13 「事務所での一日」
睡眠から目覚める。
心地の良い朝だ。
かつては、この瞬間が一番怖かった。
眠っているうちに殺されれば、目覚める場所は寝床ではなく、薄暗い森の中だったからだ。
安全な寝床がどこかを知るまでは、寝るのが怖かった。
逆に不眠が原因で集中力を欠き、死亡したこともあった。
寝ながらでも周囲を警戒する術を身につけた後は多少マシになったが……。
それでも、こんな無警戒の場所で寝起きするようになるとは、当時は思いもしなかった。
「……」
俺は息を整えつつ、事務所の書斎へと向かった。
書斎には、今回の周回における、普段との相違点が書かれた書類が山のように並んでいる。
書かれているのは、周回に置ける『基礎』と『相違点』についてだ。
俺が何もしなかった場合の歴史を『基礎』、
俺が動いたことで変わった結末や起きた出来事を『相違点』としている。
こうした書類を書くのは、ヒトガミを倒すためだ。
ヒトガミを倒すためには、出来る限り消耗を少なくして、やつのところにたどり着く必要がある。
特に80年後にある第二次ラプラス戦役が鍵だ。
そこでの消耗を出来る限り減らすことが、ヒトガミ打倒に繋がる。
そのため、この『基礎』と『相違点』を駆使して歴史を改変し、最小限の消耗で乗り切るのだ。
無論、この書類は次の周回に持っていくことはできないため、周回直前に行動を纏め、何度も読み直し暗記するしかない。
ただ、今回は、いつもと違う。
ルーデウス・グレイラットがいる。
ヤツが動き、誰かと接触する度に、世界が勝手に変わっていく。
この書類も、最初は相違点についてを書き留めているつもりだったが、いつの間にかヤツの観察日記のようになってしまった。
ほとんどのページにルーデウスの名前が乗っている。
それも膨大な量で、記述が間に合わない。
記述自体は周回が終わるまで続けるつもりだが、かなりの情報が抜けたものになるだろう。
正直、あまり意味のない行為だと思っている。
この周回は、何かがおかしい。
特別な何かが起きていると感じている。
次の周回でルーデウスがいる可能性は少なく、これだけ筆記しても無駄になる可能性もある。
恐らく、今回でヒトガミに勝たねばならないのだろう。
そういう運命なのだろう。
今のうちに戦力を蓄え、来るべき時に備えて魔力を温存し、ラプラスを出来る限り魔力を使わずに倒し、ヒトガミとの最終決戦で全てを使う。
そのつもりだ。
だが、だからといって、記述しないという理由もない。
もし今回に失敗し、次周にもルーデウスがいたのなら、この情報は確実に勝利へと近づく武器となる。
とはいえ、ルーデウスには、これは見せられんな。
ヤツのことだ。これを見ると、また何かおかしな勘違いをしかねん。
「……」
そう思いつつ、今日も情報を書き留めておく。
まずは、夜中のうちに通信石版からきた情報だ。
この通信石版のおかげで、情報収集もずいぶんと楽になった。
今までの周回であれば、何か変化を起こせば、現地に赴き、情報を集めなければ結果を知ることは出来なかった。
慣れはしたが、呪いを持つ俺にとっては、かなり困難な作業だ。
それが、今はここで座っているだけで十分な情報を手に入れることが出来る。
一つの変化の結果を知るために何周もしなければならなかった頃を考えると、格段の差がある。
もっとも、これほどの情報網も、ルーデウスが存在していなければ必要なかったと言える。
俺一人では、こんなに変わりはしなかった。
変わりすぎて、次の一手で何を行うべきか迷ってしまうぐらいだ。
奴の作った自動人形なども、扱いに困る。
アンと名付けられたその人形は俺も見たが、人の手であんなものが作れるとは思わなかった。
ペルギウスも驚いていた、自分の精霊より人間に近い形だと。
おそらくだが、あれが狂龍王カオスが夢見た存在なのだろう。
すでにカオスは死に、この世にはいないが、生きていたら、奴らと一緒に人形を作ったのだろうか……。
もし次周があるのなら、カオスから秘宝を回収するのを後回しにするか。
「ふむ」
などと考えながら通信石版を見ていると、興味深い情報があった。
アリエルからの情報だ。
イゾルテとドーガが結婚したらしい。
俺の知る限り、あの二人が夫婦となることは無かった。
