5:定まらない現実
翌日の上代家食卓。
父親は今日も早く仕事に出ていたので、食卓は三人──ではなく四人が座っていた。
昨日と同じく母、奈々子、刃太、そしてドゥリンダナ。
異邦人を招いた家の食卓はギスギスとぎこちない様相を呈している。
──のが普通だと刃太は呆れながら思った。
予想外なことに、ドゥリンダナは一日も経たず上代家に順応していた。
「リンさんお醤油取ってくれる?」
「はい、お母様。……ああ、お姉様、そちらのソースを取ってくれますか?」
「ん、どーぞ」
「ありがとうございます」
慣れすぎじゃないだろうか、これは。
家族も簡単に受け入れてしまっているが、もっと気にするべきだろうとぼやく。アットホームにも程がある。むしろこちらがおかしいのかと思いそうだ。
いや、確かに受け入れてくれた方が有り難いのだけど。
そもそもこの家族は人懐っこいと言うか、他人と打ち解けるのが早い家庭だったか。
でも常識外れだよなぁ、と思い、ふとある考えに至る。まさかこれも"世界結界"と言う物の作用だろうかと。
世界結界は"常識の壁"。人間の"そんなことは有り得ない"と言う想いで構築された物。なら、刃太の"他人がホームステイ先にすぐ馴染むのは有り得ない"と言う物も"常識"の一つなんじゃないか。
刃太は"月衣"と言う世界結界の干渉を受けない個人結界を持っているし、ドゥリンダナ自体は非常識の塊である。なので世界結界の常識は通用せず、こうして打ち解けているんだと。
……なんでもいいか。
上代家が人と仲良くなる能力に特化してるのは事実だし、世界結界がどうたら考えても現状は変わらない。
どうにも新しい"常識"みたいな物を知ってしまうと、物事を詮索してしまう癖が自分にはあるらしい。
「それにしてもリンさんは日本のことよく分かってるわねぇ」
「ええ、最低限学んで来ましたから。日常面でこれ以上迷惑を掛ける訳にはいけませんから」
「リンちゃん偉い! 偉いよ! あ、あたしより年上っぽいけどちゃんでOK?」
「はい、お構いなく。お姉様」
ミニマム少女を外国美人さんがお姉様と言うのは、不気味を通り越してシュールだった。
──姉ちゃん、もっと遠慮ってものを学んでくれ……。
自称ハイブリッドの姉に、弟は痛む眉間を抑えた。
*
「──と言う感じ。見事なまでに順応してたよ」
学校でひかりにそう伝えれば、良かったと胸を撫で下ろした。
「たった一日で慣れちゃうとは思いませんでしたけど、それならしばらくは安心ですね。力技みたいなものだったから、どうなるか分からなかったんですけど」
時は昼休み。
時間的猶予があるこの今、刃太は家の状況を事細かく伝えていた。やっぱりひかりも心配だったようで、肩の力が抜けた様子だ。
「学校に連れてくることは出来ませんから、結局常時一緒……と言うわけには行かないのが心許ないですが」
「あー、そうだね」
頷き相槌を打った。ひかりが悩むくらいだから、やはり月衣に武器を収納しておかないウィザードは異常なのだろう。刃太もドゥリンダナがまともな剣──魔剣がまともかは知らないが──だったらもっと話は簡単だったろうと思う。無論、ドゥリンダナの人格性を否定するつもりはないのだけど。
「目下の問題は紫稲妻の撃退ですね。そうすれば刃太くんは襲撃の危険性から遠ざけられますし、ドゥリンダナさんを剣にして月衣に戻す方法も見つかるかもしれません」
「……うん、そうだね」
いまいち覇気のない刃太の様子に、ひかりが金髪を揺らした。
「どうかしましたか?」
「え? ああいや、なんでもない」
笑顔を繕って頭を左右に振った。
本当に、なんでもなかった。
ただ、未だに現実感が持てないだけで。
「そうですか? では、今後の予定を話ますね。とりあえずこれから紫稲妻を何とかするまで、私が刃太くんを家に送りますね」
「はい?」
「だから、これからは一緒に下校するんですよ。登校する位の時間は襲ってこないと思うので、帰りだけですけど」
ひかりの言い分は分かった。刃太の身の安全を考慮したものだ。そこに異論はない。
ない、けど少々それは居心地が悪いと言うかなんというか。
本人に自覚があるかは分からないが、彼女はクラスでなかなかに人気が高い人物である。そんなひかりと一緒に帰ると、別の意味で視線が気になると言うか。
ひかりを困らせることになるので言葉にはしないが。
「紫稲妻について大した手掛かりもないですから、しばらくはこのままですね。残念ながら後手に回るしかありません」
相手がアクションを起こさない限り何も出来ない現状に、ひかりは溜め息を吐いた。
間接的にでも自分のせいで気苦労を背負っている様子のひかりを見て、刃太は慌てて話題を変えた。
「そういえば! 花川さんって昨日友達と一緒にお弁当食べてたよね。今日はいいの?」
はっと気付いて、ひかりは教室にある時計を見上げた。
「そ、そうでした。屋上に多恵ちゃんを待たせてて……。ごめんなさい、もう行きますね」
