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ある冒険者の本

・ジャンル  「冒険」

・キーワード 「本」


「おや。こんな場所にテントとは珍しい……旅のお方ですかな?」


 その老人が話しかけてきたのは私が木々の間にテントを張り終え、額から流れる汗を拭っていた時だった。時刻は昼下がりを少しまわったところ。

 老人は紺のローブ姿で何やら分厚い本を一冊、右手で胸に抱いていた。

 私はまず質問に答えた。彼の言う通り、私が世界を旅してまわっていること。この国へは二日ほど前に入国したばかりだということ。この場所にたどり着いたのはつい先ほどで、今しがた寝床を作り終えたところだと。


「そうでしたか……いや、服装からしてこの辺りの者ではないことは分かっていたのですが。なるほど、世界中を……」


 旅人が珍しいのか何やら目を閉じて深くうなずき、感心している様子だった。

 今度は私から老人にこの辺りの住人なのかと質問した。老人は空いている左手で自身の長くて白いあご髭を撫でて、ゆっくりと口を開く。


「ええ。この森を抜けて、少し行ったところですな」


 私はもう一つ質問をした。なぜこの場所に来たのかということを。


「それはきっと、あなたと同じですよ。あの池を見に来たのです」


 なるほどと私は納得した。たしかにそれ以外の目的で、こんなうっそうとした森林の中に訪れる人間は少ないだろう。


「どうでしょう? 立ち話もなんですし、せっかくですから池を眺めながらお話というのは」


 誘いに賛成し、彼と私は目的の池に向かって移動する。……池の前までたどり着いた時にはすっかり息が上がり、引きかけていた汗が再び噴き出し始めていた。目の前にある池の表面を撫でながらこちらへ向かってくるそよ風が心地よい。

 しかし老人の様子を見れば、彼は最初に出会った時と同じ穏やかな微笑み、静かな呼吸のままである。見た目に反してよほど鍛えているのか、それともこの場所に通い慣れているためだろうか。


「ああ……何度見ても、やはり良いものですな」


 老人はあご髭を撫でつつ目の前の風景に感嘆し、私も賛同の声として「そうですね」とだけ返した。

 眼前に広がる池(天然のものだが、湖と呼ぶには少々小さい)が存する場所は、とある小さな国の辺境地。それもいくつかの丘を越え、森の奥へと進んだ先にようやくこの池がある。

 上空から見下ろすなどすれば、緑のじゅうたんを敷いたように密集する木々の中で池がある部分だけ、そのじゅうたんにぽっかりと穴があいたようになっているはずだ。

 私はあらためて老人に「綺麗な池ですよね」と話を振ってみた。すると彼はまるで自分の息子か孫を褒められたかのように、嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「そうですなぁ……私もここにはよく来ますが、やはり何度見ても飽きないもので」


 私達の眺めている池。それはこんな辺境に位置しているという立地もさることながら、この池にしかないと思われる特殊な景観を有していた。私が綺麗だと評したのも、それは単に周辺が整地されているといったことだけではない。池そのものを指してのことだ。

 その池は青かった。森の中とはいえ水面にも日光があたる昼間であるにも関わらず、はっきりと色味が分かるほどにキラキラと青の光を放っている。池の底全体にブルーの電灯でも沈めたかのようだ。

 青という色は、よく水の色として認識されることが多い……美術の分野、絵画などではとくにそうだ。しかし実際は水そのものに色はない。汚染されたり意図的に着色されていないかぎり、水というのは無色透明なはずだ。それが本来の色なのだから。

