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そこに在る時間

動きゆらぐ時間

 中学最初の体育祭は、無事に――体育祭自体は無事に終わった。
 昼休み。ざわめく教室の、自分の席で。鈴木海斗は、折りたたみ式の将棋盤を広げて、視線を落とし続ける。
 前の席には、まるで自分の場所だとでもいうように、堂々と他人の席を陣取る親友、佐々木葉も同じように将棋盤をみつめている。ただ海斗とは違い、その表情は険しくしかめられていた。
「海斗」
「なんだよ」
「銀って、どう動けるんだっけ?」
 まさかの質問に、思わず海斗は口を開けた。
 中学校に入学し、将棋部に入部してそろそろ半年になるというのに。いまさら将棋の駒の動かし方を聞かれるとは、思っていなかったのだ。
「いまさらかっ!」
 海斗が声をあげるよりも先に、葉が大声を出した。一瞬、同級生たちがこちらを見たが、海斗が普段、時折あげる大声に慣れているせいだろう。その後、何事もなく行動を再開している。
 その声を聞いて、さすがに眉間にシワを寄せ、海斗は口をとがらせた。
「そのセリフ、絶対ボクが言うべきだろ」
「人に言われて傷つくくらいなら、自分で言ったほうがいいじゃないか」
「傷つくとか、本気で思ってないくせに」
 うなるように声を出せば、葉は大きな舌を見せてきた。
 それを見て、海斗は苦笑しながら、前髪を少し触った。
「銀の動けない範囲は、Tの字に動けないんだよ。右・左・下というか、後ろというか」
「あ、そっか。じゃあ、金は?」
「おま……まあいいけど。斜め後ろが動けない。右下と左下だけな」
「ああ! なんか、そうだった気がする!」
「まあ、頑張れ」
「おう。サンキュ」
 Tの字と何度もつぶやきながら、自分の駒を持ち上げて、宙をさまよわせたかと思うと、結局は元の位置に戻して、葉はうめき声をあげた。
「……聞いた意味がなかった」
「うん。そうだと思った」
「やっぱりか」
 次の手を打つまでに、まだまだ時間はかかりそうだった。
 海斗は背もたれにもたれかかり、大きく伸びをした。ちょうど目の端に、こちらに近づいてくる同クラスの渡会の姿が引っかかった。
「うわ、また来たよ」
 盛大にため息を吐けば、少しだけ顔をあげた葉も小さく笑った。
「鈴木」
「兄ちゃんには会わせないぞ。って言ったの、何度目かな」
「はあ? まだなにも言ってねえだろ」
「じゃあ、他になんの用があるんだよ」
 前髪を触って眉をひそめた海斗に、渡会は言葉を詰まらせる。
 普段ならば、会話の隙間があれば茶化した言葉を入れる葉も、将棋で手一杯だ。
 聞こえるように舌打ちをした渡会は、それでも引き下がることはない。
「おまえ、どうせ日下に振られたんだろ? だったら、お前の兄貴と日下くっつけろよ」
 日下桜という名前を出されて、海斗は顔を赤くして、おもわず立ち上がった。
 同級生で、同じクラスで。海斗の片想いの少女だったからだ。一度振られているからといって、すぐに消せるような気持ちでもない。
「はあ? そんなことするわけねーだろ! だってまだ……」
「海斗、大声出すなー」
 葉の声に、我に返った海斗は、自分が何を叫ぼうとしたのかに気づき、ゆっくりと椅子に腰をおろし、耳まで赤くして、海斗はそっぽを向いた。
「なあ、鈴木。二度も三度も振られることないって!」
「あーもう、うるさい! 無駄にしゃべってる暇があるなら、真樹のとこ行ってアピールしてこいよ」
「そのほうが有意義に一票」
 将棋盤から目を離さず、右手を上げた葉を見て、海斗も同じように手を上げて賛成の声をあげた。
「はい、二対一」
「佐々木には関係ない話だろうが。口出すな」
「超こえー。ボク、ちびっちゃう」
 左右のこめかみに人さし指をあてて押しながら、葉は難しい顔をして目を閉じ、表情にまったくそぐわない軽口を叩いた。
 みるみるうちに顔色が変わった度会に、海斗は小さく笑った。
「おい、なに笑ってんだよ」
「あのさ。真樹に好かれたいんだったら、その態度とか言い方、やめといたほうがいいよ」
「うるせえな、おまえに関係あるのかよ!」
 すごみをきかせた声に、海斗はおびえる事もなく、ただ肩をすくめた。
「ボクには関係ないけど。兄ちゃんは、そんな言い方しないよなーと思って」
 赤く染まった顔で、渡会は言葉を詰まらせた。
反論できない怒りを、将棋盤の乗った海斗の机を蹴り飛ばすことで晴らし、足音も荒く教室から姿を消した。その派手な音に、教室に残っていた同級生達が身をすくめていたが、少しして肩をすくめた海斗と葉を見て、緊張が解けたようにざわめきが戻ってくる。
「まったく! しょうがねーな、渡会は」
「とか言って。勝負が終わって、ほっとしたんだろ」
「そんなこと、これっぽっちも思ってるわけないじゃないか。海斗くん」
「うわ、嘘っぽい」
 心をはずませています。という言葉を体現して、葉は身軽に椅子から立ち上がり、倒れた机を戻し、将棋の駒を拾い始めた。
 それを見て、海斗も一つため息をつき、重い腰をあげた。
「まあ、葉が二つ覚えたからいいか」
「なんのことだよ」
「金と銀」
 ああ、と葉は天井を見上げ。そして、そういえばと付け加えて笑った。おもわず口を開け、目を丸くした海斗を見て、もう一度大きな舌を出す。
 放課後、部活が始まるまでに忘れていそうな気がして、海斗は将棋の駒を拾いながら、違いないと笑い声をあげた。
 昼休み一杯かけて、駒を拾い上げた二人は、チャイムの音に慌てて席へと戻る。
 生徒達が教室に戻ってくる。
 海斗は、机を直しながら、ふと違和感を覚えた。女子数人が、海斗を見て小さく笑った気がしたのだ。
 しかし、特に話しかけてくるわけでもない。海斗は少しあごを引き、気づかれないていどに首をかしげる。先生が入ってくる直前で、黒い長髪を三つ編みに結った少女、桜が慌てて飛び込んでくる。斜め後ろの席に座っていた葉が、なにやら笑いながら声をかけているが、振り向きもしていない。
 いつもなら、うるさいという声が海斗の席にも聞こえてくるはずなのだが、ただ、小さな声で返答したくらいだったのだろう。葉が小さく肩をすくめていた。
 日直の号令で礼をし、授業が始まれば、心に生まれた違和感も薄れていった。とにかく来月の中間テストだけは赤点をとれないからだ。

 文化祭という名の文化部、クラブ活動発表会が、一ヶ月後に迫った中間テストの後に待っている。テストそっちのけで準備に追われる人間が多く、浮かれた雰囲気がそこかしこにある。
 しかし海斗達は、それよりもテストに必死だった。
 生徒会長と副会長が、部長や副部長を兼任している将棋部で、赤点を取る人間を出すことは許されないなどと、高らかに宣言されたからだ。知ったことかと、非難の声をあげたのだが、一年生の自分達の意見など聞き入れてももらえるはずもない。
「赤点取ったやつは、全校生徒がお祭り気分の中、補習させるからな」
 横暴ともとれる生徒会長兼部長の藤本の言葉に、兄のいる海斗は、抗議しても無駄だと口をとがらせるくらいであきらめたが、葉は必死に食い下がっていた。
 結局、くつがえることはなかったが。
