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光のもとでⅡ-1 作者:葉野りるは

紫苑祭後編(10/31)

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Side 司 06話

 テラスへ出ると、翠は息を深く吸い込み、わかりやすく空を仰いだ。
「空がどうかした?」
「ううん……星が見えたらいいのに、って思っただけ」
「さすがに今日は無理だろ?」
 もともと雨が降るという予報だったし、予報より早くに雨は上がったが明日も曇り予報だ。
 見えないとわかっているのに名残惜しそうに空を見ているから、
「星が好きなら、今度よく見える場所に連れて行くけど……」
 翠はパッと目を輝かせこちらを向く。
「嬉しい! どこ?」
「何箇所かある」
「あ、ひとつはブライトネスパレス? あそこ、ステラハウスが森の中にできたものね」
 それは初耳。
「ステラハウスなんてできたんだ? 知らなかった」
 もともとパレスの情報はネットにすら流れない。その筋の人間から知らされない限り知りえない情報だ。それを翠が知っているのは、何度か行ったことがあるから。もしくは、ブライトネスパレスからパンフレットが届いているのかもしれない。
 入手経路を考えた末、翠がブライトネスパレスを知るきっかけとなった人物が頭をよぎって少しイラつく。けど、
「じゃ、いつか一緒に行けたらいいね。……でも、ブライトネスパレスじゃなかったらどこ?」
 翠があまりにも嬉しそうに、期待に満ちた目で見てくるから、思わず毒気を抜かれた。
「緑山って藤宮所有の山がある。そこから見る星空はきれいだし、夏は森の中を流れる川に納涼床を作るから、かなり涼しいしくつろげる」
「わぁ……楽しみ。じゃ、夏かな?」
「納涼床は夏だけど、山には別荘が建ってるから冬でも問題ない」
「じゃぁ、楽しみにしてるね。あとは?」
 ……こいつ、星を見られるのは夜だってわかって話しているんだろうか。
 夜に俺とふたりきりって状況に何も危機感覚えないとか――あぁ、違った。そんな状況を想像できたとしても、何も危惧しない無防備極まりないバカだってことをすっかり忘れていた。
 いっそのこと、その場で困ればいいんだ……。
 ……いいのか? それ、俺が後悔する羽目になるんじゃなくて……?
 先行きが怪しくなった自分に保険をかけるべく、日帰りプランも提示する。
「マンションの屋上から見る星空も悪くない。藤倉もまあまあだけど、支倉のマンションからのほうがよりきれい。しかも、兄さんが一時はまってたから天体観測に使うアイテムは粗方揃ってる」
「支倉かぁ……。再来年にはツカサが住む町だね」
 なんでそんな遠い場所みたいに言う? しかも、しんみりと。
「別に、車で三十分の距離だから翠だっていつでも来られる」
「そうだね……」
 同意したくせに、中身が伴っていない返事。
 何を考えているのか尋ねようとしたら、翠の手が首元へ伸びた。
 指先が触れたのはIVHの跡。
「気にするな。翠が気にするほど目立ってない」
「そう、かな……?」
「そう。だから気にするな」
 きっと気休めにすらならない。それでもその傷は、翠ががんばって治療を受けた証だから。
 翠自身がその傷を受け入れられるその日まで、何度だって俺が肯定してやる――。

