白い光の中。前を見ても、後ろを見ても白。世界のすべてが白で統一されているかのようだ。目を閉じても、開けても白い。まぶたが無いみたいだ。
フワフワとした、浮かんでいるような変な感覚。プールで浮かんでいるみたいではなく、上空を浮かんでいる感覚。
しばらくして、霧が晴れていくかのように、白い景色が少しずつ消え始めた。徐々に見え始めた風景。すると、自分が着地したような感触があった。地面を踏んでいる感触だ。
足元がはっきりと見え始めた。そこには、青々とした草原。視線を徐々に上げていくと、その緑の雑草が広がっているのがわかった。遠くには、薄っすらと山々が見える。上空には、青っぽい空も広がっているのがわかる。白い霧は半分程度晴れたが、それ以上晴れることは無かった。
ここは……一体………?
まさか、夢の中か? それにしては、あまりにも現実的だ。大気が肌に触れる。微風が髪をなでる。自分が呼吸しているのもわかるし、立っているのもわかる。夢の中だったら、これすらわからないはずだ。それに、夢なら夢だとわかった瞬間、目が覚めるようなもんだろ? 目が覚めないもんな。……と言うことは、今見えているこの光景は、本物…? 現実なのか?
「夢だと思う?」
「!!」
後ろから、女性の声がした。恐る恐る、僕は後ろへ振り向いた。そこに立っていたのは、一人の少女だった。空たちと同じくらいの年齢だろうか? 長く、サラサラな金色の髪を後ろで結っている、きれいな顔立ちの少女。結っていても、かなり長い。そして、ほっそりとした体型。服装は夏場の小学生みたいな格好だ。
「残念ながら、これは夢じゃない。現実。わかる?」
彼女は微笑した。僕を馬鹿にしているかのように、手を振っていた。
「…あ…あんた、誰?」
僕の第一声は、それだけ。
「私はリサ……〈リサ=ブレスレッド〉。よろしく、空」
今度は、ニコッと微笑んだ。うっ……滅茶苦茶かわいいんですけど。
「な、なんで僕の名前を?」
僕は小さな声で質問した。どこだかわからない恐怖心のためか、びくびくしている。
「それはまぁ……天のお告げ? みたいな」
アハッと、リサは笑った。
「…………」
「嘘よ。冗談だって」
いや、冗談って言われても……。変なことを彼女が言ったためか、ほんの少しだけ彼女に対する警戒心が解けた。
「それにしても、知らない間にこんな所にいるってのに……あんた、やけに冷静だね? 普通の人間なら、慌てふためくはずなのにさ」
「ん?」
たしかにそうだ。なんで、僕は冷静なんだ?
「……ここは一体どこなんだ? なんで、僕はこんな所にいるんだ? 空たちは?」
「あんたね……質問を何個も同時に言うんじゃないよ」
リサは小さくため息をついた。
「……じゃあ最初に、ここはどこだ?」
僕はしかめっ面で訊ねた。
「それでよろしい。………ここは、別世界さ」
「別世界?」
リサはうなずいた。
「2つの世界の狭間……とでも言うのかな?」
「な、なんじゃそりゃ。意味わかんねぇよ」
「まぁつまり、ここはあんたのいた世界とは違う世界だってことさ」
「違う世界…?」
「そう。あんたのいた世界は〈ガイア〉。そして、もう一つの世界を〈レイディアント〉って言うの」
「がいあ? れいでぃあんと?」
んなの、聞いたことも無いんだけど。
「私たち……レイディアントの人間がそう呼んでるの。まぁ、こちらの世界のほとんどの人は、ガイアがあるなんて信じちゃいないけど」
「?? 僕がいた世界がガイアで、ここがレイディアント……ってこと?」
「ううん。ここは、その2つの世界の間に挟まれている別の次元」
「……??」
ますます、わけがわからない。
「まぁ、今いるここのことは、そのうち教えてあげる。次の質問は?」
大雑把な女だ……。
「じゃあ、どうして僕はこんな所に?」
