苦労人
前回のあらすじ:おばば様のところからは脱出した
ボトリと落ちたカナリアカメリアの花は、周囲の花びらが煙となって融け去りながらも中心部がそのまま残った。
これがドロップアイテムらしい。
「花というか、残った実がアイテムということか」
「カメリアオイルですね」
「確かに」
セリーに教えてもらったとおり、鑑定でもカメリアオイルになっている。
実がそのままオイルになるのだろう。
搾らなくてもいいのは楽だ。
「ええっと。食用油としても高級品です。美味しいそうです」
「も?」
セリーの口調が妙だったので、聞き返した。
歯切れが悪いというかなんというか。
勘だが。
「……ええっと」
「家具の手入れに使うそうです。艶が出て深みが増すとか」
セリーに代わってルティナが教えてくれた。
そういう使い道もあるのか。
「へえ」
「大丈夫ですよ、セリーさん。わたくしは気にしませんから」
「いや。ええっと」
セリーとルティナが何か言い合っている。
「カメリアオイルは貴族にとって必需品です。『侍女の嗜み』とも言われるそうです。わたくしにそれを教えてくれた侍女も、セルマー伯に仕える侍女は持っていて当然だと言っておりました」
その理由をルティナが説明してくれた。
セリーは元貴族のルティナに配慮してその話題には触れなかったということか。
おばば様のことを黙っている俺とはえらい違いだ。
いや、ある意味同じ種類の気遣いであるとはいえる。
そうだ。
そうに違いない。
俺はセリーに対してうなずいた。
「うんうん」
「いえ。そうではなく、ですね」
「うん?」
「これを言うと絶対にやると言うでしょうからどうかと思っていたのですが、カメリアオイルは体にいいのです。髪の毛や肌にぬると艶と張りが出て綺麗になるそうです」
そんな使い道もあると。
スキンケアやヘアケアだ。
別に俺のスキンケアならどうでもいいが。
「まあ綺麗になるのなら、みんなにはもちろん使ってもらおう」
催促になると思って言い出せなかったのだろうか。
「それと、あの、マッサージに使うと、血行促進や疲労回復などの効果があるそうです。『侍女の嗜み』というのも、貴族の家などで侍女が自分の身体にカメリアオイルをぬり、その家の主人にマッサージを施すことから言われている名称です」
恥ずかしそうに教えてくれるセリーの表情に、すべてを悟った。
マッサージというからには、くんずほぐれつしながら肌と肌で直接触れ合ってもんだりこすったりさすったりしてくれるのだろう。
侍女が。
全身で。
身体じゅうをオイルでぬめらせながら。
「そ、そうなのですね」
ルティナはそこまで知らなかったようだ。
セルマー伯爵の痴態が明らかに。
侍女とよろしくやっていたわけだ。
やらせていなかったら、セルマー伯に仕える侍女が『侍女の嗜み』を持っていて当然となるはずがない。
ルティナにそれを教えた侍女は何を考えていたのだろうか。
いやいやだったのだろうか。
けしからん。
うやらまけしからん。
う、うやらましくなんて、全然あるんだからね。
そのようなセルマー伯なら滅んで当然というべきか。
確かに、これを知ったら俺はやると絶対に言うだろう。
セリーもよく分かってらっしゃる。
やる。
やりたい。
やらいでか。
「今日は一日カメリアオイルを集めるということで、よろしいか?」
全員に確認する。
もちろん異論は認めない。
反逆者には処罰を。
異端者には制裁を。
謀反の芽は早めに摘み取る必要がある。
「はい。ボス狩りですね」
「……はい」
ロクサーヌは当然という顔で、セリーはやっぱりという顔でうなずいた。
ロクサーヌには少し誤解があるような気がしたが、たいした問題ではない。
「はい?、です」
「ええっと。それでいいと思います」
「もうどうにでもなれです」
ミリアとベスタ、ルティナもうなずく。
反乱の恐れはないようだ。
一安心。
なべて世はこともなし。
ミリアやベスタは、話にどこまでついてきているのか疑問だが。
ルティナに関しては、父親の隠されたプレイが明らかになってしまったのだから、心ここにあらずなのはしょうがない。
