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光のもとでⅡ-1 作者:葉野りるは

芸大祭(11/02)

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Side 翠葉 05話

 すべての回収が終わりソファへかけると、慣れ親しんだ座り心地にほっとする。
 さらにはお薬を飲んだことにより、気持ちに若干の余裕が生まれた。
「お騒がせいたしました……」
 深々と頭を下げ謝罪すると、正面にかけた先生はクスクスと笑いながら、
「ちょっと珍しいものを見た気がしました。レッスンでは見られない姿でしたので」
 恥ずかしさに頬がかすかに熱を持つ。
「レッスンのときはピアノの前なので……」
 言い訳のように答えると、
「ピアノの前、ですか……?」
 先生は心底不思議そうに声を挙げた。
「ピアノには必ず白と黒の鍵盤があって、それはどのピアノの前でも変わることはないから……。そう考えると、ちょっと落ち着くんです」
 もうずいぶんと前に教えてもらった話だけど、こんなふうに話すと持論だと思われるだろうか。
 そんな思いがよぎったからか、話すにつれて声は小さくなっていった。
 定まらなかった視線が螺鈿細工に落ち着いても、先生の反応は得られない。
 あまりにも無言が続くから、不思議に思って視線を上げると、先生は笑みを消して私を見ていた。
「先生……? どうかなさいましたか?」
「あぁ、すみません。……それ、御園生さんの持論ですか?」
「いえ……人から教えてもらった話です」
「教えてもらった……?」
「はい。……私、小学生のころに一度だけピアノコンクールに出たことがあるんですけど、ものすごく緊張していて、順番になって呼ばれても椅子から立ち上がることもできなくて、そのとき、隣に座っていた男の子が教えてくれたんです」

 ――「鍵盤の前はどこも変わらない。必ず黒い鍵盤と白い鍵盤があるだろ? 怖くない。ピアノの前に座ったら、『ピアノさん、こんにちは』って挨拶をするんだ。そしたら、どんなピアノも仲良くしてくれる」。

 懐かしく思いながらそのときのことを話すと、
「……そのコンクールって――」
「この大学主催の、冬にあるコンクールです」
「そうでしたか……」
「はい。……何か、ありましたか?」
「いえ、身内に同じことを言う人間がいたもので」
「そうなんですか?」
 ご両親とか、かな……?
 なんとなしに先生のご両親を想像していると、
「御園生さんに声をかけてくれたその男の子、今はどうしているでしょうね」
 それは考えたことなかったけれど、考えてみようと思ったところで何が出てくるでもない。
「男の子はどうなんでしょう……」
「何がですか?」
「ほら、小さいころは親の意向で習わされている人もいるでしょう?」
「あぁ、そうですね……」
「でも、今もピアノを弾いていたら嬉しいです」
「いつかどこかで会えるかもしれないから?」
 先生に言われて少し考える。
「いつか会える」とは思えない。
 なぜなら、私は自分のステージが終わってすぐ倒れてしまったため、その男の子の演奏を聴くことはできなかったし、顔はおろか名前すら覚えていないのだ。
「御園生さん?」
「あ、すみません。もし会えたらお礼を言いたいのですが、たぶん無理です」
「どうしてですか?」
「私、演奏が終わって舞台袖に引っ込んですぐ倒れてしまったんです。だから、その子の演奏も聴くことはできなかったし、緊張の局地で顔も名前も覚えていないから、会えたところでわかりません」
 ちょっとおどけて笑って見せると、
「御園生さんは覚えていなくても、男の子のほうは覚えているかもしれませんよ?」
 そう言うと、先生は意味深に笑った。

