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光のもとでⅡ-1 作者:葉野りるは

芸大祭(11/02)

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Side 翠葉 08話

 どうやら、今日は声楽の先生を柊ちゃんに紹介する予定がもともとあったそうで、その間に私と倉敷くんを引き合わせようとしていたのだとか……。
 話すことが苦手な先生が一生懸命段取りを考えているところを想像すると、なんだか少しおかしかった。
「それにしてもおまえ――」
「それっ」
「は?」
「名前っ」
「御園生翠葉だろ?」
「じゃなくてっ、『おまえ』はいやっ。それから、フルネームで呼ばれるのもちょっと……」
「お、おう……」
 そんなやり取りを、先生がお腹を抱えて笑う。
「御園生さんの意外なこだわりが判明……。それに、慧くんが圧されるなんて」
 そんな先生を横目に見つつも、倉敷くんはかまわず話を続ける。
 会ってまだ十分ちょっとだけど、かなりマイペースで思ったことはズバズバ言う人であることだけはわかった気がする。
 思ったことが顔にも口にも態度にも出るので、いっそ清々しいほどだ。
「翠葉、あのコンクールのあとはどうしてたんだよ……」
「どうしてって、何が……ですか?」
「ピアノっ! それ以外にないだろっ?」
 ないんだ……。
 なんとなくわかったことがもうひとつ。
 倉敷くんにとってはピアノがすべてなのかもしれない。
 生活の中心にピアノがあって、人生からピアノがなくなることなどあり得ない、と言い切れてしまうほどの存在なのかも。
 やっぱり、音大に通う人は皆がそうなのだろうか。
 だとしたら、私はそこに入ろうとしていいのかな……。
 そんなことを考えながら、過去を振り返る。
「川崎先生のところをやめてからは、割と好きに弾かせてくれる先生のもとで習っていました。最初にコンクールには出たくないって話したのでコンクールの話は一切出なかったし、ひたすらに好きな曲をマスターするためだけに練習してきた感じで……」
 どんなふうに教本を進めてきたのか倉敷くんに尋ねられ、一つひとつ答えていくと大仰に首を傾げられた。
「基本に忠実に進んできてるのにどうしてあんなに劣化してんだよ。おまえ、間違いなく小五のころのほうがうまかったぞ」
 それはたぶん――
「さっき、病欠で留年したって話したでしょう?」
「あ? あぁ……」
「あのとき、入院していたからほとんどピアノに触れていないの。三月に入院して十月に退院してからは、高校受験のための勉強を始めたから、やっぱりピアノを弾く時間はとれなくて……」
「そのあとは?」
「そのあとは……高校の勉強についていくのに必死で、毎日ピアノを弾くことはできなくて……」
「彼女、藤宮高校の生徒なんですよ」
 先生の一言に、倉敷くんはまたしても驚いて見せる。そこに畳み掛けるように先生が、
「で、この二ヶ月は学校のイベント準備でレッスンを休んでいたしだいです」
「だからかっ! そりゃ、二ヶ月も間が開けば指だって動かなくならぁっ! おまえ、本当に音大受験する気あんのっ!? 弓弦、どうにかなんのかよ、これっ」
「はぁ……まぁ、がんばりますけどね。いや、がんばってもらいますけど……。御園生さん、覚悟なさってくださいね?」
「はい……」
 声は必然と小さくなるし、肩身も狭くなる。
「ですが、さすがは川崎先生に三歳から習っていただけのことはあるんですよね。基礎はしっかりしているし勘もいい。吸収も早い。だいたいのことは言ったその場で直せるし、遅くとも翌週までにはものにしてくる。ですが、特筆すべきは色彩豊かな音色と表現力でしょうか」
「へぇ……。でも、音色と表現力だけじゃ技術面はカバーできねーよ?」
 もっともです……。
「協力は惜しみませんのでがんばりましょうね」
「はい……」

「ところで、極度のあがり症は治ったのかよ」
「えぇと……治ったわけではないです。今でも人前で弾くのや評価される場で弾くのは苦手です。でも、前に教えてもらったおまじないがあるので……」
「あぁ、あのときも効果覿面だったしな。むしろ、教えなきゃよかったぜ」
「まさか慧くんがそのおまじないを御園生さんに教えていたとは思わなかったので、さっき御園生さんから聞いてびっくりしました。響子が喜んでいるでしょうね」
 ……ん? なんだろう……。今の文章、何か変……。
 最後の言葉が妙に引っかかったのはどうして……?
 普通なら、「響子が喜んでいるでしょうね」ではなく、「響子に話したら喜ぶでしょうね」ではないだろうか。
 先生の言い方はまるで――。
 瞬時に、少し前に話してくれた先生の言葉が頭をよぎる。