そもそも、イゾルテが結婚する可能性もほぼ無かったはずだ。
子供など、言うまでもない。
これも、ルーデウスが関わったせいだろう。
何をどうすれば、これを再現出来るのか。
今の段階ではさっぱりわからないが……。
もっとも、再現するのは、二人の子供がどんな人間になり、どんな役割を果たすのかを見届けてからでいい。
場合によっては次のループでは、生まれさせないようにするかもしれないが……。
そうなれば、恐らくルーデウスは反対するのであろうな。
「……」
ルーデウスに対しては、もう嘘やごまかしはしたくないところだ。
例え、次の周回に行き、奴が何もかもを忘れていたとしても。
---
「おはようございます!」
しばらく書類整理をしていると、ルーデウスが現れた。
「……ああ」
「今日も書きものですか! いやー、オルステッド様はマメでいらっしゃる!」
「いつものことだ」
「いつもやるという姿勢が大事なのです! 人生は長いですからね! 常に少しずつです! さすがオルステッド様! わかってらっしゃる!」
ルーデウスは、たまにこのようにおかしくなる。
普段はもう少しおとなしい。
だが、こいつの態度にもパターンがあるのは知っている。
こうしてテンションが高い時は、何かいいことがあった時だ。
逆に、おどおどと申し訳なさそうにしている時は、何か言いにくいことがある時だ。
わかりやすい。
「今日はどうした?」
「さすが社長! お見通しですか! デュフ、いや、ララがですね。朝からですね。
今日はパパとずっと一緒にいたい! な~んて言うんですよ。デュフ。
クリスは俺になついてくれてますけど、ララにそういう事を言われると思って無かったもんで、ちょっと浮かれてしまいましてね。デュッフー」
「連れてきたのか?」
「ええ。ララとジークをレオに乗せて」
ジークもか。
少し意外だな。
と、思うと顔に出たのか、ルーデウスの顔色がサッと変化した。
「あ、ジークはですね! なんでもアレクのファンだそうで。
この前の一件でアレクから聞いたビヘイリル王国での話が面白かったらしくて。
北神様に会えるのなら付いて行く、もう一度話を聞きたい、というので。
今はアレクに相手をしてもらっています」
「そうか」
「あの……やはり、職場に子供を連れてくるのはダメだったでしょうか……」
「いや、構わん」
ルーデウスのアキレス腱は家族だ。
こいつは家族を大切にし、家族のために生きている。
家族のためになんでもし、家族を害されれば敵に回る。
後先考えない攻撃を繰り返し、負けそうになるとヒトガミだろうと簡単に裏切り、プライドなどかなぐり捨てて頭を下げる。
そういった人間は、俺の知る限りでも何人もいた。
ルーデウスを味方として繋ぎ止めておくには、奴の家族にも注意を払わなければならない。
少なくとも、邪険にするのはご法度だ。
奴の家族に目を掛け、出来る限り身の安全は守ってやる。
俺がルーデウスの最も大事なものを守り続ける限り、ルーデウスが裏切ることはない。
ヒトガミには、出来んだろうからな。
まあ、打算的な事はさておき、ルーデウスの子供は呪いが通じないようであるし、俺も嫌いではない。
賑やかなのも、悪くはない。
まるで、普通の人間にでもなった気持ちになれる。
「お前の子供は可愛いからな」
努めて笑顔を作り、奴の子供を褒めたつもりだった。
だがルーデウスの顔が真顔になった。
いかんな、この顔はよくない。
ルーデウスが警戒している時の顔だ。
気をつけなければいけない。
この男は平然とした顔をして、いきなり突拍子もないことをやり始めることがある。
大丈夫だとは思うが、寝ている時に唐突に生き埋めにされる可能性もある。
今この瞬間に倒すのは簡単だろうが、奇襲を掛けられれば……。
「いくらオルステッド様でも、娘はやれませんよ」
「……そういう意味ではない」
そう言うと、ルーデウスの顔が元に戻った。
「あとで二人にもご挨拶させますので」
「別に構わん。かしこまる必要はない」
「そうですか……まあ、ララはちょっと無礼な子なので、それがいいでしょう」
ルーデウスはそう言って、ソファに座った。
「さて、本日も頑張って仕事をしましょうか! 今日は何をしましょうか。
魔導鎧『一式』を用いての模擬戦? それとも、呪い防止のヘルメットの調整?