 とりあえず残りの授業では、ノートを取ることに専念していた。放課後、部活に向かう二人の足取りは、いつも以上に重い。
「なあ、海斗」
「帰らせないぞ」
「おまえは、超能力者か! だったら、テストの山張ってくれよ! 教えてくれよ!」
「そんなもん、先生がテストに出るぞって言ってたとこ、全部覚えろよ」
「無理だから言ってるんじゃないか」
 口をとがらせて、葉は足音も荒く歩き出した。
 人通りが少なくなった廊下で、海斗は気にするように振り返る。
 しかし、誰かの笑い声が遠くから聞こえてくるくらいで、突き飛ばしてくる見知った少女はいない。
「どうした?」
 背後から尋常ではないため息が聞こえ、葉が振り返った。
 視線をひょろっとした彼に戻し、海斗は言いづらそうに口を開く。
「あのさ。桜、今日おかしくなかったか?」
「別に、普通じゃね?」
「ほら、昼休み終わった時だってさ。桜の返しが弱かった気がするんだよね。なに言われたんだよ」
「なにって。話しかけるなって言われたな。弱いどころか、針山ぶつけられたかと思ったけど?」
「そっか。じゃあいいや」
 良くないだろ。と、海斗の肩を激しく揺さぶるが、意識は葉からそれていた。いったんおさまっていた違和感が海斗の心を埋め尽くしていたのだ。
「……いじめ、か?」
 一番に思い出したのは、授業が始まる前に、教室に駆け込んできた三人の同級生がいた。海斗を見て、含み笑いをしていた女子だ。
 たしか小野、三津、西田だったはずだと、思い返す。
 しかし、なにをしたのかが海斗にはわからない。目が合って、そらしながら笑ったからには、なにか知らない所で事が進んでいるのだろう、とは思う。
 放課後、いつもならなんだかんだで声をかけてくる桜が、振り向きもしなかった。運動部は、文化祭で特に準備することがないはずなのに、慌てて教室を出て行った。
 考え込んでしまった海斗から手を離す。タレ目の顔がのぞき込んでくるのが見え、海斗はもう揺さぶられていないことに気がつく。
「な、なんだよ」
「なんだじゃねーよ。今のは、断じていじめじゃないからな! ほらあれだ、友人同士のじゃれあいってやつ」
「は? なんのこと?」
「なんのことって、おまえ……まさか、桜のことしか頭になかったろ」
「え? うん。そりゃそうだろ」
 だって、と続けるよりも先に、葉がおおげさに頭を抱えた。
「好きな女しか、頭にないのかよ」
「ち、違うよ!」
 葉の言い方に、海斗は目を見開いて思わず声をあげるが、葉は頭を抱えたまま、イヤイヤをするように身体をよじらせる。
 そして、海斗に背を向けたかと思うと、彼は口の左右に広げた手を添えた。
「振られたのに……おまえ、振られたのにっ!」
 絶叫に近いその響き渡る声に、海斗は慌てて友人に飛びかかった。
 右腕を彼の首に巻きつけ、締め上げる。葉は腰を折り曲げながら、ギブアップを宣言するように、締め上げ続ける右腕を必死で叩く。
 仏頂面のまま手を離してやれば、両手両膝を廊下につけて、葉はうめいた。
「……悪かったって」
「なら言うなよ」
「で? 桜がどうしたって?」
「うん。なんかさ、昼が終わってから、ちょっと変な感じがしたんだよね」
「なんだよ。ひょっとして、いじめとか言ってたアレか?」
 葉が立ち上がりながら、なにかを思い出すような表情をしたが、海斗に顔を向けた時は、さっぱり分からないと肩をすくめた。
「ギリギリに駆け込んできてたけど、なんかおかしかったか? あ、でも、いつもより返しが厳しかったかも」
「その前だよ。なにか気づかなかった?」
 アゴに手を当てて目を閉じた葉は、しばらくその状態であったが、少しして体ごとゆっくりと傾いていく。
 真ん中分けにした前髪の一房に手をやって、海斗は口をとがらせた。
「おまえ、考える気ないだろ。もういいよ、気のせいかもしれないし」
「良くないだろ。海斗のラブなハートが、危険信号を発したんだろ?」
「棒読みってことは、自分でもキモイとか思ってるんだろ」
 バレたかと、大きな舌を出した彼に、どうしてもため息が出てしまう。
「いいか? 昼休みの違和感。そして、逃げるように部活に行った桜。いつもだったら一言でもなにか言っていくのにさ、目も合わそうとしなかったんだぞ?」
「それが海斗君にとっては、寂しくて仕方がなかった、と」
「ち、違うだろ!」
「じゃあ、海斗の言う違和感って何だよ」
「それは……自意識過剰とか思われるかもだけど、昼休みが終わった時、教室に入ってきた女子がボクを見て笑ったんだよね。何か企んでるように感じたってくらいだけど」
「うわ。男の敵発言にも聞こえる」
「違うって!」
 誰もいなくなった廊下の、隅々にまで響き渡る声。
「おー、響いたなー」
 気楽な声をあげた葉だったが、その大声が、予期せぬ人物達を呼び寄せることになってしまっていたが、まだ二人は気づかない。
「でもさ、ここで海斗が悩んでても、どうしようもないだろ」
「だからって、桜が辛い思いしてるのに、見て見ぬ振りだけは絶対したくない」
「だよな。だからって、桜なら気に入らないことがあれば、まず自分でなんとかしようとするだろうしな」
「ボク達には、まだ頼るまでもないってことなのかな?」
 窓に寄りかかり、うなだれる。真っすぐな前髪が、海斗の目を隠すようにおりた。
 その言葉に返事をするでもなく、柔らかそうな短髪を大きく掻きながら、眉間にシワを寄せ、不機嫌そうにタレ目を細める。
 あからさまに落ち込んでしまった親友に、なにを言ってやればいいのか分からないのだ。
 そうだな。と言えば、もっとへこむのだろう。だからといって、根拠もなく違うとも言えない。
 海斗ではないが、長く続く廊下に向かって、大声を張り上げたい気分になる。
 そうしてやろうかと、海斗のいる方向とは別の方向に振り向いて、動きを止めた。
「藤本、部長……」
 うめくように、声をしぼり出せば、海斗が慌てて窓から身を起こす。
「サボりかと思って来てみたら、何やら面白そうな話をしているじゃないか」
「気のせいです」
 ゆったりと歩いてくる藤本部長に、何と言ったらいいのかと、口をつぐんでしまった葉に対して、海斗が間髪入れずに、堂々と胸を張った。
「そうか? じゃあ、頼りない鈴木海斗くんは、頼り甲斐のある男にならなくてもいいわけだ」
「……だから、いつもどこから聞いてるんですか」
 大きな目をさらに大きくして、海斗は言っても意味がないと知りながら、口に出さずにいられない。
 案の定、藤本部長は一つうなずいて、楽しげに口の端を大きく持ち上げた。
「君の大声は、すごく便利だと思うぞ。それで詳細は?」
「言いませんって」
「言わないということは、気のせいではなかったということになる」
 言い負かされた海斗は、悔しそうに唇をかむ。隣では、葉が感心した声を出していた。
 それを聞いて、藤本部長は満足そうに笑う。
「あきらめろ、一年生」
「そう言われても……まだ確証のある話じゃないし」
「そうそう。海斗の違和感だけだもんな」
「違和感?」
 藤本部長が鋭い目を光らせる。
 口ごもりながら、それでも海斗は困ったように前髪へと手をやった。
「クラスの女子三人が、昼休みの終わりに教室に入ってきた時なんですけど、こっち見て笑ったんです」
「おまえ、なかなかやるな」
