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首ヲ斬ル ―山田浅右衛門異聞―

作者:安里優
首ヲ斬ル――山田浅右衛門異聞――





 江戸の町を、一人の(おとこ)が歩いている。

 年は、三十ばかり。
 精悍な顔付きである。
 見上げなければならないほどの立派な体躯を不自然に思わせないだけの肉の鎧の上に、全体としては狼のような印象を与える(かお)が乗っかっている。
 がっちりとした顎と、人の心の奥底を射抜くような目を備えるが故だろうか。

 大小を腰に差しているから、武士である。
 だが、いかなる武士であるのか。
 その外見からは容易にはわからず、みな首をひねるだろう。
 江戸の世では、身分制度は煩雑を極め、そして、そのことは外見に如実に表れているはずだというのに。
 この男は、それが妙にぼやけている。
 いかなる大身の旗本も家に置くのさえ躊躇われるような立派な刀を、ごくごく無造作に差しているかと思えば、着物の方は、牢人が着てもおかしくないような代物である。
 (かぶ)いているというわけにも見えないところが、不思議といえば不思議である。

 だが、この男の場合に限れば、それでいっこうに構わないのだ。
 彼の名は、江戸の民であれば、誰もが知っている。
 そして、一目見れば、誰もがそうと納得するのであった。
 その名は、山田浅右衛門(あさえもん)

 通りのいい名で言えば、首斬り(くびきり)浅右衛門である。


 山田浅右衛門、もしくは代によって朝右衛門。
 一介の牢人ではあるが、将軍家の刀の試し切りを本職に、時に役人に代わって罪人の首を斬る。そこからついた渾名が首斬り(くびきり)である。
 これは、当代の浅右衛門であった。

 浅右衛門は、数本の刀を無造作に抱えて道を歩いている。特に人を威圧する風でもないが、大抵の人間がその姿を見て、居心地悪そうにしている。
 侍だから、という気負いなど町民にはない。
 江戸の人口の大半は、上は将軍家から下は貧乏牢人まで武士階級に占められている。侍は、江戸のまさしく中心なのである。
 だから、町人が侍を見かける事も非常に多い。いや、見かけない日などないだろう。
 彼らは、明らかに浅右衛門の気配に呑まれているのだ。中には、あからさまに彼を避けて、横丁に消えていく町人姿もちらほら、ある。

 漢は、そんな事など気にした風も無く、悠然と歩を進めていく。足早に歩いているとも思えないのに、瞬きの間目を離しているだけで思っても無いほど遠くに歩み去っていた。
 不意に、その足が止まる。
 横網町近くの飯屋の前であった。
 看板はあるが、めし、とだけ小さく書かれて、店の名はどこにもない。
 店のつくり自体は大きいが、そのほとんどは住居と、特別の客だけを上げる座敷に占領されて、表に出ている部分は小さい。
 数人が寄ればいっぱいになるような店だ。だが、妙に印象がこざっぱりしている。
 あまりがつがつと商売をしていないような、そんな雰囲気だった。
 浅右衛門は、己がかけた声に応じて出てきた女将に二言三言話しかけた後、刀を抱えたまま座敷に通じる階段を上っていく。

「よぉ、こりゃ、吉っつあん」

 二階から廊下へ体を乗り出して、陽気な声を上げたのは、辰五郎。
 浅右衛門の古くからの友人で、生まれは武士である。しかも、なかなかいい家の出だ。
 元の名は、松前忠恒。
 藩の首脳部に事あるごとに楯突いて、ついには逐電。江戸で町人の娘と夫婦になったのを機会に、武士を返上し刀を商っている。

 この男だけは、浅右衛門のことを山田家の家督を継ぐ前の名であった吉乃進で呼ぶ。
 浅右衛門は、座敷に上がると、辰五郎に抱えていた刀を渡し、あつらえてあった膳の前にどっかと座り込んだ。勧められるまでもなく、手酌で酒を注ぐ。

「刀六本。どれも無銘だが、なかなかの逸品だ。とはいえ、せいぜいが一つ胴というところだがな」

 一つ胴、二つ胴とは、刑場で罪人の死体を重ねて刀の試し切りをした時に、どれだけの死体を断てたか、という事を示す。刀の格付けである。
 浅右衛門直々に、三つ胴半、もしくは四つ胴といわれれば、その刀はまさに名刀と認められたということである。
 その刀の所有者にとっても名誉なこととなり、武士は競ってそれを求めることとなる。
 もちろん、それを求めるだけの余裕のある者だけではあるが。

