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作者: Hanzo

輪廻転生という言葉がある。

生命は生まれ変わり、魂は繰り返される。一言で言い表すなら“輪”である。

細かい意味は違うかもしれない。

でも僕はそう思っていた。

でも今は違う。


輪廻転生。それは螺旋であり螺鈿であると。


どう意味が違うのか?それは全然違う。


同じ所に回って来ているようで、実は少し違う場所に来ている。それが螺旋。

では、もう一つの螺鈿とは何か?


螺鈿細工という物は、一か筋の光で七色に光る物だ。じゃあ、それが輪廻転生とどんな関係があるのか?


それを今から僕の実体験から話したいと思う。







その日、僕は実家の祭の日に偶々帰ってきていた。


僕の実家は山間の小さな町にある。主な産業は農業だ。それ以外の産業は取り立ててない。

そこにある神社で開かれる小規模な祭りなのだから、当然、祭も小さなものだ。


やる気の無い青年団の奏でる拍子を外した祭り囃子。

振る舞い酒のおかげで集まる年寄りばかりが目につく御輿の担ぎ手。

お菓子欲しさに子供御輿に集まる近隣よその町からやって来た見知らぬ子供達。

そして片手で数えられるほどのしょぼい出店。


僕は酔い醒ましのために境内の隅っこに座り、そんな祭りの様子を第三者的な目で眺めていた。




本殿横の集会所から怒声にも似た話し声が聞こえる。まだあそこには戻らない方が良さそうだ。今戻った所でどうせ、結婚はまだか、恋人は作らないのか、家を継がないのか、今のトレンドは農家だ、仕事を辞めて戻ってこい、等のくだらない話を延々と言われるだけだ。




家は長男が継ぐもの。先祖伝来の田畑や家や墓は守らなければならない。一人っ子ならばなおのこと、それが当たり前。




くだらない。本当にくだらない。戻ってくる度に思う。なんて前時代的な考えなんだ。ここの集落の人間は頭の中に蜘蛛の巣でも張っているのではなかろうか。


こんな祭のために戻ってくるんじゃなかった。三万円の不参加徴収金という名前の違約金惜しさに帰って来ようと思った過去の自分を説教したい。


溜め息を一つ。合成アルコールの香りがする。盆と正月とこの祭以外、この神社の催し物は存在しないといっていい。小さな集落とはいえ、そんな催し物の少ないときに合成アルコール入りの日本酒しか出せないなんて。ケチ臭い。もう思考が批判しか出てこない。その合成アルコール臭い溜め息をもう一つ。




そんな時に、不意に目についた。神社に併設されている土むき出しの駐車場の端に一件の出店が出ている。




さなぎ屋




出店でよく見る染め抜きの暖簾看板には、そんな文字が毒々しく見える紫の字で書かれていた。


さなぎ屋?虫でも扱っている出店か?

カブトムシやクワガタなんかの虫ブームは数年前に怒濤の如くやって来て、もうすでに終わっているのは知っている。ブームの残り火がこんな田舎町の祭にやって来たのだろうか。

僕は虫は好きじゃない。でもその時の僕は、合成アルコールのたちの悪い酔いのせいか、何故かその出店に足が向いた。






「・・・さなぎだよ。・・・要るかい?」


ショートホープをくわえた親父がニカリと笑った。黄色い歯並びの中で、金の前歯がキラリと光った。カマボコっていうんだっけか?


「さなぎって何があるの?カブトムシ?クワガタ?ヘラクレスなんかあるの?」


僕のなけなしの知識から捻り出した疑問にその親父は急に不機嫌になった。久しぶりの来客だったのだろう、前のめりで売る気が満々だった親父の姿勢は、脱力しパイプ椅子の背もたれに体重を預ける形となった。タバコを口の端にくわえたままで紫煙を吐き出す親父。


「・・・お前さんもその口か」


張りが無くなった親父の声は何とか聞き取れる掠れた物だった。

普通であればリンゴ飴を立てているであろう、赤いテラテラとした台の上には木の枝が立ててあり、その枝には大小のサナギがくっついていた。詳しくない僕でも解る。蝶のサナギだ。