 試しに私は目の前にある池の、青色に光る水面へ手を伸ばした。けれど池の水は私が両手ですくい上げた途端、その色を無くしてしまった。淡い青から、透明へと戻ったのだ。

 手のひらで作ったコップを崩し、流れ落としてみても水は無色……しかし池の中へ戻れば、それらの水はまた青色へと戻る。


「不思議なものでしょう?」


 声に振り向けば老人は適当な石の上に腰掛けていた。手にしていた本はその膝の上に。

 どうしてこの池は青く光っているのかと私は訊ねた。しかしその答えは意外にもあっさりとしたものであり、そう言われれば納得できるものだった。

 この池の底にはある水生植物がひしめいており、それはこの地方にしかない植物で少しばかり特殊なもの。水の中にある時のみ表面を青く光らせる性質を持っているとのこと。その植物がいつの頃からか池の底全体を覆うほどに増殖し、このように青い光を放つ池となったのだという。

 ある意味では予想外で、ある意味では拍子抜け。明かされてみれば魔法のタネは現実的なものであった。


「そういえば、あなたはどうしてこの国に?」


 池の謎を解き明かせた私は濡れた両手を払い、老人のもとへと戻り彼の隣に腰掛ける。投げかけられた新しい質問に少しずつ答えながら。

 私の故郷はここよりずっと東……いくつもの海を越えた先に浮かぶ、小さな島国であること。

 おそらく一般的な意味での観光とは言えないが、有名無名問わず世界のあちこちを旅してきたこと。

 この国に立ち寄ったのは偶然であったこと。地元の者にこの不思議な池の存在を教えてもらったため、ものは試しと訪れてみたこと。


「なるほど。――まぁ、この池のことは国外には伝わっていないでしょうからな。それ以外にはこれといった特徴もない……ともすれば自然しかない貧しい国です。観光目的で訪れる者は少ない……あなたのような旅人すら、滅多にみられません」


 老人の言葉が私には少しばかり不可解で、だから私は問い返してみた。この国にとっては魅力的ではないとしても、人工的な環境にばかり触れている先進国とされる国の人々にとってみれば、人の手が入っていない自然というのは十分な観光分野での魅力になるのではないかと。まして、このように謎めいた魅力を持つ池もあるのであれば、それをアピールしてみればよいのではないかとも。


「それはやめた方がよいでしょうし、きっとこれからもされることはないでしょう。――この国は来る者を拒むことはしませんが、必要以上に外の世界から人を呼ぶこともしないのです。……まぁ呼び込んでみたところで、他国の方からみればこんな『何もない国』になかなか人は来ないのでしょうが」


 それはまたどうしてなのかと私が聞けば、老人はゆっくりと目を閉じながら答えた。


「一言で言うなら『必要がないから』でしょう……お分かりかと思いますがこの国には便利な機械もなければ、立派な建造物もありません。あるのは先ほども言いました通り、ここのような自然だけですが……しかし、だからこそ満ち足りているとも言えます。自然から水と食料を貰い、自然を見て感動し、死を迎えれば自然へと還る……この国の者達は、そうして自然と共に生きてきたのです。これからもそうでしょう……あなたのように、たまに訪れる旅のお方に対して礼節を持って歓迎することこそすれ、わが国に来て欲しいと頼み、宣伝したりすることはしません」


 そういう考えもあるのかと私は少なからず驚くと同時に、彼の言葉に関心もしていた。

 私の故郷もそうであったが、昨今はどこも自国の文化や名物を内外に向けて誇り、観光誘致の大安売り状態だ。

 武器を手にする戦争が悪だと訴えられる裏側で、文化の優劣によって競う静かな戦争は世界中で熾烈に続いているのが現状。私が故郷を飛び出し、旅をするようになった原因の一つでもある。


「ああ、それ以外にも理由がありましたな。――先ほど述べた通り、この国には自然しかなく……けれど、自然があるからですよ」


 老人はそう言って、わが子のように傍らに生えている草花をそっと撫でた。

 私はその様子を黙って見つめ、耳を傾けて彼が次に口を開く時を待った。


「自然はデリケートなものです。少しでもバランスが狂えば、たちまちその循環はおかしなことになってしまう……そう考えると、この国の者達が自然と共存出来ているのは奇跡にも等しいでしょう。しかしそこに外から……他国から必要以上に人の流入があれば、どうなってしまうのかは明白です――いや、あなたを悪く言うつもりはないのですが」