「吉っつあんの御墨付きか。こりゃ、なかなかの値で売りに出せそうだ」
「どうせ使われることも無い刀だろうよ」

 言った台詞の空しさに気づいたのか、浅右衛門は、自嘲気味に笑みを浮かべる。
 この時代に、本当の意味で使われるような刀など無いに等しい。
 あるとすれば、自分のような首斬りか、辻斬り、夜盗の類であろう。もはや、武士が刀で切り結ぶような時代ではないのだ。

「世の中ってのは、そんなものさ。何も使い道がなくなっても、綺麗なだけで売り物になる。まだましってもんさ」

 辰五郎は、浅右衛門を励ますでもなく言い返す。
 昔から妙に冷めた所のあった男である。これぐらいが普通なのかもしれなかった。
 いや、その刀を商うことで口を糊している以上は冷たいものといえるだろうか。

「あ、そうそう。吉っつあんに会いたいって奴がいるんだけどよ、会う気はあるかい? なかなか面白そうな餓鬼だぜ」
「餓鬼?」

 浅右衛門は、眉を顰めて妙な顔をする。どう考えても子供に用はない。

「まだ若ぇ。……そうだな、元服はどうにか終わってるって歳の侍だよ。どうしても、あんたに会いたいってんで、おかるさんの所に飛び込んできたんだそうだ。どこでどう調べたんだか」

 言いながら、浅右衛門の向かいに座り、あきれたような顔で酒をあおる。
 おかるは浅右衛門とわりない仲の女である。
 いま、二人がいる店の女将でもあった。

「阿呆か、そいつ?」
 じろり、と虚空を睨みつけるように漏らしたのは、機嫌の悪くなった証拠である。
 辰五郎は内心はどうだか知らないが、いつものことと酒をあおるばかりだ。

 こう言ったのは、浅右衛門が、まっすぐな漢だからだ。
 自分に会いたいのなら、なぜ自分の屋敷に来ないのか。女から手を回すような策を弄するなど、言語道断である。
 そう考えているのだ。

「ご自分で聞いてみたらいかがです?」

 声をかけたのは、何時の間に上がってきたのか、燗をつけた酒を乗せた盆を持って、座敷に入ってきたおかるであった。
 特に用心していなかったとはいえ、浅右衛門に気配を感づかせないというのはたいしたものである。
 おかるはけして昔のことを話そうとはしないが、いつもながらに浅右衛門は、こいつ、どこぞの乱破ではないのかと疑ってしまうのであった。

「本人だと?」

 おかるはすました顔で徳利を置くと、奥に続くふすまを音も無く開けた。ふすまの縁にかけた手が、妙に色っぽい事に、浅右衛門はふと気がつく。

「お、お初にお目にかかりまする!」

 甲高い声が、そう跳ね上がった。
 ふすまの奥にいたのは、剃り跡も初々しい若侍。昨日今日下ろしたばかりと思える着物を着け、頭の鬢付け油はいい香りを漂わせている。
 緊張か恐怖か。畳についた両の手が、小刻みに震えていた。

「東堂真之介と申します」

 奇妙にやわらかな声が、浅右衛門たちの耳を打った。
 体は震えてはいるが、声に震えはない。
 落ち着いた、その歳の者が発するとは思えない声であった。

「この度は、それがし……」
「待て」

 少年に向け、制止の声をかける浅右衛門。
 真之介の目が、差し出された掌を、何か不思議なものを見るように凝視していた。

「お主の話を聞けば、良くも悪くも、お主に関わらざるをえなくなる。今ならば、ただの通りすがり。話とは、どうせ何事か俺に頼みであろうが、それを聞いてやる義理もない」

 ぴしゃりと言い放つ浅右衛門を、相変わらず不思議なものを見るような目で見ていた若侍の肌が、すーっと白くなった。
 ぽってりと朱く残った唇だけが、妙に三人の目を引く。

「はな、話も聞いてはくれぬと申されますか……」

 辰五郎の耳には、ぎりり、という音が聞こえたような気がした。
 口の端から、つつ、と紅の流れが、白い肌を汚していく。
 浅右衛門は、杯を傾けながら、そのさまを眺めていた。若侍の瞳に燃える憤りの色を。

