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光のもとでⅡ-1 作者:葉野りるは

紫苑祭後編(10/31)

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Side 司 01話

 いつものようにエントランスの一角で翠を待っていると、待ち合わせ五分前に翠が下りてきた。
 俺の姿を見つけ、慌てて駆け寄るのも相変わらず。
 俺はこの先何度「走るな」と注意すればいいのだろう。
「ごめんっ」
「走るな」
「でも、ほんの数メートルだもの」
「距離は関係ない。それに、待ち合わせに遅れたわけじゃないだろ」
「そうだけど……」
 翠は反論したそうだったが、結果的には反省の言葉を口にした。そして、俺の機嫌をうかがうように、
「……おはよう?」
「はい、おはよう」
 俺は翠の空いている右手を取り、コンシェルジュの並ぶエントランスを早々に横切った。

 屋内から見て知ってはいたが、外は思いのほか風が強い。時折突風が吹いては翠の長い髪を巻き上げる。
 翠は必死に髪を手で押さえていた。
「体調は?」 
「……こんな天気だからね、ちょっと痛い。でも、ひどく痛むわけじゃないから大丈夫」
 笑顔を添えられたことにより、強がりなのかと勘ぐってしまう。
「本当に?」
「嘘はつかない」
 翠の目を見れば嘘をついていないことなど明らかなのに、どうしても目で見て確認できるものを探してしまう。
 いつものペースで歩けているし、振動を気にしているふうでもない。さらには俺の腕が翠の腕にぶつかってもよける仕草は見られなかった。
 痛みはそれほどでもないみたいだけれど――。
「無理はするなよ」
「うん」
 翠が今日出る競技は玉入れ とワルツ。
 人と接触する可能性があるのは玉入れだが、団体競技でもある玉入れは、痛みがひどければ参加を辞退するだろう。
 逆に、翠が意地になってでも出ようとするのはワルツ。
 組に迷惑をかけまいと自分の責任を果たすべく、痛みを我慢してでも相応に踊ってみせるはず。
 痛みがひどくならないことを祈るが、もし痛みがひどくなったときにはなんと言って宥めたらいいものか――。
 そんなことを考えながら翠に視線を向けると、翠はひどく険しい顔をしていた。
 歩く動作から痛みを隠しているようには見えないが、実は相応の痛みが出ているのだろうか。
 少し考えてそれはない、と判断する。
 もし痛みが出ているなら、翠はそれが表情に出ないよう細心の注意を払うだろう。
 それなら、いったい何を考えてこんな顔をしているのか……。
 心当たりはなくもない。
 昨日の今日だ。まだ昨日のことを引き摺っているのかもしれない。でも、それが一〇〇パーセント正解である自信はなく……。
「何を考えてる?」
 翠は慌てた様子で、今度はものすごく困った人の顔になる。
「昨日のことがまだ引っかかってる、とか……?」
 もしそうなら、そうだと正直に言ってほしい。
 けれど、翠は慌てて否定の言葉を口にした。
「違うっ。違うよっ!? 全然関係ないこと考えてたっ」
「全然関係ないことって……?」
 翠はものすごく言いづらそうに口を開き、
「……あのね、日曜日に紅葉を見に行こうって約束をしたでしょう? それ、土曜日に変更してもらってもいい?」
「別にかまわないけど……なんでそんなに言いづらそうなの?」
 むしろ、そこまで言いづらそうにしている理由が知りたい。
 あんな深刻そうな顔をしていたのにこの話題って、少しおかしくないか?
「去年はキャンセルしちゃったし、今年は約束していた日を変更するし、なんだか申し訳なくて……」
「後ろめたさ」が「言いづらさ」の正体であることは理解したけど、
「去年はともかく、日にちをずらすくらいで怒ったりしないんだけど……」
「ごめんなさい……」
「だから、謝らなくていいし……」
 俺はそこまで狭量な男だと思われているのだろうか。それとも、翠の良心の呵責が甚だしいのか――。
 できれば後者だと思いたい。
「でも、なんで?」
 理由を尋ねると、
「あ……実は、昨日帰宅したらピアノの先生から連絡があって、今週の土日に倉敷芸大の学園祭があることを知ったの。それで、その学園祭のコンサートチケットがあるから行きませんか、ってお誘いいただいて……」
「……それ、ひとりで行くの?」
「ううん。先生と柊ちゃんも一緒」
「ヒイラギって?」
「佐野くんの従姉。支倉高校の二年生で、倉敷芸大の声楽科を受験する予定なの」
「ふーん……」
 努めてなんでもないふうを装っているけれど、俺はものすごく後悔していた。
 昨日泣かせてしまったことへの詫びも含め、日曜は芸大の学園祭に連れて行こうと思っていた。
 今日の帰りにでも話して喜ばせようと思っていたのに、まったく予測していなかった方向から翠を掻っ攫われた気分……。
 でも、デート自体がなくなったわけではないし、結果的に翠は芸大の学園祭へ行く。
 一緒に行く相手が音楽に精通しているならそのほうが楽しいだろう。
 つまるところ、翠にとってはいい環境が揃ったと言えなくもなく――。
 後手に回った自分に言い訳をしていると、翠の視線が張り付いていることに気づく。
「交通手段はバスと電車?」
「そのつもりだけど……」
「なら、俺に送迎させて」
 俺はそんなにも驚かれるようなことを言っただろうか。
 翠は言葉を失い口をポカンと開けている。
「紫苑祭明け、立て続けに外出予定を入れるんだろ? 行き帰りくらい体力温存に努めたら?」
「それなら家族に頼むっ」
 必死な形相で言われて思う。
 翠は微塵も考えないのだろう。どうして俺が送迎を申し出たのかなんて。
「体力温存」なんてもっともらしいことを口にしたけど本当は――。
「……俺が翠に会いたいだけなんだけど」
「……え?」
 訊き返すな阿呆……。
「藤山の紅葉は、ゆっくり見て回っても二時間。あとは家でゆっくり休め。次の日も会えるならそれでかまわない」
「…………」
「返事」
「……ありが、とう……」
「どういたしまして」
 文末に疑問符がつかなかったことだけは褒めてやる。