「藤本部長もそう思いますよね! だからさっきから、男の敵だって言ってたんです」
「だ、だから! 違うって言ってるだろ! そうじゃなくて、なんていうか、あざ笑う感じっていうか。バカにされてるっていうか……笑いの中に、絶対に何か含まれてるって思ったんだ」
 海斗の言葉に、藤本部長はアゴに手をあて、考えを巡らせているようだった。
 考える振りをしていた葉とは違い、しばらくしてから、言葉を選ぶように口を開く。
「それに続くように、頼りないという言葉が出た。ということは、アレか」
「そう! さっすが部長、ソレっす」
「たぶん間違ってないような気がするけど、そういう言われ方って、なんか嫌だな」
「まあそう言うな。それで、彼女の態度はどうだったんだ?」
 完璧に言い当てられている。海斗は逃げ出したい気持ちを抑えるように、腹に近い学生服のボタンがくっついている服ごとにぎった。
「昼休みは、先生と同時くらいに戻ってきて、葉の茶化しに振り返りもしなかったし、部活に行く前も、ボクにも葉にも目を合わせずに出て行ったんだ」
「だから、海斗くんは寂しくて仕方がないんですよ。部長」
 腕を組み、知った顔をして大きくうなずく葉を見て、藤本部長は小さく吹き出した。
 だがすぐに笑いを引っ込めて、真面目な顔で問いかける。
「オレにはどうして悩むのかが分からないけどな」
「だって、確証がないから……」
「君達は、桜並木を守ろうとしたんじゃなかったか? それはどうしてだ。守ってくださいと桜の木に頼まれたわけじゃないだろう」
 藤本部長の言葉に、海斗と葉は思わず顔を見合わせた。
「結果はどうあれ、正しいと思って動いた。やれると思った。それは悪いことなのか?」
「……悪いことじゃ、ないです」
「じゃあどうして、またしても桜が手折られそうになっているのに、躊躇する必要がある?」
 沈黙が降りた。遠くから、かけ声やボールの音が反響して聞こえてくる。
 どこかで怖がっていた自分に気づき、海斗はそれを振り払うように頭を振った。
「藤本部長、思い出させてくれて、ありがとうございました! 部活、行きます」
 頭を下げる。上げた時には、何か吹っ切れた顔をしていた。
「お、おい。海斗?」
 呼び止めようとした親友に、海斗はうなずいて見せた。そして、二人を置き去りにして、軽やかに廊下の角を曲がっていった。
 それを藤本部長は、満足そうに見送る。
「やはり、時期生徒会役員にうってつけだな」
「うわ。まだ言ってる」
 葉がげんなりした顔を見せれば、藤本部長は心外だとばかりに、細い肩に手を置いた。
「当たり前だろう。正しく、すべき事を知っている人間なんて、そういないんだぞ? それは鈴木海斗くんだけではなく、佐々木葉くん、君も同じだ」
「海斗を進呈するから、ボクはほっといて欲しいんだけど」
 逃げるように海斗の後を追って角に消えた葉をも見送って、藤本部長は三人の少女達が笑ったは違う、はっきりと企みを乗せた笑い声をあげた。

「やべーぞ! まじやばい!」
 すぐに追いついてきた葉の剣幕に、海斗は首をかしげた。
「なにかあったのか?」
「部長、ボク達を本気で生徒会役員にしたいって思ってる!」
「なんだそれ。無理に決まってるじゃん」
 階段をのぼりながら、気楽に返してくる海斗に、葉は真剣な顔を寄せる。
「そうでもないんだよ。文化祭終わったら、生徒会の役員選挙があるだろ? それに向けて、なにか企んでるに違いない!」
「考えすぎじゃねーの? どっちにしろ、ボク達が届け出を書かなきゃ問題ないって」
「……そうかな。そうか、そうだよな」
 不安の残る顔をしていたが、葉はそれでも自分を納得させたようだった。
 将棋部兼写真部として使われている教室の扉を開ければ、待ち構えていた二年生の二人組みが、海斗と葉の腕をそれぞれ確保する。
「な、なんですか! ボク、男と腕組む趣味ないんですけど」
「おれだって、そんな趣味ねーよ!」
 いいからこっちへ来いと、二人は窓際へと連れていかれる。
 葉が海斗へと視線をやれば、海斗も眉をひそめ、小さく首をかしげて見せた。
 机が二つ、少し離して並べられている。その上には、将棋盤がそれぞれ置かれ、駒もしっかり並べられていた。
「……試験勉強は?」
「今日は、やらなくていいみたいだよ」
 座れとうながされ、海斗も葉も、それぞれの机につく。
 葉の向かいには、河合副部長が座った。それだけで、葉は燃え尽きていた。
 それを見て、海斗の向かいには、藤本部長が座るのだろうと思いながら、窓の外に目をやった。
 三階から見下ろした先には、テニスコートが広がっている。ジャージ姿の女子達がせわしなく動いていた。一年生は、コートから出た広い教職用の駐車場で、仲良く素振りをしている。
 長い三つ編みを、自然と探すクセがついていた。例の三人組も同じ部活だということは知っている。昼間のことがあったため、少し心配していたが、いつもの位置で、素振りを繰り返している桜を見て、安心する。
「……大丈夫そうかな」
「海斗、そのうちストーカー呼ばわりされそうだな」
 部長が来るまで、葉と副部長の勝負も始まらないらしく、間がもたなかった葉が海斗の後ろから外をのぞいていた。
「ストーカーなんかじゃないよ!」
 あまりの言い草に、驚きながら声をあげれば、葉は先を読み両手で耳をふさいでいた。
 窓が開いていることに気がつき、おそるおそる外をのぞけば、何人かが素振りをしながら見上げ笑っていたが、桜はこちらを向くことはなかった。

 心臓が、誰かに力一杯にぎられたようだ。
 海斗は、自分の胸に手を強く押し当てる。苦しくて、息がしづらい。
 陸のことが好きだと、桜が言った時の苦しさとは、どこか違う気がした。
 ひどく動揺しているのに、足が固まってしまったように動かせずにいた。

 海斗の異変に気づき、葉は窓から親友を引き離す。
「水、飲んでくるか?」
 心配してくれている。ということには気がついているが、うまく言葉が出てこない。
「どうした? 顔色が悪いな」
「今日は、色々あってですね」
 尋常ではない表情をしていたのだろう。河合副部長が立ち上がり、葉が適当にごまかそうとしてくれる。
 顔をあげ、無理に笑顔を作ってみる。そして、大丈夫です。と声を出そうと口を開きかけたが、先に出てきたのは大粒の涙だった。
 居合わせた先輩達は、それぞれ目を丸くし、息を呑んだ。二年生達は二人とも、目をそらしてくれる。副部長は、海斗が話すまで待つ姿勢を崩さない。葉はとりあえず海斗を椅子に座らせた。
 しゃくりあげるまではいかなかったが、流れ続ける水分に、一番驚いていたのは、海斗自身だった。
「うお、なんでだ」
 おもわず口走った海斗に、固まった空気が少しなごんだ。
「ちょっと溶けてるけど。これでも食べて、落ち着くといいよ」
 そういって河合副部長が差し出した物は、パイナップル飴だった。
 写真部を作った真樹が、部室を将棋部と共にしてから、姿を消していた菓子類だ。海斗は胸の痛みをそのままに、それでも小さく笑った。
「ありがとうございます」
「たまには、いいだろう」
「あ。ボクも、ボクも!」
 アピールするように手をまっすぐ伸ばした葉を先頭に、二年生も同調してくる。
「残念。品切れだよ」