「もちろん、あんたが必要とされているからよ」
「はっ? 誰に?」
「……あなたは、選ばれし者。そして、時は満ち足りた。だから、あなたはここへ吸い寄せられた」
「! お前か? 僕の頭の奥で何度も囁いていたのは」
「??? よくわからないけど、あなたと話すのはこれが初めてよ?」
「え……?」
じゃあ、なんなんだ? ……冷静になって考えてみれば、たしかに彼女の声とは違う。同じ、女性の声ではあるが…。
「ともかく、あなたは必要とされている人間なの。……ガイアではなく、レイディアントにね」
「レイディアントに、必要とされ……? な、なんだよそれ。わけわかんねぇよ」
「でしょうね」
「でしょうねって、なんだよそれ! お前がここへ連れてきたんだろ!!?」
僕は思わず、声を荒げてしまった。
「……私はたしかに、あなたを呼んでいた。けど、それはただのきっかけでしかない。あなたがここへ来るということは、偶然ではなく、必然的に起きたこと」
「だから、意味がわからねぇって言ってんだろ!! ちゃんと、分かるように説明しろ!」
そう言うと、彼女は大きくため息をつき、腕組みをした。
「あなたがここへ来ることは、大昔から定められていた【運命】……とでも言うのかしら。そう、運命られていたの」
「定められていた? 誰に!?」
「そんなの、わかるわけないじゃない。私は神様じゃないんだし」
「…………」
何を言っても、訳のわからない返答が返ってくるだけだ。僕は半ば、あきらめ気分になった。
「……もういいよ……(こっちの頭がおかしくなりそうだ……)。とりあえず、元いた場所に戻して欲しいんですけど」
ともかく、僕はガイアとやらに戻りたい。僕が突然いなくなって、空たちも心配しているだろうし。
「いいけど、その前に私の話を聞いてくれない?」
「……話?」
リサはうなずいた。
「……あなたは、とてつもない力を持っている人間」
「……? 力? んなの、持ってねぇよ」
「いや、持ってる。あなたは生まれながらにして、その権利を持ちえる唯一無二の存在」
「…………」
話が飛躍しすぎじゃないか? 力? 唯一無二の存在? 思わず、僕は笑い出しそうになった。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。ゲームの世界じゃあるまいし」
「信じる、信じないはあなた次第だけど……今、あなたは現実離れしている場所にいる。それを考えれば、私が言っていることが本当なのか嘘なのかもわかると思うけど?」
リサはニヤリと笑った。
「…………」
「ともかく、あなたは普通の人間じゃない。それに、さっき言ってた『頭の中で囁く』…だっけ? それが、普通の人間じゃない証拠さ」
「……あれは、幻聴なんかじゃあないのか?」
「幻聴だと思えば、そう思えばいいさ。今のうちはまだ、大したことでも無いんだろうからさ」
「大したことじゃない? 頭痛がして、気を失ったぞ?」
「気を? ……なるほど……意外に早く前兆が起こってたってことか……」
彼女は独り言かのように、ブツブツ言い始めた。
「? なんて言った?」
「……なんでもないよ」
彼女は笑顔を向けた。
「? どうしたのさ? 顔を逸らして」
「いや、気にしないでくれ」
僕は右手で顔を覆った。まったく……顔立ちがきれいだから、笑顔を向けられると照れてしまう。
「それにしてもお前、一体何者なんだ? レイディアント……もう一つの世界の人間って言ってたけど……」
「言葉のとおりよ。私はガイアとは別の世界で生まれ、育った人間さ」
「化け物じゃないんだな」
「当たり前でしょーが!」
冗談に引っかかるとは、やっぱり普通の人間か。…とはいえ、なんで日本語をしゃべれるのか不思議だが…。
「……空」
「なんだよ?」
彼女は雰囲気を変えて言った。
「あなたはこれから…………」