 桜林館の入り口には朝陽たちが待機していた。
 飛竜に声をかけられ用意されていた椅子に翠を座らせると、風が吹いた瞬間に翠が肩を震わせた。
 十月下旬の夕方に、肩を出すドレスでは寒さも感じるだろう。
 自分の着ていたジャケットを翠にかけると、
「ありがとう。ツカサは寒くない?」
 心配そうな顔がこちらを向く。
「翠みたいに肌を露出する格好じゃない」
 ドレスは似合っていると思うし、ずっと見ていたいと思うくらいにはきれいだ。
 でも、この姿を大多数の人間に見せるのは抵抗がある。
 華奢な肩や鎖骨がしっかりと出るデザインのため、バストアップの翠を見ると、うっかり裸を連想しそうになる。
 そういう意味では厄介極まりない姿と言える。
 果たして、会場にいる男の何割が俺と同じ思考をたどることか……。
 それならこのドレスを却下すればいいという話だが、静さんからの贈り物として見せられたドレスはどれも肩を出すデザインで、違うデザインにする余地がなかったのだ。
 はぁ……静さんに盛大なるクレームを申し立てたい……。
 そんなことをうだうだ考えていると、朝陽から声をかけられた。
「ちょうどいい頃合。おふたりさん、準備はいい?」
 翠に返されたジャケットを羽織ったところで漣がマイクをONにする。
「Ladies and gentlemen! ただいまより後夜祭を開催いたします。こちら中央階段より姫と王子のご入場です! 拍手でお迎えください」
 翠をエスコートしてゆっくりと階段へ向かう。
 翠は優雅に歩くが数メートル先の階段を視界に認めると、ゴクと喉を上下させた。
 おそらく、身構える程度には痛みがあるのだろう。
 踊る以前に、この階段を下りられるのか……?
 不安を覚え、エスコートの形を変える。
 翠の右手を自分の右手に移すと、左手を翠の腰へ回した。
「体重かけてかまわないから」
「ありがとう……」
 そう言ったくせに、まったくと言っていいほどに左手には体重がかからない。
 この意地っ張りが……。
 呆れ混じりに視線を前方へ移すと、正面の観覧席にクラスの女子がいた。
 どうやら、翠が提示したペナルティーは履行されているらしい。
「翠、正面観覧席」
 翠は「え?」と視線を前へ移す。
 おそらく、女子の人数に何を言いたいのかは理解しただろう。
「悪い、うちのクラスの女子だった」
「そうだったのね……。じゃ、仕方ないかも……」
 その言葉に疑問を持つ。
「どういうこと?」
「だって、ツカサと同じクラスなのよ?」
 それ、全然ヒントになってないんだけど……。
「同じ学年で同じクラスなら、紫苑祭のワルツ競技でツカサとペアになれる可能性だってあるでしょう?」
 可能性はゼロではないけど、俺がワルツに出れば、という話であって、今回においては限りなくゼロに近い。
「ツカサは中等部の紫苑祭でもワルツ競技に出ていたのでしょう? そして、高校一年でもワルツ競技の代表だった。だとしたら、三年次もワルツに出ると思う人が大半なんじゃないかな? その中にはツカサとワルツを踊りたいがために勉強をがんばってA組入りした人だっているかもしれない。なのに、いざ蓋を開けたらツカサはワルツのメンバーじゃないし、後夜祭では私と踊るし、がんばったことが何ひとつ報われない。ご褒美が何もなくなっちゃって、ちょっとやさぐれちゃったのかも?」
 俺には思いつきもしない持論を展開されたわけだけど、
「だからといって、人に怪我を負わせていいことにはならない。そのあたりの良し悪しは判断できて当然の年齢だと思うけど?」
「それは認める」
 そう言って翠は苦笑した。
 もっとも、そんなご都合主義な考えのもとに、好きな女へ危害を加えられるだなんてたまったもんじゃない。どうしてそんな理不尽な考えを理解できてしまうのか、俺にはさっぱりわからない。
 翠がどんな顔をしているのかうかがい見ると、足元を見て歩いているどころか宙に視線を漂わせていた。
 何を考えているのかは気になるところだが、
「翠、あと三段で階段が終わる」
 翠ははっとしたように視線を足元へ移した。

 フロアへ下りると人垣が割れ、俺たちは導かれるようにフロア中央へ向かう。
 たどり着いた場所は直径十メートルほどの円になっていて、ふたり向き合うと、翠は姫らしく優雅に微笑み軽く膝を折って礼をした。
 何がなんでも踊りきる。そんな気迫はきれいに隠し、「姫」を演じる演者のように思えなくもない。
 けれども、ダンスが始まり目が合った瞬間には心臓を鷲づかみにされそうな笑顔を見せられた。
 作られた笑みではない。花綻ぶような、「嬉しい」という気持ちが滲み出るような笑み。
 それは心底ダンスを楽しんでいる表情にも思えた。
 怪我は大丈夫なのか……?
 その不安だけが拭いきれない。
 でも、今それを訊いたら怒られるような気もして問うに問えない。
 曲の中盤で翠が目を伏せた。
 つらそうな表情をしているわけではないが、
「何を考えてる?」
 大丈夫か問う代わりに今日何度目かの言葉をかけると、
「……楽しいな、って。それだけ」
 翠はにこりと笑って簡潔に答えた。
「そう。ならいい」 
 たぶん、嘘はついていない。
 翠が楽しいと言うなら、その言葉を信じよう。
 邪気のない翠の笑顔を見ていたら、自然と自分の顔も緩んでいた。

