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ひだまり童話館(参加作品・過去お題作品)

地球 -Terra-

作者: 天神大河

 それは、わたしが小学六年生になってから一週間ぐらい経った頃のことだ。


 その日の午後からの授業は、総合学習だった。テーマは「十年後のわたし」。先生から提示されたテーマに対し、クラスメイトのみんなが思い思いの夢や希望を口にする一方で、わたしはひとり退屈に思いながら外の景色だけを見て過ごしていた。


 わたしには、未来に向けた夢や希望はない。将来何かをやりたい、こんな自分になっていたい、という気持ちにならないのだ。それに、今はまだ考える必要もない。


 そう思いながら、今日の授業を終えたわたしは、放課後の家路をとぼとぼと歩いていた。小学校を出てすぐにある商店街を抜け、川沿いの小道にたどり着く。小道には、数メートル間隔でソメイヨシノが植樹されており、その枝葉のほとんどが青々とした若葉で埋め尽くされていた。小道から柵越しに川へと目を向けると、白っぽい桜の花びらが水面いっぱいにぷかぷかと浮かんでいた。


 もう、桜の季節も終わりか。あっという間だったな。よもぎ色をした川の水面を見つめながら、わたしは一人感傷に浸っていると、ふいにどこからか声が聞こえてきた。


 おーい、おーい。


 わたしは驚いて、きょろきょろと辺りを見回す。そうしているうちに、背丈の低い一本のソメイヨシノが目に留まった。複雑な形を描き出す樹の枝に、仔猫ほどの大きさをした何かが引っかかっている。そのことに気づくと同時に、先ほどの声が弱々しくこだまする。


 たすけて、たすけて。


 声は、その『何か』からはっきりと聞こえた。そして、眼前にいる『何か』はふつうの生き物ではないことを確信する。

 犬やネコとは異なる存在が、突然わたしの目の前に現れたのだ。わたしの心臓がばくばくと震える。どうしよう。逃げた方がいい? 誰か、大人の人を呼んだほうがいいのかな?


 形こそ違えど「ここからすぐにでも離れる」という気持ちがわたしの中で強くなっていく。けれど、わたしの身体はそれとは逆に、『何か』がいる樹へと歩を進めていた。

 考える前に、まず行動。困っている人は、迷わず助ける――いつだったか、学校での救命講習の時に、救命師さんが言った印象深い言葉を頭の中で反芻させながら、わたしは水色のランドセルを小石が敷き詰められた道の脇に置き、ゆっくりと樹の枝に手をかける。

 わたしの木登りの記憶は、二年生か三年生の頃を境に途絶えている。加えて、今のわたしの格好は膝ぐらいまでの丈のスカート。かつての経験を思い返しながら勘を呼び起こすのと、樹の下に誰かが来る前に早く終わらせたい焦燥感とがわたしの中でぶつかり合い、『何か』の救出作業は思いのほか難航した。

 どうにか目標地点まで到着したわたしは、右手で『何か』を掴む。猫の毛皮みたいなふわふわした感覚を手のひらで感じ取りながら、わたしは『何か』を怯えさせないように、なるべく優しい口調で話しかけた。


「待ってて、今助けるから」


 そう言って、わたしはゆっくりとソメイヨシノから下りていく。行きはよいよい、帰りは怖い。以前どこかで聞いた言葉を思い出しながら、わたしは慎重に一歩一歩を踏みしめつつ、両足を地面へと着けた。とりあえず『何か』の救出に成功したことに、思わず安堵の溜息が洩れる。


「ありがとう、きみ。おかげで助かったよ」


 わたしの手の中の『何か』が、快活な口調でそう告げた。それを受け、わたしはあらためて『何か』の姿をおそるおそる観察する。生後三、四ヶ月ぐらいの仔猫の大きさに、全身に生えた白く短い体毛。その背中には、可愛らしい小さな白い両翼が備わっていた。

 さらに顔へと、視線を移動する。黒いつぶらな瞳と、頭のてっぺんにある二つの丸い耳。背中の羽や大きさを考慮しなければ、どこからどう見てもハムスターのそれにしか見えなかった。


「あなたは、いったい」


 わたしは『何か』に向かって、漫然と思い浮かべていた疑問を投げかける。すると、『何か』はわたしへと顔を向け、にこりと微笑んだ。まるでマスコットキャラクターのような愛くるしさを湛えた笑顔に、わたしは思わず息を呑む。