 会話がひと段落したころにコーヒーが運ばれてきて、女性が部屋を出ると防音室独特のしんとした空間に再度緊張する羽目になる。
 少し前までは普通に話せていたのに、一度会話が途切れてしまうと何を話したらいいのかわからなくなる。
 話題話題話題話題――。
 あっ、この部屋の家具のことならどんなことでも話せる!
 でも、先生自身が「城井アンティーク」をまったく知らず、アンティーク家具に関心がなかった場合、話は長く続かないだろう。
 あぁ、ここに柊ちゃんがいてくれたら会話に困ることなんてなかったのに……。
 間が持てなくて、手にしたタンブラーを離せず繰り返し口をつける。と、
「御園生さんはどうして僕が御園生さんを受け持ったか知りたいですか?」
「え……?」
「さっきの話です」
 それはわかっているけれど……。
 さっきはやや強制的に話を切り上げたのに、今度は進んで教えてくれるのだろうか。
 少し戸惑いながら、
「えぇと、興味はあります。でも、知るのが怖くもあるし、知らなかったところであまり今後に影響はないかな、とも思います」
 言葉が途切れるや否や、先生はくつくつと笑いだした。
 自分でも微妙な返答をした自覚はあるけれど、笑われるほどか、と考えればそこまでではないと思う。
 でも、ちょっと臆病すぎる返事だっただろうか。
「御園生さんは柊ちゃんとは違った意味で面白い子ですね。意外でした」
 こんなふうに笑う先生を見るのは初めてで、「こちらこそ意外です」と思いながら先生を眺める。と、私の観察に気づいた先生は、穏やかな笑みへと表情を変えた。
「本当は、そんな隠し立てするような内容でも、御園生さんが怖がるような内容でもないんです」
 なら、どうしてさっきは教えてくれなかったの……?
 思っていたことが顔に出たのかもしれない。先生はクスリと笑い、
「それでは、先ほど答えなかった理由も含めてお話させていただきましょう」
 ぜひともお願いします。
 思わず頭を下げると、そこでまたクスクスと笑われた。
「僕たちはまだ五回しか会ったことがありません。レッスンを重ねれば、いずれ人となり程度はわかるようになるでしょう。でも、レッスン時に無駄話をする余裕はありませんからね。互いが打ち解けるにはもう少し時間がかかるでしょうし、レッスン時における、御園生さんの余計な力が抜けるのにも時間がかかるでしょう。そのあたりを早期に解消したかったので、本日のコンサートにお誘いさせていただきました」
 つまり……レッスン外で会い、会話を重ね互いを知ることで、私の緊張を解こうとしてくれた、ということ……?
「学祭というちょうどいい機会はあったのですが、残念ながら僕はあまり話の引き出しが多いほうではないので、あらかじめ話題をいくつか用意していたしだいです」
 ……もしかして、その話題というのが「私を受け持とうと思った理由」?
 予想だにしない告白に、私は呆然としてしまったわけだけど、
「何か反応をいただけると嬉しいのですが……」
 苦笑を見せる先生の催促に、思わず声を立てて笑ってしまう。
「御園生さん、ひどいですよ……」
「だって、まさかそんな理由だとは思わないじゃないですか……。でも、嬉しいです。今のお話でだいぶ緊張は解れたように思います」
「でしたら何よりです」
 幾分か砕けた雰囲気に、呼吸がしやすくなった気がした。
 先生も私ほどではないにせよ、緊張していたのかもしれない。
「お近づきになろう」という趣旨が含まれるのなら、こんな会話もありかな……。
「先生もお話するのは苦手ですか?」
「そうですね。ピアノリサイタルで一切のMCを放棄する程度には苦手です」
 そんな返答に笑みを漏らすと、
「御園生さんも『お話』は苦手なようですね」
「はい。でも、相手の方も自分と同じだと思うと、肩の力が抜けるみたいです」
 そう言って、私たちはまた笑った。

 互いに飲み物を口にして、先ほどの話に戻る。
「私が御園生さんを担当しようと思ったきっかけは演奏なんです」
「え……?」
 先生はにこりと笑い、
「教室に入る際、演奏技術を見せてもらうためにピアノを弾いてもらったでしょう? その演奏を別室で聴かせていただいていました」
 そのときの演奏を思い出して悩む。
 あのとき、私はさほど完成度の高い演奏はできなかった。その演奏のどこに何を感じてくれたというのか。
「なんだか悩ましい表情をしていますね?」
「えぇと……先生は私の演奏のどこに何を感じてくださったんですか? あの日の演奏はどこを取ってもいい部分はなかったように思います」
 あ……むしろ、演奏技術が低いから受け持とうと思った、とか……?
 普通に考えるならリスクのある生徒を受け持ちたいとは思わないだろう。でも、仙波先生は逆境に立ち向かうのがお好き、とか……?
 うかがうように先生を見ると、先生はとても穏やかな表情で私を見ていた。
「音楽って、演奏技術だけがすべてではないでしょう?」
「え……?」
「音です」
 お、と……?
「私は御園生さんが奏でる音に惹かれました。だから、受け持ちたいと思った」
 思いもしない言葉に不意をつかれ、次の瞬間には頬が熱を持つ。
「音が好き」なんて言われたことない……。
 しかもそれは、私の中で最上級の褒め言葉でもある。
 わ……どうしよう、嬉しい――。
 一瞬にして舞い上がった気持ちは天井にぶつかって落下する。
 その言葉を信じられたら嬉しいけれど、信じるには無理がある。
 何せ、目の前に座っているのは現役ピアニスト様なのだ。
 それも、緻密で繊細な演奏に定評のあるピアニスト。
 そのピアニスト様に、そんなふうに言ってもらえる音を自分が奏でられている気はしない。
「なんだか疑いの眼差しで見られている気がするのですが……」
「だって……音が好きだなんて、そんなふうに言われたことなくて――それに、現役ピアニスト様にそんなふうに言ってもらえる音を奏でられている気はしないし……」
 もごもごと口にすると、
「御園生さん、感じ方は人それぞれでしょう?」
「それはそうなんですけど……」
「君の音はとてもおおらかであたたかい。丸みのある優しい音だと思います。僕には懐かしさを感じる音でもあって、ずっと聴いていたいと思いました。この気持ちは素直に受け止めていただけると嬉しいのですが」
 先生の真っ直ぐな目と声にはお世辞が含まれているようには思えなくて、私は赤面したまま「ありがとうございます」、とその言葉をひとつ残らず心の宝箱にしまうことにした。






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