リサはそこで口を止めた。
「…ごめん。やっぱり、気にしないで」
「いや、気にするなって言う話のほうがおかしいだろ? なんだよ? 言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
「…今言っても、しょうがないことだと思うから…」
「しょうがないこと………?」
ちゃんと言って欲しいのだが、そもそも彼女の言っていることがいまいち理解できていないので、これ以上は訊かなかった。
「…で? お話はお終いッスか?」
「あともう一つ」
リサは人差し指を立てて言った。
「あんたは、これが夢だと思う?」
「夢? ……夢にしては、妙にリアリティがある……というより、ありすぎるけどな」
「これは夢ではなく、現実。結局はそれを見る者、感じる者次第だけど、現実を直視して。それが、あなたが運命に立ち向かう勇気を持たせるのだから」
「???」
何言ってんだ? 正直、それしか思い浮かばない。
「それを踏まえたうえで、受け止めなさい。あなたは力を持ち、選ばれた者なのだということを」
「また訳のわからんことを…」
「あなたはいずれ、レイディアントに来ることになる。だから、それまでに心の準備をしておきなさいって言ってんのよ」
「レイディアントに? 行くかよ。ぜってぇ行かねぇ!」
僕はそう吐き捨てた。
「……まぁ、本当のところは私もわからないけど、きっとあなたはこちらへ来ることになる。それが、あなたを……あなた自身を知ることとなるのだから」
「…………」
自分自身。最近、幻聴が聴こえたりするから、その言葉はなんだか重みのある言葉に思えた。
「まっ、私が言いたいのはそれだけ」
リサは腰に手を当てて言った。
「さて、帰りたいんだったね」
「? 帰してくれるのか?」
「? 帰りたいんでしょ?」
「…まぁ、そうだけど」
なーんか調子狂うなぁ。
「でも、どうやって帰るんだ? 見渡した限り、草原ばかり……」
「目を閉じて、深呼吸をして」
「?」
「いいから、言われたとおりにする」
まるで、教師に言われたかのようだった。僕は目を閉じ、大きく深呼吸をした。
「…絶対に目を開けちゃダメよ? そしたら、失敗するかもしれないから」
「失敗したらどうなるんだ?」
「…知りたい?」
リサの言葉から、恐怖が伝わってきた。
「…いや、やめとく」
「賢明ね」
きっと、彼女は笑顔なんだろうなぁ。……ムカつくけど。
「準備は良い?」
準備も何も、目を閉じただけなんだけどな…。とりあえず、僕はうなずいた。
「…じゃあ、行くよ」
僕はつばを飲み込んだ。なぜだか緊張する。
「……霊界にて彷徨いし次元の歪み…。我が願いを聞き入れ、虚空にその扉を映し出さん…。我を、その手許へと導き給え………ケリュ・ヴェル・ゼスナー………天界への梯子……ビフレスト」
彼女がそう言い放った途端、僕の足元から風が吹き上がり始めた。それに押されるかのように、僕の体が浮かんでいくのがわかる。ゆっくり、ゆっくりと上昇していく。目を開けて、その様子を見てみたい。しかし、目を開けてはならない。好奇心と恐怖心が交差している。
「またね、空。もう一人の空ちゃんを、大事にしてあげなさいよ」
リサは陽気な声で言った。
「! お前、なんで―――」
なんで空のことを知っているのかを訊こうとした瞬間、僕がそこからいなくなった感じがした。すると、まぶたの上から感じていた光が消え、自分が暗闇にいるのがわかった。ここへ来る時と、同じだ。
自分が無重力の中にいるような感覚だ。フワフワと浮かび、くるくる回っている。まぶたを開けたいが、怖い。念のため、ガイアに辿り着くまで閉じておかないと…。
「……う………」
まぶたの上から、光が差し込む。さっきまで真っ暗なところにいたせいか、まぶたを閉じていてもまぶしい。