 その瞬間、辰五郎の背中が総毛立った。
 吉っつあん、そう声をあげようとしたが、喉から先に音が出ない。
 怖かった。
 目の前にいる、友のはずの男。その存在が心底怖かった。

「ふすまを閉めろ、おかる」

 白を通り越して青くなった若侍の顔を見やっていたおかるが、しょうがないねぇと呟きながら、ふすまをしめる。
 その姿に、たたずまいに、おびえの色が少しも見えないことに、辰五郎は畏敬に近いものを覚えた。
 ふっと、今までそこにあった巨大な気の塊が消える。
 自らの顔に浮き出る珠のような汗の生ぬるさを感じながら、元武士の刀商は、友が戻ってきたことを知った。

「お、おどかすない、吉っつあん」

 おどけるように言う。
 彼は、目の前の人物が、剣の鍛錬をするところにも、罪人の首をはねるその場にさえ居合わせたことがある。
 だが、いつになっても、彼の発する殺気にだけは、慣れることが出来ない。

「やはり、阿呆だったな」

 一言吐き捨てて、ふたたび酒をあおる。それを見て、顔を見合わせる二人。
 あきらめたように、辰五郎もおかるも、浅右衛門にならって杯を重ね始めた。





 そうして、一刻も過ぎたであろうか。

「まだいるな……」

 軽い話の接ぎ穂がなくなった時、浅右衛門がそう呟いた。なんだか、何事かをあきらめたかのようでもあった。

 牢人は立ちあがり、すす、とふすまのほうに向かい、他の二人が身を起こす間もなく、勢いよく開く。
 そこには、先ほどと寸分の違いもなく、ただただこちらを凝視する若侍の姿があった。
 その視線が徐々に上がっていき、ついに、天にそびえるがごとき、首斬り牢人の貌に行き当たった。

「お主、死ぬ気か」

 低い声が、狭い座敷の中を漂う。
 それは、若侍の確かなうなずきを持って迎えられた。
 ふん、という応えは、彼にとって、どう聞こえたのだろう。

「訳のわからぬ闖入者にやる酒はないが、死者に手向ける酒ぐらいはある。こっちに来て、一緒に飲め」
「え……?」
「飲め」

 そういうことになった。



 若侍が、まだ慣れぬ酒にとまどいながら語ったことによれば、彼は、さる藩の藩士であるという。

 上司でもある父が、この度、不始末により職を辞する事となった。
 本来なら家名断絶を免れぬところであったが、幸いなことに藩主の覚えめでたく、父の首一つで済むこととなった。

「そこで、わたしが、父の首を打つことになりました」
「……それは、己が望みか」
「はい」

 応えに、よどみはない。
 三人は、ほうとため息をついた。

 不始末により家を取り潰されても、生きてはいける。たとえ、恥辱にまみれたとても。
 しかし、この若侍はそれをよしとしないという。父の首を自ら打ち、そして、死のうと言うのだ。

 それを若さというのはたやすい。
 そして、それが何にもならぬことも、よく知っている。
 けれど、三人には、それを止めることなど出来なかった。
 止めようとしても、止まらぬことも、また知っているのであった。
 それが若さであり、彼らもまだ胸に秘めているものでもあったからだ。

「それで、俺に、首斬り浅右衛門に、首斬りを習いに来たか」
「はい」

 少年は悪びれたりしない。
 ただただ浅右衛門に、首斬りを教えてもらうことだけが頭にある。
 否、それしかない。

「それで、父者(ててじゃ)が打たれるのはいつのことだ」
「……十日後にございます」
「十日で首斬りを習得する……か」

 場に沈黙が落ちた。
 また、先ほどと同じような気の塊が、浅右衛門の回りに漂っている。

 だが、それは、先とはほんの少しだけ違っていた。
 くく、と浅右衛門の喉が鳴る。
 低い低い音が、うつむいた大男の喉から流れ出る。

「く、くく、くく、気に入った! 気に入ったぞ、小僧」

 そこまで言って、こらえきれずに、彼の口からすさまじいまでのほえ声のようなものが吐き出された。
 それは、浅右衛門の快笑であった。





 十日の後、首斬り牢人の姿は、さる大藩の江戸下屋敷の前にあった。

「結構なところのやつとは思ったが、百万石かい……」

 ふんと鼻で笑った彼の脳裏に、この十日のことがさまざまに浮かび上がっていた。



 真之介は、素直にどこにでもついてきた。
 まるで浅右衛門の一挙手一投足を見逃さずにいれば、浅右衛門の持つ気迫が己に宿ると思っているかのように。

 副業の薬を練っているときでさえ、じっと浅右衛門の手元を見ているのだ。
 気にもなろうところだが、そこはこの漢の肝の太さか。何を思うでもなさそうに、普段どおりにしている。