 数歩歩いて、
「……昨日、御園生さんと唯さんに何か話した?」
 うかがうように尋ねると、翠はきょとんとした顔で俺を見上げた。
 話が飛躍した自覚はある。でも、こんな顔をされるほどかと問われたら、「否」と答えたい。
「あのふたりに限って、翠が泣いたことに気づかないわけがないだろ」
 答えなど訊かなくてもわかっていた。でも、この話をするにはここから話始めるしかないわけで
――。
 バカみたいに言葉に詰まっている翠を急かすように声をかける。と、肯定と謝罪が返ってきた。
「別に謝らなくてもいいけど……」
 俺、この短時間で何度翠に謝られただろう……。
 なんとなしに数えてみれば、四回目であることが発覚する。
「だめ、だった……?」
 そう言って俺を見上げる顔は、どこかおどおどして見える。
 普段はここまで機嫌をうかがうような話し方はされないのに、何がどうしてこんなことになっているんだか……。
「だめじゃない。けど……面倒くさい」
「え? 面倒……?」
 俺は小さくため息をつき、
「次に唯さんと御園生さんに会ったときのことを考えると面倒でならない」
 翠が悩んでいっぱいいっぱいになるよりは、誰かに話してくれるほうがいい。
 相手が御園生さんや唯さんだと面倒くさいとは思う。でも、学校で簾条たちに相談されるよりはいいような気がするし……。
 隣を歩く翠は、悪いことをして叱られた子犬のような目をしていた。
 そんな目で見られると、俺がいじめている気がしてくるから困る。
 さらにはこちらをうかがうことをやめ、黙ったまま俯いて歩くから心配になるわけで……。
 もしかして怒ってると思われているのか……? だから、おっかなびっくりの対応になっている……?
 焦りを覚えた俺はすぐに声をかけた。しかし、一度目の呼びかけに翠はまったく気づいていなかった。
 もう一度名前を呼ぶと、はっとしたようにこちらを向く。
 向けられた目がすでに怯えていた。
「黙り込むほど反省しなくていいんだけど……」
「あ、うん。ごめん……」
 これで五回目……。
 これ以上謝られたくない。そう思いながら、
「俺も兄さんたちに話したからお互い様だし」
「え……?」
 翠はまるで信じられないものを見るような目で俺を見てきた。
 さっきの怯えた目よりは断然まし……。
 でも、真っ直ぐすぎる視線には耐えられない。
 俺は咄嗟に顔を背けていた。
「昨日、翠を見送ったあと兄さんが帰ってきたんだ。その場で少し話して、誘われたから夕飯にお邪魔した」
 そっと視線を戻すと、翠は瞬きも忘れて俺を見つめていた。
 異様なまでの居心地悪さを感じたけれど、無言で俯かれるよりは良くて……。
 兄さんたちには「もっと会話をしろ」とアドバイスされたけれど、「もっと」って、たとえば何を話したらいいのか。アドバイスするならそこまで教えてくれればいいものを――。
 俺は悩みに悩んで口を開く。
「もし、兄さんが俺と同じ立場だったらどうするのか、聞いた。それから、翠が昨日言ったこと。……何を思って口にした言葉なのか、義姉さんの解釈を教えてもらった」
 これ以上詳しく相談内容を話すのは抵抗がある。でも、これだけは伝えておかなくてはいけない気がする。
「たぶんこれからも、何かにつけて『価値観の差』は出てくると思う。そのたびに翠を傷つけるかもしれない。でも、傷つけようと思って傷つけてるわけじゃないから、それはわかっていてほしい。それから――『価値観の違い』があったとして、翠の価値観が理解できなくても認めないわけじゃないし、わかろうとしないわけでもないから――無理に割り切らないでほしい」
 つないでいる手に力をこめてしまったのは無意識だったと思う。その証拠に、翠に同じくらいの強さで握り返されて初めて、力の強さを知った。
「ツカサ、ごめんっ。昨日、ごめんね? 突き放すような言い方して、ごめんなさい」
 謝罪六回目。「ごめん」の個数を言うなら八個……。
「いや、いい……。先に翠を傷つけたのは俺だから」
 本当に、これ以上謝られるのは勘弁願いたいわけで……。
 どんな言葉を口にしたら謝られないで済むのか――。
 そんな考えに及んだそのとき、翠は俺の正面へ回り込んだ。
