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光のもとでⅡ-1 作者:葉野りるは

紫苑祭準備編(09/14~10/29)

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Side 翠葉 05話

 マンションへ帰ると、いつものように高崎さんに迎えられた。
「おかえり。今日も収支報告書とそのたもろもろのファックス届いてるよ」
「ありがとうございます」
「相変わらずかわいくない枚数だねぇ~……」
 その言葉に私は苦笑を返しフロントを通り過ぎた。
 ファックス用紙は紅葉祭に引けを取らない枚数だ。しかし、紅葉祭のときとは本質が違う。
 紅葉祭のときは、各団体から上がってきた収支報告書に明細書が添付されたものを実行委員サイドの会計がチェックして、一覧表にされたものが生徒会の会計に上がってきていた。しかし今回は、団体の数が少ないため実行委員サイドに会計班がいない。よって、会計の二段構えはなく、数字の確認はすべて私が負うことになるのだ。

 帰宅したのは六時。
 いつもなら六時からの夕飯だけれど、この期間は六時から七時に私が休憩を取るため、夕飯は七時からになる。
 七時から夕飯を食べ始め、八時になったらお風呂。九時になったら会計の仕事。十時半になったら予習復習。一時間半経てばあっという間に十二時になってしまう。
 そして、現状は十二時から一時までを衣装の製作にあてているため、寝るのは一時過ぎなのだ。
「……どこかでこのループを崩さないと」
 夜やっていることを朝に回しても、睡眠時間は変わらない。ならどうしたらいいのか――。
「学校にいる時間を活用、かな……」
 最後はミシンで一気に縫うにしても、刺繍は地道にやるしかないのだ。それなら、常に持ち歩いて、できる時間はすべてそれに費やすべきだろう。
 できるとしたら、授業間の休み時間のみ。ざっと計算しても二十分に足るか足らないか……。それでも、やらないよりはいいはず。
 何より時間がかかるのは、自分が着る長ランとツカサが着る長ランの内布に施す刺繍。
 内布全面に刺繍をするわけではない。ヒラリ、と長ランを翻したときに見える場所のみに施す。しかし、ハチマキ以上の面積に刺繍をしなくてはいけないし、普段し慣れない作業はひどく時間を要する。
 そんなことを延々と考えていたため、夕飯までの一時間はまったく休むことができなかった。

 夕飯の席で、
「リィ、ちゃんと休んだ? ……ってか、目、充血してるっぽい?」
「ちょっとゴミが入っちゃったの」
 すんなりと嘘が出てくる自分に驚いた。
 こういうのはあまりいい傾向ではない。またひとりで空回ることになる。
 それだけはどうにか避けなくちゃ……。
 でも、ご飯を前に思うのだ。まだ食べられなくなってはいない、と。
 直後、頭の中にツカサの声が響いた。「食べられるうちにどうにかしないと意味がないだろ」と。
「――だったのか? ……翠葉?」
「えっ……?」
 顔を上げると、蒼兄が心配そうな顔をしており、気づけばテーブルに着いているみんなが私に視線を向けていた。
「今日、夕方に血圧数値が一気に下がったけど、大丈夫だったのか?」
「あ、わ……えと、大丈夫」
 言ってすぐに後悔する。
 大丈夫じゃない数値を見られたからこそ訊かれているのであって、今の質問は「大丈夫だったのかどうか」を問われているというよりは、何があったのかを訊かれているようなもの。
 今の返答では説明不足だ。
「あの、夕方の数値変動は貧血で――今はまだ大丈夫なんだけど、もう少ししたら大丈夫じゃなくなりそうで、大丈夫に戻すにはどうしたらいいのかちょっと考えてる……」
 つたない言葉で現状を伝えると、
「相談ならいつでも乗るよ」
 蒼兄のその言葉に、その場にいたみんなが食事を再開した。

