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光のもとでⅡ-1 作者:葉野りるは

紫苑祭準備編(09/14~10/29)

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Side 翠葉 08話

 十月八日木曜日――中間考査四日前のため、今日から午前授業になる。
 授業間の休み時間や放課後の風景が一変して、「あぁ、あと少しでテストなんだな」と肌で空気を感じられるくらい。
 私とツカサは昇降口での待ち合わせ。
 取り立てて珍しくもなんともない約束だけれど、紫苑祭の準備期間に入ってからというものの、学校で会うこと自体がほとんどなかったため、久しぶりのことに少しドキドキしている。
 人が溢れる昇降口にツカサの姿を見つけて胸の鼓動が速まった。
 昇降口のドアに寄りかかり、伏目がちに外を見ていた目がこちらを向く。
 ……なんだか、嬉しい。
 人がたくさんいる中でただひとり、自分を待っていてくれることが、とても嬉しい。
 嬉しくて駆け寄ると、呆れた顔で怒られた。
「走るな」
「ごめんなさい」
「……顔が伴ってないんだけど」
 言われて気づく。ごめんなさい、と謝りながらも全然そんな顔をしていなかったことに。
「だって、嬉しかったの」
「何が……?」
 単なる待ち合わせが。ツカサが私を待っていてくれたことが。人ごみの中に私を見つけて、遠くからずっと見ていてくれたことが嬉しかった。
 そういうの、ツカサに話したらわかってくれるのかな。
「笑わない?」
「……笑うようなことなの?」
「そういうわけじゃないけど……」
 不思議そうな顔をしているツカサに、
「待ち合わせが嬉しかったの。ツカサが待っていてくれたことが嬉しかったの。ただ、それだけ」
 ツカサは一瞬言葉に詰まったあと恥ずかしそうに顔を背け、「帰るよ」と私の手を取って歩き始めた。
 言わせたのはツカサなのに、そんな顔も態度もずるい……。
 手、つないで歩いてくれるなんてもっと嬉しいんだから。

 一緒にいて会話がないことは珍しくないけれど、手をつないでいて何も会話がないと、手のひらに全神経が集中する。
 十月に入ったけれど、まだそこまで涼しくはない。外気とツカサの手だとツカサの手のほうがあたたかいくらい。
 ツカサは冷たい私の手を握って何を感じているだろう。
 手を握る力は強くはなく、ふとしたら離れてしまいそうで、ツカサに遅れず歩こうと必死になる。すると、
「悪い、歩くの速かった?」
 訊かれて首を振る。
「違うの、手が離れちゃいそうで――」
 言って失敗したと思った。でも、何も言わずに握りなおしてくれて、そんなことが嬉しいと思えた。
「衣装作り、ツカサはどこまで進んだ?」
「来週半ばには完成する予定。翠は?」
「私は早くても再来週の半ばくらいかな。……私のほうが早く作り始めたのに、ツカサのほうが先に出来上がるなんて悔しいなぁ……」
「仕方ないだろ? 俺は会計の仕事をしていないし、翠ほど予習復習の必要もない」
 会計はともかく、予習復習のくだりを聞けばますます悔しい……。
 さらには刺繍の出来上がりだって、私が作ったものよりもきれいなのだ。
 女の子の立場形無しである。
 でも、ジンクスあれこれを考えると、少し得をした気がしてしまうのも事実。
 好きな人の衣装を作ると想いが通じる。付き合っている人の衣装を作ると仲が続く。好きな人に衣装を作ってもらえると両思いになる――。
 ジンクスは三通りあるけれど、男子が女の子の衣装を作る、というジンクスはない。ジンクスもなければそんな話だって聞かない。
 そんな中、私は好きな人に衣装を作ってもらえるのだ。
 ジンクスにはなくても、これ以上にないくらい特別なことに思える。
 もしかしたら、ツカサがきっかけとなって、新しいジンクスが生まれたりするのだろうか。
 そんなことを考えるとやっぱり嬉しくて、楽しくて、幸せな気持ちになれた。
 ツカサが衣装作りを引き受けてくれたときに感じた申し訳なさも、今は感じてはいなかった。

 マンションのエレベーターが九階に着くと、
「じゃ、昼食摂ったらうちで」
「うん。あ、でも――」
 十階の部屋で一緒にいると理性を抑えるのが大変だと言っていた。それは勉強会のときも、なのだろうか。だとしたら、ゲストルームで勉強をするほうがいいのかな……。
 内容が内容すぎて訊くに訊けないでいると、
「……何を言いたいのかはなんとなくわかる。でも、とりあえずうちで……」
「うん、わかった。じゃ、ご飯食べたら行くね」