 ファーストワルツが終わればすぐに陽気な曲が流れ出す。
 俺たちは人を掻き分け半月ステージへ移動した。
 その際にも翠は足をかばう素振りを一切見せない。
 本当に大丈夫なんだろうな……。
 今すぐにでもステージ裏へ連れ込みたい。その思いを抑え、後夜祭の雰囲気を楽しんでいる翠をステージに座らせた。
「新鮮、かも……」
「何が?」
 半身後ろを振り返ると、翠が俺の頭を見下ろしていた。
「普段、ツカサのことを見下ろすことなんてないでしょう? だから、新鮮」
「そんなこともないだろ? 翠がお茶を淹れて部屋へ戻ってくると、翠が立ってて俺が座ってるって状況だと思うけど?」
「そう言われてみれば……。でも、そういうときはたいていトレイを持っているから、『お茶を零さないように』のほうに神経が使われている気がする」
 それはそれで納得。
 翠の足が腕に触れ、ふと思う。
 今なら容易に翠の足を見ることが可能だと……。
 ただ、注目されていないとはいえ、人が大勢いる場でドレスをめくるのはいかがなものか。
 じっとドレスの裾を注視していると、「やっほー」と軽快な口調の青木がやってきた。
「先輩は踊られないんですか?」
 翠が尋ねたのは青木が制服姿だったからだろう。青木は辟易とした顔で、
「こういうのは性分じゃないのよね。まだ紅葉祭の仮装パーティーのほうが楽しめるわ」
 言ってすぐ、青木は表情を改めた。
「さっきの話、先生方に伝えてきたわ」
 おおよその処分が確定したといったところか……。
 青木は俺に目配せをしてから翠に向き直る。
「姫のことだから、ペナルティーを与えた時点でもういいと思ってるかもしれない。でも、学校的にはそうはいかないの。姫が怪我を負った時点で停学処分が確定」
 翠はきつく口を引き結んだものの、顔を上げていられずに俯いた。
「ほら、そこで俯かない。話は終わってないわよ」
 翠が顔を上げると、
「学校が提示した停学期間は一週間だったんだけど、姫が提示したペナルティーをすでに受けていることを汲んで、期間短縮もしくは謹慎にできないかって打診してきた」
 翠はおそらく謹慎と停学の違いを知らないだろう。補足するために口を開き、
「停学は学校の記録に残るものだし教育委員会へ報告することになる。それに対し、謹慎の場合は記録に残らないし教育委員会へ報告する必要もない。……ただし、謹慎を食らった時点で指定校推薦枠は使えなくなる」
 俺にとっては当然と思える処分。けれど翠は、両手で口を覆い眉根を寄せ、ひどく悲愴そうな表情を見せた。
 その先を話すよう青木の顔を見ると、
「姫、当然のことよ。人に暴力を振るうってそれなりの罰を受けるものだわ。それも、双方暴力に訴えているのならともかく、姫は一方的に暴力を振るわれたの。さらには複数人数対姫ひとりということもあって、カテゴリの中でも『いじめ』に分類される」
 翠は今にも泣きそうな顔で青木の話を聞いていた。
「したがって謹慎期間は長いわ。学校謹慎最長の十五日。そして、今日中に姫へ謝罪し許してもらうことが条件になってる。姫がそれを受け入れるなら学校謹慎で済み記録には残らない。ただし、姫が謝罪を受け入れない場合は即座に停学処分が確定する」
「そんなのっ、受けるに決まってますっ」
 即答だった。そんな翠を青木はカラッと笑って受け流す。
「謝罪の場が決まったら連絡するわね」
「はい……」
 翠は俯いたまま唇を戦慄かせていた。
 髪が結われているため、表情を隠すカーテンはない。
 そんな状態を放っておけるわけもなく、自然と手が伸びた。
 細い身体を引き寄せ抱き上げると、翠はしがみつくように腕を首に回した。
 ステージ裏へと通じるドアの前で下ろすと、か細い声が俺の名を呼ぶ。
「泣き顔、人に見られたくないんじゃないかと思って」
 ドアを開けると、翠はぎこちない動きで中へ入った。ここへ来て始めて足を引き摺った。
 取り繕う余裕なし、か……。
 翠はドアの近くで立ち止まり、肩を震わせ涙する。
「翠が泣く必要はないと思うけど?」
 ハンカチで涙を拭うものの、涙は次から次へと流れてくる。
 自分に害をなした人間のためにどうして泣ける?
 それとも、ほかの感情に付随する涙なのだろうか。
 翠が感じるすべてを知りたいと思う。でも今は、根掘り葉掘り訊くよりそっと抱きしめたい。
 去年は走り去ろうとした翠を引き止め無理やり自分の胸で泣かせた。けど今は――。
「泣きたいなら泣けばいい」
 翠は小さく頷くと、自分から俺の胸に額を預けてくれた。そうしてしゃくりあげながら、自分を責める言葉を次々と口にする。
 俺はそれらひとつひとつを否定し、翠を肯定するに努めた。
 どうして――傷つけられた側の翠がこんなにも泣く事態になってしまったのだろう。
 先に傷つけられたのは翠で、これ以上傷つく必要などどこにもなかったのに――。






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