いつの間にか、僕は仰向けになっていた。目を閉じていても、感触でわかる。さっきまでのフワフワした感覚がなくなっているからだ。もうガイアへ到着したのだと思い、僕はゆっくりとまぶたを開いた。
白い天井。見覚えのある光景。
ここは…またもや病院か…。隔離された場所特有の、清潔感溢れる空気が漂っている。
僕は上体を起こし、辺りを見渡した。僕がいるベッドの隣にあるイスに、誰かが座っていた。
……空と海だ。2人は制服姿で、座ったまま寝ている。小さな寝息をたて、肩と肩を寄せ合っていた。2人の目の下には、涙を流した痕と、寝不足を象徴するクマがあった。彼女たちが制服姿と言うことは、今日は月曜か……火曜ということか。それ以降の可能性もあるが。
外を見てみると、すでに黄昏時だった。空の果てはオレンジ色に染まり、カラスたちが群れになって飛んでいる。
…あれは、夢ではない。現実だ。僕は一人だけ扉の奥へと吸い込まれ、別世界へ連れて行かれた。澄んだ空気。そよぐ風。萌える草原。霧がかった風景。そして、金髪の少女。
緑の世界。
僕は、たしかにあそこにいた。誰も知らない世界に、僕はいたんだ。ゲームの中でしか…2次元の世界でしかあり得ないような世界に。
どうして僕が、あんなところに? 彼女……リサはそれを説明していたが、いまいち納得できないし、理解できない。選ばれただとか、運命だとか、そんなことを言われても、その状況をどう捉えればいいって言うんだ? 今まで普通の世界で、普通の生活をしていたのに、非現実的なことを言われても、僕はどうすればいいんだ?
リアリティのある、非現実的な世界。
あれは……夢でも、幻想でもない。現実だった。
ウタガウカ?
一瞬、僕の視界が点滅した。
また変な声が聴こえた。亀裂が走るような痛みが頭の中に響く。一瞬だけだったのが幸いだが、なんなんだ…?
僕は、一体どうなってしまったってんだ………?
「ん………」
空は目をこすりながら、うなだれていた顔を起こした。まだ目を開けておらず、眠たそうだ。
「……あれ……?」
彼女は虚ろな目で、僕を見つめていた。そうやって見つめられると、体が硬直してしまう。
「……よっ」
僕はぎこちなく、手を上げた。
「そ…ら……?」
空は疑問符を付け、僕の名前を呼んだ。
「気が付いた……の?」
「え? あ、ああ」
そう言うと、空は小さく震え始めた。瞳に、溢れんばかりの涙を溜めて。
「! お、おい……」
「よかった…!」
空はぽろぽろと涙を流し始めた。
「もう…目が覚めないんじゃないかって……!」
「え、縁起でもない……」
顔を手で覆い、彼女は声を殺しながら泣いた。
「…んん………」
ようやく、海も動き始めた。目をこすりながら。しぐさが空と同じなんだよな。
「…! 空……目が覚めたの!?」
「あ、ああ」
すると、海も同じように涙を流し始めた。
「う……」
海は僕に飛びついてきた。
「!! お、おい……」
「空……空ぁ――!!」
海は僕を抱きしめながら、大声で泣き始めた。
「…………」
僕は彼女の頭を優しくさすった。
「…海……ごめんな…」
小さな声で、彼女に聞こえるくらいでしか言えなかった。海がこんなにも泣いていると、自分が罪を犯したような感覚に囚われた。
彼女たちを心配させた。それが、嫌なんだ。
「空…空……!」
泣き声なのかどうかもわからない声で、海は僕の名前を呼ぶ。僕はただ、彼女の背中をさすったり、頭に触れたりすることでしか応えられなかった。
「……………」
この日から、僕を取り巻く状況が一変してくる。
リサの言っていた「しょうがないこと」。意味深な言葉だった。しかし、この後、僕はその意味がようやくわかることとなる。
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