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光のもとでⅡ-1 作者:葉野りるは

紫苑祭前編(10/30)

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Side 翠葉 11話

 深呼吸をしたから? それとも、いつもと変わらないツカサの対応に落ち着きを取り戻したのだろうか。
 涙はまだ止まらないけれど、ほんの少しだけ思考力は回復したように思う。
 この涙はなんの涙……?
 ひとつひとつ、順を追って考えてみよう。
 頭が真っ白になったのは受験が終わっていると知ったから。
 衝撃を受けたのは、自分が何も知らなかったから。
 涙が出たのは――受験が終わっていたから……?
 ううん、少し違う気がする。
 受験が終わっていたことや合格していたことを知らなかったから涙が零れた。
 でも、今涙が止まらない理由はそれだけの理由ではない。
 たぶん、「言う必要あった?」と言われたから。
 ツカサの言うとおり、「言う必要」はなかったのかもしれない。
 でも、知っていたかった。
 言う必要がなくても教えてほしかった。
 でも、教えてもらってどうするつもりだったの……?
 教えてもらったところで私ができるのは「がんばってね」と言うことくらいだろう。
 ――違う、そうじゃない。
 教えてもらって何がどうというわけではなく、ただ知りたかっただけ。知っていたかっただけ。
 今日、優太先輩や風間先輩とツカサの話をして何度となく衝撃を受けた。そのどれも、自分が知らなかったから、だ。
 ツカサの出る競技を全部把握していなくても困る事態にはならないし、私が大学受験の日を知らなかったところでツカサが困るわけでもない。
 でも、前者はともかく後者は知っていたかった。そんな思いがある。
 知らずにいたことが悲しくて、寂しくて、だから涙が零れたのだ。
「受験」というものを人がどう捉えるのか――もっと言うなら、ツカサがどう捉えているのかはわからない。
 でも、私にとっては大きな出来事で、入学式や卒業式、それらに匹敵するほど大きな予定で、だからこそ知っていたかったという何か。
 ……「何か」は、「欲求」かな。
 ツカサに対して、「知りたい」と思う認知の欲求――。

 だいぶ感情の整理はできた気がするけれど、これらをどうツカサに説明したらいいのだろう。
 きっと、「受験」というものに対する意識の差が「話す必要がない」「知っていたかった」というすれ違いにつながっている。
 でも、それというのは「価値観の差」でもあるから、話して理解が得られるものでもない。
 言葉の意味として、文章の意味として理解してもらうことができても、共感したり気持ちが動く理解や納得は得られないだろう。
 それは私も同じことだ。
 ツカサの言い分を聞いたうえで「だから、話す必要はないと思った」と言われても、心からの納得はできない気がする。
 それでも、話すことに意味はあるのかな……。
 話したらどんな展開が待っているのだろう。
 これ以上寂しくなるような、悲しくなるような話の展開だけは望まないのだけど……。

 ふ、と顔を上げるとマンションの前だった。
 涙は止まったけれど、どんなタイミングでツカサを振り返ろう。
 振り返った暁には何か言葉を口にしなくてはいけないわけで……。
 すべてが難しいことに思えて、ただでさえゆっくりな歩調がさらにペースダウンしそうになったそのとき、
「考え、まとまった?」
 背後から声をかけられ不必要に驚く。
 なんと答えようか考えているうちにツカサは私の隣に並んだ。
 泣いたあとの顔を見られることに抵抗はあるけれど、避けて通れるものでもない。
「翠……」
「……自己分析完了、です」
 でも、それを話すのが、説明をするのがひどく難しい。
「分析できたなら説明してほしいんだけど」
「うん……その前に訊いてもいい?」
 ツカサの顔を見ると、「何を?」という表情をしていた。
「ツカサにとって受験って、何……?」
「……受験は受験でしかないだろ」
「そういうことじゃなくて……」
 どう説明したらいいのかな。
「……なんてことのない予定のひとつ? それともイベントや行事クラスの大きな出来事?」
「……翠が何を知りたがっているのかわからないけど、受験なんて通過点のひとつにすぎない」
 ……やっぱり。
「それが何?」
「……私にとっては大きな予定なの。一大事なの。何と同じくらいかというならば、ツカサのインターハイやピアノのコンクールと同じくらいに大きな予定」
「そうは言っても翠が試合に出るわけじゃないし受験するわけでもないだろ?」
 想像したとおりの答えを返されて虚しくなる。
 瞬時に視線を外してしまったけれど、私の気持ちを話すのに顔を背けていてはいけない気がした。
 ただでさえ理解してもらうのが難しいであろう内容を、目も合わせずに話したらもっと伝わらないような、そんな気がする。
 勇気を出して視線を戻し、
「そうだね、ツカサの言うとおりだと思う。私が試合に出るわけじゃないし受験をするわけでもない。でもね、大切な人が直面するから知っておきたいっていう想いもあるんだよ」
 ……ツカサのこの表情は、「理解できない」といったものだろうか。
「翠が泣いた理由ってそれ?」
「……そう。でも、もう少し細分化してるかな」
「この際だから全部言ってほしいんだけど」
「……受験クラスの大きな予定は教えてもらえると思ってた。でも、教えてもらうどころか終わっていたし、合格していることすら知らなかった。教えてもらえたところで私ができるのは『がんばってね』とか『おめでとう』とか、ありきたりな言葉をかけることくらいだけど、何もできなくても知っていたかったの。そう思っていたところに、『言う必要あった?』ってツカサに言われて余計に悲しくなっただけ」
 ツカサは口を噤んだまま何も言わない。
「こういうのを価値観の差、っていうんだろうね。……価値観に差がある場合、相手が話している内容を理解できたとしても気持ちまで理解することはできないから――だから、どれだけ詳しく話しても、どれだけたとえ話を並べても、平行線な会話にしかならないと思う」
 なんだろう、これ……。自分で傷に塩を塗りこんでいる気分だ。
 でも、ツカサの発する言葉でこれ以上悲しくなりたくない。傷つきたくない。
 そう思うと、口が勝手に先手を打ちにいく。

