7:駆け巡り、浸透
昨晩の行方不明者事件は、報道されることなく終わった。
被害者は、この世に存在しないことになったから。
刃太がいつもより半時以上早く学校に向かうと、教室はがらんとしていた。こんな朝早くに登校するのはグラウンドで張り切って朝練を行っている運動部員くらいなものである。
それでも、教室には刃太の他にひとりの生徒がいた。
「おはようございます、刃太くん」
柔らかく伸びる金髪が目を引く少女、花川ひかり。
昨日あの後、メールで朝早くに学校で話合うことに決まったのだ。両親と顔を合わせたくなかったこともあり、刃太はその提案を承諾してこの教室に来ていた。
「……おはよう」
正直言って学校に来て授業を受けるような気分ではなかったが、日頃染み付いた行動パターンというやつだろう、意識しなくても足が学校に向いていた。それに平日の待ち合わせ場所でこれほど都合の良い待ち合わせ場所も他にない。
結果的にいつも通り登校する羽目になったのである。それにひかりが言うには、輝明学園にいた方が安全らしい。ドゥリンダナと引き離される状況のどこが安全なのかはよく分からなかった。
刃太は自分の机に鞄を置くと、ひかりの隣にある席に腰をかけた。
「これから、どうするの」
「それを今から話し合いましょう」
人が教室に来て会話が出来なくなるまで、ふたりは相談を続けた。そうして話し込んでいると時間は瞬く間に過ぎてしまい、もっと早く来ればよかったと刃太は後悔した。喋る時間は充分に合ったはずだが、それでも五分程度に感じてしまった。
その長くも短い間に、刃太は新たな情報を知ることができた。
まず、ひとつ目。
ひかりの両親もウィザードであると言うこと。エミュレイターとの戦場で出会ってそれがきっかけで結婚することになったらしいが、今はどうでもいい話である。
ふたつ目、この輝明学園にはウィザードが数多く在籍していると言うこと。
数多くとは言っても数は一般人よりは少ないようだが、この学校にそんな人間がひかりや自分以外に、しかも結構な数がいると言うことには刃太も驚きを隠すことは出来なかった。安全と言うのはこういうことか。
紫稲妻の打倒には自分達だけでは心許ない。万全を期すためには、他のウィザードに助力を乞うべきではないかと刃太が素人らしからぬことを言えば、ひかりは首を振った。
「紫稲妻を相手に出来るようなウィザードは私の知る限りでは……」
ひかりの友人にもウィザードは数人いるが、紫稲妻を相手に出来るほどの実力は備えていなかった。過去には魔王と何度も渡り合った猛者もいたようだが、噂では卒業したらしい。噂と卒業に共通点を見いだせず、刃太は首を傾げるものの、いつまでも気にしている余裕はないのですぐに忘れ去る。
両親に頼ろうにも、母は既に前線を退き専業主婦、父はエミュレイターの集団との戦いがあるようで今は出張中。両方宛にできない。
唯一協力してくれてなおかつ強力なウィザードでトレイターがいるものの、彼の連絡先を知らされていないので足並みを揃えることは難しい。
結局当面の間、紫稲妻に関してはふたりでなんとかするしかなかった。
「紫稲妻からこちらにアクションを起こさない限りは、身を守ることに専念してみてはどうでしょう。私達だけで紫稲妻を何とかするのは少々荷が重いです。もしかしたらトレイターさんの絶滅社から増援が来るかもしれませんし、それまで待てばなんとかなります」
と言うのもひかりから提案されたが、刃太は一息の間も置かずに却下した。
「駄目だ。その間に被害者が増える可能性があるじゃないか」
そう言えば、ひかりも口を噤むしかない。ただでさえ紫稲妻によってもたらされた被害は計り知れないのだ。これ以上増やすわけにはいかなかった。
なにより、刃太の姉はこれのせいで亡くなってしまった。だからこんな真似を刃太ができるはずないとは分かっていた。ただこういう選択肢もあるのだと口にしてみただけで。