 彼はもちろん首斬りの現場までやってきた。
 前述したように、首斬りは本来、浅右衛門の仕事ではない。というよりも、正式にそれに携わる『首斬り同心』と呼ばれる役人が存在したのである。
 だが、ある頃より、同心たちの腕が鈍って失敗が多くなったこともあり、代々の浅右衛門が試刀がてら代わりを務めることとなった。
 首切りを果たせば死体を下げ渡されることもあり、浅右衛門は首斬りの役を、まさに買って出ていた。試刀のために、死体はいくらでも必要なのだ。

「本日は斬罪一である」

 浅右衛門が無言で金を渡すと、いつもどおり役人は首斬りの内訳を告げた。
 罪としては死罪がもっとも重く、牢内で首をはねられる。それに比べて斬罪は、刑場に連れられて斬られるという差がある。
 どちらにせよ、首をはねられるのに違いはない。
 ないのだが、せめて広い空の下、死なせてやるかどうかに慈悲がこもっていると、お上は主張する。

 死ぬことに貴賎などありはしないと、浅右衛門はそう感じており、どちらの罪人を斬るにしても、同じように対していた。

 役人は、それだけを告げてそそくさと姿を消し、真之介の姿にも何の注意も払いはしなかった。
 そのさまを真之介は怒りすら込めた視線でみつめていた。

「何を憤る?」
「あの男、同心でありましょう。それがあのように逃げるなど……」

 その憤りをかえって好もしいような目つきで眺めていた浅右衛門は、ふと笑みをもらした。

「若いなあ」

 かっ、と紅くなる真之介。恥か怒りか。首筋から頬まで真っ赤に上気していた。

「そう気色ばむでない。ま、見ておるがよいさ」

 それだけ言うと、まだおさまろうとしない真之介を連れて、浅右衛門は刑場に出て行った。


 すでに刑場には罪人が引き出されていた。
 四十ばかりの男で、いずれどこぞの盗賊のたぐいか。ふてぶてしい面構えをしていた。
 しかし、一見すれば太い態度に見えるその貌も、げっそりとやつれ、ただ目だけがぎらぎらと底光りしている。

 ぎりぎりとしぼられた縄に縛られて、首だけを動かし、浅右衛門と、なによりその手に提げた刀のきらめきを見つめていた。
 後ろに控えていた真之介が、男の目をまともに覗き込んで、ぎくり、と身を固くした。
 その目の光が恐ろしかった。
 その目に反射する浅右衛門の刀の光が恐ろしかった。
 何を言うでもなく、浅右衛門は男の傍らに立ち、無造作に刀を掲げた。

 何事かを叫ぼうとでもいうのか、男は貌をあげ、役人たちを見据えた。しかし、短い嘆息だけをもらして、再びうつむいてしまう。
 その様が、あまりに力弱く、あまりに哀れに見えて、真之介はつい貌を伏せようとした。
 だが、己を見つめる強い視線に気づく。
 そこには冷めた貌つきで彼を見つめる浅右衛門がいた。
 ぎり、と鳴った。
 かみ締めた奥歯が、真之介の口中でそんな音をたてた。
 目を離してはいけない。
 すべてを見なければならない。
 それが己が選んだことなのだから……。
 浅右衛門は、真之介が彼と罪人を見つめていることを確かめると、これまた無造作に、すとん、と刀を落とした。

 力をこめたわけでもない。
 神速の斬撃であったわけでもない。
 ただ、すとん、と刀をふりおとした。それだけで、罪人の首は転がっていた。
 わずかに遅れて、きれいな首の断面から血がふきだし、真之介の視界の半分を覆った。
 転がった首が、土にかみつくようにあごを何度か動かし、これまた血をふきだして、真っ白くなっていった。

