肩たたき
前回のあらすじ:カメリアオイルはいいものだった
「それでは、セリーに作ってもらった警策を配る」
三十七階層へ移動するに当たって、全員に警策を配布した。
平べったく細長い木の棒だ。
木刀ほどしっかりはしていないから威力もさほどないだろう。
「これですか」
「三十七階層からはビープシープが出てきますので、誰かが眠ってしまったらこれで起こしてあげてください」
ロクサーヌに続いてセリーに渡すと、セリーが警策を振りながら説明する。
あれくらい軽く振るなら攻撃力はほぼゼロだ。
「こうですか?」
ロクサーヌが警策の具合を確かめるように振った。
こらこら。
力を入れて振るんじゃない。
軍人精神注入棒じゃないんだぞ。
「はい、です」
だから振り回すものではないと。
「大丈夫だと思います」
大丈夫じゃないと思います。
ベスタが振ると風を切る音まで出ている。
片手で振っているのに。
もはや凶器だ。
「なかなか難しいですね」
ルティナもひどい。
警策の平たい面を縦にして振っている。
あれだと痛そうだ。
おまえら、そういうものじゃないから。
剣みたいに使うものじゃないから。
仕方ない。
ここは拙僧が見本を示すよりあるまい。
「愚禿が使い方を教えて進ぜよう。ロクサーヌ、こっちへ」
「ハゲ?」
愚禿が変な翻訳をされたらしい。
ロクサーヌが首をひねりながら前に出た。
首をかしげるとイヌミミが揺れて可愛いな。
「愚禿ですね」
セリーがうなずいているところを見ると、言葉自体は似たようなものがあるようだ。
なんにせよ、ロクサーヌには反対側を向かせて立たせる。
「仲間が眠ったときには肩を叩いて起こす。警策を両手でしっかりと握り、ゆっくり振り上げてから、下ろす。このとき、濡れた雑巾を絞るように手首を内に回しながら振るのがコツだ。そして、肩の位置でピタッととめる。力任せに打ちつけてはいけない。それではかえって力をロスする。では手本を見せよう。ロクサーヌ、いいかな」
説明が剣道の竹刀とごっちゃになっているが、まあいいだろう。
俺も警策なんて使ったことはないし。
作法も分からないし使い方も知らない。
必要なのは雰囲気だ。
「はい。お願いします、ご主人様」
「ただ人惑を受けることなかれ。仏に会えば仏を殺し、祖師に会えば祖師を殺す」
なるべく重々しい雰囲気を作り、警策を振った。
一度ロクサーヌの肩に置いた後、振り上げて叩く。
パシーン、と大きな音が鳴った。
いい音だ。
「おお」
みんなも驚いている。
というか俺が驚いた。
こんな風に鳴るものなんだ。
しかし、ここは驚かなかったことにしてごまかそう。
雰囲気は大切だ。
驚いてはいけない。
惑わされてはいけない。
他人に惑わされていけない。
仏と会って道を説かれたら仏を殺し、師と会ってものを教えられたら師を殺す。
臨済さん、いいこと言うねえ。
「全然痛くなかったのに、これだとばっちり目が覚めるような気がします」
「人に迷惑を受ける?」
ロクサーヌは警策を称賛し、セリーは俺の使った言葉の意味を考えていた。
ただの雰囲気なのに。
考えることはない。
というか、仏を殺せだと、ロクサーヌたちの場合、主人に会ったら主人を殺せ、にならないだろうか。
当然そうなるよな。
まったく。
臨済はろくなこと言わないな。
「南無阿弥陀仏」
重々しい雰囲気をかもし出すために、最後に両手を併せて礼拝した。
中国や台湾の仏教は、日本のように天台宗、臨済宗、浄土真宗などと分かれておらず、全部が一体のままの念仏禅が主流なので、寺院では僧侶同士が南無阿弥陀仏といって挨拶するらしい。
以前、香港映画の吹き替えで少林寺の僧侶が南無阿弥陀仏と挨拶していて、何故そこで念仏を唱えるのかと思ったが、そういうことのようだ。
だからこれでいい。
雰囲気だ。
重要なのは雰囲気だ。
仏教の故国のインドでは、今日阿弥陀仏に敬礼することはないが、ナマステーと言って挨拶しているから、用法は一緒ということになる。
正しい雰囲気なのだろう。
「ナマムギダブツ?」
セリーが解読を試みているが、そういう、早口言葉か生麦事件で薩摩藩士に殺されたリチャードソンか、みたいな言い回しではない。
雰囲気だ。
あくまでも雰囲気だ。
意味はない。
考えるんじゃない。
感じるんだ。