『三式』の開発の進捗報告や、『零式』の調整でもいいですね。
あるいは、今後の行動について改めて打ち合わせというのも……」
どれも、ルーデウスが主導で動けるものばかりだ。
娘や息子にいい所を見せたいのだろう。
だが、先ほど書類整理をしていて、ある事を思い出してしまった。
些細なことだが、ラプラスとの戦争になるのなら、やっておいた方がいいことだ。
「ああ、そのことなんだが……」
今年は中央大陸南部のある国では日照り続きになり、飢饉が起きる。
何世帯もの家が餓死をする。
まあ、それ自体はいい。
自然の摂理だ。
だが、その中に、とある一家が含まれているのが問題だ。
その一家は、さして特徴もない一家だが、末息子だけは特別だ。
彼は成長すると優れた指揮官になる。
そして第二次ラプラス戦役において、イーストポート防衛戦の指揮を担当。
類まれな指揮能力を発揮し、王竜王国軍を長く持ちこたえさせるのだ。
普段ならラプラスとの戦争は起こさせないこともあり、魔力との兼ね合いを考えて放置する。
だが、今回はラプラスとの戦争もあり、ルーデウスもいる。
今のうちに赴き、その一家を助けておいたほうがいい。
「と、いうことだ」
説明が終わると、ルーデウスは落胆した顔をした。、
「出張ではララに働いている所を見せられませんね……」
「何なら、出るのは明日でもいい」
その落胆を見て、そう提案したのだが、ルーデウスは首を振った。
「いえ、一家が飢え死ぬ正確な日を憶えていない以上、早めに動いた方がいいでしょう。
手遅れということは無いとは思いますが、人はひ弱で、いつ死んでもおかしくはありません。
こういう時のための旅の用意は常にしてあります、すぐに行くべきです」
逆に説得されてしまった。
「……お前がいいなら、それでいい」
「はい。では、すぐに準備します」
ルーデウスはすぐに退室し、事務所の倉庫に常備してある装備を取りに行った。
戻ってきたのは、十五分といった所か。
バックパックに食料、スクロールバーニアといったもろもろを装備した旅装姿のルーデウス。
彼は俺に向かい、指を揃えてビシリと額に当てた。
「では、申し訳ありませんが、適当な所で二人を家まで届けてやってください。
レオがいるから大丈夫だとは思いますが。何かあってからでは遅いので」
言われるまでもない。
奴が俺の側についてくれている理由をないがしろにするつもりはない。
「ああ」
「では、行ってまいります」
ルーデウスは最後にそう言うと、すぐに転移魔法陣のある地下へと駆け込んでいった。
この数年で、こういう時の判断と行動は早くなった。
そして、ほぼ確実に任務を遂行してくれる。
今までの周回の中でも、誰かを駒として扱ったことはある。
配下……と呼べるような者がいたこともある。
だが、これほど自在かつ有能に動ける人物が、俺の言葉に素直にしたがってくれたことはなかった。
少しだけ、使徒を操るヒトガミの気持ちがわかる。
「……」
俺は眉根が寄るのがわかった。
ルーデウスは頼りになる男だが、頼り過ぎないようにしなければなるまい。
少なくとも、ヒトガミが使徒を操るような気持ちではよくないだろう。
とはいえ、現時点で俺にできることは、そう多くはない。
この周回では、既に魔力は使いすぎている。
ルーデウスと共に戦うことは決めたが、それが魔力を無駄に使っていい理由にはならない。
「……」
ひとまず俺は呪い防止の兜を被り、書斎の外へと出た。
受付を通ると、ファリアスティアがビクリと身を震わせた。
「あ! これは社長!」
驚かせてしまったようだ。
だが、この兜のおかげで、驚かれる程度で済んでいる。
これがあるとないとでは、やはり大きく違うな。
作り方については既に書類にまとめてある。改良は難しいが、再現は可能だ。
「先ほどルーデウス様が出て行かれましたが、オルステッド様も出撃ですか? お供は?」
「必要ない。少し外に出るだけだ、すぐに戻る」
「承知いたしました」
外へと出る。
すると、すぐ脇から声が聞こえてきた。
「その時だ! ザシュゥ! 一瞬の隙をついた狂剣王エリスの剣が、三世の腕を切り落とした!」
芝居がかったその声は、事務所の裏、日陰になっている場所から聞こえた。
「片腕を失った三世の前には、北神カールマン二世と魔王アトーフェラトーフェ!
