☆50☆ 甘いチョコレート
沈黙の中で、あたしはブラウンの包みを両手で差し出したまま動かなかった。
もちろん、緑川君もその包みをみつめたまま動かない。
「いらないの?」
痺れをきらしてあたしは聞いてみた。
ゆっくりと視線をあたしに向けて、見開かれた目をさらに丸くして首を大きく左右に振る。
「じゃあ、ほら」
突きつけるように前へ出す。
「用事って・・・・・・これ?」
「そうだよ」
「早く帰ったのってこれ?」
「うん、そう」
「これって、チョコだよね」
「そうだよ!」
いい加減、うるさい。
ごちゃごちゃ言わないでとってよ!
あたしの笑顔は消えかけていく。
「開けていい?」
「うん、でも期待しないでよ。初めてつくったんだし」
あたしの手の中から包みを取ると、緑川君は丁寧にリボンをほどく。
「手作り・・・・・・」
「だから、期待しないでよ」
緑川君があまりにも嬉しそうな顔をするから、こっちまで顔がにやけてくる。
箱を開けながら、緑川君は時々、あたしを見る。
あたしも気になって箱の中を覗き込む。
寒くてカチカチになっちゃってるよね。
おいしくないかも・・・・・・。
「あ、あんまりカタチは良くないんだけどね」
「そう? 手作り感がでてていいんじゃない?」
「それって・・・・・良くないってことでしょ」
微妙に大きさのちがうトリュフチョコはちゃんと箱の中に納まっていて。
「まあまあでしょ?」
「まあまあだね」
と二人で笑う。
「チョコもらうの初めて〜」
「嘘つき・・・・・・」
わざとらしい言い方に眉をひそめる。
「アヤからもらうのが」
「・・・・・・ものは言い様だよね」
睨むと緑川君は嬉しそうに笑った。
「本当、すっごくうれしいから。合格通知もらうよりうれしい」
「え・・・・・・」
「ん? ああ、落ちると思ったの?」
自信満々に目を細める緑川君にドキドキした。
「べ、別に。そんなの気にしてなかったし・・・・・・。でも、よかったね。おめでとう」
「ありがとう。でも、これでさよならだね」
さよなら。
その言葉にドキッとした。
心臓に何かを突き刺されたような痛みがはしる。
なに? 今の・・・・・・。
「どうしたの?」
「え? 何が? そ、そんな事より食べてみてよ」
「あ、うん」
緑川君は怪訝な顔をしたけど、あたしの言葉でチョコの方を見た。
指でひとつ持ち上げて口へ。
「そんな、一口で・・・・・・」
あたしはびっくりして口を押さえる。
しばらくモゴモゴと口を動かしてから。
「おいひーよ。うん、じょうれきらね」
と口いっぱいにチョコをほうばりながら緑川君は幸せそうに笑った。
「本当に?」
「うん。食べる?」
と箱を差し出される。
「いいの?」
「1こだけね」
じゃあ・・・・・・と指を箱へ近づける。
「あ、待って。これ何?」
緑川君が急に箱を覗き込む。
「え?」
「これ・・・・・・何?」
箱の中から1枚のカードを取り出す。
「あっ!」
あれはっ!
ぎゃーーーーーっ!
すっかり忘れてた!
優ちゃんの案で入れたメッセージカード。
あれにはとんでもないことが書いてあるのにっ!
目の前で読まれたらっ!
慌てて奪い取ろうと手を伸ばす。
「それ! ダメっ!」
「え? わっ!」
緑川君はひょいっとあたしの手をかわす。
「それっ! ダメなの! あたしが帰ってからにしてっ!」
もう一度、手を伸ばすとそのまま腕をつかまれる。
「あぶないって」
「じゃあ、見ないでよ!」
見るとものすごく近くに緑川君の顔があって一瞬驚いた。
でも、ここで慌てたら絶対からかってくるってわかってたから平気なフリをした。
「なんで? これ僕のでしょ? 何かな〜何かな〜」
あたしの腕をつかんだまま緑川君はカードを見る。
「だめーっ!」
強い力で緑川君の手を振り払うと鷲掴みでカードを奪う。
そして、そのままの反動で床に手をついた。
「そんな力いっぱい奪わなくても」
クスクスと笑いながらあたしの身体を起こす。
「だって――――」
顔を上げた瞬間。
何が起きたかわからなかった。
視界が影になって。
甘いチョコレートの香りがして。
肩にあった緑川君の手が耳に触れて、頬をなでる。
ほんの一瞬だけ甘い息がかかると。
何かがほんの一瞬、唇に触れる感触。
え・・・・・・?
見えているのは緑川君のおでこ。
前髪が目にはいりそうで少しだけ目をつむったけど。
床にだらしなく座ったまま、あたしは動けないでいる。
視界が明るくなって軽く閉じていた目を開けると目の前に困ったように笑う緑川君の顔がいつもよりもアップで見えた。
「・・・・・・な、に?」
何?