「じゃあとりあえずビープシープを相手にしてみよう。実際にこれで目が覚めるかどうかは、やってみないと分からんしな。ロクサーヌ、頼む」
「はい」
どうせ実際のところはやってみなければ分からない。
三十七階層に移動して、魔物を相手取る。
ロクサーヌが案内したところにいるビープシープ三匹に雷撃を喰らわせた。
あ。
最初のサンダーストーム二連撃にどの魔物も麻痺しなかった。
三匹とも無事のままこちらに向かってくる。
ひょっとして、状態異常を使ってくる魔物は状態異常に強い、とかいうこともあるのだろうか。
まあ三匹くらいだと全部空振りということもないではないか。
さすがに一度で結論を出すには早すぎる。
状態異常を使う魔物なら耐性があってもよさそうではあるが。
逆に、弱いとかあってもいいんじゃないかな。
むしろあってほしい。
弱くあれ。
あれだ。
自分が使う武器のことはかえって分からなかったりするものだ。
紺屋の白袴というやつだ。
俺たちも、状態異常を駆使して戦っているが、状態異常を引き起こす敵に弱いということがあるのだろうか。
ミリアなり俺なりがやられたらたちまちピンチに陥りそうではある。
いや。俺とミリアが動けなくなってもロクサーヌがいれば問題はないし、ロクサーヌがだめになってもベスタがいるし、セリーなら回復薬をうまく使うだろうし、少々の敵ならルティナの魔法でなんとかなるかもしれない。
大丈夫そうな気がしてきた。
幸いなことにビープシープは立ち止まってスキルを使うことなく、接近してくる。
そこに二発めの二連撃を。
あら。
今度は全滅した。
全滅といっても倒れたわけではないが。
麻痺して動けなくなった。
三匹とも。
うーん。
やはり状態異常を使ってくるビープシープは状態異常に弱いという説はありだろうか。
まあ結論を出すには時期尚早か。
戦うたびごとに一喜一憂しててもな。
麻痺した三匹は、動き出す前に全部ミリアが石化させた。
やはり状態異常に弱いか。
ミリアが三匹始末するくらいはいつものことか。
いかん。
どうしても一喜一憂してしまうな。
それからは心を鬼にして何も考えず、魔物を狩っていく。
何も考えず。
何も思わず。
無念無想、忘我専心、明鏡止水の心意気だ。
考えるんじゃない。
「あ」
無心で魔物と対していたら、ルティナが小さく声を上げた。
「え?」
「魔物が倒れました」
ルティナが簡単に理由を述べるが、意味が分からない。
そりゃ倒れるだろうよ。
「今回ルティナさんがウォーターストームを一回撃っただけなのに、撃たない場合よりも早くスパイススパイダーが倒れました」
セリーが説明してくれた。
なるほど。そうだったのか。
ルティナの攻撃魔法一回で俺の攻撃魔法一回分をカバーしたわけだ。
今回はひたすら無心で戦っていたから、そんなことは考えてなかった。
無心で戦うというのも考えものだな。
よく考えて戦わねば。
というか、すぐにセリーから説明があったということは、セリーは俺が気づかなかったのをいぶかしく思っていないということだろうか。
今まで魔法二発でとか四発でとか言っていたのがほぼ適当だったということがバレバレだった可能性も。
いや。それはない。
被害妄想だ。
もっと堂々としていればいい。
さすればばれないはずだ。
「うむ。まあルティナも成長しているからな。日ごろの成果だろう。三十七階層では魔物の群れに対し魔法一発で頼む」
堂々とルティナに命令した。
「はい。ありがとうございます。一発なら全部の魔物に対して使えるかもしれません」
ルティナはうれしそうだ。
うれしいのだろう。
魔物との戦いはミリアが全部石化させて終えることも多いが、全部の魔物の群れに対してルティナが魔法を一発ずつ放てるのなら、いつか必ず役に立つ。
それも、はっきりと目に見える形で戦闘時間が減る。
魔法一発分とはいえ、魔物との戦闘時間が減るのは大きい。
一階層以上、下の階層で戦っているのと同じことになる。
魔法数発の場合は撃てたり撃てなかったりなので、こちらも最悪のケースを想定して、つまりルティナはいないものとして計算しなければならなかった。
全部の魔物の群れに対して撃てるのなら、それを想定した戦いになる。
ルティナは今、確実に戦力として俺たちのパーティーに組み込まれたのだ。
三十七階層限定でとはいえ。