後ろには狂剣王エリスに魔導王ルーデウス!
前にも後ろにも話を聞かない奴ばかりだ! 問答無用!
もはや勝負は決した! 三世覚悟!
誰もがそうおもった瞬間だ! とうっ! 三世は地竜の谷へと逃げ込んだ!」
日陰には、石に腰掛ける一人の男。
そして、地べたに座る一人の幼い少年がいた。
石に腰掛けているのは、北神カールマン三世アレクサンダー・ライバックだ。
もう一人は幼い少年。
ジークハルト・サラディン・グレイラットだ。
前に見た時より、ずいぶん大きくなっている。
年月が流れるのは早いものだ。
「三世は逃げたのだ。
ここで逃げ延びれば、最終的に勝つ目があると判断し、地竜の谷へと!
実際、あの場で谷に飛び込んでこれる人間はいなかった。
満身創痍の父アレックスと、そして魔王アトーフェだけ!」
「その二人は人間じゃないの?」
「そう、この二人は人間じゃない!
不死魔族の血を引く猛者だ!
そして、この二人相手ならギリギリ逃げ切れると三世は踏んだ!
しかし! ダンッ! 大きな音を立てて、巨体が飛んだ!
飛び込んだのは誰だ!?
二世か、魔王か、狂剣王か!?
違う! ルーデウス・グレイラットだ!」
「パパだ!」
ジークはアレクの話に夢中だが、ララはどこだろうか。
そう思って周囲の気配を探ってみると、事務所の庭先にある藁山の上に気配があった。
見てみると、藁山の頂点で青い髪をした一人の少女が心地よさそうに昼寝をしていた。
その麓では、白く巨大な獣が上を見上げてウロウロとしている。
ララ・グレイラットと聖獣レオだ。
ララは聖獣が認めた救世主だが、行動の予測が付かない子供だ。
しかし、ルーデウスと一緒にいたいと言った割にこの態度はなんだ。
事務所の入り口でルーデウスと別れてから、一時間も経過していないだろうに……。
そういえばララはイタズラ好きだと聞いている。
もしかすると、何かイタズラをした挙句、怒られるのを避けるために父親を利用したのかもしれない。
だとすれば、哀れなのはルーデウスだ、あのように浮かれて……。
「彼はすでにボロボロの魔導鎧を動かし、単身で僕を追いかけたのだ!
たった一人で!
そして空中で身動きを出来ない三世をドゴン! ドゴォン! 魔導鎧の巨体で殴りつける! 殴りつける! 殴りつける!
ドッガァァァァン! 三世とルーデウスは地竜の谷へと墜落!
土煙の中から立ち上がるのは、片腕と片足を失った三世!
そして、ヒビだらけの魔導鎧を身につけた、ルーデウス!
誰も追いかけてはこない。一騎打ちだ!」
「いっきうち!」
現在、アレクはジークに対し、ビヘイリル王国の戦いの様子を話しているらしい。
ここまでララに連れてこられたものの、そのララがさっさと寝入ってしまったので、アレクが相手をしたのだろう。
「しかし、ルーデウスには三世に勝てるほどの力はない。
奇襲で拳打を打ち込むまではいい、だが、それで勝負を決められなかったのが、彼の敗因!