 マンションのエントランスに入り一番にしたことは、コンシェルジュカウンターに立っている人を確認することだった。
 高崎さんだったら出迎えの挨拶とともに目が充血していることを尋ねられただろう。
 でも、今立っているのは崎本さんだからきっと何を尋ねられることはない。
「おかえりなさいませ」と言われ、「ただいま帰りました」と言って通り過ぎるだけ。
 ツカサは崎本さんを見ることなく無言でエントランスを通り過ぎた。
 このままの状態で一緒のエレベーターに乗るのは気まずいな……。
 そうは思っても、違うエレベーターに乗るのは別の気まずさが生じる。
 エレベーターを目前に躊躇すると、無言で手を掴まれ引き摺られるようにしてエレベーターへ乗り込んだ。
 でも、エレベーターのドアが閉まっても会話が再開する気配はない。
 このまま九階で別れたら、明日の朝はいったいどんな顔で会えばいいのか。
 そんなことを考えているうちに、エレベーターは九階に着いてしまった。
 ドアが開いても手は掴まれたままだし、何よりドアの前にツカサが立っているためフロアに出ることができない。
「……ツカサ?」
 恐る恐る声をかけてみると、思いもよらない言葉が返された。
「価値観の差は理解したつもり。でも、理解したところで受験は終わっているし、今からフォローになりえるものってないの?」
 フォローになるもの……?
 咄嗟にこれというものは思いつかず、今日一日思っていたことが脳裏を掠める。
「お話がしたい……。たくさん、お話がしたい。話す内容はなんでもいいのだけど、できたらツカサのことが知りたい」
「……たとえば?」
「たとえば……」
 言葉に詰まると、ツカサに手を引かれてエレベーターから降りた。
 時計に目をやったツカサに習い、自分も時計に目をやる。と、八時まであと十五分くらいあった。
「八時まで時間もらえる?」
 ツカサに尋ねられコクリと頷くと、唯兄に「八時に帰宅します」とだけメールを送った。

 階段に座り話す環境が整のうと、
「受験、いつ終わったの……?」
「AO入試だったから試験って試験はとくになかった」
 四月のオープンキャンパスで予備面接という対話式の面接を受けエントリーシートに志望理由や自己アピールを記入。
 夏休み中のオープンキャンパスで願書提出。その際には三〇〇〇文字程度の志願理由書を一緒に提出したという。
 そのあと九月にもう一度面接があり、十月始めに合格通知が届いたらしい。
「学力試験は……?」
「通常、AO入試であってもセンター試験を受ける必要があるらしいけど、俺の場合は指定校推薦枠の基準をクリアしているから成績面を問題視されることはなかった」
 なるほど……。
 それにしても、面接が四月から始まっていたとは驚きだ。
 まったく気づかなかった自分に呆れもするし、「一過程だから」と涼しい顔ですべてをこなしたツカサもツカサというか……。
 しかも、インターハイ前で大変な時期にオープンキャンパスへ行き、願書を提出していたなんて……。
 ツカサの心臓はどれほど丈夫にできているのだろう。
「ほかに訊きたいことは?」
 ほか……? あっ――。
「明日、なんの競技に出るの?」
「それも知りたかったこと?」
「……今日優太先輩と話していて、知らないことにびっくりしたの。どうして知らないのかな、ってものすごくびっくりした」
 苦笑を返すと、ツカサは「なるほど」と言った表情をしていた。でも、
「ふたつあるうちのひとつは教えられる。けど、もうひとつは教えられない」
「……どうして?」
「うちの組しか知らないことだから」
「ひとつは合気道?」
「そう」
「もうひとつはワルツ……?」
 ツカサは少し考えてから、
「さぁ、どうかな」
「……だって、ワルツは姫と王子の恒例行事なのでしょう?」
「それが恒例になっているだけであって、そうしなくてはいけないというルールはない」
「え……?」
「そもそも、どうして翠以外の人間と踊らないといけない?」
 真顔で言われて困ってしまう。と、
「あぁ、そうだった。翠は俺以外の男と踊るんだったな」
 どこか意地悪な響きを含む声音に肩身が狭くなる。
 そしたら、「知りたい」とわがままを通すこともできなくなった。
 ツカサは再度腕時計に目をやり、
「ほかには?」
 これで最後、とでも言うかのような言葉。
「……あの、訊きたいことじゃないのだけど」
「何?」
 いつもより優しい響きの問いかけに、今なら言えるかな、と魔が差した。
「明日、応援に立つことがあったら――写真……撮ってもいい?」
 ツカサは面食らったような顔をしたけれど、すぐに表情を改めた。
 その視線に理由を求められている気がしたから、
「……今日の応援合戦、とても格好良くて……写真、欲しいなって……」
 やっぱり返り討ちに遭うだろうか。不安でドキドキしていると、
「それで帳消しにできる?」
「え……?」
「今日泣かせたの……。それで帳消しにできるならかまわない」
 まさかそんなふうに言われるとは思ってもみなくて、一瞬絶句してしまった。
「いいの……? 本当にいいの……?」
「……帳消しになるならかまわない」
「なるっ! なるよっ! 帳消しになるっ!」
 思わず大きな声を発すると、「喜びすぎ」と窘められた。






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