「ぼくかい? ぼくの名前は『ステアローラム・ンノーラ』って言うんだ」

「ステア……ローム?」


 わたしが『何か』の名前をおぼつかない口調で反復すると、彼――性別についてはっきりとは分からなかったけど、一人称が「ぼく」だったから男の子だとわたしは思った――はすぐさま言葉を補足する。


「なんだったら『ステラ』でいいよ。ぼくの仲間も、そう呼んでるから」

「そ、そう」

「ところできみ、ぼくからも聞きたいことがあるんだけど、いいかな。ここはもしかして『地球』かい?」


 『ステラ』と名乗った何かは、きょろきょろと辺りを物珍しそうに見回しながら質問する。うん、そうだけど。わたしは、二つ返事でそう返す。

 すると、ステラはひときわ目を輝かせ、大きく感嘆の溜息を吐く。そのまま、彼は感慨深いと言わんばかりの口ぶりで呟いた。


「そうか……着いたんだ、待ち焦がれていた地球に。なんて美しいんだろう」


 わたしは、そんなステラの言動に半ばたじろぎながらも、彼の正体が何となく分かった気がした。それを確かめるべく、わたしはステラに話しかける。


「ねえ、ステラってさ。実は、宇宙人だったりするの?」


 わたしの問いかけに、彼は少し間を置いてから答えた。


「まあ、言ってしまえばその通りだね。ぼくは、ここよりとても遠い星からこの地球にやって来たのさ」


 屈託のない笑顔で話すステラに、わたしはあまり動じなかった。質問をした時点で半ばその答えが返ってくることは承知していたし、そう考えることで彼の外見などにも合点がいく。

 何よりもわたしは、小動物みたいな外見をしたステラが宇宙人だと聞いて、どういうわけだかほっとしたような気持ちになった。『宇宙人』という言葉で真っ先に連想するエイリアンのような不気味なイメージが払拭されたことや、わたしの目の前に突然特別な存在が現れたことへの優越感が強かったからかもしれない。


「そうなんだ。ところでさ、ステラ」

「どうしたんだい」


 わたしは、両手にステラを持ったまま、彼の顔をじっと覗き込む。そのまま、にこりと口角を吊り上げて、せいいっぱい明るい声で続けた。


「わたしは『ユーリ』っていうの。もし良かったら、わたしとお友達にならない?」

「トモダチ?」

「そう。ステラの、地球で出会った最初の友達。ねっ、どう?」

「地球での最初の友達、か。うん、悪くはないね」


 ステラもまた、わたしに向けて無垢な笑顔を向けてくれた。

 こうして、わたしとステラは友達になった。



***



 その日から、わたしとステラは家や学校などで身近な生活を送るようになった。日を追っていくごとに、彼についていくつか分かったこともある。


 まず、ステラの存在はわたし以外には感知できない、ということ。彼曰く、地球上で生活を送るにあたって自分たち宇宙人が迫害などを受けないようにするための措置であるらしい。そのため、わたしは家族やクラスメイト、先生にステラの存在を口外しなかったし、彼と話すときは決まって周囲に人気がないタイミングを選んでいた。


 また、かつてステラが住んでいた星は環境破壊が進んでおり、ステラたちは新たなる安住の星を求めてこの地球にやってきた、ということ。わたしが最初にそれを聞いたときは、正直なところ半信半疑ではあったが、この話をしていたときのステラの神妙な口ぶりからして、本当なんだと思った。また、ステラがこの星に来たのと合わせて、彼の仲間も地球上のあちこちで各々生活を送っている、とも言っていた。


 そうして、わたしとステラが出会ってから月日はあっという間に流れて、六月になった。梅雨入りしてからというもの、空模様は灰色一色であり、雨は地面に落ちていく勢いを日ごとに変えながらも、止む気配を一向に見せない。