「なんだ、カブトとかクワガタはないの?蝶だけか。モルファ蝶ならある?」


「・・モルフォ蝶だよ、馬鹿垂れ。アマゾンの宝石の名前を間違うな」


冷やかしのつもりで覗いた出店だから、有りもしない物を要求して買わずにいようという僕の浅はかな考えは、うすぺっらな僕の知識のせいで早々に頓挫した。

間違いを指摘され憮然とする僕を見たさなぎ屋の親父は、憮然とした表情から一転して何がツボにハマったのかクツクツと笑いだした。


「くくっ・・・。兄ちゃん、虫嫌いだろう?」


「・・・嫌いだね。あんな物に金をかけるやつの気が知れない。気持ち悪いったらありゃしない」


普段の僕なら、その職種に就く人の前で、その職業に関する事を嫌いだなんて発言する事は考えられない。これでも一応、営業マンの端くれなのだから。

今日の僕の酔いは相当に悪いものらしい。普段の業務なら、主任に怒鳴り散らされる失態といっていいだろう。

だが何がどうなのか、さなぎ屋の親父はクツクツと笑い続け、終いにはむせて咳き込みだした。


「くくく、ごふっ、ごふっ、くくくっ・・・。気に入ったぜ兄ちゃん。そんなお前さんにぴったりのサナギがあるんだが、買わないか?」


「・・・何を?」


虫が嫌いと言った端から、虫を売り付けようとする商魂の逞しさに呆れながらも、僕はそのさなぎ屋の親父の勧める商品に少し興味が涌いていた。

さなぎ屋の親父は被っていたニューヨークメッツのキャップを後ろ前に被り直すと、秋の午後の気だるい日差しにテラテラと光る赤い台の下から一本の枝を取り出した。

その枝には目の前の台に突き刺さっている枝に張り付いているサナギと何ら変わらないサナギが張り付いていた。


「・・・何これ?」


親父の付き出した手に握られている枝に付いているサナギは、どんなに見つめても他のサナギと変わりなど見付けられず、僕は思わず胡乱な目で親父を見ていた。

だが、そんな僕の胡乱な目線も何処吹く風。親父は立て板に水を流すように朗々と喋り出した。


「やあやあ、遠けき者は音に聞け。近からん者は目にも見よ。ここに取り出したるは、京の山奥にて修験に励みし山伏が、念を込め七日七晩加持祈祷し、終にはさ迷える魂を封じ込めたる蛹。そんじょそこらの蛹とは訳が違う・・・」


人は見かけによらない。・・・いや、やる気の無い親父が出店の親父に見えてきたのだから、見た目の通りというべきか。親父の口上はまだまだ続いている。段々と熱が込もって来た。


「・・・さて、その封じ込めたる魂、そんじょそこらの魂じゃない!さーて、お立ち会い!

なんとその魂とは選びに選び、選りにも選りすぐりった美女の魂なのだというのだから、世の男子なら喉から手が出るほどに欲しいとは思わないか!?思わないはずがない!かつて世界に覇を唱えたアラブの王様、インドのマハラジャ、中国の皇帝、その誰もが手にすることの出来なかった美女をその手に出来る世にも珍しいサナギだ!!何とその名も『輪れ転生のさなぎ』という!!ここで買わなきゃ男が廃るってもんだ、さあ、買った買った!!」


「・・・それ、輪れ転生じゃなく輪ネ転生だよね」


親父は売り口上の最後の最後で言い間違えた。これが得意先へのプレゼンなら、最後の最後で大失敗といったところか。


だが、僕はそいつを買う気になっていた。

まずサナギというのがいい。餌は要らないし巣箱を掃除する必要もない。孵るまで放っておくだけ。

もし万が一、孵ったのが・・・いや、万が一にも美女がサナギから孵るなんて事はない。どうせ出店の商品だ。孵るのは百パーセント蝶だろう。

その蝶が孵ったとしても、放ってやればいいのだ。最近は都会を緑化しようなんて運動が流行っているのか、僕の住んでるマンションの屋上には小さな花壇がある。そこに放してやればいい。今は秋だが色とりどりの花が咲いていたはずだ。