 帰宅すると、玄関までホットケーキの甘い香りが漂っていた。
 お母さんはキッチンから顔を出して「おかえり」を言うだけ。たぶん、ホットケーキを焼いていて、その場を離れられないのだろう。
 着替えて手洗いうがいを済ませてキッチンへ行くと、やっぱりホットケーキを焼いていた。
「ホットケーキなんて久しぶりだね」
「そうね。なんだか無性に甘いものが食べたくなって」
「そういうとき、あるよね」
「さ、焼けたわっ!」
 焼きあがったホットケーキにバターを塗って、たっぷりとメープルシロップをたらして食べる。
「「美味しい!」」
「久しぶりだと格別ね」
 私は頷いて二口目を口へ運んだ。
「午後は司くんと一緒にお勉強?」
「うん。ご飯を食べたら十階へ行くことになっているの」
「じゃ、会食までには下りていらっしゃいね」
「そうする」
「ところで……司くんとはどこまでの関係?」
「え?」
「キスくらいはもうしてるわよね?」
 その言葉に私はフォークを落とした。
 カチャン、とけたたましい音を立てても私は次の行動が取れない。ようやく次の行動へ移せたところで口を開くのがせいぜいだった。
「お、お母さんっ!?」
「なぁに? そんなに驚いた顔をして」
 食事中にそんなことを訊かれたら驚かないほうがおかしいと思う。でも、お母さんはいたって普通でケロッとした顔をしていた。
「好きな人とお付き合いしてるんだもの。そういうことがあってもおかしくないわ。普通のことよ?」
 なんらおかしいことではない、と言われて、自分が過剰に反応しすぎたのかと思えば、恥ずかしさが増す。
「……キスはする。でも、その先は……」
「身体の関係はまだ、っていうこと?」
 私はコクコクと頷いた。
「翠葉たちはまだ学生だし、これからも学生でいたいなら、避妊はしっかりしなさいね」
 私はぎこちなく頷き、
「あの……」
「ん?」
「こういう話って親子でするものなの?」
「さぁ、その家その家によるんじゃないかしら? 私はしないよりはしたほうがいいと思うけど。……あ、別に家族揃っておおっぴらに話せっていうわけでも、頻繁に話すというわけでもないのよ? ただ、今みたいに翠葉とふたりの時間なら必要なことは話しておくべきだと思う」
 ならば――と、私はかねてからの疑問を尋ねることにした。
「高校生でそういう関係って普通なのかな? ……早くない?」
「早いか遅いか、か……。どうなのかしらね。そもそも、相手がいなければそんな関係にはなりようがないし、相手がいれば自然とそういう関係になるものだし……」
 お母さんは言葉を区切ってから次を続けた。
「私も零も、高校生のころから付き合っていたし、大学に上がる前には身体の関係があったわ。だから、遅いとも早いとも言わないし、翠葉と司くんがそういう関係にあったとしてもだめとは言わない。ただ、気をつけなさい、とだけ言うわ。妊娠は自分の人生を大きく左右するものだから。ほら、私は大学在学中に蒼樹を妊娠したでしょう? そのとき、とっても大変だったから」
 なるほど、と思った。
「でも、避妊していても妊娠してしまうことがあるのでしょう? 果歩さんがそうだったって……」
「あら、楓先生のところはそうだったのね?」
「お母さんたちは違うの?」
 お母さんは苦笑した。
「私たちは自業自得。そのときたまたま避妊しないでしちゃったの。そしたら、妊娠しちゃった。だから、何をどう考えても自分たちの責任」
 話していくうちに恥ずかしさは薄れ、物が喉を通らないということもなくなった。
「あのね、ツカサにはしたいって言われてるの。でもね、まだ怖くて受け入れられないって待ってもらっているの」
「そう……。司くんは翠葉の気持ちを汲んでくれているのね」
「うん。……初めて言われたのが夏休み中だったから、それからずっと」
「そっか。優しい子ね」
「お母さん」
「ん?」
「お母さんは……お母さんは初めてのとき怖かった?」
「ん~……まぁ、未知のものに対する不安はあったけれど、翠葉ほど怖いとは思っていなかったと思うわ。それに、私は零にしたいとはっきり言われたわけではなかったし、その場の雰囲気でなんとなく行為に及んだ感じかしら……」
「……そういうものなの?」
「翠葉、それも人それぞれよ。何が正しいかなんてないの」
「そうなのね……。あのね、実は……秋斗さんとお付き合いしていたときはそれが怖くて、秋斗さんも怖くなっちゃって、それでお付き合いしていることをなかったことにしてもらったの」
「……そうだったのね。今は……? 司くんのことも怖い?」
「ううんっ、それはないっ。ツカサのことは怖くないよ。ただ、行為が怖いだけ。あと、まだ学生でいたいから、赤ちゃんができるかもしれないことをするのが怖い」
「翠葉、セックスって生殖行為ってだけじゃないわ。もちろん、避妊しなければ赤ちゃんができる行為ではあるけれど、それ以外にも意味はあるの」
「意味……?」
 お母さんは大きく頷いた。
「スキンシップ、よ。好きな人と触れ合う時間。そうだな……触れ合い方の度合いが浅いか深いか。手をつないだり抱きしめたり、それよりも深く触れ合う。そういうもの」
 あ、と思う。咄嗟に、去年受けた性教育を思い出したのだ。
 玉紀先生もお母さんと同じく、触れ合う行為だと、スキンシップだと教えてくれた。
 今年はクラスのみんなと授業を受けたため、去年ほど自分の心に沿った授業ではなかったけれど、去年の授業を思い返せば、昨日教えてもらったことのように思い出せる。
「翠葉、大丈夫よ。いつか、翠葉自身がもっと司くんに触れたいと思うようになる日がくると思う。それまでは、悩んで、考えて、自分で決めて前に進みなさい」
「……はい」