 笑いながら両手の平を見せれば、葉が口をとがらせた。
「……泣く」
 やっと涙を止め、飴を口に入れた海斗をふくめた、全員が葉を見る。
「どうした? 葉くん」
「ボクも、泣く!」
 さきほどと同じように副部長が問えば、力強く宣言してくる葉に、全員が腹を抱えて笑い声をあげた。
「なんだ、元気があり余ってるじゃないか」
「なにかあったの?」
 藤本部長と真樹が、騒がしくなった教室に入ってくる。
 一瞬声が切れ、誰もが視線を泳がせた。
「……あれ? 誰か、飴なめてない?」
 かすかに漂う甘いにおいに気づいた真樹が、眉をひそめ全員を見回す。
 最初に少女が部室へ来たとき、菓子類を持ち込まない。と、ひどく怒られていたのだ。
 海斗は、口の真ん中に飴を置き、口を閉じ続ける。どうしたらいいのか、と葉に視線をやれば、葉も口を閉じたまま、副部長に丸投げするように視線を送る。
 少し苦笑して、共犯である河合副部長が助け舟を出した。
「藤本、今日の勝負は持ち越しにしようか。海斗くん、トイレに行きたいんだろう? 顔でも洗ってくるといいよ」
「あ、そうだな。ボクも付き添いまーす」
 海斗は、扉の近くに立つ真樹の横を通る少し前から息を止めた。鼻からにおいが漏れることを恐れたのだ。
 疑いの目を向けられたが、一目で泣いたと分かる赤い目をしていたからだろう。呼び止められることはなかった。ただ、その代わりに葉がつかまり、口中チェックされていたが。
 教室から離れ、トイレの前に来てから、やっと葉が胸をなでおろす。
「やばかったなー」
「ほんとだよ、部活中ずっと正座させられる所だった」
 口の中で、やっと飴を転がすことができた。
 渋い声を出した海斗に、葉はまた小さく笑う。
「なんだよ」
「おまえが泣くとは思わなかったからさ」
「自分でも驚いたよ」
 疲れた笑い方になってしまっているとは思ったが、そのまま笑いながら、前髪に手をやった。
「海斗もつらいかもしれないけど、桜が一番我慢してるんだろうな」
「そうだな。帰り、待ち伏せする予定なんだけど」
「っていうかさ、その三人って誰だよ」
「誰って、必要か?」
「あたりまえだろ。海斗が泣くなんて、よっぽどだからな。ボクも親友として知る権利がある」
 海斗は、良いにおいをした息を吐き出して、しぶりながらも降参した。
「……小野と三津。あと西田だった」
「前の二人は気が強いからありそうだけど、西田は意外だな」
「そうか?」
「そうだよ。まあ海斗は桜しか見えてないから、仕方ないけどさ」
 言い返す言葉も見当たらず、口ごもるしかなく、ただ前髪に手をやった。
 葉は小さく肩をすくめ、すぐになにかに思い当たった顔をする。
「でもさ、あいつら。たしかテニス部じゃなかった?」
「そうなんだよ。だから、ちょっと心配だけど、見てた感じは大丈夫そうだった」
「それで泣かされてたら、意味ない気もするけどな」
「うるさいよ」
 特に汚れたわけでもないのに、葉は蛇口をひねり、手を洗い出す。
 それを見て、思い出したように海斗も顔を洗った。
 水の流れをただ見ながら、葉は難しい顔をする。
「この後、どうするんだ?」
「とりあえず帰りは待ち伏せしようと思ってる。明日は、どこに行くにもつきまとう」
「トイレとかは、どうするんだよ。ストーカー以前に、痴漢だぜ?」
「そうか。そうだよな」
 ハンカチで顔を拭きながら、海斗は少し視線を落とした。
 考えるまでもないことだが、ついて行くという選択肢はない。
「そこは真樹に、頼んでみるよ。さっそくだけど、明日一度、なんとかしてみる」
「渡り廊下か?」
「渡り廊下だろ」
 二人は顔を見合わせて、もう一度笑った。
 部室に戻り、外の様子を見ながら、時間をつぶす。部員や真樹からは、腫れ物を扱うようだったが、自業自得なため我慢するしかない。
 葉は、カメラのことで話があると真樹を廊下に連れ出して、説明したようだった。すぐに戻ってきた彼女は、表情を硬くしながら、海斗にうなずいて見せた。
 河合副部長と話し合っている藤本部長に、真樹は顔と同じくらい硬い声で詰め寄る。
「藤本会長、テニス部に文化祭のための写真を撮りたいとお願いするのは、校則違反ですか?」
「いや、顧問と部長に願い出てみて、オーケーが出たら問題ないだろう」
「わかりました。これから行ってみます」
 カメラが入ったカバンを肩にかけ、出て行こうとした真樹に声をかけたのは、男性陣だった。
 一緒に行こう。という声をばっさりと切り捨て、一人飛び出していく。
「……おしかったな」
 写真部を掛け持ちしている葉が舌打ちとともに言えば、同じく掛け持ちをしている二年生二人も真剣な顔でうなずいている。
 しばらくして、テニスコートに走っていく真樹の姿が見えた。
 どうやら、許可は得たらしく、広がって素振りを続けている一年生のそばでカメラを出していた。
 なんでもないような顔をして、近くで桜を見守ろうとしているのだろう。カメラを構えてうろついていれば、誰も下手な動きはとれないはずだ。
 真樹の考えがはっきりと読み取れて、海斗は自分がその位置にいられないことに悔しさを覚えた。だが、できることをするのだ。自分だけに、できることがあるはずだ。と、言い聞かせる。
「帰りは、真樹が一緒に帰るってさ。話をしたら、ボクと海斗は一緒じゃないほうがいいのかもって」
「は? なんでだよ」
「わからないよ。でも、女は女の事情ってのが、あるんじゃね?」
 結局、なにもできないのかと、海斗は机に突っ伏した。
 なぐさめるでもなく、葉は快活に笑う。すさみかけた心にその明るさが染みこんで、机に顔をくっつけたまま、海斗もつられて笑っていた。
「考えるのが、面倒くさくなったじゃんか」
「海斗は、無駄に考えすぎるんだ。任せられることは、任せとけばいいんだよ」
「ほう。良いことを言うね、佐々木葉くん」
 一つの机を囲んで座っていた二人に、藤本部長が近づく。
 嫌な予感しかしなくなった葉は、ファイティングポーズをとっていた。
「た、たまには、良いことくらい言いますよ」
「じゃあ、ちょっとだけこれに名前を書いてくれたまえ。考えることなく、気軽に書いてくれれば、それでいい」
 差し出された二枚のA5用紙には、生徒会役員に立候補することを宣言するようなことが書かれていた。海斗の方の書類には、会計。葉の方には、書記として。
 海斗は大きな目をできるだけ細め、破いてしまおうかと思ったが、正式な書類のようなので、かろうじてこらえた。目の前にいる親友も、同じような表情をしていた。
「部長、だまされないですって」
「葉の言うとおり。こればかりは、考えるに決まってるじゃないですか」
「そうか? では、考えた後に記入してくれたまえ」
「そういう問題じゃなくてですね」
「どういう問題だ? 女一人、守れもしないで。せめて守れるくらいの立場を作ったほうがいい。関係ないとは言わせない立場をな」
 真面目な顔で見下ろしてくる藤本部長に、海斗はうつむいた。
 正面に座る葉からは、負けるな! という無言の圧力が強く伝わってきていたが、反論できる要素が足りない。傷心している状態では、ただ混乱して、返す言葉がまとまらないのだ。
 三年生を前にして舌打ちもできず、だがそれでも葉はかみつくことをあきらめなかった。