「今日も雨かあ。なんだか、こうも雨に降られたら、いやな気持ちになるよ」


 わたしが、自室の窓越しに景色を眺めながら溜息を吐いていると、ステラがそっとわたしのそばへ寄ってきた。


「そうかな。ぼくには、この雨が地球のありとあらゆるものを慈しんでいるようにも見えるけど」

「まさか。雨に降られたら濡れて風邪を引いちゃうし。それにもう少ししたら台風も来るから、雨が降って良いことがあるとはあんまり思えないよ」


 わたしが嘆息しながらそう口にしていると、ステラは外で降り続いている小雨を黒い双眸に映しながら、どこか哀愁のこもった口調で応じる。


「そんなことはないさ。ぼくたちが以前調査をしてみたら、地球上のおよそ七割は水分で構成されている。ユーリたち人間や動植物は、みんながみんな公平にとはいかなくても、少なからず水による恩恵は受けているはずだよ。生命を育むために、水は欠かせないものだからね。そして、それを今間近で感じられていることこそ、尊いものなんじゃないかな」

「うーん、そういうものかなあ」


 一通りステラの言葉に耳を傾け、わたしは再び窓の先に広がる景色へと目を向けた。雨は、しとしとと音を立てながら、わたしたちの町に降り続いていた。



***



 夏休みがやってきた。何週間にもわたって続いていた雨模様はどこかへと吹き飛び、変わりにさんさんと降り注ぐ陽光が、その熱を直に地表へと伝えてくる。

 わたしはといえば、冷凍庫に置いてあったカップのバニラアイスを取り出して、それをゆっくりと口に運んでいた。口いっぱいに甘味が広がっていくと同時に、身体中に溜まった熱が徐々に和らいでいくのを感じ取る。


「美味しいっ! やっぱり夏はアイスだよね。熱い時には、のんびりアイスを食べる。こういうのを夏の風物詩っていうんだよ、ステラ」


 わたしは、半ば悟ったかのように呟きながらステラへと向き直る。彼は、最近お気に入りのヒマワリの種を無我夢中に食べていた。そんなステラの様子を見ていると、ハムスターによく似た外見も相まって、彼が宇宙人であるということを忘れてしまいそうになる。

 ごくん、と口に含んでいたヒマワリの種を飲み込んだところで、ステラが応じた。


「へぇ。地球の夏って、雨が降ったり熱くなったり、のんびりアイスを食べたり、いろいろあるんだね。興味深いよ」

「でしょ。夏はいろいろなイベントが目白押しなんだから。あっ、そうだ。今夜花火大会があるんだ」

「花火?」


 聞きなれない単語に、ステラが小さく首をかしげた。そんな彼に対し、わたしは身振り手振りを交えながら説明する。


「花火って言うのはね、夜のお空に、こんなにでっかいお花が咲くんだよ。とってもきれいなんだから」

「空に花が咲くのかい? 初耳だよ」

「咲く……とは言っても、ほんの一瞬なんだけどね。だけど、一度見たら忘れられないとは思うよ。ステラも一緒に、見に行こうよ」

「分かった。どんなものなんだろう、楽しみだよ」


 ステラの顔に笑顔が浮かぶ。それにつられて、わたしも笑顔になる。

 そんな取り留めのない、だけど笑顔になれる時間が、この先もずっと続くのだとわたしは思っていた。



***



 晩夏が連れてきた残暑は十月のはじめぐらいまで続き、それが終わるやいなや、辺りは紅葉の季節に包まれる。目まぐるしい季節感の変化を前に、わたしはたまに吹き付ける冷たい風に肌を震わせながら、学校からの家路を歩いていた。やや早歩きで進むわたしに対し、ステラは周囲に小さく見える山肌へとせわしなく視線を泳がせている。


「これが『コウヨウ』かあ。初めて見るけれど、きれいな景色だね。ユーリ」


 ステラが、ひときわ抑揚のはっきりとした声で感想を述べる。これまでは緑色で統一されていた山が、突然黄色や紅色で彩られたことに、強い関心を抱いているようだった。それに対して、わたしは彼の言葉に応じることなく、ただ歩を前へと進める。


「どうしたの、ユーリ。何だか元気がないね。何かあったの」

「別に。何でもないよ」

「そういう風には見えないよ。困ったことがあったら相談してみてよ。ぼくたちは、ともだ――」

「何でもないったら!」


 わたしの語気が思わず荒くなる。先ほどの言動を心の内に呑みこめば呑みこんでんでいくほど、言葉にできないとても酸っぱい感覚が、わたしの喉から鼻、脳をちくちくと刺した。それをぐっと抑え込んで、わたしはゆっくりステラへと顔を向ける。