三世はそう考え、そして注意深くルーデウスを観察した。
彼は油断をしていた。
ルーデウスは魔術師、いざ戦いとなれば、距離を取りながら、得意の岩砲弾を使うだろうと。
そんな逃げ腰の相手には負けるはずがないと!
ルーデウスはそこをついた! 走りながら岩砲弾を使う!
相手をナメていても三世は歴戦だ! 岩砲弾を避けるべく、一瞬、後ろに下がった。
しかし岩砲弾は三世の目の前で消滅した! フェイントだ!」
「ふぇーんとだー!」
「ズバーン! 気づいた時には三世の斬撃は放たれていた! 浅い! フェイントのせいだ、一歩後ろに下がったせいで、致命傷ではない!
しかし、それでもまだいける! 三世は後ろに飛ぼうとして……ふと、足が浮いた。
そう、ルーデウスだ! 彼は最後の最後に、切り札を残していたのだ! 重力制御!
王竜剣カジャクトと同等の魔術を使って、三世をほんのわずか、浮かせたのだ!
ドン! 気づいた時に三世は殴られていた! ドガガガガガガ! 乱打! 乱打! 乱打! 打ちまくる!
ルーデウスの最強の魔道具が三世を細切れに変える! ズギャギャギャギャ! 三世は意識を失う……もう、立てない。
カラン……! 彼の手から王竜剣が落ちた。
ルーデウスの、勝利だ!」
「やったぁ!」
歓声を上げるジーク。
満足気に自分の敗北を語るアレクサンダー。
俺はその光景に微笑ましいものを感じつつ、アレクに近づいた。
「アレクサンダー・ライバック」
「っと、これはオルステッド様! お出かけですか?」
「いや、先ほどルーデウスが発った」
「はい。子供たちをよろしく、と頼まれました。適当な時間になったら家まで送り届け、妻に事情を話してほしい、と」
そうか、ルーデウスはアレクにも任せたか。
ならば、俺が送り届ける必要は無い……か。
「聞いたならいい。任せる」
「ハッ!」
その返事に頷き、俺は書斎へと戻った。
---
夕方。
俺は記述が一段落してから再度、書斎から出てきた。
アレクはまだ二人を送り届けてはいないようだった。
そろそろ日も落ちる、早めに帰した方がいいだろう。。
ファリアスティアはすでに職務時間を終えたのか、受付にはいなかった。
「君のパパは、普段こそヘタレた腑抜けのような態度をとっている。
実際、臆病なのが君のパパの本当の姿なんだろう。
でも、怒らせると誰よりも怖い」
戻ってくると、まだ話が続いていた。
だが、もはや語り口調ではなく、何かを教え、諭すような口調だった。
ジークも真剣な表情でそれを聞いていた。
「僕は彼の気迫に押し切られ、敗北した。
オルステッド様も、似たような経験があるそうだ。
もちろん、あのお方は僕のように押し切られはしなかったようだけど、
その気迫を認めて、君のパパを自分の配下としたのだろう。
でも、なぜ僕やオルステッド様が彼を一目おくか、わかるかい?」
「ううん?」
「それはね、彼が、強いからだ」
「パパ、強いの? でもパパ、赤ママによく負けてるよ?」
「そう。うん。普通の強いとは、少し違うんだ」
俺も、アレクがどういった目でルーデウスを見ているのか、興味があった。
「君のパパは魔力しか取り柄がない。
君のパパは、生まれつき闘気を纏えないんだ。
状況判断力も決して高いほうじゃない、予想外のことに直面するとすぐパニックになる。
目だってよくない。魔眼を持って、ようやく僕やオルステッド様の一段下に到達できるぐらいだ。
体の反応も遅い。どれだけ魔眼で先を見ても、体はそれに追いつかない。
人を殺すのにも躊躇があって、生身の相手に死ぬほどの一撃を加えるのはどうにも苦手なようだ。
無詠唱魔術を使えるというのはとりえではあったし、その魔術の発生速度は魔術師の中でも類まれなぐらい速いけど、僕ら剣士のスピードには、到底追いつかない。