「うん、いってらっしゃい」
自分の席にある弁当の包みを持って教室を出ていくひかりを見送り、姿が見えなくなると途端に肩から力が抜ける。
「紫稲妻、か……」
ぼんやりと窓の外に目をやりながら、現実味のない名前を呟いた。
*
予定なら、護衛も兼ねて今日はひかりと一緒に帰宅することになっていた。
が、予定は未定である。
そういうわけで刃太はひとりで帰宅路を進んでいた。 ひかりは刃太となんとか帰ろうとしていのだが、なんでも入部している部活の顧問に呼び出されてしまって時間が合わなかったのだ。少し位なら待とうと思ったが、時間が遅くなったらひかりにも悪いと刃太は先に帰ることにした。
本来なら、あまりに警戒心がない行動だと叱咤されるだろう。それは国の重役がSPを連れずにスラム街を歩くのと同義である。直接狙われているのはドゥリンダナなのかもしれないが、それの所有者も襲われる可能性は極めて高い。
分かっていて、それでも刃太は緊張感が持てない。
昨日の夢のような光景が終わってすぐなら、あった。しかし、時間が経てば今までの"常識"が否定される出来事を現実と認識できなくなっていた。今でも鮮明に残っている場面は、夢だったのではないかと疑いそうになるほど。
いや、疑いはしまい。月衣で持って常識外のことを行えるようになり、ウィザードとして覚醒した刃太にはあれが紛れもない現実と理解出来ている。あれこそが真なる世界の法則であり、自分の住むべき世界であると。
心の深層からの言葉をそれでも刃太は信じられない。否、信じたくないのだ。今まで自分が生きてきた世界とは違う法則を。それはきっと恐怖から来たものなんだろう。
一般人としての刃太とウィザードとしての刃太。
その二つが噛み合わずに不協和音を上げていた。
正直な話、紫稲妻にたいしても敵愾心を持てずにいる。
自分をいつ襲うともしれない驚異は確かに怖い。怖いけど、もう来ないんじゃないかと言う期待がある。人はそれを現実逃避と言うのかもしれないけれど。
そんな夕暮れの街の中、ある公園でその人を見つけた。
ベンチに座った男性を見て、一瞬見間違いかなと目を擦ったが、多分本人だろう。黒い外套ではないから分かりづらいが。
「トレイター、さん?」
口にし慣れない名詞を読んでみれば、その男は反応した。
「ん……ああ、お前か上代」
初めて見た私服姿のトレイターは、存外に普通の青年だった。服飾におかしい所もないし、異様な迫力を醸し出しているわけでもない。常人より切れ目で、落ち着いた雰囲気に一般人と見間違いそうだ。しかし、こんな人がウィザードで落とし子とか言う異端児だなんてとてもじゃないが信じられない。
やっぱりウィザードなんて絵空事なんじゃないかと疑いがかけるが、目の前の人物は自分が否定したい部分で出逢った人間である。彼がこちらを知っていると言うことでウィザードやエミュレイター、紫稲妻は間接的に肯定される。
「……こんな所で何をしてるんですか?」
「紫稲妻の手掛かりを探してな、この辺りを探っていた。それでも成果はゼロだ。物探しは俺の領分ではないな……慣れないことはするもんじゃない」
それで今は遅い昼飯中だ、と嘆息した。良く見れば彼の手にはコンビニ弁当がある。いやに現実的であった。
刃太が相槌を打ち、会話が終わる。
この後どうしようかと刃太は内心困っていた。もう立ち去るべきか、それとも何か他に言うべきか。前者は淡白過ぎて嫌だし、後者は何を言いたいのか定まらない。
選択に右往左往していると、トレイターが刃太の心を見透かしたように。
「何か、悩んでるな?」
「……え、」
「やはり、ウィザードについてのことか」
図星を突かれて刃太は閉口した。
しばらくの無言の後、トレイターが刃太から目を外して弁当のおかずを咀嚼するとベンチの隣を叩いた。
「相談にくらいなら乗ってやる」
それだけ伝えると側に置いていたお茶を嚥下し、また箸を進める。
一瞬躊躇したが、刃太はトレイターの進めに従って少し離れてベンチに座った。
「で、なんに悩んでいる」
相変わらず弁当を食べているトレイターを横目で見ると、視線を地面に落とした。
「なんというか、現実感が持てないんです」
同じウィザードでもあるひかりにも打ち明けられなかったことを、刃太はゆっくりと吐露し始める。
「ウィザードとか、エミュレイターとか、紫稲妻とか……。今までに見たことも聴いたこともないモノを目の当たりにして。頭が混乱してます」
「あんなのにいきなり襲われたら、混乱するのは当たり前だろうな。でも、それが現実なのはもう分かってるんだろう」
「はい、理解はしてます。……ウィザードとしての自分に理解させられたというか」
それがウィザードと言うものだと、トレイターは頷く。相変わらず食事を止めないが、その気楽な姿勢に刃太は饒舌になっていた。