 彼が私に対して申し訳なさそうにしているのはその表情と声色から明白に感じ取れた。

 私は「気にしないでください」と笑顔を見せてから、国外から訪れる人間……観光客と呼ばれる人々も含めて、自然との共存をすればよいのではないか。そうは出来ないのかと返してみた。


「それは非常に難しいでしょう。人間はどうしても強欲で、愚かなもので。人が訪れるようになれば、自然しかないことで生じる不便さが挙がるようになるでしょう。それに応えようとすれば自然を犠牲にするしかなくなります。だからこそ人間なのでしょうが、だからこそ自然との共存は困難なのです。……あなたはこの本を知っていますか?」


 老人は膝の上に乗せていた本を手に持ち、その表紙をこちらへと向ける。

 私はその本のことをよく知っていたから、その通りに「知っています」とだけ答えた。


「そうでしたか。まぁ、世界中で読まれているらしいですからな。私もつい先日、妻と国外に旅行をした時に現地で購入しまして……外国の言葉で書かれていますから、翻訳しながら読まなければならないのが大変だったり楽しくもあるのですがね」


 その本の名は、『ある冒険者の本』という。

 名も無き旅人――本の中においてその旅人は『冒険者』と表現されているが――その人、つまり筆者が自らの足で歩き、自らの目で見てきた国々の様子を描写しているというもの。

 書かれている内容は多岐にわたるのだが「読んでいると本当にその地に訪れたような気分が味わえる」と大衆からは高評価を得ており、主要各国で翻訳出版されているという世界的と言ってよい人気作だ。

 私は個人的な興味から、老人にその本の感想を聞いてみる。


「そうですね……描写は正確で表現に富んでおりますゆえ、たしかに謳い文句通りですな。……しかしだからこそ、虚しさのようなものも感じます」


 虚しさとはどのようなところから来たのかと、私は聞き返す。老人はパラパラとその本のページをめくりながら答えた。


「ご存知かと思いますが、この本には様々な国の様子が書かれております。建造物も、文化も、そこに住まう人々も……それが悪いというわけではないのですが、読んでいて感じるのです。どこもかしこも、有名であったり人気のある国が誇るのは人間が主体なのだと。どこの国も見て欲しいもの、褒めて欲しいものは彼らが住まう場所にある自然ではなく、彼らが生み出したものに対してなのだと」


 老人は池へと顔を向けるが、どこか遠くを見つめつつ言葉を続ける。


「この国にも文化や建造物はあります。……しかしそれらは自然に根ざしており、自然と共存するのが目的でそうなったものばかりです。人の感性や技術を誇示ためのものではありません。だからこそ我々はそれを誇りに思っていますし、壊したくはないのです。――ですから、あなたがこれから他の国やあなたの故郷を訪れた時、そこに住む人々に対してこの国へ訪れるのを必要以上に勧めることだけは控えていただきたい……もちろん強制はしませんが」


 私はその頼みを承諾しつつ、けれどこの国の自然、この青く光る池は素晴らしいものだと称賛することも忘れずに。老人は嬉しそうであり気恥ずかしそうでもある表情を浮かべていた。自分のことのように思えたのだろう。

 それから私と彼は夕刻の少し前まで会話をし、互いに出会えたことを感謝して別れを迎えた。


「さようなら旅のお方。……それからありがとう。あなたの旅の安全と、幸多きことを」


 最後に聞いた老人の言葉を思い出しながら、私は今晩の寝床へと戻ってきた。

 夕食の準備より先に私はテントの中へと入り、カバンからノートとペンを取り出す。

 そして第二巻の初めを飾ろうと思っていたその国の描写について直しを始めた。

 ――まずは、タイトルからだ。

 私は『魔法の池がある国』というタイトルに横線を二本引き、その下に『自然しかない国』と書き足した。



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