「高級な食用油らしいからな。ミリアよ、俺は思うのだ。カメリアオイルで魚を揚げたらさぞや旨かろう、と」
「早く集める、です」
ミリアが出口へ向かって歩き出した。
スタスタと早足で。
そして出口に着くと、振り返って仁王立ちになる。
弁慶のように。
その目が怒っている。
何をグズグズしているのかとなじっている。
父の遺言にそむいて義経を殺し、頼朝に屈しようとする藤原泰衡の無能さを怒っているかのようだ。
俺も含め全員あわてて駆け寄った。
別に責められるようなことは何もしていないはずだが。
まあロクサーヌも駆け寄ったくらいだからな。
よしとしよう。
ボス部屋を出る。
ただし、ミリアはボス部屋を出るときに飛び六方をしなかったので減点だ。
釘を刺しておこう。
「まだ暑いから今日は揚げものはしないがな」
歌舞伎『勧進帳』で弁慶が花道から退出するときに行うのが飛び六方である。
仁王立ちといえば弁慶、弁慶といえば飛び六方だ。
ジョン・ケイといえば飛び杼、ベン・ケイといえば飛び六方、というのが歴史の常識といえよう。
ミリアが知っているはずもないとはいえ。
「……私がやる、です」
「タルタルソースもないし」
「くっ。……レモン、です」
おまっ。
揚げ物にレモンなんざ勝手にかけたら戦争が起こるだろうが。
あれは好みがはっきりと分かれるんだぞ。
たとえ主人といえ所有者といえども奴隷も食べる揚げ物にレモンを勝手にかけることは許されない。
そんなことをすれば反乱勃発だ。
謀反確定だ。
敵は本能寺にあり。
「是非に及ばず」
まあミリアが作ることはいいだろう。
少しはキッチンの温度が上がるとしても、そこまでではないような気がする。
鍋の前にいなければ大丈夫に違いない。
多分、きっと、希望的観測では。
「三十五階層の魔物はスパイススパイダーですね」
「ちょうどよかったな。調味料がなくてもペッパーで味付けすればいい」
「倒す、です」
セリーに教えてもらった魔物に、ミリアがやる気を出している。
「こっちですね」
三十五階層に入るとロクサーヌが先導した。
そのすぐ後ろにミリアが続く。
普段からこのやる気を出せばいいのに。
それはそれで某ロクサーヌが二人いるみたいで微妙か。
洞窟の向こうに現れたスパイススパイダーにロクサーヌとミリアが競うように突っ込んでいく。
しかしきっちりと射線をあけていくあたりは冷静なのか。
相手はクモ一匹だから、全体攻撃魔法は使わない。
ただし、魔法で倒すまでもなく、スパイススパイダーは到着したミリアがすぐに石化させてしまった。
石化する確率がやる気で変わるということはないと思うが。
変わるのだろうか。
確率が変わらなくても斬る回数が増えれば石化しやすくなるから、やる気のおかげではあったかもしれない。
「さすがミリアだな」
「はい、です」
とりあえずほめておこう。
頭に手を置いてネコミミをなでさせてもらえれば、俺としてはそれで何も不満はない。
スパイススパイダーLv35の強さはなんにも判明しなかったとはいえ。
最初はロクサーヌに魔物の数の少ないところから案内してもらうのは、すごい無駄なことをしているような気がしてきた。
いや。いつもミリアが一撃で沈めるわけではない。
本来これで間違っていないはずだ。
ずいぶんと階層も上がってきて、最初が一匹だけということも珍しくなったし。
今回はたまたま一匹だっただけで、次もこうなるとは限らない。
今までどおり最初は数の少ないところからでいいだろう。
魔物の強さは判明しなかったが、三十四階層に戻る。
ボス戦を終えたらまた戻ってくるし、これでいい。
その後、三十五階層の様子も見つつ、三十四階層のボス選を繰り返した。
ミリアのおかげでカメリアオイルもペッパーも大漁だ。
買い物に向かうミリアもホクホクのご様子。
ウキウキと先頭を歩いている。
「朝食はミリアにまかせる」
「そうですね」
ロクサーヌも賛成のようだ。
朝食からフィッシュフライでも朝夕二食のこの世界では別に妙なことはない。
それに、ここで駄目だなどといったら反乱が起きるところだ。
「まかせる、です」
「まかせろ、かな」
「まかされた、です」
ミリアにブラヒム語を教えながら買い物を済まし、家に帰る。