「でも、ウィザードを否定する自分もいて……頭がごちゃごちゃになっちゃって……。紫稲妻に狙われているかもしれないのに、危機感を持てない。斃そうとも思えない。周りの出来事を物語の外の人物みたいに俯瞰して見てしまうんです。夢物語の中にいるみたいで」
例えば、物語を読んでいて突然出て来てすぐに消え去った敵役に明確な不快感などの負の感情を抱けないように、紫稲妻を自分の"敵"であると認識出来ていない。これならまだ子供の喧嘩の方が敵意も怒りも殺意もある。
要するに、現在の自分に感情移入が出来ていないのかもしれない。自分に感情移入というものが、刃太にはよく分からないが。普段自然と意識せずにしているものだからだろう。
トレイターがやっと箸を止めた。気づけば、弁当の中身は前菜から主食まですべて完食されていた。
「難しいな」
お茶の蓋を外しながら、トレイターが呟く。
「俺の場合、最初から敵意も殺意も怒りも戦いに必要なおよそすべての感情をエミュレイターに向けていたからな。それが抱けないという問いには、正直答えかねるが……」
残った僅かなお茶を喉仏を上下に揺らして食道に流し込む。
「……明確な殺意や敵意だけで、戦うべきでもないのだろうな。この世を救った英雄は、皆何かの為に戦っただろう。なら、何かのために戦おうと思えばいい。自分の命を守るため、と言うのでもな。そうすれば、戦おうと思う気も起きるかもしれないぞ。……別にお前がやらなくとも、奴に限っては依頼で俺が斃そうとするからな。紫稲妻がどうとかなら気にしないてもいいさ」
空っぽになったペットボトルと弁当のトレイをビニール袋に突っ込んで、話は終わりだとトレイターは立ち上がる。公園のゴミ箱にそれらを捨てると、そのままさよならも告げずに刃太の目の前から去っていった。
一人になった公園で、刃太は未だにはっきりと出ない答えに天を仰いだ。
*
刃太が自宅の扉を開けると、玄関には銀糸を纏った美しい女性が立っていた。
「ドゥ、ドゥリンダナか……」
駄目だ、家にこんな美人な女性がいたら分かってはいても驚いてしまう。元は剣だと意識しても見事なたち振る舞いに圧倒される。
そんな心情を知らずに、ドゥリンダナは恭しく頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、主」
「う、うん、ただいま……」
なんで成り行き上とはいえ主と呼ばれている人間が礼一つで此処までたじろがなくてはならないのだろうか。些細な動作ひとつひとつが完璧過ぎる。しかも洗練され過ぎていて嫌みにも感じない。礼儀作法のコンテストに出たならば、満場一致で文句なしにトップの座に居座れるだろう。
「あれ、ドゥリンダナ良く俺が帰ってくるってわかったね」
事前に帰宅する時間が分かっていなければ、待っていることなど出来まい。
……まさか、ずっとここで待っていたと言うのではあるまいな。
正直、一日に満たないとは言えドゥリンダナを知った刃太にはそれが冗談には聞こえなかった。本当に実行しそうな愚直とも言えるほどの実直さを彼女が持っていることを知っている。
「いえ、刃太とわたしの距離が近付くと感覚的に分かるのです。契約を結んだモノ同士のラインとでも申しましょうか」
「ああ、そうだったんだ」
直前に来たと言うことで一安心した。また入らぬ誤解を家族に招くところだった。
誤解、と言う所で思い出したことがある。
「そうだ……ねえ、ドゥリンダナ。ひとつお願いがあるんだけどいいかな?」
「はい。わたしが可能なことならば主の手となり足となり、尽力致しましょう」
「いや、そんな改まることではないんだけど……」
ぽりぽりとこめかみを人差し指で掻いて。
「その主、って言う呼び方止めて貰えないかな?」
「何故です?」
「家族の前で主、なんて呼ばれると困るんだ。最初の内は誤魔化せるだろうけど、何度はさすがに難しいだろうし。せめて家族の前では別のを頼めないかな?」
ふむ、と一度考え込み、ドゥリンダナは刃太の願いを承諾した。
「なるほど、わかりました。主に不利益が及ぶのであれば……そうですね──刃太様、でよろしいですか?」
それはそれで非常にむずがゆいが、他もお母様やお姉様としている辺り、これが一番妥当か。ひとり敬称が違うのも不自然だ。
「わかった、それでいいよ」
そう刃太が同調すればドゥリンダナは満足気に微笑みを浮かべる。どきりとして思わず視線を逸らした。と、母親がドゥリンダナを呼ぶ声がする。料理を手伝って欲しいと言う母に、ドゥリンダナはよく通る声で返事をすると、刃太に小さく頭を下げるとリビングに向かっていった。
刃太も家に上がろうと靴を脱いだ時、ふと視界にあるものが見当たらないのに気づく。
「あれ……?」
姉の小さな靴がなかった。刃太は寄り道もしてきたし、いつもならもう帰っている時間だと思うのだが。
まあ、あんな幼児体型でも姉は現役女子高生である。友達と寄り道することだって多々ある、気にすることはないだろう。
簡単に結論付けて刃太は階段に足を掛けて二階に昇っていった。
|