弱点属性のないビープシープに使えないのは残念だが、スパイススパイダーは早く倒せる。
早く倒せるということは、ミリアが狙うのは後回し、ということになる。
そうすると、厄介な睡眠攻撃をしかけてくるビープシープを先に狙えるから、かえっていいことなのか。
「うんうん。さすがはルティナだな。もうそこまで強くなっているのか。分かった。この階層はそれで行こう」
「はい」
「では、ロクサーヌ、頼む」
「分かりました」
ルティナも魔法使いLv38だ。
そろそろそれくらいの能力に育ってきたということだろう。
何も不思議なことはない。
諸侯会議への道が近づいてきた、などとつぶやいているルティナは無視して、ロクサーヌに次の案内を依頼する。
しばらく三十七階層で狩を続けた。
スパイススパイダーを後回しにしてミリアがビープシープを石化させていくので、順調に魔物を倒していく。
誰かが眠ることもない。
警策の出番もない。
もっとも、多数のビープシープを相手にしてみると、結局ビープシープの状態異常耐性はほかの魔物とたいして違わないことが分かる。
状態異常を使ってくるから状態異常に弱い、ということはないようだ。
残念。
まあ状態異常に強い、ということもなかったのでそれでよしとすべきか。
現れた魔物五匹の群れにサンダーストームを二連発で与える。
今回は二匹が麻痺で脱落。
魔物がその混乱から立ち直らぬうちに、ロクサーヌを先頭に前衛陣が突入していく。
あわてて魔物が迎撃の姿勢を取ろうとしたところへ、さらに追加の二連撃。
ルティナの魔法も火を噴いた。
まあウォーターストームだから火は出ないが。
今回も前回同様二匹が脱落する。
唯一残ったビープシープにみなが襲いかかった。
正面にはロクサーヌが立ちはだかり、攻撃を一切寄せつけない。
横からはベスタが両刀を叩き込む。
ベスタの巨体に気をとられつつ繰り出される羊の体当たりがロクサーヌに通じるはずもなく。
さらには背後からミリアが襲いかかった。
セリーが少し離れたところから槍を突き込み、ルティナも慎重に近づいて杖で叩く。
もはや滅多打ちといっていい。
敵ながらかわいそうなくらいだ。
ビープシープは、あっという間に石化した。
南無。
しかし一匹が石化しても、戦闘は続いている。
麻痺はまだ解けることがある。
ロクサーヌとベスタは、そのときに備えてそれぞれ別の魔物の正面に移動する。
最初の二連撃で麻痺したグループと次に麻痺したグループとの間には距離がある。
魔物もその間こちらを攻撃するために接近している。
麻痺している魔物の正面で立ち止まったベスタに対し、ロクサーヌは何も言わずさらに先へと駆けた。
手前のグループをベスタが、奥のグループをロクサーヌが担当するようだ。
このあたりの連携はきっちりと取れている。
セリーは、手前の二匹を通り過ぎたところでとまり、後ろからこのグループの警戒をした。
手前のグループがセリー、ミリア、ベスタ、ルティナから猛攻を受ける。
しかも麻痺して動けない。
完全なサンドバックだ。
訓練用の木偶人形を相手にしているかのように滅多打ちされ続ける。
あ。
一匹石化したらしい。
「動きます」
一匹は石化したらしく、もう一匹に四人の攻撃が集中した、と思ったら、今度はその一匹の麻痺が解けて動き出した。
「こっちも動くようです」
ロクサーヌのほうにいる魔物の麻痺も解けるようだ。
見ると、ビープシープが動き出し、ロクサーヌに体当たりをかまそうとして、交わされている。
無駄な努力、乙。
しかし、無駄を悟ったのか、魔物が通常攻撃からスキル攻撃に切り替えた。
魔物の足元にオレンジ色の魔法陣が。
……。
……。
…………ハッ。
肩をたたかれて、目覚めた。
どうやら眠っていたようだ。
やはり恐るべきはビープシープのスキル。
「魔物は?」
開口一番、確認の言葉が出た。
「これで、さいご、です」
ミリアがピープシープを斬りつけながら答える。
他は全部石化したということか。
いや。もう攻撃をやめたから、文字通り全滅させたのか。
俺が寝ている間に。
「そうか。ルティナもありがとな」
警策を持って俺のすぐ後ろに立っているルティナにも礼を述べる。
ルティナが起こしてくれたのだろう。
警策は確かに目が覚める。
魔物に眠らされ、目が覚めたら戦闘が終わっていた。
起こす順番が間違ってないか、とはいうまい。