「ごめんね、言い過ぎたよ」

「ううん、そんなことはないさ。気にしないでいいよ」

「うん、ありがと……ねえ、ステラ」


 わたしはつとその場で立ち止まる。ステラもまた、小さな羽をパタパタと動かしたまま、その場に留まった。


「今日、学校の友達がね、言ってたの。来年の春から、遠くの中学校に行くって。それで、わたし」


 そこまで言ったところで、わたしは自分の目じりに涙が溜まっていくのに気づいた。わたしは、ぐっと両手の指先で、うっすらと滲んだ涙を拭う。すると、ステラがしんみりとした様子で、ゆっくりと口にする。


「お友達と離れ離れになるから、ユーリは悲しいの?」

「うん。だって、幼稚園の頃から親しかったんだもん。だけどね、その子言ってたの。『将来のためには、それも仕方のないことだから』って。それを聞いたとき、何ていうか悲しいっていうよりも……自分ってどうしてこう、何かのために頑張ることができないのかなって、ぼんやりとだけど思ったの。わたしは、あの子と違って将来の夢は何にも思い浮かばないから。だから、そんな自分がちょっと恥ずかしいというか、ばかみたいっていうか……わたし、わかんないよ」


 一言一句、言葉を進めていくごとにわたし自身の口調が弱くなっていく。そのまま、心の内から湧き上がってくる名前も分からない奇妙な感覚を防ぎきれずに、わたしは両手で目を覆った。やがて、わたしの手をとおして眼前に黒っぽい小さな影が重なる。ステラがわたしの目の前に移動してきたのだ。

 ステラはわたしに向けて、言葉を選び取るかのように少しずつ言葉を紡いでいく。


「ユーリ。かつてぼくが住んでいた星には、こんな言葉があったんだよ。『絶えず手を伸ばせば、その手はいずれすべての星へと通じる』ってね。この星の言葉で言い換えたら『待てば海路の日和あり』がそれに近いかな。焦らず騒がず、ゆっくりと少しずつでも手を前へと伸ばしていけば、その手は必ず宇宙のあらゆる星につながる、という意味さ。だからさ、今はまだ掴めなくても、少しずつでも手を前へと伸ばしていけば、きっといいことがあるよ。ぼくがこうして、この地球へ来ることができたんだから」


 わたしは、両目をごしごしとこすって、遠い星から来た友達の姿をはっきりと映す。彼の黒い瞳には、はっきりとした信念が表れているように見えた。


「今はのんびりと、まっすぐ目標へ進んでいけば。きっとだいじょうぶさ」


 ねっ。そう言って、ステラはわたしに向かっていつもと変わらぬ無垢な微笑を作ってみせた。わたしも、そんな彼に負けないようにと、不器用に笑ってみせる。


「ありがとう、ステラ」


 そう言った瞬間、暮れゆく秋の夕日が、目の端に眩しく反射した。



***



 紅葉や銀杏が彩りにあふれた葉っぱを地面に散らしてから、冬の風がわたしたちの住む町一帯へとやってきた。その風は、クリスマスや年末年始を問わず毎日のように吹き続け、ある日ついに町へ大雪をもたらした。


「今日は雪だよ。外で一緒に雪遊びしようよ、ステラ」


 薄いピンク色で統一されたジャンパーやマフラーをまとい、手袋をはめたわたしは、家族以外に誰もいないリビングでテレビを見ていたステラに向けて、声をかけた。彼の視線は、部屋に置かれていたテレビに釘付けになっていた。

 わたしも、ステラと同じようにテレビへと目を向ける。そこには、寒帯の地域でよく見られるフィヨルドが映っていた。翡翠色をした海が、氷河の侵食によって形成されたU字状の谷間に流れ込み、その両脇に針葉樹林の山々が連なっている。まさしく、長い年月をかけて作り出された自然遺産そのものだ。


「ねえユーリ、この星にはこんなにも素晴らしい景色がまだまだたくさんあるんだね。ぼく、この地球がもっと好きになったよ」


 ステラは、顔をテレビの中のフィヨルドへと固定したまま口にする。わたしも、彼の隣に立ったままで応じる。


「そうだよ。この星には、わたしたちがまだ知らない場所がいっぱいあるの。世界っていうのよ」

「へえ、世界かあ。いつかユーリと一緒に、世界のあちこちを行ってみたいな」

「そうね。その時は、ぐるっと世界一周なんてのもいいかもね」

「いいかもね、それ。あっ、そうだ。雪遊び、行こうよ」


 ステラはそう言って、わたしの足元にとことこと移動し、うーんと身体を伸ばして背伸びする。それに合わせて、彼の身体を覆う白いふわふわした体毛がぷるぷると震えた。触れたらとても暖かそうに見えるそれを前に、わたしはテレビへとちらと目線を移す。ちょうど、テレビのカメラが海上に移動したところだった。