「ボクは、特に重要じゃないから、やらなくてもいいかな」
「そうか? 真樹ちゃんだって、自分の立ち位置を考えて動いているのに、君は戦友を見捨てるわけだ」
「戦友って……」
「桜並木を救うために、一緒に戦った仲間だろう? 誰だって知ってる話だ。かわいそうに。二年のクラス替えで一人になったら、桜ちゃんはどうなるんだろうね」
 おどしか。と思ったが、葉は口に出せずにいた。
 だが、ぼんやりと第三者な気分で二人のやりとりを聞いていた海斗が、やっと疑問を口にした。
「だったら、桜が生徒会に入れば、問題はなくなるんじゃないかな」
 とても良い案だと思ったのだが、返ってきたのは藤本部長の、なにかかわいそうな者を見る目だった。
「桜並木を救おうと頑張った勇者は、三人だ。三人組であることに、意味がある。わかるか?」
「はあ」
 海斗の空返事で、言いたい内容が伝わっていないことをさとった藤本部長は、ゆっくりと言い方を変えた。
「……いいか。この学校にいる、ほとんどの人間があの事件を、君達を知っているんだ。そのつながりや絆は、これまでにないほど強いだろうと、口に出さずとも、みんなが思っているんだよ」
「そうですか」
 伝えたいことが、半分ほども伝わっていないことを読み取り、藤本部長がより分かりやすい言葉を選ぶ。
「君達のうちの誰かに何かあれば、他の者達が許さないだろうことも、どこかでわかっている。だから、気に入らないことがあれば、裏で動くはめになる。もし発覚したとしても、関係ないと言われたら、身動きがとれなくなるんだぞ?」
 藤本部長の言いたいことが、やっと海斗の頭でも理解できるようになっていた。
 しかし、その言葉が合っているようにも思えるし、どこか違うと思う自分もいた。
 なにが違うのかと言われれば、すぐには答えられない。もう少しだけ時間が欲しかった。
「……とりあえず持って帰って、考えます」
「海斗!」
 悲鳴に近い声をあげた葉に、海斗は口をとがらせた。
「わかってるよ。今は脳みそが回らないから、じっくり考えるだけだって」
「考えるまでもないのに」
 あきらかに肩を落とした葉だったが、それ以上は言わなかった。
 そして、二人とも窓の外を無言で見下ろした。

 ――次の日の朝、葉と打ち合わせしていた通り、海斗は一時間早めに家を出た。
 どうしても、桜に直接聞いておきたかったことがある。
 なにを言われても、昨日葉がしてくれたように、自分の気持ちを笑い飛ばせばいい。
 そう意気込んで家を飛び出たら、桜が通りかかったところだった。驚きをそのまま表情に出した彼女は、すぐに態度を硬化させて、足早に去ろうとする。
「桜っ!」
 会ったら聞こうとして、ずっと考えていた言葉が、叫んだ途端忘れてしまった。あいさつもされないとは思わなかったため、心がひどく動揺している。
 それでも、そのまま駆け去ってしまうかと思ったが、桜は振り向くことはせずに、足を止めた。
 慌てて駆け寄り、彼女の前に立ちふさがる。
「聞きたいことが、あるんだけど」
「ごめん、急いでるの」
「なにか、言われたんじゃないか? 小野と三津と西田に」
 桜の細い目が、大きく見開かれた。
 遠回しに言う予定が、ピンポイントで当たってしまったようだ。しまったと思ったが、結局行き着くところは、そこなのだ。すぐに開き直って、まっすぐに桜の目を見た。
 しかし、すぐになんでもなかった顔をして、桜は薄く笑う。
「なんで?」
「桜の様子もおかしかったけどさ。普段目につかない三人が、不自然だったから」
「なんでもないよ。あ、昨日の部活の時に叫んでたよね。ストーカーじゃないよって。今の海斗、ストーカーみたいでキモイ」
 さすがにそこまで言われるとは思わず、海斗は息を呑んだ。
 固まってしまい、なにも言ってこなくなった海斗を見て、桜は二つ分けにした三つ編みの片方をにぎりしめ、それだけ? と笑顔を作った。
 声も出せない海斗の横を、桜はいつも通りの足取りですれ違った。
「海斗には、関係ないし」
 その言葉に、海斗は唇をかんだ。その言葉は、おそらく言われるだろうと考えていたのに、桜の口から出る言葉は、心に受ける衝撃が重かった。
 ここで負けるわけにはいかないと、勢いをつけて振り返る。少し離れた冬服に身を包んだ桜の背中は、どこか無理をしているように見えた。
「関係ないわけ、あるか!」
 海斗の大声に、桜は小さく震えて、足を止めた。
 昨日から言われていた違和感を、吐き出した感じがした。怒りも、もちろんある。だが海斗は桜の口から嫌いと言われたわけじゃない。
「そうだよ、関係ないわけない。なんて言われても、ボクは桜が好きだし、桜が傷つくのを見たくない。でも自分でなんとかしたがるのも知ってる、好きなだけ動けばいいよ。ボクも、自分が感じた不自然を解決する」
「なに、言ってるの? そういうのがストーカーだって言ってるのに!」
 振り向きもせず、声を張り上げる桜に、海斗ではない声が反論した。
「世間一般じゃそうだろーけど、桜が本気でそう思うわけねーだろ」
 崩れ落ちそうなところを、気力だけで立っていた海斗の肩を叩き、息があがりながら悪い遅れたと片手をあげて謝ってくる葉がいた。
 振り向いた桜は、途方に暮れた顔をしていた。
 その表情を見て、葉と海斗は顔を見合わせる。なにかあったことは、たしかなのだろう。
 家の前であったため、海斗の母が大声に反応して玄関を開けて、声をかけてきた。
「あら葉くんもいたのね。海斗、外で大声出すのも良くないから、家で話しなさい。どうせまだ早いでしょ」
「……私、急ぐので」
「桜ちゃんに、少しだけ見て欲しい物があるのよ。ほら、うちは男の子ばかりだから、役に立たないことが多いっていうか。多すぎるっていうか。ね? 少しだけだから」
 困った顔をして、だが有無を言わさない雰囲気がある。
 ただ内容が内容なだけに、みんなが口ごもる中、海斗が前髪をつまみながら不満の意を表明した。
「悪かったな。どうせ役に立たないよ」
「あ、ごめんごめん。役に立たないんじゃなくて、女心がわからないの間違いだったわ」
「あれは女心とか関係ないと思うけど!」
「いいや、関係あるに決まってるでしょ!」
 ないもんね。あるもんね。と、玄関先で言い合いを始めてしまった二人を見た桜は、あははと声をあげて笑った。
「お、笑った」
「葉、うるさい!」
「うるさくないもんねー」
 葉が瞳をくるりと回して、海斗親子の真似をすると、桜は小さく笑って歩き出した。
 海斗宅へ、向かって。

「どう? どう? 桜ちゃん」
 居間に通された三人が、少し居心地が悪そうに、誰が先にしゃべり出すかで遠慮しあっていると、海斗の母が嬉々として白い物体を、桜に差し出す。
 小さな白い陶器で出来た物体は、一輪挿しには間違いないだろうが、なんの形なのかがよくわからない。桜は、とりあえず穴の開いているのが上だろうと考え、じっくりとながめる。
 柔らかく女性的な丸みを持ったそれには、口の部分が、羽が三枚重なったような作りをしていた。
 横から、興味津々な様子で葉がのぞいてきたが、なにも言わない。おそらく、考えているのだろう。
 なんと答えたら、正解なのだろうか。桜は考えを巡らせて、口の部分を指差した。