どういうこと?
何が起きたの?
「アヤ」
固まるあたしを呼ぶ緑川君。
手はまだ頬にあって、顔が火照っているのか緑川君の手はひんやりとして気持ちよかった。
「チョコ、おいしい。ありがとう」
は?
おいしい?
ありがとう?
言葉がでないまま、ただ近くにある緑川君の目を呆然と見つめた。
動かないあたしに対して心底、困ったように悲しそうに微笑む。
その表情の作り方が見惚れてしまうくらいにきれいで、ドキドキとは違う吸い込まれてしまうような引力を感じた。
「今・・・・・・何したの?」
口を何度かパクパクと動かしてかすれる声でやっと言う。
「え、それ言うの?」
「嘘でしょ・・・・・・」
「嘘じゃないよ」
「だって・・・・・・」
だって、心の準備が。
だって・・・・・・何が起こったのか全然わかんなかったんだけど。
「・・・・・・何が起こったのかわかんなかった」
「えー・・・・・・じゃあ、もう一回?」
その言葉に驚いて反射的にギッと睨みつける。
「ふざけるないで! 信じらんない! もう帰るっ!」
勢い良く立ち上がると一瞬、めまいがした。
怒ってるんじゃない。
ただ、なんとなく嫌。
こうなることは期待していたんだと思う、だけど・・・・・・。
だからこそ・・・・・・。
もっと、こう・・・・・・。
ドキドキがいっぱいになって、押しつぶされそうになって、苦しくて。
そう、あの雪の桜をみた日みたいに。
もっとドラマみたいにって思ってたのに!
いきなり!
しかも、前ぶれもなく!
「わっわっ! ごめんっ!」
「知らない!」
部屋を出ようと一歩足を踏み出すと、いきなりうしろから抱きつかれた。
「ぎゃっ! な、なにっ!?」
「うれしい・・・・・・」
え・・・・・・?
なに? この展開。
まったく話がかみあってないような気がするんだけど。
あたし怒ってるんだよ!
うしろから羽交い絞めにされながら必死で振り向こうとする。
「な、何っ? なんなのよーっ」
「うれしくて・・・・・・ねえ、僕の事、本当に好き?」
肩越しに聞こえてくる声に震えた。
まさか・・・・・・。
掴み取ったはずのカードは手の中にはなかった。
「読んだな・・・・・・」
「うん」
「帰るまで読まないでって言ったのに!」
「床に落ちてたから見えたんだよ」
「同じだよ!」
顔を真っ赤にしてジタバタともがいているあたしが容易に想像できる。
「ねえ、本当に好き?」
声が震えてるのがわかる。
ハッとして動くのをやめた。
ばかみたいに子供っぽく響く言葉。
好き?
うん、好き。
だから書いたんだもん。
でも、言葉にするのは難しくて、でも伝えたくて書いたんだもん。
あたしがカードに書いたの。
確かに書いたよ。
だから認める。
それがあたしの気持ち。
「かっ、書いてあるでしょ!」
こんなにも意地っぱりなんだと驚くくらいに素直になれないあたしが強がって言う。
「言ってよ」
緑川君の声は背中からバイブレーションになって届く。
「何よっ! 勝手にキッ、キッ、キスするし、わけがわかんないのに何を言えっていうの!」
「ごめん・・・・・・」
ばかみたい。
ばかじゃん。
信じられない。
弱気になっちゃって、何なのよ。
そんな手、通用しないんだから・・・・・・。
体を包み込む腕からは逃れられない。
ぎゅっとされる度にあたしの中の何かが押しつぶされるみたいに苦しい。
トクントクンと心臓のうつ音を感じる。
あたしはこの人が好き。
好きなの。
身体がそう言ってるみたいに聞こえた。
「す・・・・・・好きにきまってる・・・・・・じゃなきゃここにいないよ。 何なの、もうっ!」
「・・・・・・うん」
あたしの背中に顔をうずめて、緑川君は動かなかった。
泣いてるの?
まさかね・・・・・・。
あたしは子供をおんぶしているようにポンポンとうしろに手を置いた。
緑川君の手からヒラヒラと何かが落ちる。
見るとあたしの書いたカードが足元に落ちていた。
こんなカード、書かなきゃよかったな。
あたしはため息をつきながらカードを見下ろした。
緑川君へ
高校ははなれちゃうけど
これからも一緒にいようね。
翠君の事が大好きです。
彩より
ありきたりの文。
こんなカード・・・・・・うれしい?
「ばっかみたい・・・・・・」
「バカだよ」
かえってきた言葉に笑った。
そして、そっと指で唇をなぞってみた。
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