──それに、もしかしたら……。
ひかりの友人である多恵も狙われてしまうかもしれない。
自分の目的遂行を妨害したひかりのことを紫稲妻が覚えている可能性がある。その報復としてひかりと関わりの深い人間を調べて、多恵や家族を狙うかもしれない。
わざわざエミュレイターがそんな周りくどいことをしてくるとは思えなかったが、ないと断じることのできるものではない。普段ならば深刻に悩まない問題であろう。しかし刃太の姉が襲われた今、明日は我が身とばかりにひかりも不安になっていた。いや、もしかしたら奈々子はこの理由で亡くなったのかも知れない、と自分の考えに恐怖した。
それに後押しされて、ひかりは自分達だけで紫稲妻に対する策を立案する。
概要は、昨日刃太が言ったものとおおよそ同じものであった。刃太とドゥリンダナが囮になり、紫稲妻をおびき寄せるというもの。目標が現れれば、ひかりがもしものために月匣を張って戦闘を開始する。
新米ウィザードの刃太の身にかなりの危険が及ぶことになる作戦。こんな策を提示したくはなかったが、皮肉にもこれが一番可能性のあるものでもあった。
話し合いの結果、善は急げと早速今晩紫稲妻をおびき寄せることに決定した。
クラスメイトが登校してきて、この話は切り上げることになった。
*
学校が終わり刃太が自宅に帰ってくるなり二階の廊下でドゥリンダナにひかりとの話を伝えると、彼女は反対せずに頷いた。
「把握しました。つまり今夜、主とわたしが囮となって紫稲妻を誘き出すわけですね」
「うん、そういうこと。……反対はしないの?」
自分の預かり知らぬ所で囮の役割をあてがわれたら普通は怒りだすかと思っていたが、ドゥリンダナの反応は従順に承諾する同意だけだった。
意外そうにする刃太に、ドゥリンダナは静かに告げる。
「わたしは主の決定に従います。この身は貴方の剣であり、行く手を阻む有象無象を切り捨て道を切り開くモノ。主が危地に赴くならば、わたしも同行するのが使命と言うものです。これくらいで動じはしません」
「そっか……ありがとう」
刃太は感謝で頭が上がらない思いだった。ドゥリンダナが反対していれば、この作戦は始まらずして頓挫してしまうところだったのだ。
懸念材料が減って気を緩めた刃太にただし、とドゥリンダナは付け加えた。
「わたしのこれは条件付き賛成です。今の主の実力では囮、紫稲妻との戦闘は推奨できません。わたしは主がどんな危機に陥ろうと傍らに居続けます。しかし、始める前から勝ち目が決定的に薄いと分かった戦場へ何も対抗策を練らずに往かせる気は毛頭ありません」
ドゥリンダナの言葉は『刃太では紫稲妻と戦うには決定的に力不足だ』と断言しているようなものだった。紫稲妻と一回戦闘して辛くも生き残った程度、しかもドゥリンダナの力を借りてやっとな自分が刃太は強いとは思ってもいなかったけれど、やっぱり傷付く。
傷心に胸を痛ませながらも、ドゥリンダナの言葉に反応した。
「対抗策? そんなのあるの?」
「はい、あります。主の剣技を数刻で向上させるための秘策です。主がわたしを更に使いこなせるようになれば、生存率、勝率が共に跳ね上がります」
「それはどうすれば?」
ドゥリンダナの言葉通りに刃太の力が上昇すれば、この作戦、ひいては紫稲妻が現れた場合の戦闘勝率、成功率も上がるだろう。刃太もそれを悩んでいた。紫稲妻はかなりの強者であると、ひかりに何度も念を押されていたのだ。ウィザードとして活動経験が皆無な刃太には理解し辛かったが、ひかりがあれだけ言うからにはかなりの強敵なのだろう。
それに自分とひかりだけで戦いを挑もうと言うのだから、少しでも力を付けて勝率を上げなければならない。それでも一朝一夕で力が付くはずがなかった。かと言って作戦の開始を遅らせるわけにはいかない。だからこのまま挑もうと思っていたのだが、ドゥリンダナが言うにそれは可能らしい。これに食いつかない訳がない。