たとえ僕が居ない間に孵ったとしても窓を開け放っていればそこから出ていくだろう。

放ってしまえば後は知らない。鳥の餌にでもなるか、これから迎える晩秋の寒さで死んでしまうか・・・。

まああとは、同僚との飲み会の話のネタくらいにはなるだろう。


・・・そうなれば後は値段だ。僕は何の興味も無いような素振りで、口上に軽く息切れしている親父に聞いた。


「美女の孵るサナギか・・・。高そうだね」


特に感情の抑揚も付けず聞いたはずだった。ところが親父はこちらの考えを見透かしたようにニヤリと笑った。前歯のカマボコがきらりと光る。


「千円」


只のサナギの値段には高く、美女が孵るサナギにしては安すぎる値段だ。

僕は思わず青年団と赤字で染め抜かれたハッピを捲り、ジーンズのポケットをまさぐった。示し合わせたように僕のポケットには千円札が一枚入っていた。

祭の最中に財布を落としたら大変だが、かといって缶コーヒーでも飲みたくなったらと思って実家を出る前に財布から抜き出して突っ込んでおいたのを、今更ながらに思い出した。


僕はその汗でしっとりとしたシワクチャの千円札を親父に付き出した。












帰ってくれば窓を全開にして部屋の空気を入れ換える。それが僕の習慣だ。

マンションの三階の八畳の1DK。そこが僕の城だ。あの田舎にはもう僕の居場所はない。

昨日今日と帰ったのだから、これで当分帰る必要はないだろう。公共機関を乗り継いで片道四時間超。夕飯を食べていけという両親の誘いを断って帰って来たらもうすぐ十一時になろうとしている。まさに陸の孤島だ。

コンビニさえないあの町に僕は何の魅力も見いだせない。帰る気なんて更々ない。


ふと思いだし、持ち帰った荷物の一番上のティッシュにくるんだサナギを取り出す。

LED電球の下で見るそれは、やはりどこからどう見ても只の蝶のサナギだった。

キッチンの流しに伏せてあったビールの三百五十ミリの空き缶の三分の一ほどに水を入れ、その注ぎ口にサナギの枝を突き刺した。

部屋の中央にある座卓の真ん中にその奇妙な生け花を置く。

片付いた無機的な部屋のなかで、そのサナギの生け花だけが妙に有機的に僕の目に写る。

まるでこの部屋の中で生きているのが、この一番の新参物のこのサナギだけというふうに主張しているようだ。


馬鹿らしい。


変な考えを頭を振って追いやり、僕は部屋の窓を閉めようと立ち上がったところで携帯が鳴った。

画面には赤川知代と表示されている。

僕は携帯の受話ボタンを押した。








知代は二年前の真夏の合コンで知り合った。

彼女とは体の相性は良かった。・・・いや体の相性“だけ”が良かったと言うべきか。今では週に二、三回会ってセックスするだけの関係になっていた。

プレゼントを贈りあったり、デートしたり、愛の言葉を囁き合ったり、そんな期間はとっくに終わっていた。体だけを求める関係。

倦怠期とでもいうのだろうか。・・・いや、世の中の倦怠期と称するカップルや夫婦はセックスレスであったはずだから、厳密にいうと僕と知代の関係は違うのかも知れない。

だが世の倦怠期の男と女と同様に、僕と彼女の関係も限界を迎えつつあったのかもしれない。

ほんの些細な出来事で終わってしまうという意味では、僕と彼女の関係は倦怠期と同意語と言えたのかもしれない。






事の済んだベットの上。知代は気だるそうに起き上がると、何時も持ち歩いてる化粧ポーチから煙草を取り出すと徐に火を点けた。


「・・・前も言ったけどさ、煙草はベランダで吸ってくれないか?」


「灰皿になるものない?」


彼女は僕の抗議を無視し、紫煙を吐きながら灰皿を要求した。

僕は煙草を二年前の増税を期に止めたので部屋の中には灰皿なんて物はない。愛煙家の友人が遊びに来るので、かろうじてベランダに据え置き型の灰皿を置いているだけだ。


「いいのがあるじゃない」


彼女はベットの横に脱ぎ散らかしている服を踏みながら座卓の上に置いてあるビールの缶に灰を落とした。


「・・・おい、止めろよ。煙草は外で吸ってくれ」


僕の静止の声なんか聞こえないふうに、彼女は煙草の煙を深く吸い込んで紫煙を吐き出し、再び缶に灰を落とす。


「何これ・・・・・。きゃっ!」


彼女は常夜灯のオレンジの光の下で缶に刺していたサナギの枝に気付くと、気だるげな様子から一転、素早い動きでサナギの枝を放り投げた。サナギは座卓を飛び越え反対の壁に当たり、カーペットの上に転がる。