キッチンで白身とカメリアオイルを出してミリアに渡した。
俺のアイテムボックスには常に白身などがストックされている。
誰かのせいで。
「問題は古い油の処理だな。こういうのはどうするんだ?」
セリーに尋ねた。
オイルを新しく換えるなら古いのは処分しなければならない。
今までは、炒め物などに使う油を鍋から取り、揚げ物などをするとき鍋に油を差し足していた。
今回は食用油をカメリアオイルに変更するので残っている油は全部捨てることになる。
廃油を出すのは初めてだ。
環境破壊などという考えはこの世界にないだろうが、さすがに廃油をドブ川に流すのはまずいかもしれない。
「確かにもったいないですね。蜜蝋をもらえれば、私がキャンドルが作れると思います」
「おー。そんなことができるのか」
別にもったいないと思ったわけではないが、それはいい。
キャンドルにするのか。
「実際に作ったことはないので多分ですが」
「まあ別に失敗してもかまわないからな。じゃあ、後で頼む」
さすがに蜜蝋のストックはない。
蜜蝋はグラスビーが落とすアイテムだ。
後で取ってくればいいだろう。
「はい。油は壷にでも入れておけばいいでしょう」
「俺はちょっと出かけてくる。すぐ帰ってこれるだろうから、朝食は作っておいてくれ」
キッチンは暑くなるだろうから、俺は逃げることにした。
ゴスラーのところにも行かなければいけない。
それなら今行くのがいい。
一石何鳥という作戦だ。
今行けば、用件が厄介なことなら朝食がまだだと言って逃げる手も使えるだろう。
暑さから逃げることもできるし、本当にゴスラーは役立つ。
苦労人の鑑だ。
ただ、いつもよりちょっと早いのでゴスラーたちがまだ朝食中という可能性はあるか。
邪魔だったら失礼だと思いながら、ボーデの城に飛んだ。
若干すまなそうにしながら、ロビーに顔を出す。
「団長なら執務室にいると思います」
よく見かける騎士団の人は、あっさりと通してくれた。
別に食事中などではなかったようだ。
さすがは苦労人。
食べるのも早いのだろう。
早飯、早グソ、芸のうち。
あの公爵にこき使われる立場の人間は、それくらいが要求されるに違いない。
公爵家で働いている侍女も嗜みを持っているのだろうか。
聞くわけにはいかんだろうが。
「入れ」
「失礼」
「おお、ミチオ殿か。よくまいられた」
執務室の扉をノックすると、その公爵に招き入れられた。
この対応も、よく考えてみたら不思議だよな。
普通ノックの音があったら、まずはどこのどいつかと誰何するものではないだろうか。
招かざる客の可能性もあるわけだし。
その過程をすっ飛ばしていきなり「入れ」である。
この公爵ならそんなもののような気はするとしても。
「はっ。ゴスラー殿が何か用件があるということでしたが」
まあ別に公爵はどうでもいいので、軽く挨拶だけして、ゴスラーの方を向く。
公爵が人を呼ぶとすぐに誰かが現れるくらいだから、おそらく天井裏からでも常に監視しているのだろう。
怪しい人物がいきなり執務室の扉をノックすることはない。
誰か分からないまま招き入れても安全ということだ。
つまり俺は怪しくはないということだな。
そうなんだよ。
俺は怪しくない。
公爵のSPはきわめて優秀だ。
SPを指揮しているのはゴスラーに違いない。
さすがは苦労人。
「ああ、すみません。別に急ぎの用件ではなかったのですが」
「いえいえ」
「ペルマスクとの交易の件ですが、従事する冒険者たちが見つかってこちらの体制が整ったら、一度ペルマスクまで案内していただくことは可能でしょうか?」
急ぎの用ではないのか。
体制が整ったら、と言っているから、まだ整ってはいないのだろう。
それなのに何故話があると俺に伝えたのか。
もちろん、おばば様のところから一人逃げ出す俺を公爵がうらやんだので、それをなだめるためだろう。
カシアが機転を利かせたのか、ゴスラーが予めそうなる事態を想定していたのか。
どちらにしてもありがたいし、予め想定していたのだとしたらとんでもないな。
いつも苦労をかけられている公爵のことをよく分かっているというべきか。
さすがは苦労人だ。