僕は、彼が僕を殺せる『岩砲弾』を一発作る間に、三回は彼を殺すことができる。
それがどういう事かというと、僕らはその気になれば彼を『封殺』することが出来るんだ。
彼がどれだけ多彩な戦術を持っていても、何の意味もなくね。
そして、僕は世界最速というわけじゃない。スピードだけで言えば、トップクラスから一段も二段も落ちる。
もちろん、距離を取っていれば、入念に魔術を叩き込めるだろうけど、そんな状況は稀だ。
つまり彼は総合的に見て、どうにも、戦いには向いていないんだ」
「パパ……弱いの……?」
ジークは悲しそうな顔をした。
目の前で自分の父親を悪しざまに言われて、悲しく思わない子供も少ないだろう。
特に、ルーデウスは自分の子供に愛情を注いでいるから。
「ああ、そんな顔をしないでくれ。
まだ話は終わっていないんだ。
いいかい。君のパパの強いところはね、そうした自分の欠点はよくわかっている所なんだ。
だから、自分の欠点を無くし、長所を生かす方法を考えた」
「ほーほー?」
「うん。それが体のスピードを何倍にも跳ね上げる魔導鎧だ。
そのお陰で、君のパパは、僕らに先手を取られても、生き残ることが出来るようになった。
つまり、僕らに『封殺』を出来なくさせた。
もちろん、互角じゃない。彼の不利は変わらない。
でも、僕らの土俵に上がってきたんだ。
闘気を纏えない、魔力の多さだけが取り柄の魔術師が。
その上で、彼は逃げるのでなく、僕らに立ち向かっていくんだ。
時には正々堂々と、時には卑怯に後ろから、時には仲間の力を借りて、時にはたった一人でも。
なぜ、不利なのに立ち向かえるか、わかるかい?」
ジークは首を振った。
「君たちを守るためさ。
彼は愛する家族を守るためなら、自分の命を惜しまない」
アレクがそう言うと、ジークが目を輝かせた。
興奮したように拳を握り、アレクを見上げて喜色満面の笑みを向けた。
「やっぱりパパはチェダーマンなんだね!」
「そう、彼はチェダーマン、真の英雄なんだ!」
唐突に知らない単語が出てきた。
チェダーマン?
一体なんの暗喩だろうか。
あるいは人物か?
この数千年で一度も聞いたことのない存在だ。
となれば、ルーデウスが新たに作った造語かもしれない。
あの男は、事あるごとに新しい言葉を作る。
今度、奴自身に聞くとしよう。
俺はそう思い、頭のメモ帳にチェダーマンという項目を付け加えた。
「ねえ、北神様! 僕もチェダーマンになりたい!」
「なれるさ、真の英雄は努力でなれる。真の英雄である僕の父上はそう言っていた。君のパパはそう言ってなかったかい?」
「パパは言ったことないよ」
「そうか。まあ、もう少し大きくなれば、パパも言ってくれるよ」
「努力って、どうするの?」
「強くなるんだよ」
「どうやって?」
「体を鍛え、剣や魔術を学ぶんだ」
アレクは極めて冷静に、ジークを教え、諭していた。
が、そこでジークは意を決したように、アレクを見上げ、言った。
「わかりました、じゃあ北神様! 僕に剣を教えてください!」
「えっ? 僕が?」
「ダメ、ですか?」
「剣なら、君のママが剣神流を教えてくれているでしょう?」
「北神様に教わりたい! パパとママをびっくりさせたい!」
「しかし、僕は……自分ではそれなりに上手なつもりだったけど、僕の弟子はだいたい父上の教えを受けたがるぐらいに、下手だったようで、あまり向いてはいないよ?」
北神カールマン三世アレクサンダー・ライバックの若き頃の記憶は苦々しいものだ。
彼が北神となった時、彼に師事した者は二十人以上いた。