 真之介はその目を見た。
 先ほどまで光っていた目を。
 いまは何者でもない物体を。
 ひざが震えた。
 浅右衛門はただ、先ほどと同じ冷めた貌で亡骸を見下ろし、その刀で罪人の腹を切り裂いていた。
 胆をとり、薬の材料とするためである。
 殺気も、ましてや情も感じられぬ姿であった。

 それを見た真之介は、我も忘れて駆け出すと、刑場の隅で、胃の中のものをすべて吐き出す。
 その様を、浅右衛門が、遠い日をみつめるようにして見ていた。



「それで、吉っつあん、あの小僧に、どんな修行をしてやったんだい?」

 十日の後、真之介を家に送り返し、おかるの店でいつもどおりに酒をくみかわすうち、そんな話になった。
「修行? そんなもの」

 ぶっきらぼうに応える中にも、なんだかからかうような、諧謔の色が流れているのは、辰五郎だからか、それとも、若侍を預かって十日の日々がよっぽど楽しかったか、だ。

「そりゃ、してないってことかい。試し切りの場にも、それこそ、首斬りの場にも連れ歩いているって話じゃないかい?」

「連れて歩いただけの事よ。……まぁ、小僧が勝手に俺の鍛錬を真似してやがったがな」

「……じゃぁ、首斬りを教えてやらなかったのかい」

 それを聞いて、浅右衛門の貌が、にぃと笑みの形を作った。
 辰五郎は、それを見て、なんだか嫌な貌をした。
 昔から覚えのある表情だったからだ。

「小僧に必要なのは、俺の元で修行したっていう事実のほうさ。首斬りなんぞ、十日でわかるもんじゃねぇしな……」

 と取り澄まして応えるさまも、辰五郎には、怪しいことこの上ない。
「なんか企んでやがるな」

「企んでるのはやつのほうさ。だが……」と、これは引き締まった顔つきで「何にせよ、父者の命を賭け金にするには、分の悪い賭けさ」

 会話は、そうやって、終わりを告げた。



 浅右衛門がそんな風に物思いにふけっていると、屋敷の奥のほうで、けたたましいわめき声が上がった。
 慌てた風もなく、浅右衛門は木戸を力強くたたいた。
 とどろくような声で、一言叫ぶ。

「山田浅右衛門、推して参った!!」





 時は、その日の朝にまで遡る。
 広々とした部屋に、二人の男が向き合っていた。
 一人は、白装束の疲れたような貌をした中年男。もう一人は、悲壮なまでに凛とした顔つきの、東堂真之介であった。

「苦労をかけるな、真之介」
「いえ……父上の謝られるような事ではありませぬ」

 ほう、と真之介の父はため息をつく。
 屋敷に軟禁されてもう二週間、もはや、死ぬ覚悟は出来ている。それが、何なのかはわからぬにせよ、出来ている。

 いや、できていないのかも知れぬ。
 心の奥底では、まだまだ死にたくないと思っている己がいる。
 しかし、それを表に出したとて、なにになろうか。
 己の矜持も、侍の意地も、取り乱すことを許してはくれない。
 ただ明らかな心残りは、いま己をひたと見つめる、この息子。

「おまえは……我が子ながら、よい子に育った。時に、思いこんだら頑として譲らぬところはあるが……。だが、まだまだだ。まだ、おまえは、庭に生えておる若木にすぎん」

 血を吐くような思いを言葉に込める。
 それだけが、遺してやれるものなのだから。

「嵐にも、雷にも耐える、野山の大木となれ。……そんな、よい漢に、育ってやってくれ。父の……父の、それが願いだ」
「……」

 果たして、目の前にいるこの若侍が、己の言葉をわかってくれるのか。
 それは自信がない。
 自ら言ったように、昔から、こうと思ったら考えを曲げない息子であった。
 しかし……。

「死ぬのは、父だけでよいのだ」

 ぼそり、と呟く。
 それが、息子の耳に入ったかどうか。息子は何事か思い悩むようにしていたが、ついに口を開いた。

「お聞きしたいことがございます」

 真剣な口調。
 いつでも、この息子はこんな感じだった。
 親子というに、どこかぬぐいきれぬ硬質の空気を伴っていた。それが父として心配ではあったが、漢としては好もしくもあった。

「おう。なんでも聞いておけ。話してやることもできのうなる」

 苦笑しつつ父は続ける。聞かれたことは素直に何でも答えようと思っていた。
 あるいはこの覚えのない罪をまことのことかと疑っているならば哀しい。哀しいが、それもまたよいと思っていた。