「おい!」


突然の僕の大きな声に彼女は白い肩をビクンと竦めた。

彼女が僕を見る。僕は彼女を睨む。そんな時間がどれ程続いたろうか。タバコの燃えるジジッという小さな音とマンションの前を通る車のエンジン音が、僕と彼女の間にやけに大きく響く。


「・・・もういいわ。私達、終りにしましょ」


知代は一つ溜め息を吐くと、缶にまだ長い煙草を捨て下着を着け始めた。

部屋に彼女の服を着る衣擦れの音だけが響く。


「それじゃ、さよなら。携帯のメモリー、消しといてね」


それだけ告げると彼女は部屋を出ていった。

僕は裸のまま起き上がり、新しいビールの缶にまた水を三分の一入れると、カーペットの上に転がったままのサナギの枝をそれに刺した。


呆気ないものだ。


僕は換気のため部屋の窓を開けた。マンションの下、街灯の灯りの向こうに歩き去る彼女の姿が見えたが、別にどうという心情も僕の心にうかばなかった。










帰ってくると窓を全開に開け空気を入れ換える。そんな僕の習慣に新たに一つ追加されたことがある。

座卓の上のサナギを五分ほど眺める、だ。

別に虫が好きになったわけでもない。ただそうするだけ。

外回りから直帰で帰ってきても、後輩の伝票整理を手伝って遅くなっても、得意先の接待で呑んで帰って来ても、その習慣は変わりなく続いていた。

知代に投げ捨てられてサナギの中が駄目になったんじゃないかと思ったりもしたが、どうやらその心配は杞憂に終わったようだ。

何故なら、最近サナギが動くからだ。

それに気付いたのが二週間前。

何時ものように帰ってきて窓を全開にし、ベットに座り込んでネクタイを緩めた時だった。

サナギのが小さく動いている。

最初、僕は動転し思わずネットで調べた。

検索ワードは”サナギ”、”動く”。

結果は問題なし。サナギが蠢くことはよくあるとの事。ほっとした。


そう、”ほっと”したのだ。サナギが無事なことを知って安心する僕がいた。


前述のとおり未だに虫は嫌いだ。会社の席で書類作成に励んでいるとき、目の前を小さな羽虫が横切っただけで半狂乱になり同僚や後輩に笑われる。郊外への外回りの時にバッタなんかが僕の進路上に居ると必要以上に避けて歩く。

変わらずの虫嫌いだ。


じゃあ何故?


・・・そう情が湧いた、とでもいうのかもしれない。とにかく僕は帰ってくると窓を全開に明け、その換気の間、サナギをじっと見るという生活を送っていた。



ふと思う。”食わず女房”のようではないかと。


あのあらすじはたしか、村のケチな男が飯を食べない美人の嫁を探し、実際に飯を食わない美人の嫁がやってくる、というものだったはずだ。

あれの最後は、嫁が実は二口女で、そのケチの男が連れ去られて食われるとか食われない、という話だと記憶している。


目の前のサナギを見る。”美人で飯を食わない嫁”と”美女が孵る世話がかからないサナギ”。


まさかな・・・。僕は別に嫁を欲したわけでもないし、特に自分がケチだとは思った事もない。


「おい、孵ったとたん”お前を食べてやる”とか言わないでくれよ。なんていったって、千円で僕が買ったんだからな」


そんな僕の一人言に答えるようにサナギは小さく蠢いた。












「ほー。これがお前の言ってたサナギか?」


その日、僕の部屋には来客者の姿があった。


佐々木一義。僕の会社の同僚だ。特に親しい間柄というわけではない。


大口の取引先が決定した打ち上げの酒の席で、僕は自分とサナギの奇妙な出会いを皆に話して聞かせた。

その話に大いに興味を持ったのが彼だった。


「そうそう、それが例のサナギ。なんのサナギだか解る?」


僕はキッチンで湯を沸くのを待ちながら佐々木に問いかけた。酒席がお開きとなり終電までには時間があるとのことなので、佐々木のたっての希望によりそのまま我が家にサナギを見に来ることとなったのだ。