「ツカサ、たくさん話そう? すれ違ってもケンカになっても、私が泣いても何してもっ。……時には時間を置かないと冷静に話せないこともあると思う。でも、時間を置いたらちゃんと話そう?」
 真っ直ぐな視線に真っ直ぐな言葉。
 翠においてこんな行動は珍しくもなんともない。きっとこれから何度でも、同じ視線を、真っ直ぐな想いを向けられるのだろう。
 そのたびに、俺は心臓を鷲づかみにされた気分になるに違いない。
「話すの、苦手なんだけど……」
「……私だって苦手だもの。……でも、話そう? 話さないとわからないこと、たくさんあると思うから」
 翠が言うことは間違っていない。
 話さないとわからないことはたくさんあると思う。それでも、苦手意識が先に立つ。
 さらには、話す内容がないと天気の話しかできない俺たちにはハードルが高い気がしてならない。
 あぁ、今までの会話に互いのスケジュール確認を増やせばいいのか……?
 ひとつ項目が増えたところで天気予報とスケジュール確認のふたつ。ほかに何があるのか――。
「私はツカサのことを知りたいと思うけれど、ツカサは――ツカサは思わない? ……それなら、私にしか利点のない話だから考え直さなくちゃいけないけど……」
「いや、別に知りたくないわけじゃなくて……」
 自分の考えが見当違いだったことに気づいた。
 ただ間を持たせるための会話には戸惑うが、翠に関して知りたいこと、というなら話は別。
 御園生さんからもたらされた知識は膨大にあるけれど、それとは別で、翠自身に訊きたいことならいくらでも出てきそうだ。
 しかし、様々な話をした末に見解の相違があった場合はどうなるのか――。
「……それ、話した末に理解されなかった場合、どうなるわけ?」
「え……?」
「……だから、考えとかその他もろもろ、話した末に理解されなかった場合、どうなるのかを知っておきたい」
「え? それは……――ツカサと同じだよ」
 翠はきょとんとした表情で答えた。
「同じ……?」
「ついさっき、言ってくれたでしょう? 『価値観の違い』があったとして、私の価値観が理解できなくても認めないわけじゃないし、わかろうとしないわけでもないからって……。それと同じ。知らないことは知りたいと思う。でも、知って理解できないからって嫌いになるわけじゃないよ?」
 最後ににこりと笑みを向けられ、明らかな不意打ちを食らった。
 うっかり上気してしまった顔を見られることを避けたくて、咄嗟に翠を抱き寄せる。けれど、本当のところはどうなのか……。
 屈託なく受け入れられたことが嬉しくて、思わず翠を抱きしめてしまった気がしなくもない。
 ……もっとも、俺が翠に対して発した言葉を返されただけにもかかわらず。
「どうして、赤面したの?」
 胸元から小さな声で問いかけられる。が、その言葉に返答などできるはずもなく、どんな言葉なら現状を取り繕えるのか、と考える。
 翠がもぞもぞと動き始めたとき、ようやく口を開くことができた。
「今の、忘れるなよ?」
「え?」
「今の、忘れるなよ?」
「今のって、どの部分? 赤面?」
 最悪な問いかけに思わず苦笑いを浮かべそうになる。
 必死にとどめた末、俺は満面の笑みを翠へ向けた。
「知って理解できないからって嫌いになるわけじゃない、って部分」
「……そんな凄むような笑みを向けなくても忘れないよ?」
 翠はクスクスと鈴を転がしたような笑い声を立てる。
 取り繕うことに必死な自分と比べたら翠は断然余裕そうで、それが悔しくて、気づけば翠が困るような言葉を繰り出していた。
「翠はまだ、俺の性癖を知らないだろ?」
「え……? ……せい、へき……?」
「そう。性格の性に癖と書いて性癖」
 翠が漢字を把握したところで前を向き歩き出す。と、
「えっ!? ツカサっ!? ちょっと待ってっ!?」
 背後から聞こえてくる翠の慌てた声に口元が緩む。
「もっと慌てろ」
 そんな言葉が漏れる程度には仕返し染みた言動だったと思う。
「待ってってばっ!」
 数メートル後ろからの言葉に振り返ると、翠が大きく足を踏み出したところだった。
 ころころと表情を変える翠をかわいいと思いながら、
「走るなよ」
 俺は笑みを浮かべて釘を刺した。






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