「父上は……父上は死にとうありませぬか」

 意外な問いであった。
 この息子ならば、父が死んでいくことに何の疑問も持たぬと思っていた。それが侍の道であるならば。
 彼は、なんとなくそれまで以上に息子が誇らしく思えてきた。

「わしもこうなるまで思いもよらぬことながら。……死んでもよいというのと、死にとうないというのはな……。不思議と同じ心に宿りうるものなのだ、真之介」

 そして、沈黙の時が過ぎ、部屋の外から声がかけられた。

「東堂殿、ご重役方あいそろわれ、暫しののち、刻限でございます」
「あいわかった。東堂、ただいま参る」

 そして、それが、真之介の聞いた、父の最期の言葉となった。



 真之介の目には、何事も、淡々と進んでいるように見えた。

 父は、家老はじめ藩の重役の前に引き出され、再び別室に通された。辞世の句を作らせるためであろう。
 自分はと言えば、庭の玉砂利の上に作られた壇上で、抜き身の刀を構えながら、父の連れてこられるのを待っている。
 その、父の愛刀でもあった刀の重さが、痛いほど感じられる。それでも、冷静に、これからやるべきことだけを頭の中で反芻している自分が、なんだか滑稽ですらあった。


 まだだろうか。
 少し高くなった陽が、じりじりと、首筋を差す。


 まだだろうか。
 時など、たってくれねばいいのに。


 まだだろうか。
 ……わが父の首を落とす、その時は。


 ついに、父の首筋をその目にした時、少年が何を思ったのか。それは定かではない。
 父の体は震えているような気がした。
 見たくなかったようでもあり、どこかで安心するようでもあり。
 ただ、もはやここにいたっては、その首筋に刀を振り下ろすしかなかった。

 浅右衛門の元で修行した十日ばかりの日々が、その刀に与えていたのは、早さや太刀筋ではなく、『覚悟』そのものであったのかもしれない。
 腹に小刀を突き刺し、自然とうつむくやせた首筋に向かって、太刀が振り下ろされる。
 ゆっくりとも言える速度で肌に触れた刃は、その自重と真之介の与えた力をもって、皮膚を裂き、肉と腱を押しつぶし、ついに、骨を砕いた。

 飛び散る血潮は、思っていたほどではなかった。
 ただ、それまで、そこに、確かに生を持って存在していた肉体が、とうとうと血をしたたらせる、二つの物体に変化した、
 そのことが、真之介にとって、驚愕すべき事実であった。
 父の首が転がり、そして、その貌に浮かぶ苦悶と、それでいてやすらかな表情を認めて、彼は振りかえった。
 父の熱い血潮を受けた刀をさげたまま、重役の面々の前に立つ。

 父親の血が、一滴二滴はねとんだその貌は、青ざめ、ぎらぎらと目が輝いて、まるで幽鬼のごとし。
 それが故に、家老は、一瞬、声をかけるのをためらった。
 その一瞬。
 その一瞬だけで、真之介には十分であった。

「館脇ぃ、覚悟!!」

 だんっ。
 軽やかに庭の砂利を蹴った足が、重役連の座る座敷にかかるが早いか、血刀が勘定方筆頭、館脇主目めがけて突き出される。
 刃の切っ先が、神速の突きを持って主目の首に、するすると招かれるように入っていった。

 仇敵主目も、父も、肉を断つ心地は同じであったか……
 掌から伝わる感触に奇妙に哀しみを感じながらも、突き通した刃を横に振り、頚動脈を掻ききる。
 父とは違い、盛大な血しぶきを上げて、主目はくずおれていった。
 貌にへばりついた驚いたような表情が、憎らしくも痛快であった。
 周囲を、怒号と動揺する気配が支配する。だが、もはや、そんなことはどうでも良かった。

 刀を握っている拳が痛い。
 かたかたと震えているのは、自らの体だろうか。
 もはや足も、言うことを聞いてくれそうにない。
 もう、どうでもいい。

 我知らず、真之介の貌に笑みが浮かんだ。それは、何かを悟ったかのようなさわやかな笑みであった。
 真之介の手から、二人の血を吸った刀が、からん、と落ちた。





 木戸を開けた中間(ちゅうげん)と問答する間ももどかしく、騒動の中心に浅右衛門が駆けつけたときには、真之介は、ほうけたように立ちつくしていた。

 その背に向けて斬りかかろうとしていた藩士を無言で張り飛ばし、真之介の襟首をひっつかむ。
 背負うようにして、片手だけで少年の体を持ち上げた。
 残りの右手は回りのものすべてを押しとどめるような殺気を発して掲げられている。