「でもステラ、テレビを観てたんじゃ」

「大丈夫だよ。フィヨルドは、またいつか見られるんだし。それに今は、ユーリと一緒に過ごす時間を大切にしたいからさ」

「そう? 分かった。じゃ、行こうか」


 わたしはそう言って、家の玄関へと足を伸ばす。ステラも、わたしの後をついて進む。すると、二、三歩進んだところで、ステラの脚が止まった。


「ごめんよ、ユーリ。仲間からの通信だ。少し待ってて」


 ステラの言葉に、わたしはうん、とうなずく。彼はたまに、地球のあちこちにいる仲間と通信――ステラ曰く、自分たち宇宙人の頭の中から発せられる独特の思念波を用いて会話をするようで、実際にはテレパシーのようなものに近かった――することがあり、わたしはそのことを特に気にも留めなかった。

 ステラが仲間と通信を始める。その間、わたしはテレビの電源を消したり、ハンカチやポケットティッシュを用意したりしていた。

 そのまま数分ぐらいが経過した頃、リビングの中に突如大声が響いた。


「ええっ、そんな!」


 わたしは思わずびっくりして、その声の主の顔を見る。対する声の主――ステラも、わたしがこちらを見ているのに気づいたのか、何事もなかったように再び通信を始め、通信が終わるまで一言も言葉を発しなかった。

 それから後、わたしと一緒に雪遊びをしていたときの彼の表情は、どことなく悲しそうに見えた。



***



 そして、春の訪れを間近で感じるようになった三月がやって来た。わたしとステラは、初めて出会った川沿いの小道をゆっくりと歩いていた。すぐ近くに立っているソメイヨシノへと目を向けると、樹のあちらこちらにかわいらしいピンク色のつぼみがついており、そう遠くない未来に満開の花を咲かせることを予感させる。

 昼下がりの春日の眩しさを避けるように、わたしは樹が張り巡らせた枝が作り出す薄い影の中を歩きながら、背中の羽でふわふわと浮遊するステラへと声をかける。


「そういえば、今日の帰りの会で先生が、明日の卒業式が終わったらみんなでタイムカプセルを埋めようって言い出してさ。十年後の自分に向けて手紙を出すんだって。そんな、来月から中学生になるって言うのに、最後の最後で照れくさいというか、何というか。ねえ、ステラ」


 はにかみながらそこまで言ったところで、わたしはステラの顔を覗き込む。彼の表情はいつになく張り詰めていて、何か違うことを考えているように見えた。ステラの様子がおかしいのはここ最近から続いていたが、わたしがどうしたのかを尋ねても、何でもないの一点張りだった。わたしは、そんな彼の態度に半ば不満を感じながらも続ける。


「ところでさ、もうすぐステラと出会ってから一年になるんだよ。覚えてる? 去年の春に、この道にある桜の樹にステラが引っかかってて、わたしが助け出して。確か、どの樹だったかな……えーと」

「あのさ、ユーリ」


 わたしが最初にステラと出会ったソメイヨシノの樹を探していると、ステラがふいに口を開いた。彼の発したいやに低い声に、わたしは身体を小さく震わせながらもステラへと向き直る。


「ど、どうしたのよ」

「ユーリ。突然だけど、ぼくとは今日でお別れだ。ぼくはこれから、この地球を発つ。それで、仲間と一緒に新しい星を探す旅に出る」


 淡々と紡がれるステラの言葉に、わたしは思わずその場で立ち尽くした。

 何よ、それ。冗談でしょ。そんな、いきなり。

 さまざまな思いが、わたしの頭の中を駆け巡る。いろいろと言いたいことが浮かんだけれど、わたしはどうにか平静を振る舞いながら、声を震わせて応じる。


「そ、そんな。どうして」


 わたしの問いかけに、ステラはわたしの方へと顔を向けた。神妙な顔つきのまま、彼は淡白な口調で語り始める。


「仲間からの通信で、自分たちが地球に住み続けるのは困難だということが分かったんだ。ユーリは聞いたことないかい? 『地球温暖化現象』という言葉を。このままそれが続けば、ぼくたちはとても地球で生きていくことはできない。だから、この星を出てまた新しい安住の星を探すことになったんだ。もう、決まったことなんだ。だから」