「・・・うーん、解らん。アゲハチョウ、セセリチョウ、シャクガモドキ・・・、どれにもあてはまらん。かといって蛾でもない・・・。まあサナギの状態だけで判断するのも早計か・・・」


佐々木は座卓のサナギの前で蹲踞の姿勢のまま顎をジョリジョリと擦った。目の前のサナギを穴が開くほどに見つめている。


「解らないの?」


僕はインスタントコーヒーをカップに入れながら佐々木に聞いた。彼の趣味は昆虫採取であり、自身の採取した昆虫を閲覧できるホームページを運営しているそうである。実はその趣味は今日の酒の席で初めて知った。


「うーん・・・。これ写メ撮ってネットにアップしていいか?俺の知り合いなら解る奴が居ると思うんだが」


佐々木がスマホを構えながら僕の方を向く。僕は佐々木の目の前にコーヒーのカップを置きながら頷いた。


カシャッ・・・カシャッ・・・


スマホのシャッター音に反応するようにサナギのが蠢いた。なんだかサナギが恥ずかしがっているみたいに見えた。






「ふー・・・、あとは返答待ちだな」


佐々木は操作し終わったスマホをワイシャツの胸ポケットにしまうと、すっかり温くなったコーヒーを啜った。


「返答ってどれくらいであるものなの?」


僕はネットは使うが、疑問を回線の向こうの顔も知らない誰かに聞くということをしたくはないので、そこのところがよく解っていなかった。


「早けりゃ二、三分。遅くとも明日の今位までには返事があるはずだ」


佐々木は顎を擦りながら再びスマホを取り出し忙しなくチェックを始めた。普段の実直な仕事振りからは想像も出来ない、佐々木の新たな一面を見た気がした。


「うーん・・・。皆解らんそうだ」


「ふーん、そうなんだ」


「・・・ことによっては新種かもしれんな・・・」


「ふーん」


この僕の気の無い返事に佐々木は逆上して腰をうかせた。


「お前な、新種が見つける事がどんなに凄い事か解らんのか?!俺ら昆虫好きの人間の夢なんだぞ?!」


「いや、僕、虫嫌いだし」


中腰だった佐々木はストンと座り、大きな溜め息を吐いた。


「・・・何でこんな昆虫嫌いな男の所に新種の蝶が来るのかね・・・」


「べつに新種と決まったわけじゃないんでしょ?」


「少なくとも俺や俺のサイトの常連連中も知らない蝶だ。孵ったら詳しく調べたい」


「いや、それに孵ったら放してやるつもりだし」


この僕の言葉に佐々木は再び逆上した。


「放すだと?!この晩秋を迎えようかとしているときに蝶を放すだと?!」


虫一匹に騒がしい奴。

佐々木は突然僕の肩を掴んだ。


「・・・相談なんだが、このサナギを譲ってくれないか?勿論タダでとは言わん。五千・・・いや、一万円払うから譲ってくれ!」


千円で手に入れたサナギが一万円で売れる。端から見たら大儲けだろう。

だが僕はそんな儲けでこのサナギを手放す気にはなれなかった。別に今現時点で金に困っているということはないし、給料も生活する分には十分貰っている。

なにより、僕はこのサナギに愛着が湧いていた。


「悪いけど譲る気はないよ」


「ぐぬぬ・・・!なら、五万だ!五万でどうだ!」


僕が断ると佐々木は金額を吊り上げた。正気の沙汰じゃない。

五万?僕はこのサナギに持っている愛着に値段を付けられた気がして、途端に不快な気分になった。


「・・・何度も言うが譲る気はないよ」


佐々木は血走った目で僕を睨んだ。そこには普段淡々と仕事をこなす佐々木の面影はなかった。















佐々木が僕の部屋を訪れた次の日、出社してきた僕に尋常じゃない雰囲気を纏った佐々木が詰め寄ってきた。


「・・・五十万だ・・・」


一晩で十倍。僕は驚きを通り越して呆れ果てた。


「・・・なんで一晩で十倍の値段がつくの?いったい何があったの?」


佐々木は徐に自分のデスクから会社支給のノートPCを手に取るとネットに繋げ、”お気に入り”に登録されたURLをクリックした。


”虫一のインセクツ・ワールド”