「え……と、鳥かなにかですか?」
「ほーら! 誰が見てもわからないんだって!」
 ガッツポーズをして、海斗は勝利の声をあげた。
「でも、ここのくびれが綺麗でかわいいですよね」
 と、苦しくもつけ加えると、海斗の母は桜を陶器ごと抱きしめた。
「桜ちゃん、優しい! フォローでも、おばさん嬉しいわ!」
「あ、やめろよ! 恥ずかしいだろ」
 その思いがけない行動に、海斗が慌てて口をはさむが、海斗の母は意地悪な笑みを浮かべてくる。
「お母さん、恥ずかしくないもの。あ、うらやましいんでしょ。渡さないわよ」
「いらな……」
 言いかけてやめ、海斗は顔を赤くして、きたねーぞとうめいた。
「海斗、心の声。心の声」
 葉が楽しそうに目を細め、肩を組んでくる。なんのことかと怪訝な顔をした海斗は、どこまで声が出ていたかがわからず、しっかりと口を閉じた。
「それで、これはなんですか?」
「これはね、風の妖精って書いてあったのよ」
「へえ! それでちょっと羽っぽいんですね」
「そうなのよ! やっぱり女の子は、いいわあ。うちの男どもは、みんなダメ。羽なんて気づきもしなかったもの。口をそろえて、ギョウザ? なんて言うのよ。失礼でしょう?」
 海斗の母が、子供のように口をとがらせて見せると、桜は声を立てて笑った。
 昨日からの空気の重さが、綺麗さっぱり消えていた。ふっきれたような雰囲気さえ感じられる。
 機嫌の良くなった海斗の母は、一輪挿しを手にスリッパを鳴らして、居間から出て行った。
「桜、あのさ……」
「ごめんなさい。私、ひどいこと言った。謝って済むような内容じゃないこと、言っちゃった」
「いいよ。そんなの」
 ソファから立ち上がり、海斗の前で大きく頭を下げる。
 そんなことをさせるために、声をかけたわけじゃなかったのだ。海斗は両手を大きく横に振って、やめさせようとする。
「そうだよな、別にいいよな。だって海斗、桜が無視するから、寂しくてしょうがないんでちゅーって言ってたし」
 とんでもないことを、しれっと言ってのける親友に目をむいた。
「言ってないよっ!」
 耳まで赤くして絶叫する海斗を予測して、桜と葉は先手を打って、耳をふさいでいる。
 もういいかな、と二人は手を離し、葉はしみじみとうなずいた。
「まあ、今回は本当に驚いたかも」
「あ! 昨日のことなら、言うなよ!」
 口止めするのを忘れてたことに気がつき、慌てて念を押したが、タレ目が面白くて仕方がないというようにゆがんだ。
「泣いちゃったもんな」
 これは絶対言うと感じていたのか、葉が声を出すとともに、海斗はアーだの、ワーだのと大声をあげた。
「なに? 海斗、聞こえない」
「聞こえなくていいんだよ!」
「だからー、泣……」
 しつこく言い続けようとする葉の首を、左腕で締め上げる。
「海斗。おま、本気だろ。この力、本気だろ」
「本気に決まっているじゃないか。残念だなー。こんなところで親友を失くすとは」
「ぎ、ぎぶ……マジ、ギブ! ごめんなさい!」
 葉の顔色が、赤くなってきたのを見て、やっと腕を放した。
 本当のことなのに、とつぶやきながら首をさすり、それでも繰り返して言うことはしなかった。
 だが、いついたずら虫が騒ぎ出すかわからない。すぐに桜へと向き直り、本題を切り出した。
「それで桜、なにがあったんだよ」
「……ごめんね、言えない。私の口から言うべきじゃないと思うし」
 目を伏せて、桜は少しうつむいた。
「でも、だからといって海斗も葉も、嫌いになったわけじゃないの。海斗にあんな傷ついた顔、させたいわけじゃなかった。さっきひどいこと言った後、私なにしてるんだろうって、苦しかった」
「苦しいなら、間違ってるんだろ。簡単じゃん、元に戻れば問題ない」
「そう簡単にも、いかない気がして」
 葉のお気楽な言い方に、桜は困ったように小首をかしげた。
「簡単だろ。なあ、海斗」
「簡単じゃん。誰が大切かなんて、自分で決めるもんだろ?」
 さも当然に言ってのける二人に、桜は数回、まばたきをした。
 突然長い三つ編みを揺らして、おかしな考えを振り払うように首を横に振った後で、嬉しそうに笑う。
「ごめん! そうだよね。違うよね、間違ってた。だからって海斗を傷つけていいはずがないもん。私じゃないみたいで、気持ち悪かった。気を使うのは大切だけど、顔色うかがってばかりの友達なんて、友達じゃないよね」
「そうだよ。桜は、桜だからいいんじゃないか」
 やっと明るい桜に戻ったのを見て、海斗は安心したように笑った。
 葉も腕を組んで、大きくうなずく。
「良かったよ。これで、海斗の泣き顔見なくて済むし」
 さらりと衝撃の言葉を吐き出して。吐き出した本人が、しまったという顔をした。
 大きな目を、さらに大きくしながら、海斗は息を吸い込んだ。
「な、泣いてなんてないよっ!」
 本気でつかみかかってきた海斗から逃げ回り、葉が笑いながら謝るため、さらに火に油をそそいでいる。
「おい、海斗。朝っぱらから、うるせーぞ!」
 居間の扉を音を立てて開け、高校の制服に身を包んだ海斗の兄、陸が玄関に置いてあった海斗の学生カバンを投げつける。
 海斗と葉は足元に飛んできた学生カバンを、ジャンプ一番跳んで避けることに成功した。
「窓割れたら、兄ちゃんのせいだからな!」
「いいや、おまえのせいだ。邪魔だから、学校行け!」
 陸は不機嫌な顔のまま、もう一度、扉が壊れるんじゃないかと思うほど、叩きつけるようにして出て行った。
 居間に残された三人が、なんとなく居心地が悪くなり、まだいつもより早い時間だが出発することにした。
 少ししてから居間を出ると、台所から出てきた陸とぶつかる。
「まだ行ってなかったのか」
「うるさいな。タラタラしてるのは、兄ちゃんと兄弟だからだろ」
 顔を合わせていがみあう二人に、母が台所から、やかましいと一喝する。
 目だけで、おまえのせいだと二人ともにらみあい、すれ違った。
 少しだけ驚いた顔をして、桜はそれでも陸を見上げた。
「陸兄も、ケンカするんですね」
「そりゃ兄弟だから、毎日だな。気に入らないんだよ、あいつ。向こうもそうだと思うけど」
 苦笑しながら、真ん中分けにした前髪に手をやれば、桜が目を細めて笑う。
「陸兄、あのね昨日ちょっとあって、考えたんだけど。私、一人っ子だし。親の転勤とかで、色々大変だったりしたんだけど。兄弟とか、うらやましかったんだと思う。ケンカしても、どっかで分かり合ってる人がいるのが、うらやましかった」
 陸から視線をはずして、桜は小さく笑った。
 その笑顔のまま息を吸い込んで、陸の目をしっかりと見る。
「私、違ったみたいです。でも、陸兄が嫌いになったとかじゃなくて、大切にしたい人っていうのは、そのままなんですけど。お兄さんって感じで。さっき、なんとなくそれに気がついて」
「ああ、聞こえてた。オレの部屋、居間の真上だからな」
「その、ごめんなさい。っていうのも、変なんだけど」
 どう言ったらいいのかわからず、桜はとにかく頭をさげた。
 陸はその頭を軽く叩いてやると、驚いた顔で。しかし嬉しそうに少女は笑う。
 玄関の柱の陰からのぞいている二人に気がつき、陸は口の端を持ち上げた。形のいい少女の耳に口を寄せる。
