「転生って、輪廻転生の? 仏教的な考え方ならほとんどが」
「ちげえよ、前世の記憶があるだろう」
びくりと肩が持ち上がってしまった。な、なななな、なんで獅子君が知っているの?
「その顔はイエスと受け取っていいのかな」
「ななななんで」
「お前の行動を見れればわかる。俺を落とそうとしているな」
え? どういうことだろう。確かに、攻略ルート的には獅子君と猪狩君しか残っていないけれど、まだ獅子君とも一応フラグは立ってないはずだ。
「獅子君も前世で乙女ゲームを?」
獅子君はこくりとうなずいた。
「言っとくけど俺は前世でも男だぞ。ただのバイトのバグ探し要員だし」
「で、わたしに惚れたら困ると」
「そうだよ」
「惚れそうなの?」
獅子君はわたしの顔を見ない。
「幼馴染が好きだけど……お前も気になる……若干ホラーだけどな……恐怖のドキドキ感がする」
火曜日と金曜日にトレーニングルームに行くのがフラグ立てだったらしい。そりゃあ、攻略されたくない獅子君からしたら毎回いるのは恐怖かもしれない。
「わたしは……わたしも、困る」
「は?」
「筋肉つけにいってるだけだったから」
「どういうことだ」
獅子君に猪狩君の恐怖について語る。彼はうんうんと頷いて聞いてくれた。男性から見てもあのルートは怖かったらしい。
「つまり、記憶があやふやでゲームのシステムに筋力で対抗しようとしたのか」
「ま、まあね」
「バカか、バカなのか」
そんなにバカにしなくてもいいじゃない。
「他のルートたどればよかったじゃないか」
「だってみんなあんまり好みじゃなかったし」
「選り好み出来る容姿か!」
「ひどい!」
女友達に言われた時は軽く流せたけれど、男性に言われるのはきつい。
「ちなみに、誰も攻略しないルートってないの? 覚えてないんだけど」
「あ~、ボディビルで優勝する」
獅子君は頭を掻く。
「え?」
「女子のボディビル大会で優勝するんだよ、お前」
「じゃあ、するわ」
「するのかよ! 結婚遠のくぞ」
「わたしだってフィーリングっていうものがあるの」
「ちょ、おま」
「だから、トレーニングルームにはこれからも通うわ」
優勝して、すべて終わったらわたし、わたし、牛尾さんに告白する!
ついさっきのことだけど、信用の置けるトモちゃんでも、牛尾さんの隣にいるのがたまらなくイヤで、心配だった。
たとえオネェでも、やっぱりわたしは牛尾さんが好き。
獅子君はがっくりと肩を落として「出来れば俺の来ない時間にしてくれ」と言った。
「無理よ、わたし優勝するんだから」
キリリと顔を引き締める。
「じゃあ、絶対フラグは立てるなよ、俺に近づかないでくれ」
「大丈夫。牛尾さんが好きだから」
「そうじゃなくて俺の理性が……って牛尾さんが好きなのか」
「わわわたしったら……これ内緒で」
うう~失敗した。耳が熱い。
「ああ、わかったよ。なんかすっごい徒労感。まさか牛尾さんに負けるとは」
獅子君はわたしの頭をポンポンとして先に帰って行こうとした。
「げ、牛尾さんと巴!」
来てたの? まさかの場所かぶり?
「女の子を送っていかないなんてサイテーね」
トモちゃんは獅子君に食って掛かる。
「アイツなら大丈夫だろ?女って認識するか?」
「ひっどい、後ろ姿はべっぴんさんよ!」
トモちゃんも若干ひどいよね。まあ、自分のことは自覚してるけど。
「大丈夫アタシが送っていくわ。幼馴染コンビは二人で帰りなさい」
「え? 獅子君とトモちゃんって幼馴染なの?」
「知らなかったの?」
やばい、にやける。そうか、獅子君は幼馴染が……。
「羽田野、あの事は秘密な」
「なになに秘密ってひどい」
「いや、これ、秘密にしない方がひどいというか」
「悪口なんでしょ? 親友でしょ」
ぐぬぬ、トモちゃん痛いところをついてくる。わたしはじとっとした目で獅子君を笑った。
「獅子君、自分でいうもんね」
「と、時が来たら言う」
獅子君は引き気味だ。
「約束だよ?」
トモちゃんのその角度反則的にかわいい! 女のわたしでも抱きしめたくなる。こりゃあ惚れちゃうね。
「牛尾さん、帰りましょ?」
あんまりかわいいトモちゃんを牛尾さんに見せたくない。そんな嫉妬心というか、いたたまれ無さから牛尾さんを連れ出した。あの可愛さ欲しいよ。
二人の帰り道。ちょっと牛尾さんを意識してしまって恥ずかしい。
「心配したんだよ。獅子君さ、最近君のこと熱っぽい視線で見てたから。君は全然気にしてないようだったけど」
「気のせいだったみたいですね」
「そう、なのかな。オレ、アイツは遊んでるって噂だったから心配で心配で」
「心配しすぎですよ」
ギュウ。牛尾さんがわたしに太い腕を回した。
「牛尾さん?」
「鍛えていても、こんなに柔らかい女の子なのに」
鼓動が早くなる。耳が、耳が熱い。
「の、飲みすぎですよ、牛尾さん」
「正気だよ。ツルちゃん。オレのこと名前で呼んで」
「牛尾さん……」
「い・つ・き」
彼の瞳はとても力を持っていた。顔が火照るのを感じながらわたしは彼の名を呼んだ。
「樹さん」
「ツルたん」
かんでます。やっぱ飲みすぎです。牛尾さんは崩れ落ちそうだった。
わたしはトレーニングで培った筋力を生かし、牛尾さんを男子寮までおんぶしていった。牛尾さんと同じ寮の人はぎょっとしていたけれど、まあ、いいや。
当然の結果だろうか。男の人(推定百キロ)をおぶって帰るようなわたしを狙うストーカーはまだ出ていない。ちょっとだけ寂しいとか、殴り損ねたとか断じて思っていません。
「ツルちゃん! 女の子なんだからもっと慎みを持って」
「牛尾さんこそ大男なのにつぶれないで下さい」
「もうっ」
牛尾さんは肩を抱いて
「樹って呼んでって言ったよな」
と言った。
反則だよお。なんでいつもより男っぽいんですか。耳が大火事です。
あとで聞くとオネェ風は男が苦手な私を油断させるため、だったらしい。
まんまと術中にハマってくやしい!
わたしはそれから二月後、ボディビル大会で優勝した。
「樹さん、わたしやったよ!」
「おめでとう! 今夜は沢山ご飯を食べようね」
「はい!」
「オレはツルちゃんが食べたい」
ひゃあああ!
樹さんの低音ボイスに栄養管理で無理をしていたわたしのライフがガツンと削られた。
もう、幸せで死にそう!
HAPPY END