その秘策をドゥリンダナは淡々と語り出した。
「わたしと主が初めて紫稲妻と戦った時のことを覚えていますね? あの時、剣であるわたしに意識を集中して、断片的な剣技を引き出したはずです。それはもう身体に馴染んでいるでしょう?」
刃太はドゥリンダナに頷いて一瞬だけ自分の手に視線を落とした。
確かに覚えている。頭だけで記憶している訳ではなく、身体に剣技が染み込まれていた。まるで昔から剣技に精通してているように。
あれ以降試してはいないが、今もドゥリンダナをもう一度手にすれば手足のように使いこなせるはずだ。そんな確信が刃太にはあった。
「あの時は緊急事態で断片的な剣技しか覚えられませんでしたが、静かな場所で今一度行えばもっと充分な知識が伝わってくるはずです。それはもちろん主の経験したものとして蓄積され、今よりも格段に戦闘能力が秀でることになるでしょう。どうしますか?」
「願ってもない。始められるなら今すぐにでも」
「承知しました。では、そうですね。今わたしがお借りしている部屋がうってつけでしょう。家具の類もなく、黙思するにはちょうど良い」
鞄を自室に置いた刃太は、制服を着替えることもせずに隣にある現在ドゥリンダナへ貸している部屋へ足を踏み入れた。
──あれ?
扉を開けて部屋の中を見ると、刃太はしばし瞠目して動けなかった。別になんら変わった所のない一室だ。夕陽に照らされた室内にある物が、床に敷かれた布団以外に何もない簡素なことを除いて。いや、ドゥリンダナを泊める余った部屋なら当然なのだけど。
「どうかなされましたか?」
ドゥリンダナの声で我に返って、刃太は誤魔化すような笑みを浮かべた。
「ううん、なんでもない。それより早く始めよう」
「……? 分かりました。……では」
と、ドゥリンダナの台詞を契機に彼女の肉体が眩い光を発した。眼前に小型の太陽でもあるかのような光量に刃太は目を細める。
その光も、変化さえも数瞬とかけずに終了した。
発光があった部分には、既にドゥリンダナの姿はなかった。視点を下げて見ると、床に頑強にして繊細な美しい剣が横たわっていた。
刃太が身を屈めて剣を掴めば、あの時と同じで頭に直接ドゥリンダナの声が響いた。
『──後はこの間と同様です。掌に、わたしに精神を集中させてみてください。この剣に宿った剣技が流れ込んでくるはずです』
言われた通り、膝を突いたまま剣を正眼に構えて目を閉じる。暗闇に閉ざされた世界の中でゆっくりと肺に溜まった二酸化炭素を吐き出しつつ、力を掌に集めるようイメージする。
イメージが実感として身体に帰ってくるのが分かった。両手を始点になり神経が拡張されていくような感覚。掌が熱く火照り、ドゥリンダナの記憶に接続された。
魔剣が自分の腕と同化している風に錯覚する。
繋がったドゥリンダナから、腕を伝いそれが這い上がってきた。
今まで微かに聴こえていた雑音が意識から排除される。様々な今現在必要でない感覚を無意識の内に選択し、封鎖する。後には自分の精神を落ち着ける自らの息遣い、心臓の鼓動、そして体内にじわりじわりと染み込んでゆくウィザードとしての戦闘技術だけが残っていた。
剣を使用した人外に対する時の有効な切り込み方。及び捌き方。
その中には四足歩行の大型生物の形を取ったエミュレイターに対するものから、人型のエミュレイターとの戦闘を考慮したものまであった。その総てを知り、研鑽し、修得しようとしたら何十年と掛かりそうな剣技を刃太はスポンジのように汲み取っていく。
紫稲妻と初めて対峙した時に得たものよりもさらに濃密な戦闘技法。それを我が物にしていく課程で、あの日得たものは本当に断片であったのだと理解した。
それからどれほどの時間が経ったのか。