「ふざけないで!」


 わたしは、後に続くステラの言葉をかき消すかのように叫んだ。そのまま、まぶたを思い切り強く閉じる。けれどそれも空しく、わずかな隙間を縫って涙がぽろぽろとわたしの頬を伝って流れ出ていく。そこから、まるで堰を切ったように思いのたけがこぼれ落ちる。


「どうして? 何で今なの? どうして、そんな大事なこと、わたしに相談してくれなかったの? 友達なのに。悲しいよ」


 わたしは、すっかり上気した顔へと両手を伸ばす。両目をごしごしと擦っても、わたしの視界は未だ霞んだままだ。

 それから、何度か瞬きを繰り返していくうちに、ステラが悲しそうな様子で頭を垂らしているのが分かった。ぼくだって――弱々しく響く彼の声は、とても儚げだったように感じた。


「ぼくだって、辛いさ。ほんとうは、この地球にずっと残っていたかった。仲間にも、毎日のように言い続けた。せめてぼくだけでも、この星にいさせてくれ、って。けれど、叶わなかった。自分の思いを貫き通すには、ぼくはあまりにも無力だったんだ……ユーリ」


 ステラがわたしの名を呼ぶ。わたしは、あらためて手のひらで両目を擦り、ハムスターのような見かけをした親友の姿をはっきりと認識する。


「ごめんよ。ずっと前から、ちゃんときみに言わなきゃって思ってたんだ。何度も、何度も……だけど、結局ぼくは言えないままだった。悲しい顔をするユーリを見たくなかったんだ。地球にいられる今日最後のこの時まで、ぼくは自分のわがままを引っ張ってしまったんだ。ほんとうに、ごめん」


 そう言って、ステラは自分の頭を深々と下げた。わたしは、彼の心から謝っている様子を前にしても、心ではまだ戸惑いを隠せないでいた。頭が冷静さを欠き、目の焦点がまた霞んでいく。

 すると、遠い青空の彼方に、砂粒みたいに白い光の粒が現れた。光の粒は次第に二個、三個と増えていき、やがてそれらは一個の集合体を形成していく。思わず空を見上げたわたしは、夜中にひときわ眩い輝きを放つポラリスの如きそれを、呆然と見つめる。


「ぼくの仲間たちだ。ぼくを迎えに来たんだ」


 ステラがぽつりと口にする。やがて、彼は背中にある羽をパタパタと羽ばたかせ、光の方向へと飛んでいく。


 さようなら、ユーリ。


 わたしの耳に、ステラの言葉が空しくこだまする。このまま、お別れ? いやだよ。


 こんな。こんなのって――。




「ステラ!」




 わたしは、空に向かって思い切り叫んだ。頬を流れていた涙はすっかり乾き、にわかに肌寒い風だけがわたしの髪を静かに撫でていく。

 ステラはもう、空のだいぶ高いところまで上っていた。わたしの声がちゃんと届いたのかは、分からない。けれど、ステラは一瞬だけぴたりと動きを止めると、ゆっくりと振り返り、眼下にいるわたしへと向き直った。


 ユーリ。ユーリ。


 わたしの頭の中に、ステラの声がやわらかく響く。彼の声は、わたしを呼んでいた。それが、ステラの発したテレパシーによるものだったのかはよくは分からなかったけど、わたしは無我夢中でステラの名前を呼び返した。


「ステラ! ステラなのね?」


 わたしは、空高くにいるステラを見上げる。彼の白い身体は、全体の形をどうにか把握できる程度に小さく見えた。わたしが肉眼でその姿を追いかけていると、再びステラの声がわたしの頭の中に流れ込む。それとともに、わたしとステラが一緒に過ごしたときのありとあらゆる記憶が、一気にフラッシュバックする。



 ユーリ。この一年近くのあいだ、きみと一緒にいられて本当に良かった。

 思えば、きみのすぐ目の前にある桜の樹にぼくが引っかかっていたのをユーリが助けてくれたのが、最初の出会いだったね。出会って間もないぼくを友達と言ってくれたのは、心から嬉しかったよ。