 夕飯後、休む間もなくお風呂に入ると胃が不調を訴えた。
 原因は、プレッシャーという名のストレスだ。
 期日までに長ランとハチマキを作り上げること。そして、会計職と副団長の任務をまっとうすること。さらには、成績を下げないよう勉強を怠らない、という負荷まである。そのうえ、日曜日には佐野くんとダンスの練習をしなくてはいけない。
「う~……胃腸さん、ごめんね。どうにか切り抜ける方法を考えるから、もう少しがんばってほしい。今、戻したりするのはちょっと困るの。そんなところで体力を浪費している場合じゃないの」
 どれもこれも自分のわがままで、胃腸さんには申し訳ない限りである。
 湯船に浸かるのもそこそこに出てきて自室で髪の毛を乾かしていたら、本日二度目の貧血に見舞われた。
 意識を失うほどではないにしても、しばらく身体を横にしたまま動けそうにはない。
 がんばりがきくのもあとわずかなのだろうか――。
 そんなことをぐるぐる考えていると、部屋をノックする音がして、すぐにドアが開いた。
「やっぱ貧血起こしてるっぽい」
 その声は唯兄のもの。そして、物言いを考えればほかに誰かがいる気がした。
「翠葉、大丈夫?」
 お母さんだ。
「ん……ちょっと貧血」
「でも、今日二回目でしょう? 無理してるんじゃないの?」
「うーん……」
 無理しているのはわかっているけれど、無理と認めるのが非常に悔しい。
 悔しがっていても現状が変わるわけではないし、私の体力が増えるわけでもない。
 何か打開策を見つけなくちゃ……。
 さっきから同じことばかりが脳内をめぐる。
「リィ、今抱えてるもの言ってみ?」
「……会計の仕事。長ランふたつとハチマキふたつの製作。副団長任務。授業の予習復習……」
「あのさ、それ、健常な人間であっても結構ハードなノルマだと思うよ?」
「うーん……」
 血が引く感覚が薄れ、ゆっくりと起き上がる。
「でも、引き受けてしまったものだからどうにかクリアしなくちゃ……」
「それで倒れてちゃ意味ないってわかってる?」
「わかってる……」
「じゃ、完全な八方塞になる前にどうにかしなよ?」
「ん……」
 時計に目をやると、九時を十分も回っていた。
「ごめん、私仕事しなくちゃ。もう十分もロスしてる」
 パソコンを開くと、唯兄とお母さんはやれやれ、といった感じで部屋から出ていった。

 髪の毛は半乾きだけれど、そんなことにかまっている暇はない。
 現時点で追加申請はさほど上がってこないものの、収支報告は続々と上がってくるのだから。
 ただ、明細書と書類の数字を確認してエクセルに入力するだけ。されど確認作業、入力作業、そんな感じの分量だ。
 なんとか十時半までに今日の分を終えることができた。しかし、これから今日の授業の復習と、明日の授業の予習をしなくてはいけない。
 今日ばかりは「脳に糖分」と人に言われるまでもなく自分が欲した。
 キッチンで飲み物を用意しているとお母さんがやってきて、
「あら? 今日は司くん来ないの?」
 いつもならふたり分のお茶を用意をするのに、ひとり分のお茶しか用意していなかったから疑問に思ったのだろう。
「……ん。今日は来ないでって言ったの」
「どうして?」
「……ちょっと、学校でいっぱいいっぱいなところを見られてしまって、なんとなく気まずくて……」
 ツカサに現状を話したら、間違いなく会計の仕事を取り上げられるだろう。それが一番いい方法であることはわかっていても、どうしてかその方法が受け入れられないのだ。
 単なる負けず嫌い、強情、わがまま、かな……。
 飲み物を持って自室へ戻ろうとしたとき、インターホンが鳴った。
 まさか、という思いで玄関に続く通路を凝視する。と、部屋から出てきた唯兄が玄関を開けた。
 ドキドキしている私の後ろで、
「来ないでって言われても、司くんは来ちゃう子みたいね?」
 お母さんがクスリと笑ってキッチンを出て行く。
「リィー、司っち来たよー」
 唯兄は当然といったようにツカサを私の部屋へ通してしまった。
 結果、私はなんとも言えない気分で自室へ戻る羽目になる。