『主、もう良いでしょう。これ以上精神を集中させて疲弊させれば、後に差し支えることになります』
頭に響くドゥリンダナの言葉で、刃太は精神統一を止めて瞼を開けた。
いったいどれほどの時間が経過していたのだろう。窓の外にあった夕陽は西の空に沈み、部屋の中は真っ暗闇と化していた。
時間を確認しようにもここには時計がなく、携帯を確認するのも面倒だったので刃太は確認するのをすぐに放棄する。
「──っ、はあ……」
疲れで刃太は身を床に投げて天を仰いだ。
同時に投げ出された掌にある魔剣が、暗闇の中星のように瞬き人化を遂げる。
月明かりに照らされながら、西洋衣装のドゥリンダナは刃太を見下ろして緩やかに笑った。
「お疲れ様です、主。気分はどうですか?」
今まで堅目の表情しか見たことがなかったドゥリンダナの笑いで、頭に血が上っていくのが分かった。幸いに月明かりから刃太は死角なので紅くした顔を見られずに済んだ。
照れくさい感情を払拭するために、慌てて口を開いた。
「ま、まあ少し疲れたかな。でも、それと引き換えに沢山の知識が得られた。……全部って言うのは、無理だったけど」
ドゥリンダナと繋がっていた間に身につけた剣技は結構な量であり、数時間前の自分より遥かに強くなったと断言できる。それでもまだドゥリンダナの内にある剣技を総て身につけられた訳ではない。その証拠に、刃太はドゥリンダナに止められるまで接続し続けていたのだ。
最初はドゥリンダナの内にある剣技を総て引き出すのかと勝手に思い込んでいたが、今となってはそんなことを考えていた自分がいかに愚かで身の程知らずだったか伺い知れる。
底が知れない。
ドゥリンダナの中の情報には底が知れなかった。潜れど潜れど底は一瞬足りとも姿を現さない。むしろないとさえ思うほどに、それは膨大であった。
何せ今日修得した剣技の数々でさえ、総てを正確に覚えていられなかったりする。ほとんどは知識を持って実行するものではなく、身体に染み付いているらしいので気にする必要はないようだが。それに身体が総てを記憶しているので、実質覚えていないことはない。ただ、それだけの量を覚えて尚ドゥリンダナの戦闘術には余りあると言うことだ。その内容量に改めて驚愕した。
「当たり前です。限定的な部分だけとは言え、知性ある者の記憶は膨大なのです。それを総てを得ようとするには相当の時間が必要です」
真剣な顔になったドゥリンダナから諭す風に言われて、刃太は苦笑した。
「そうだよね……ちょっと甘く見てた」
外の暗さが何よりの証拠だった。
「それに、覚えただけでは剣術を扱い切れません。わたしから送られた情報は身体に何百何千とそれを行ったような経験則と共に定着します。が、無論身体は実際にそれを行ったことはないのです。今は玄人が如き記憶などがあるだけで、身体は追随出来る限りで動きます。だから主自身も修練しなければ完全に使いこなすことは出来ません」
中身が詰まっていても、外は継ぎ接ぎだらけなのだとドゥリンダナは言った。やはり、人生甘くはない。何もしないで剣術の極みを修得することは不可能なのだ。
それでも──
これで事を起こさなければならない。
時間はない。一刻の猶予も作ってやるわけにはいけない。猶予を作れば自分も楽になるが、それは相手も同じことなのだから。
そう内心決意を固める刃太の頭上で、ドゥリンダナは真剣な顔を解いた。
「でも、今の主は間違いなく強くなっています。わたしが保証します。ですから、今のうちに気を緩めていてください。いざと言うときに困ります」
「うん……そうだね。少し休むよ」
お言葉に甘えて、自室のベットに横たわりに行こうと床から身体を起こす。
起こし、そんな暇などないことを悟った。
窓の向こうに広がる、深紅の空の存在で。
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