画面には緑がバックの様々な虫の写真が貼り付けられたページが写し出された。


「何これ?」


「俺のホームページだ。・・・これだ、これを見ろ」


佐々木は手慣れた感じでノートPCのトラックボールを操ると、”掲示板”と表示された部分をクリックした。

途端にズラズラと表示される文字の羅列。僕は佐々木に促されるままその内容を読んで驚いた。




761:カマドhorse:

あのサナギ、合成なんでしょ?www真面目な虫一さんにしては珍しい悪戯deathねwww


762:くわがたん:

いやいや、虫一殿は仕込みをきらうでござる。あのアップ写真はリアルと思うでござるよ


763:scara :-p:

じゃあ、あれがリアルだと仮定して何の蝶か蛾だというんだ虫一さん (笑)あんなの見たことないって(笑)実物見てーーー(笑)


764:e;ighpoje'poafbj:

虫好きの変態どもwwwwwwww


765:虫一:

さっきも書いたが、あれは実際にある。俺がこの目で見た。ただ実物は俺の知り合いが所有している。


766:scara :-p:

虫一さんならお金積んで譲ってもらったんじゃないの(笑)この給料泥棒(笑)俺ニートだから金ナッシング(笑)


767:くわがたん:

scara :-p殿、それは断られたらしいですぞ。なんでも五万でもだめだったらしいのでござるよ


768:カマドhorse:

ゴマn!!


769:カマドhorse:

めんご!打ち間違えた!五万で譲らないってどこの富豪wwwもしくは俺ら以上のマニアwww


770:虫一:

一般人だ。昆虫好きですらない。本人は虫が嫌いと言っている。


771:ifewkjfghalkjg:

ねえねえ、虫とかで自慰するのwwww


772:scara :-p:

俺なら売る(笑)というか五万頂戴(笑)ていうか、リアルな所、それマジで新種?


773:虫一:

俺の蔵書で調べ尽くしたし、ネットも端から端まで見たが、類似のサナギがなかった。もし新種ならその蝶か蛾に俺の名前が付くわけだ。


774:カマドhorse:

ktkr!!!我々の悲願達成!!


775:くわがたん:

待つでござる。実物を手に入れて論文に纏めて学会に認められなければならないでござるよ。


776:scara :-p:

俺も論文書くから俺の名前も入れて(笑)書き方知らんけど(笑)


777: fg;hvioa;osakldvasss:

キリバンGET!!ざまあ、虫野郎どもwww


778:asudpnargnw;iowiw':

キリ番は貰った!!!


779:suha;gn;ba;oibfff:

おっしゃーキリバンだぜーーーー


780:カマドhorse:

今日は荒しが多いな、糞荒しどもめ!!とりあえずその人から売ってもらわないと話が進まないよね


781:くわがたん:

そうでござるな。我々の”新種の昆虫に我々の名前をつける”という悲願達成のためになら、拙者も身銭を斬る覚悟でござる。


782:scara :-p:

ごめ。俺は精一杯頑張って2万しかだせない。虫一さんが手に入れて、新種とはっきりしたら10万を親の財布から抜く(笑)だから俺の名前のせてー(笑)


783:カマドhorse:

俺ら昆虫のためにリアルを棒に振ってきた者の悲願達成のためなら15だすyo。虫一さん、くどいようだけどリアルdeathよね?


784:虫一:

当たり前だ。あのサナギは実在する。明日に20万で聞いてみるつもりだ。


785:くわがたん:

虫嫌いの御仁が売り渋る理由が、金額以外に検討ござらん。虫一殿、拙者も15万出すでござる。カマドhorse殿と拙者と虫一殿の金額を合わせた50万で交渉しては如何でござろう?


786:awiua;rig;ije[reqjg:

きちがいの集まり!!