 葉があおるように歓声をあげれば、同時に海斗が飛び出し、桜の腕をつかんで憎き兄から引き離した。
 腹を抱えて笑いながら、陸は台所へと消えた。
 つまらなそうに口をとがらせた葉の腕も引っ張って、海斗は足を踏み鳴らして外に出る。
「むかつく! あいつ、マジなぐりたい!」
「桜! どうだった? どんな感じだった?」
「か、感じって! 葉、セクハラでしょ! それに、そういうんじゃないし」
 それぞれのテンションは違ったが、真っ赤になった桜の言葉に、葉がつまらないと不満の声を盛大にあげた。
「陸兄、なにやってんだよ! ばつぐんのタイミングだったのに」
「バカ言うな。なにもないのが、当然だろ」
「海斗くんにとっては、そうでしょうねー。中学生男子としてはだな、そんな展開のぞんてなどいないのだよ」
「……こんな展開になって、心底安心したと思うのだよ」
 二人の掛け合いを聞きながら、桜は二人の背中を容赦なく突き飛ばした。
 悲鳴をあげて、たたらを踏む二人を追い抜いて、振り返る。
「陸兄が、なんていったか知りたい?」
 もちろんだ! と、力強く言う二人のニュアンスは近くとも遠い。だが、瞬時のその反応に、桜は意味ありげに悩む振りをした。
「桜、兄ちゃんなんて言ったんだよ」
「秘密。やっぱり、まだ秘密。私、今日中にでも全部解決させるから。それからね」
 まっすぐ見つめてくる強い瞳に、海斗は少し考える。
 自分が三人を呼び出す予定でいた。だが、桜が先に話をしたほうがいいのではないか。とも思ったのだ。本当にいじめにつながるのであれば、まず本人がぶつかってみないことには、終わりはないんじゃないかと考えた。
 こっそり後をつけて、暴力に発展するようだったら、助ければいい。
 そこまで考えて、海斗はうなずいて見せた。
「桜、一人きりなんかじゃ、ないんだからな」
「うん、わかってる。ありがと」
 校庭に足を踏み入れれば、黒髪を右耳の下で一つにくくった少女が、三人を見つけ、駆け寄ってきた。桜が早くに出たことを聞いて、慌てて走ってきたのだという。
 ほぼ一本道で、追い抜いたはずはないのに、テニスコートにもどこにもいない桜を探し回っていたようだ。
「もう! 心配したんだから!」
「ごめんね、真樹。私、負けないことにしたから。心配してくれて、ありがと」
 それでね。と、陸が桜にしたように、真樹の耳に口を寄せた。
 はっとして、真樹は海斗を見る。そして桜に向き直り、真剣な顔で少女の手をにぎりしめた。
「いいの? 本当に?」
「うん。でも、まだ内緒ね」
「もちろんだよ。私の口から言うことじゃないし」
 頑張ってと、真樹が声に乗せれば、嬉しそうに桜が笑う。
 取り残された男二人は、入り込めないもどかしさに、ただ顔を見合わせていた。
「なんかさー。あれこれ考えなくても良かったのかなって思ったんだけど」
「まあでも、桜が元に戻ったみたいだし。それだけでも良かったよ」
「……海斗は、それでいいだろうけどな」
「なんだよ。他になにかあるのか?」
 校舎に入ろうとしたとき、後ろから視線を感じて、海斗が振り返る。
 小野と三津、西田がこちらを見て、眉をひそめて顔を寄せ合っているのが見えた。
「あいつら」
 海斗の声に、残りの三人が振り返れば、彼女達は少し話し込んでから、こちらに向かってくる。
 校舎の入り口にいるのだ、歩く方向はどうしても海斗達がいるところになるだろう。
 そのまま通りすぎるかと思えば、小野が声をかけてきた。桜ではなく、海斗にだ。
「鈴木くん。少しだけ、話を聞いて欲しいんだけど。いいかな?」
「ボク? なに?」
「ここじゃ、言いづらいから。場所移してもいい?」
「ここで言えないことかよ」
 桜になにか入れ知恵をしたのだと思うほど、言葉が冷たいものになる。
 その言い方が不思議に思ったのだろう。少しばかり気後れしたように、小田は少し肩をすくめた。
「海斗、いいから。聞いてあげて?」
 助け舟を出したのは、なぜか桜で。海斗は驚きを隠せなかったが、仕方なくうなずくしかなかった。
 そんな桜を、三津がにらみつける。桜の左腕に、真樹は両腕をからめてにらみ返す。それがしゃくにさわったのか、三津が怒りをむき出しにしたまま、一歩足を踏み出した。
 だが、それを西田が呼び止める。
「三津、いいから! 鈴木くん、じゃあ少しだけ時間をくれる?」
「別にいいけど」
 西田が背中を向けたとき、桜が声をかけた。
「西田さん、後で私も話があるの」
 足を止めて、嫌そうに振り返ってくる。
「……私には、ないけど?」
「じゃあ、今聞いて。私、別にだましてなんかいないから。ちゃんとわかったの。だから、私も西田さんに負けないように努力するつもり」
 言い切れば、小野と三津の顔に、はっきりと嫌悪と怒りが見て取れた。
 だが、桜も引く気はないのだろう。胸を張って立ち向かう気持ちを前面に押し出していた。
 西田を先頭に、海斗を囲んだ状態で、三人の少女達は校舎の陰までくる。
「で、なんだよ」
 開口一番、自分でもきつい言い方をしていると感じながら、ぐるりと三人を見回した。
 桜の悪口でも吹き込んでくるつもりだろうか。警戒心は、不機嫌な表情を生み出す。
 西田は、おびえたように手を口元へと持っていく。残った二人も、顔を見合わせたが、口を開いたのは小野だった。
「日下さんは……」
「聞きたくない」
 桜の名前が出たら、こう答えようと思っていたところにピンポイントできた言葉を、ぴしゃりと抑え込む。
 しかし、それでも三津が小野をかばうように一歩前に出て、責める口調で海斗にかみついた。
「聞いてよ! 大事なことなんだから」
「聞きたくないって言ったろ。陰でこそこそ人の悪口を言うな。うざい」
 今度は、確実に傷つけるつもりで言った。男子にそこまで言われたことがないのだろう。三津は顔を青くし、小野は泣き始めた。
 少しばかり心が痛んだが、聞きたくないものは、聞きたくないのだ。海斗が二人から目をそらし、西田へと向き直る。
「それだけ?」
 だが、西田は青い顔をしながら、懸命に首を横に振った。
「違う、違うの。あたし……あたしは、鈴木くんが好きなんです」
 今までのプレッシャーに、押しつぶされそうになりながら、必死に声を出す西田に、海斗は目を丸くした。
「は?」
 突然の出来事に、脳みその処理が追いつかない。海斗はただ口を開いて、西田を見つめる。
 西田はその視線に耐えられないというように、顔を赤くしてうつむいた。
「鈴木くんが、好きなの」
「え……と。そうなんだ。でも、ごめん」
「日下さんのせい?」
 顔をあげ、悔しそうに唇をかむ西田を見て、海斗は前髪を横に揺らした。違うという意思を見せるために。
「桜のせいじゃないよ。ボクがまだ、桜を好きなんだ」
「だってそれは、日下さんがはっきりしないからでしょ? 鈴木くんのお兄さんが好きとか言って、鈴木くんにだってちょっかい出して」
 反論する意欲を取り戻したのか、三津が食ってかかる。その勢いに乗った小野も、うなずいた。
「そうだよ。そういうの、二股っていうんだよ? 鈴木くん、だまされてるんだよ!」
 だまされるという言葉を、不愉快に感じた海斗は、眉間にシワを寄せる。