 ユーリとの毎日は、ぼくにとってはとても楽しくて、彩りに満ちていた。毎日雨が降る中で他愛のない話をしたことも、はじめて一緒にきれいな花火を見たことも。きみが泣いているのを初めて目にして、どうにかぼくなりに励まそうとしたことも、雪が降った日に雪遊びをしたことも。

 楽しかったことや、悲しかったこと。辛かったこと、嬉しかったこと。きみと過ごしたいろいろな出来事は、ぼくにとってはかけがえのない宝物だ。これからは離れ離れになってしまうけど、ぼくはずっと忘れない。

 最後に、ぼくはこの自然に満ち溢れた地球が好きだ。けれど、それと同じぐらいに……いやそれ以上にユーリ、きみのことも大好きだ。これから毎日、ぼくはこの地球に向かって手を伸ばす。いつか、ユーリと再会できる日が来ることを信じてる。

 その時が来るまで、どうか元気でね。今までありがとう。ユーリに出会えて、本当によかった。



 そこまでわたしの頭の中に流れてきたところで、ステラの身体は白い光の中に吸い込まれていった。わたしは思わず、光の方角へと右手を伸ばす。光は一瞬、きらきらと短い瞬きをしたかと思えば、遠い遠い空の彼方へと飛び上がり、そのまま消えていった。




 わたしはしばし、その場に立ち尽くしていた。あまりに唐突なステラとの別れを受け入れるには、時間が必要だった。少しずつ時間が経過し、その事実を自覚していくほど、わたしの心は再び悲しみに満たされていく。

 わたしの目から、また涙がこぼれ落ちる。さっきも泣いて、涙はすっかり枯れてしまったと思ったのに。もしも今目の前に鏡があったら、わたしの顔はぐちゃぐちゃになっていることだろう。どうしようもない複雑な気持ちを抑えるために、わたしは右手で手早く涙を拭い、代わりにあるひとつの考えを頭の中へと、どうにかねじ込んでいく。


 これから先、ステラが地球に帰って来るために、わたしに何ができるだろう?


 漠然とした疑問を抱きながら、わたしは泣き疲れて荒れてしまった息を整えるため、ゆっくりと息を吸う。冷たい空気が、わたしの肺を満たしていく。そして、そのまま息をふうっと音を立てて吐き出した。

 そこで、わたしはあることに考えが行き着く。先ほどステラは、地球温暖化が進んでいるために自分たち宇宙人が住めないことが分かった、と言っていた。

 ならば、今の地球を守ることが一番の道なのではないか。


 そのことに気づいたわたしは、確固たる思いを胸に抱きながら白い光が消えていった方向へと右手を伸ばす。わたしは、ステラが好きだったこの地球を守りたい。少しずつでも、わたしができることをやり遂げたい。そのために、どれほど長い年月がかかるかも分からない。

 だが、たとえそれでも、わたしは諦めずに手を伸ばし続ける。

 いつか再び、ステラと出会うために。わたしはそのまま、右腕を目一杯伸ばし、ぐっと握りこぶしを作った。そしてわたしは、ぐちゃぐちゃになったままの顔でせいいっぱいの笑顔を作り、彼に言えないままでいた言葉を口にする。



「こっちこそ。こんなわたしと出会ってくれて、本当にありがとう」



 いつかまた、この言葉をちゃんと伝えたい。そう決心するわたしの身体を、春の暖かく柔らかな風が静かに包み込んでいった。






地球 -Terra-/Fin.

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[良い点] まず思ったこと―― この内容は、一万字程度では、もったいない壮大な話だな、ってことです。ぜひ、児童文学として、長編小説として読んでみたい、そう思いました。 小動物的宇宙人と人間の心のふれ…
[良い点] 初めまして。 しっかりとした描写に支えられた、とても読みごたえのあるお話でした。 四季を通じて育まれたステラとの友情物語であり、SFであり、ユーリの成長物語であり、環境という重いテーマを扱…
[一言]  宇宙人と少女のほのぼのとした交流、楽しませていただきました。  四季折々の景色、日々何となく眺めている自然を次の世代までキチンと守りたいものですね。いきなり生活をガラッと変えることは難しい…
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