787:scara :-p:

おおう、仲間外れ(笑)









・・・。その文字の羅列は僕を暫し絶句させた。


「・・・で、どうだ?譲ってくれるか?」


佐々木は僕の顔色を伺いながら聞いてきた。彼の目は僕の部屋から渋々帰った昨日より更に充血し、目の下はうっすらと隈が出来ていた。

恐らくは昨日、あの後、これらの書き込みをしてて寝ていないに違いない。書き込みは、あれ以降も長々と続いている。僕は彼が昆虫に懸ける執念を甘く見ていた。


「悪いな、佐々木。五十万積まれようが百万積まれようが、あのサナギは譲れないんだ」


「な、何でだ?!」


佐々木は会社の床に膝を着かんばかりに脱力する。

そう、ここはもう本音を話して彼に諦めてもらうのが、最良の選択だと考えた僕は、あの酒席で話していなかった事を彼に説明した。サナギを毎日眺め話しかけている事、そしてそれに答えるようにサナギが動く事、そんなサナギとのやり取りが何となく楽しい事等を話して聞かせた。


それを聞いた佐々木は


「俺も人の事は言えないが、お前変わってるな」


と言い、それから小さく


「・・・まるで先祖伝来の土地を手放さない百姓みたいだ・・・」


と呟いた。


僕はその呟きにドキリとした。会社の人間や交遊関係には、僕は出来るだけ実家話はしないようにしていた。だから、佐々木は僕の実家が意固地な農家だとは知らないはずなのだ。

なのに、佐々木のあの一言。

僕の中の知らない所で、あれだけ忌避していた農民根性が現れたような、なんとも不思議なちょっぴり嫌な気分になった。




結局、佐々木は僕の事情を汲んでくれて、サナギを諦めてくれることになった。まあ、サナギが孵った時に必ず写真を撮ることを約束させられたが・・・。

それから暫く、佐々木に昆虫採集に誘われるようになるとは、この時の僕は考えてもみなかった。

サナギにあれだけ愛着を持てるなら、彼の言う“昆虫道“の道に進む素質があるんだとか・・・。勘弁してほしいものである。


























唐突にその日はやって来た。

その日、休みだった僕は朝から部屋の掃除を済ませ、昼飯前に押し入れに仕舞い込んでいた暖房器具を出してしまおうとおもっていた。



・・・ぱりっ・・・



ポテトチップを踏んづけたような小さな音が僕の耳に届いた。

最初、本当に掃除で見落としたポテトチップを踏んづけたのかと、足元を見回していた。

だが足元にそんなものは無かった。音の正体を探し続けていると、再び同じような音が聞こえてきた。



ぱり・・・、ぱりりっ・・・



そこで初めて僕は音のたててる正体がサナギであると気付いた。

そう、羽化が始まったのだ。僕は出しかけの暖房器具を放ったらかしにして、座卓の前に正座した。


蛹は背中の部分が割れており、何かが出始めていた。

僕はじっと見守る。


それから三十分、頭が出てきた。長くて綺麗な黒髪の少女である。


・・・そう、少女なのだ。顔の大きさは、小指の先程だろうか。親指姫ならぬ小指姫だ。


・・・いや、待て待て。何なんだ、これは。確かにあの親父は美女が産まれるサナギだとは言った。

だが、だがサナギから人が産まれるはずがないのた。埋れていい訳はない。


必死で、事実、目の前で起きている事を否定する僕を余所に、サナギの羽化は進んでいた。


頭が完全に出ると、今度は伸びをするように両手が出てきた。それに続き肩が出ると、後はするすると全身が出てきた。


ぱたり・・・


羽化開始から一時間足らずで、彼女は座卓の上に産まれ落ちた。

小さな頭をゆっくりと上げ、米粒よりも小さな、それでも顔の比率からは大きめな瞳が、パッチリと開き僕を見る。


「や、やあ、おはよう」


僕はやや上擦った声で彼女に話しかけた。言葉が通じるのかなんて疑問は浮かびもしなかった。

只々、僕はテンパっていて、何をどうしたらいいのかまるで解らなかった。


「・・・お腹が空いたわ・・・」


それは、とてもてとも小さくて、とてもとても綺麗な声だった。


「あっ、えっと、そ、そうかい。何か食べる?」


「・・・お腹がとても空いたわ・・・」


もう一度、彼女は呟くと、座卓の上を僕に向かってフラフラと歩いてきた。










輪廻展性は螺旋で螺鈿だ。

同じ所を回っているようで、一周回ると少し上がるか少し下がる。

そして、希にとんでもない輝きを放つ。

僕はそんな経験をした。









「・・・お腹がとても空いたわ・・・」



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