 このところ、振られた振られたと言われ続け、頭にきていたこともあった。八つ当たりに近くなってしまったが、それでも海斗はうつむくことなく、大声を出した。
「おまえらには、関係ないだろ! ボクが望んで、そうしてもらってるんだ。悪いのか! 全部、自分のためだ。どっちかって言えば、桜のほうが被害者だろ! なにも知らないやつが、とやかく言うな」
 言いながら、やはり自分はストーカーに近いのではないかと、自己嫌悪になる。だがそれを振り払うように、頭を振った。
「話は終わりだよな。今後、桜になにかあれば、真っ先におまえらを疑ってやる」
「そんな……ひどい!」
 涙に顔をぬらした西田が声をあげれば、他の二人も抗議の声をあげる。
 海斗は背後にいた二人を押しのけて、振り返った。
「ひどいのは、どっちだよ」
 三人の少女達が、海斗の悪意ある低い声に、息をのんだ。
 引き止める声もない。海斗は、そっとため息を吐きながら、校舎の角を曲がる。
 目の前には、しまったという顔の親友達が、顔を引きつらせて重なり合っていた。
「……聞いてると思った」
「バレたか!」
 三人とも立ち上がり、葉が大きな舌を見せてくる。
「今までの行動考えれば、聞いてないはずないもんな」
 苦笑して、額に軽くチョップを入れる。その右手を白刃取りしつつ、葉が口をとがらせた。
「なんで、おまえばっかりモテるんだよ。おかしくね?」
「知らないよ。でも、好きでもないヤツからモテたって、仕方ないだろ」
「お……まえ! やっぱり男の敵だ!」
 大騒ぎし始めた葉を無視して、海斗が桜に謝った。
「桜、ごめんな。ボクのせいで、嫌な目に合わせちゃって」
「海斗のせいじゃないでしょ! 私が好きってなにかわからないって言って、甘えてたんだと思う。ごめんね」
 話の内容が、海斗に不利な方向へといってしまっている気がした。このまま――この勢いのまま、海斗はまたしても振られてしまうのではないか。という悪い予感しかしない。
 それでね、と続けた桜の声を聞かなかった振りをした。
「桜のせいじゃないって! 良かった、すっきりした! これで今まで通りだ」
 そう言って、慌てて走り出し、頭を抱え続ける葉にタックルをかます。
 二人して大騒ぎしながら、校舎内に消えていく。真樹は小野達が来る前にと、桜をうながす。
 歩き出しながら、桜は困ったように笑った。
「ねえ、真樹。言うタイミング、なくなっちゃった」
「また後で機会をみればいいよ。ね?」
「……うん。でも、こんなにも勇気がいるんだ。どうしよう、真樹。どうしてみんな、告白できるんだろう」
 海斗からの告白は、事故のようなものだった。
 だが、西田は海斗を正面にして、はっきりと告白していた。桜は、その勇気に尊敬にも似た気持ちを持っていた。
「西田さんは、本当にすごいと思う」
「じゃあ、ゆずってよ」
 突然、後ろから三津が怒りを込めた声をかけてくる。
 長い三つ編みを揺らして振り返った桜は、泣いている西田を見て、胸がつかまれたような痛みを覚えた。
 しかし、ゆずるゆずらないの話ではないと、彼女達をまっすぐ見据える。
「好きって、そういうのじゃないでしょ。告白できる勇気って、本当にすごいと思う。でも、好きっていう気持ちをゆずり合うのって、違うでしょ」
「二股女のくせに!」
「それも違う。私、陸兄には振られてるし。それに……今日、陸兄にはちゃんと海斗が好きなんだって伝えてきたから」
 敵意しか向けてこない三人に言ったことで、桜の中でつっかえていたなにかが、はずれた気がした。
 陸に言われた言葉を思い出す。
 ――あいつは面倒くさいけど、日下さんの選択は、正しいかもね――
 桜はいつものように胸を張り、楽しげに笑って見せる。
「海斗が好き。私もゆずれないし、西田さんもゆずれない。それでいいじゃない。そういうものでしょ」
 じゃあ先に行くね。と軽い足取りで、真樹と校舎の中に消えていった。
 残された三人は、口を結んで、顔を見合わせるしかなかった。

 *

 三階の窓からは、テニスコートの様子が見て取れる。
 元気良く声を出して、朝練に励む生徒達を見下ろして、海斗は安堵のため息をついた。
「良かったな、海斗。とりあえず泣くことはなくなったわけだ」
「……黙秘」
「良かったな。泣かずにすんで」
 からかうように繰り返す葉に、海斗は窓からも葉からも目をそむけ、前髪をさわる。
 続々と二年生が登校し、すぐに藤本部長や河合副部長も顔を出す。
「さて、二人とも。署名はしてきただろうね」
「あ、してません」
 署名欄は空白のまま、海斗がカバンから取り出し、部長に手渡す。
「あ、ボクもボクも」
 そう言って葉も差し出せば、笑みを浮かべたまま、凍りついた。
「大切な人を助けられなくても、いいのか?」
 ゆっくりとさとすように言う藤本部長に、海斗は笑った。
「本当に大事な人なら、地位とか関係なく、助けるのが当然だと思うから。ボクは生徒会には入りません」
「ボクも。けっきょく、なにが大切かっていうのは、自分で決めるものだと思うし」
 葉もうなずけば、河合副部長が快活に笑い声をあげる。
「藤本、おまえの負けだな」
「いいや! まだだ。将棋で勝負しろ! オレに勝てば……」
「勝負はしません。ほら、試験勉強しないと。なあ」
 海斗が真面目な顔を作って、親友を見る。
「おう、試験勉強な。やっとかないとな!」
 葉もにやりと笑い、今思い出したとばかりに、カバンへと手をのばした。
 二人して、適当な教科書を引っ張り出しつつ、藤本部長を見る。
「藤本部長が言ったんですよね。赤点は、許さないって」
「言ってた! それに、初めての文化祭だもんな。張り切って勉強しないといけないですよね? 先輩」
 屈託のない笑顔を向ける二人に、藤本部長は笑顔のまま、二枚の紙をにぎりつぶす。
 彼からただよう殺気に、海斗と葉は教科書に視線を落として、気づかない振りをした。
「おまえら! 先輩をこけにして、ただじゃおかんぞ!」
「うわ! 開き直った」
 葉は、知らん顔で通そうとしている二年生のほうに走れば、逃げ遅れた海斗の肩を藤本部長がつかんだ。
「恐怖政治、反対!」
 悲鳴に近い声で叫ぶが、そのまま窓に押しつけられる。
 ひんやりとしたガラスの感触を頬に受けながら、下を気にすると、駐車場でストレッチをしている女子達がこちらを見上げ、笑っているのが見えた。
 その中に、長い三つ編みの少女を見つける。こちらを見上げて笑いながら、またやってる、と口が動く。
 はっきりとそれを読み取り、海斗は頬の痛みに耐えながら、胸が熱くなった。
 泣くことはないが、この状態でも嬉しさがこみあげてきて。海斗は、苦しい体勢のまま小さく笑った。

読んでくださって、本当にありがとうございます!
いつもに比べ、かなり長くなってしまいました。
いらない部分をはぶいて、もっと桜と~とも思ったのですが、なんとなくこのほうが時間っぽいかな?
と、そのままにしてしまいました。すみません!

久し振りすぎて、いろいろ違ってないかと心配ではありますが。
楽しんでいただけたら、嬉しいです♪
本当にありがとうございました!
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