だが、ほんの数年で彼らはアレクの元を離れ、別の道を進んでしまった。
アレクはそれ以後、誰も弟子を取っていない。
「でも、北神様の戦ってる姿ってカッコイイんだもん。学ぶなら北神流がいい」
「しかし、未熟な僕が弟子を取るのは……」
悩むアレク。
ふと、俺はルーデウスの姿が思い浮かんだ。
自分を未熟だと言いつつも、いろんな相手にいろんなものを教えた男だ。
そして、教えられた者は、全て彼に感謝している。
この俺も、その一人だ。
「アレクサンダー・ライバックよ。教えてやるがいい」
俺がそう言うと、アレクはハッとした表情で顔を上げた。
まるで、俺が近づいてきているのに気づかなかったような態度だ。
そんなはずもあるまいに。
「オルステッド様……しかし、僕はまだ、北神として未熟で……」
「だからこそ、その子を鍛えてみるがいい。その子ただ一人を見て、その子ただ一人を育てれば、北神流なんたるかも、自分に足りないものも見えてこよう」
本来の歴史では、北神カールマン三世アレクサンダー・ライバックは剣神ジノ・ブリッツに敗北した後、改心する。
そして、失意の中で一人の子供を弟子とする。
その子供は決して才能のある子供ではなかったが、アレクは彼を見続けることで、己をも見つめなおし、真の北神へと成長していく。
第二次ラプラス戦役における北神カールマン三世は、歴代最強だ。
今回の周回でその子供がどうなるかはわからんが、アレクはすでに敗北を経験し、改心した。
ならば、前倒しで誰かに何かを教えてもいいだろう。
ついでに言えば、ジークには、剣の才能があるようだ。
ラプラスの因子だろうが、通常の子供よりも腕力が強い。
神子であるザノバほどではないだろうが、将来は片手でやすやすと両手剣を振り回すようになるだろう。
通常の人間と違うのならば、行き着く先は北神流だ。
こちらも、いまのうちに、だ。
ついでに言うなら、アレクは一つ理解が及んでいないようだ。
ルーデウスの長所は、魔力だけではない。
ルーデウスには、いざという時に駆けつけてきてくれる仲間がいるということ。
そしてその仲間は、戦い以外の場で作られたということだ。
一騎打ちで決着のついたアレクには、理解しがたいことかもしれんが……。
ルーデウスの子供と接することで、それが見えてくるかもしれない。
そして見えてくれば、あるいは本来の歴史よりも高潔で力強い北神へと育つかもしれない。
「ルーデウスには、俺からなんとか言っておこう」
「……オルステッド様がそうおっしゃるなら、わかりました」
アレクはにこやかに笑うと、ジークの方を振り返った。
「よし、ジーク君、明日から鍛えてあげよう。でも、パパとママをびっくりさせたいなら、みんなにはナイショだ、いいね?」
「うん!」
ジークはキラキラとした目でアレクを見上げた。
アレクは久しぶりに出来た小さな弟子に対する戸惑いよりも、
久しぶりに誰かに本格的に剣術を教えることに、張り切ってもいるようだ。
きっと、いい師弟になるだろう。
しかし……。
「……アレクサンダー・ライバック、一つ聞くが、いいか?」
「ハッ!」
「その背中のものはなんだ?」
アレクの背中には、大量の巻耳の果実がくっついていた。
人族の子供が、よく投げ合って服にくっつけて遊んでいる、あれだ。
子供の間では、ひっつき虫などとも言われている。
「ああ、これはララ殿ですね。暇だったのか、後ろからこそこそと近づいてきては、くっつけていました」
「……」
「子供のやることですから。あとで外しますよ」
ララはイタズラ好き、か。
なるほど、納得だ。
「そのララは?」
「事務所の中に入って行きましたが……?」
まさか、地下まで行って転移魔法陣に飛び乗ったのでは?