 テーブルにカップを置き、
「来ないでって言ったのに……」
「言われて来ないとでも思ったわけ?」
 私は無言で去年のことを思い出していた。
 去年の紅葉祭のときにも同じようなことがあった。あのときもツカサは涼しい顔をしてやってきたのだ。
「あんな翠を見て放っておけるほど、翠に対して無関心じゃないつもりなんだけど」
 その言葉にはっとして顔を上げる。
 無関心でないとしたら、次にツカサがとる行動は――。
「あのあと、赤組に行って風間に話を聞いた」
 咄嗟に、私は会計で使っているノートパソコンを自分の背後へと追いやる。
「やだ……。会計の仕事は私がやる……」
 ツカサはため息をついた。
「それを続けたらどこに支障が出る? どこに支障が出てもいいことはないと思うんだけど」
 言われていることがもっともなだけに反論ができない。
「でもっ――」
「でも何?」
 訊かれても続けられる言葉が見つからない。
「初回申請書をもとにミーティングした時点と今では状況が違いすぎる。会計の人間みんなが団長なり副団長の任に就いている。こんな状況で翠ひとりが会計の責を負う必要はない」
 そうかもしれない。そうなのかもしれないけれど、この仕事は、この環境は去年私のためだけに用意されたものだ。そんな特別なものをそう易々と手放せるわけがない。
 ツカサは再度ため息をついた。
「会計職が手放せないなら、ほかの何かを手放せ」
 ほかの、もの……?
「ただし、優先すべきものがある以上、消去法になるけど」
 ツカサの言葉に嫌な予感を覚える。
「成績が下がるのは生徒会的に困る。だから、授業の予習復習はやめられない。次、翠がどうしても手放したくないものとして、会計職。残るは衣装作りと副団長任務。後者においては衣装作りが始まっている時点で放棄できず。つまり、最後に残るのは衣装作りなわけだけど――」
「無理っ。だって、私が作るって引き受けてしまったものだものっ」
「なら会計職を手放せ」
「それも無理……」
「少しは進展性のある意見をくれないか」
「だって……」
 衣装を誰かに任せるということは、ほかの人にしわ寄せが行くということだ。そんなことを認められるわけがない。
 あっという間に八方塞で、涙が目に滲む。すると、眼前にツカサの手が伸びてきた。
「……悪い、泣かせるために来たわけじゃないんだけど……」
 涙を拭われ、フルフルと頭を振る。
「翠、提案がある」
 今度は何を言われるのか、と構えていると、
「衣装作りを手放せ」
「だからっ――」
「話は最後まで聞け」
 最後、まで……?
「翠の衣装とハチマキは俺が作るから」
 え……?
「人に迷惑がかけられないとかその手のことを考えていたんだろ?」
 そうだけど……。
「なら、俺に任せればいい。それとも、そんなことも任せられない相手なわけ?」
 ……これはいったい何を問われているのだろう。
「翠の荷物を半分負うくらいなんてことはない。この先も付き合っていくのなら、そのくらいのことはできる間柄でいたいんだけど」
 思ってもみない申し出に、完全に虚をつかれていた。
「ツカサが作るの……?」
「何か問題でも?」
 問題問題問題問題――。
「長ランの内布やハチマキの生地には刺繍もしなくちゃいけないのよ?」
「だから?」
「……できるの?」
「母さんの趣味が刺繍。小さいころから見て育っているからスタンダードなステッチは粗方できると思う」
 その言葉に唖然とした。
 もしかしたら私よりも詳しいのかもしれないし、私よりも手先が器用なのかもしれない。
「それから、日曜のピアノのレッスンはどうなってる?」
「……紫苑祭が終わるまで、ハープもピアノもソルフェージュもお休みすることにしたの」
「なら問題ないな」
 何が……?
「日曜日は応援団の練習が午前か午後にあるだろ? 空いてる時間があるなら俺の実家へ行けばいい。刺繍なら母さんが教えられる。わからないステッチをロスタイムなく解消できる環境はプラスなんじゃない? それから、佐野とも話をつけてきた」
「なんの……?」
「日曜には佐野とダンスの練習があるんだろ?」
 コクリと頷くと、
「佐野は授業でダンスをマスターしている。主に練習が必要なのは翠だ」
 だからなんだと言うのか……。
「うちに行けば母さんが教えられるし、父さんがダンスの相手をできる」
「え……?」
「ワルツの練習は父さんに付き合ってもらえばいい」
「……いいの?」
「何が?」
「私の衣装を作ってもらうのと、真白さんと涼先生を頼るの……。迷惑じゃない……?」
「俺の記憶違いでなければ、全部俺からの提案だったと思うけど」
 そんな言い方がツカサらしくて笑みが漏れた。
「長ランひとつとハチマキひとつならなんとかなる気がする……」
 ほっとしたら胃のあたりが和らぎ、追加で涙が出てきた。
「問題が解消したなら泣くな」
「だって、本当にどうしようかと思っていたから……」
「あぁ、それなんだけど――空回りしそうになったら俺を呼ぶっていうの、完全に反故にされてる気がしてならないんだけど」
「どうしてくれる?」と言わんがごとくの視線に、私は苦笑を返した。
「ごめん……だって、泣き言漏らしたら絶対に会計職を取り上げられると思ったんだもの」
「それも方法のひとつではあったけど……俺、翠には甘いって言っただろ?」
 一年生のときから何度となく言われている言葉だけれど、どちらかというなら、いつも厳しさが勝っている気がする。
 そんな私の気持ちに反して、
「翠が嫌がることは基本しない方針。その辺、もう少し理解してほしいんだけど」
「……ごめん、ありがとう」
「じゃ、飲み物飲んで少し落ち着いて。そしたら、今日と明日の予習復習」
「はい」






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