「この騒動、山田浅右衛門が預かる!!」

 その体から、自失する真之介をもびくんと震わせるほどの鬼気が放射される。
「し、しかし……」

 一声あげた侍を一瞥で黙らせた後は、誰一人、声すらあげることは許さなかった。


 つい先ほどは東堂親子が向かい合っていた部屋に、今は、浅右衛門と痩身の壮年の男――この藩の江戸家老が、同じように向かい合っていた。
 部屋の隅では、自分の置かれた境遇が信じられぬままに、真之介がへたりこんでいる。

「山田殿、これは、いかなる仕儀か」

 もはや、血も引き、青ざめきった貌の江戸家老は、なじるように言い放った。
 そもそも相手は素牢人。本来なら彼が直接口をかわす格式などひとつも備えてはいない。
 しかし、それでも家老がひきずりだされたのは、一重に山田浅右衛門――いや、首斬り浅右衛門の持つ名前の重さであった。

「ご家老。ご家老は、人を斬った事はおありか?」

 一方の浅右衛門は、飄々としたもので、先ほど見せていた鬼のごとき貌も、いまはおさめている。
 それだけに、その奥に潜んだ牙を感じさせずにはいられなかった。

「な、なにを……」
「おありか?」
「な、ない、そのような……」

 言いかけて、目の前にいる男の生業を思い出してか、ふと口をつぐむ。
 なぜか、その額に、脂汗が浮かび始めている。そのことに、家老自身、まだ気づいていない。

「そう……そうでしょうな。今のご時世、人を斬ったことのあるものなど、ほんの一握り。ましてや、藩の御重役とあっては……」

 ふ、と浅右衛門の唇の端がつりあがる。それが、笑みであるか否か、家老には判断がつかなかった。

「人を斬れば、わかることがあります。なんだとお思いか?」

 家老の額の汗は、とめどもなく出始めている。
 ねっとりと熱いくせに、なぜだか芯では冷たくてたまらないその汗に、ようやく家老は気づいた。

「わか、わからぬ」

 舌が自由に回らない。弁舌と知略でこの地位を築き上げた男の舌が。

「誰を斬ろうと変わらぬということですよ。罪人だろうと、そうでなかろうと。町人、侍、藩士、御家人、女郎に、ごろつき、何も変わりはしませぬ」

 家老は、自らの汗の意味を、遅まきながら悟った。
 怖い。
 怖いのだ。
 先ほど、真之介に見た幽鬼のような表情も、有無を言わさず場をおさめた時の恐ろしいまでの気迫もない。

 けれど、そこに、ただ座っている漢が、怖くてたまらない。
 自分も武士の端くれ、殺気と言うものを感じたこともある。だが、今感じているのは、そんなものとはまるで違う、もっと根源的ななにかであった。
 夜の闇に人が感じるもの。
 野の獣に人がおののくもの。
 それこそが、この漢が発するものであった。

「何年も、そう、十年も首を斬って御覧なされ。人を斬るということが、何なのか、だんだんわかってきましょう。そして、一つ、わかることが……ある」

 びくり、と真之介の体が震える。
 だが、家老の体は震えるどころか、どこの部位も、寸分も動かすことさえ、出来なくなっていた。

「ご家老。ご家老は、人でござるな」

 思ってもいないのに、かくかくと首がふれる。

「あの、真之介も人にござる。隣の部屋に控えておられる面々も人にござる。そこらを歩いている町人も、花町の花魁も、盗人も、人殺しも、人にござる。そして、お城におわす、将軍家も人にござる」

 家老にはわかっていた。次の言葉を聞くまでもなく。

「人にあらざるものならいざ知らず、この浅右衛門が、人を斬れぬとお思いになるか?」

 殺すつもりだ。この漢はわしを殺すつもりだ。
 その思いだけが、しびれきった脳髄を駆け巡る。
 両隣の部屋に配した数十人の猛者も、さらにひかえる藩士達も、何の役にも立たない。
 いや、この漢なら、自分を殺したあと、悠々とその者たちをも斬り尽くして屋敷を出て行くに違いない。