と、一瞬思い、気配を探ってみると、丁度ララが事務所から出てくる所だった。
シレっとした顔で、レオと一緒に。
ファリアスティアの気配も事務所内にあった。
おそらく、二階でファリアスティアが相手をしていたのだろう。
「ララ殿! レオ殿! そろそろ帰りますよ!」
「……はい」
ララはそう言うとジークの手を取り、レオの上へと押し上げた。
そして、自分もレオによじ登り、ジークを抱きかかえるように後ろに座った。
「では、送ってまいります」
アレクを先導に、レオがトトッと歩き出す。
ふと。
俺の脇を通る時、ララが俺を見て、フフンと勝ち誇ったように笑った。
何の笑みだろうか。
わからなかったが、俺は彼らを見送り、事務所内と戻った。
受付にファリアスティアがいるところを見ると、ララと一緒に降りてきたのだろう。
俺は彼女に、そろそろ帰ってもいいと通達し、書斎へと戻った。
「む……」
そこで、ララの笑みの意味がわかった。
椅子だ。
俺のいつも座っている椅子に、巻耳の果実が大量にばらまかれていた。
このまま座れば、この巻耳は俺の尻にくっつくことだろう。
イタズラだ。
俺は口角が少し上がるのを感じつつ、巻耳の果実を集め、袋に入れた。
それを机の中にしまおうとして、ふと何かの違和感を感じた。
「むっ……?」
小さな違和感だ。
いつだったか、暗殺者に毒殺された時と同じような違和感。
魔力付与品と龍聖闘気に守られたこの身には、もはや当時の毒など効きはしないが、しかし違和感はある。
「……」
だが、俺は無警戒に机の引き出しを開けた。
すると、中から生きたバッタが飛び出してきた。
5匹だ。
巻耳を見て安心させて、これで驚かそうという、二段構えの作戦というわけだ。
恐らくララは受付のどこかに隠れていて、俺が出るのを見計らって中に侵入し、犯行に及んだのだろう。
勝ち誇るわけだ。
「……」
しかし、ララだけは本当に、どう育つのか見当もつかんな。
ヒトガミは、あの子供の何を恐れたのだろうか……。
---
数日後、ルーデウスが戻ってきた。
彼は目標とする一家を救っただけでなく、周囲一帯に雨を振らせて、飢饉もどうにかしてきたらしい。
本当に、有能な男だ。
一通りの報告を受けた後、俺は彼に言った。
ジークの件についてだ。
「……ジークハルトを、俺のところに通わせようと思う」
「それは……なぜですか?」
当然ながら訝しげな表情を向けられる。
さて、どう説明したものか。
「少し興味深いことがあってな、傍で見ていたい」
「…………危ないことは?」
「ない」
「門限は決めても?」
「構わん」
「わかりました。一応、妻にも言っておきます」
ロクな説明せずとも了解を貰えるのは、俺が信用されているからか。
それとも、俺が説明足らずであると諦められているからか。
「聞かないのか?」
「いえ、誰が何をしてくださるかは、なんとなくわかりましたので……俺に内緒な理由はわかりませんが」
「ああ」
「俺も、その方がいいと思います。アレクには、ジークをよろしくお願いしますとお伝えください」
お見通しか。
しかし、そうであるとありがたい。
これからもルーデウスとの付き合いは続く。
相手の考えを簡単に見抜けるぐらいが楽でいい。
隠し事などは、少ない方がいいだろうからな。
「では、俺も帰ります」
「ああ、ご苦労だった」
ルーデウスが踵を返した所で、
俺はふと、あることを思い出し、聞いた。
「ルーデウス」
「はい?」
「チェダーマンとはなんだ?」
ルーデウスは一瞬、ぽかんとした顔をしたが、
「顔がチーズでできている英雄です。
お腹を空かせた子供の所にきて、自分の顔を千切って食べさせたり、
人々を脅かす悪いやつをパンチ一発で倒すんです」
「……お前の元いた世界には、そんな男がいるのか?」
「俺の世界では、アンコの詰まったパンでしたがね。
アンコが通じなかったのでチーズにしました。
子供たちを寝かしつける時に、そういう話をするんですよ」
と、教えてくれた。
チェダーマン。
顔を引きちぎって与えるとは、意味がわからんな。
「それが、何か?」
「いや、少し気になっただけだ」
「そうですか。では、失礼します」
俺はルーデウスの帰宅を見届けて、俺は書斎に戻った。
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ふと机の上を見ると、ララの残した巻耳の袋があった。
バッタはすでに外へと逃げていった。もういない。
ララは帰った後、家でしたイタズラを咎められ、こっぴどく叱られたのだろうか。
「ふっ」
息が漏れる。
ララに、ファリアスティア。
アレクサンダーに、ジーク。
そしてルーデウスにチェダーマンか……。
今回の周回は、本当に新鮮だ。