 勉強の準備をしてツカサの家の前に立つも、緊張してインターホンが押せない。
 十分近くそうしていたら、まんまと貧血を起こしてしまった。
「私、何やってるんだろう……」
 玄関の前で座り込んでいると、携帯が鳴り出す。
 ほかの誰でもないツカサからの着信。
 出られないわけじゃないのだけど、気分的に出られなくて通話ボタンが押せない。
 そのままでいると、玄関のドアが開いた。
「……何してるの」
「貧血……」
「なんで……」
 言えるわけがない。ここにたどり着いてからすでに十分以上が経っているだなんて。
「立てる?」
「もう少しだけ待って? あと少ししたら立てると思うから」
「わかった。じゃ、かばんだけ預かる」
 かばんを渡して少しすると、血の気が引く感覚が徐々に和らぎ始めた。
 ツカサの手をガイドに立ち上がりリビングへ向かうと、ラグで座っているように言われる。
 キッチンへ行ったところを見ると、飲み物を取りに行ってくれたのだろう。
 すぐに戻ってきたツカサにミネラルウォーターを渡された。
「ありがとう」
 冷たいお水を飲んで一心地つくと、
「なんであんなところで貧血起こしてたの?」
「…………」
「なんで無言? 何か言えないわけでも?」
「……言えないわけじゃないのだけど」
「じゃ、何?」
「……インターホンが押せなくて、押せないうちに十分以上経ってて……」
「……何やってるんだか」
 そう言うと、ツカサの手が頭にポンと乗せられた。
 たかがそれだけの行動に心臓がピョンと跳ねる。意識しすぎの自分が恥ずかしい。
 ……さっき、お母さんとあんな話をしたからかな。それとも、ツカサと別れ間際にした会話が原因だろうか。
 視点が定まらずにおろおろしていると、
「玄関のインターホンが押せなかった理由は?」
「……緊張しちゃって」
「何に?」
「……何に、かな」
 ツカサと会うことに?
 それは何か違う気がする。だとしたら、何に緊張していたのだろう。
「……さっき別れ際にした会話が原因?」
「……そうかな? そうかもしれない」
 突き詰めて考える余裕がなく曖昧に答えると、ツカサはため息をついて私の正面に膝をついた。
「確かに翠とふたりきりの空間で自分を律するのは難しい。でも、家に人がいるときや学校ではされたくないんだろ? それなら、テスト勉強やその他でうちにいるときくらいは好きにさせてほしいんだけど」
「キスを」という明確な言葉は添えられないものの、あまりにもストレートな要求に顔が熱くなる。
「その代わり、ゲストルームに行ったときはしないから」
 それはつまり、今まで毎日のように帰り際にしてくれていたキスがなくなるということだろうか。
「今日も一日がんばりました、明日も一日がんばりましょう」のキスがなるなるということ……?
 それはちょっと、すごく嫌かも……。
 視線を上げると、ツカサはテキストの用意を始めており、すでに今の会話が終わってしまったことに気づく。
 私は、「それは嫌」と言えないままテスト勉強をすることになった。






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