「わか、わか……」乾ききった口の中をうるおそうと、ごくり、とつばを呑みこみ、ようやく「わかった」と、家老は口にした。
「おや、ご家老? 何をおわかりと?」

 ずい、と浅右衛門が身を乗り出す。その腰にさされた大刀が、圧倒的な迫力を家老に見せつける。

「と、と、と、東堂真之介は、父ともども、今日、自害して果てた。た、館脇主目は、その折、心の臓の発作にて、亡くなった」
「ほう?」
「そ、その上で東堂真之介の亡骸は、どうか、浅右衛門どのが家族のもとへ届けてやってはくれぬか」

 にやり、と浅右衛門の貌が笑み崩れた。今度は、家老にも、口の端にのぼった表情が笑みであると、はっきりわかった。
 その瞬間、再び、家老の貌に、汗があふれた。先ほどとは違いぬめることのない汗が、滝のように全身を流れる。
 家老は、自分が二十も歳をとり、老人のように老いさらばえてしまったような気がした。
 浅右衛門は、すいと立ちあがると、いまだ――これは別の意味でもあろうが──呆然としている真之介の腕をつかみ、立ちあがらせた。

「では、東堂真之介の亡骸、確かに預かり申した。きっと、ご家族のもとにお送り申そう」

 そのまま、何事も無かったように、真之介を連れて立ち去ろうとした浅右衛門の背に、家老の声がかかる。
 自分でも弱々しいと思える声音であったが、家老は、声をかけられた自分を誇らしくすら思った。

「浅右衛門殿、先ほど、恐れ多くも将軍家のお名を出されたが、もし、もし、将軍家が御身の前に立ちふさがれたら……」

 どうなさる、とは聞けなかった。にやりと浮かべた笑みはそのままに、浅右衛門がこちらを振り返る。
 その時はじめて、家老は山田浅右衛門、という一人の人間を恐ろしく思った。
 それまでは、ただただ動物的に恐ろしかった恐怖の化身が、この時はじめて人の姿をまとったかのようであった。

「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺す。それがこの浅右衛門の生き様にござる」

 真之介と浅右衛門に関する一連の伝令を果たした後で、家老は昏倒した。





 さらに、幾日かのち。
 辰五郎とおかる、そして、その情人の姿は川崎の宿にあった。元禄の世、四十七士の一部が隠れ潜んだとして有名な平間村にほど近い峠である。
 三人は茶屋でのんびりと団子などを食っている。

「結局、その館脇って野郎が、あの餓鬼の親父を罠にはめて失脚させた、って事らしいねぇ」

 辰五郎が、どこで聞いてきたのか、そんな話をする。

「へぇ、知ってなさって?」

 浅右衛門は応えず、茶を傾けている。
 その脳裏には、先ほど見送った、少年とその家族の姿があるのかもしれない。それも知らずに、辰五郎が、とうとうと話を続けている。

「まぁ、理由ありだとは思っていたが、結構な仇討ちじゃねぇか。もちろん、侍の世界なんて、海千山千の妖怪どもが跋扈しているようなもんだから、あの餓鬼の親父にしたって、それなりの事をしてきたんだろうがよ」
「辰さんは、それが嫌で武士をやめたんだっけ?」
「いや、まぁ、ほとんどはそうかねぇ……」

 そんな風にじゃれあっているさまを横目に、浅右衛門は、うまいのかまずいのかよくわからぬ貌で、団子を食っている。

「仇討ちも所詮人殺しよ」

 二人が鼻白むことを軽く言い放ち、ぱくぱくと次々食っていく。その様を見て、おかるが自分の分まで、どうぞと差し出した。
 団子の皿とおかるを代わる代わる見比べ、不意に浅右衛門は、情人にむけて言を発した。

「おかるよ、幸せとはなにかわかるか?」
「いきなり、そんな……」

 なんだか気勢をそがれた様子で、ぷぅと頬を膨らませる。小難しい話はてんから自分の範疇外だと思っているのだった。

「簡単なことだ。女がいて」とおかるを抱き寄せ、「友がいて……そして、団子がうまいことさ」

 そう言うと、浅右衛門は、おかるの持つ皿に載っていた団子三本をまとめて口の中に入れ、むしゃむしゃと食い始めた。
 そんな姿を二人はあきれたような、それでいて楽しそうな目で見つめていた。


 山田浅右衛門……いい漢である。


(了)

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