 ――「いえ、身内に同じことを言う人間がいたもので」。

 い、た……?
 倉敷くんは私の奏でる音と響子さんの音が似ていると言った。先生は「僕には懐かしさを感じる音でもあって」と言った。
 先生の言葉はどうして過去形なの……?
 理由を考えれば考えるほどに、手先から温度が失われていく。
「翠葉? どうしたんだよ、急に深刻そうな顔して」
「えっ? あっ、なんでもないですっ――」
 なんでもないと言ったのに、私の目には早くも涙が滲んでいた。
 聞かなくても「答え」ははじき出されていて、でもそれを確認するのは怖いし、とても尋ねられる内容ではない。
 あの日、ピアノを教えてくれたお兄さんに再会できて、お姉さんにもいつか会えるかもしれないと思っていた矢先に知る内容としてはひどく重い事実で――。
「御園生さん……?」
「あ、いえっ、本当になんでもなくて――」
「いや、なんでもなかったら泣かないだろ?」
 倉敷くんは私のすぐ近くまでやってくる。
 でも、こんなの言えるわけない……。
「御園生さん、体調悪いですか? さっきの熱、どうなりました?」
 先生が携帯を気にしていたから、私はそれを手に取り確認する。
 熱は上がりも下がりもしていなかった。でも、この際具合が悪いことにしてしまえばいいのではないだろうか。
「もしかして、響子の話?」
 私の足元に座り込んだ倉敷くんに顔を覗き込まれ、私は大きく動揺してしまった。
「弓弦、響子の話ってどこまでしたの?」
「どこまでも何も、御園生さんが三歳のころにピアノの手ほどきをしたのは自分と響子って話だけだけど……」
「なんだよそれ。俺の知らない話なんだけど?」
「あぁ、言ってなかったからね。でも、引き合わせたら話そうとは思ってたんだよ?」
「や、別にかわまないんだけどさ、じゃ、響子が亡くなった話まではしてなかったんだ?」
「進んで話すようなことでもないし……」
 先生の言うことは正しい。人に進んで話す話じゃない。
 それは私にも言えて、気づいたからといってここまで動揺することじゃない。かえって失礼だ。
 でも、どうしてだろう……。
 私は「人の死」というものにひどくうろたえる傾向がある。
 まだ、身近な人を亡くすという経験もしていないのに、どうしようもないほどにうろたえる。
 芹香さんが亡くなっていると知ったときも、果歩さんのお父さんが亡くなっていると知ったときも、ひどく衝撃を受けた。
 知らないからこそ余計にうろたえるのだろうか。
 自己分析をしていると、頭に軽い衝撃があった。
 何かと思ったら、倉敷くんの手に頭を撫でられていた。
「悪い……。俺たちにとってはもうずいぶんと前の話なんだけど、人の死って結構な衝撃だよな。事、おまえみたいなタイプはガッツリダメージを受ける」
 私みたいな、タイプ……?
 倉敷くんの目を見ると、倉敷くんはニッと笑って、
「感性豊かな人間」
 と口にした。
「にしてもおまえ、耳ざといよなぁ……。普通、あんな会話聞き流すだろ? ってか、聞き流せよ」
「だって、違和感があって……」
「ずいぶんいいセンサーお持ちなこって……。まぁさ、中途半端に知るくらいならなんで亡くなったのかくらい知っておいたら?」
 そうは言われても、どう反応したらいいのかに困る。すると、先生に声をかけられた。
「配慮が足りなくて申し訳ありません」
「いえっ、あのっ――」
 先生はにこりと笑顔を作り直し、
「慧くんが言うことも一理あるので、少しだけ姉の話をさせてください。実は、とっても元気な人だったのですが、ある日突然白血病になりまして、骨髄移植もしたのですが、八年前、あのコンクールの翌日に亡くなりました」
「っ……」
 病気と知ってさらなる衝撃を受けると、それを一緒に受け止めてくれるかのように、倉敷くん手が背中に添えられた。
「そんなわけで、あの年のコンクールに僕は出ていないんです。その後も通夜だ告別式だなんやかやとバタバタしていて、コンクールの結果も把握しておらず、慧くんが二位入賞だったと知ったのは二ヶ月ほど経ってからのことでした」
 まだ話が続くのか、と思ったけれど、話はそれでおしまい。
 先生は席を立ち窓辺へ行くと、二重サッシになっている窓を開けた。
「慧くん、飲み物はコーヒーでいいですか?」
「砂糖三つにミルク多めっ!」
「今日は蓼科さんがいるので違わず淹れてくれますよ。それから御園生さん、チョコレートはお好きでしょうか?」
 チョコレート……?
「ほら、チョコレートは好きかって」
「あっ、大好きです」
 慌てて答えると先生は笑い、
「では、美味しいチョコレートを持ってきてもらうので、それまでに泣き止んでくださいね」
 そう言うと、さっきと同様にデスクの電話に手を伸ばした。






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