2:紫の稲妻
「待てッ! ……くっ、一足遅かったか。だが、もう逃がさん。そいつを返して貰おう」
トレイターはバイオレットの髪を持つ痩躯の女性の前に立ちふさがっていた。
彼は任務で輝明学園に来て早々、この女性の容姿を持ったエミュレイター、紫稲妻と接触していた。が、途中でまんまと出し抜かれた。月匣も張らずに攻撃を仕掛けてきたのだ。
無数に打ち出された髪を月衣が取り出した愛用の機械箒、フォールンエンパイアで斬り落とした時には、校内に侵入されていた。急いで追ったが、相手は稲妻と呼称されるエミュレイター。その速度は尋常なものではなかった。人の摂理を超越した力を持ち、"さらに越えた"トレイターでさえ追いすがるのがやっとのほど。
ようやく紫稲妻に接触出来た頃には、奴の手に魔剣が握られていた。
それを奪い返そうと愛箒フォールンエンパイアを構えた時、紫稲妻が月匣を展開したのだ。この状況では月匣から抜け出すには、創り出したものが死ぬ、自らの意志で解かない限りなくなることはない。
「…………」
自分の領域である月匣が展開した紫稲妻は、無言で手を翳す。すると地面が黒ずみ、中から異形の化け物が姿を表した。
体長一メートルほどの紫稲妻とは対極の位置にある醜い容姿を持った──ゴブリン。闇から出てきた数はおよそ六体。
これでトレイターを斃す気か。
「舐めるなよッ」
剣として使ったフォールンエンパイアを水平にして先を敵に向ける。黒いオーラのようなものを纏った機械仕掛けの箒、これに備え付けられたトリガーを引き絞った。
──ドンッ。
前面に魔法陣のようなものが展開、爆音。
二メートルはあるフォールンエンパイアから射出された弾丸はゴブリンの一団に着弾。数体を吹き飛ばした。
月衣から取り出した弾丸を再装填し、目を細める。
「さっきは到着早々不意を突かれたが、次はない。覚悟しろ」
白兵、射撃戦仕様の試作型箒フォールンエンパイア。
一般的にこの手の戦闘用箒は、白兵戦用のウィッチブレードか射撃戦用のガンナーズブルームのふたつに別れている。フォールンエンパイアはこのふたつの特性を持った、試作型の箒だ。
世界にまだ三三機しかなく、傭兵として名の知れていて、なおかつ"貴重なサンプルデータとなる能力"を持ったトレイターに支給されていた。
ゴブリンがその威力に怯み、僅かに後退した。先手で相手の戦意を多少なりとも削げれば、戦闘は有利に進行する。
これをチャンスと見て、トレイターは一気に駆け出した。
地を疾走しトレイターはゴブリンに肉薄する。ゴブリンは反応してこちらを迎撃しようとするが、怯んでいたために反応が皆遅れた。
ゴブリンの攻撃が到達する前に、剣と化したフォールンエンパイアがその場のエミュレイターを薙ぎ払った。
廊下では壁が邪魔になり振り切れなさそうに見えたが、トレイターとフォールンエンパイアの力は現実的な物には捕らわれない。壁に刃が入ってもスピードが劣らない剣は、その切れ味と質量を持ってすべてのゴブリンを両断した。
死したエミュレイターは風に吹かれて消え去る。後の名残のように紅い結晶が数個廊下に転がっていた。
紫稲妻はその場から動いていない。後一歩踏み込めば、ブレードの間合いだ。
もらった──そう足を踏み出そうとして、悪寒を感じた。死線をくぐり抜けたウィザードの勘と言うやつだろう。トレイターはリノリウムの床を蹴って背後に飛び退いた。
それとほぼ同時、紫稲妻の後方から新たに二体のゴブリンが現れた。手に持った鈍器を振りかざし、トレイターに迫る。
「く……っ」
判断は正しかった。フォールンエンパイアで二体の攻撃を受け止めようとした時、トレイター側の廊下の端から少女の声が聞こえた。
「──フォース、ブレイドッ!」
掛け声と共に何かが放たれた。
それは音速を超えて迫ると、ゴブリンに接触した。闇を押し固めて刃の形へ凝固させたような"魔法"は、片方のゴブリンを切り裂いた。もう片方のゴブリンには当たらなかったが、風圧などのとばっちりを受けたのか、一、二メートル弾き飛ばされる。
トレイターが紫稲妻から距離をとってから後ろを振り返ると、機械仕掛けの杖のような機械箒に乗って飛ぶ少女の姿があった。現実的な光景からはかけ離れているものの、トレイターに動揺はない。"空を飛ぶくらいウィザードなら造作もない"ことだから。
金髪を揺らす少女はトレイターの真横でブレーキを掛けると、廊下に飛び降りて乗り物にしていた箒を構えた。
「誰だか分かりませんが、エミュレイターと敵対するなら支援します」
「邪魔だ、と言いたい所だが助かった。……ここの生徒か。もう少し下がっていろ。生徒を傷つけるわけにはいかないからな」
フォールンエンパイアを腰元で構え、トレイターは少女、花川ひかりをもう少し下がらせた。依頼主の生徒を傷つけるなんて、任務を受けたものとしてさせるわけにはいかない。
「やはり、紫稲妻……」
ひかりが残ったゴブリンを一体使役する紫稲妻を見て、小さくつぶやいた。
「知っているのか?」
「ええ、この界隈で有名ですから。私もやりあったことがあります。……とても、強かった。私が月匣を張っていなければ……」
「……そうだろうな」
何せ低級ながら魔王クラスの力量の持ち主だ。並のウィザードが単独で勝てるわけがない。むしろ今少女がこうしていられたことに敬意を表したい。
「行くぞ。援護は、任せた」
「はい」
トレイターがまず先制に弾丸を打ち込んで白兵戦を仕掛けるために、トリガーに指をかけた。
引き金を引く、ことはできなかった。
「──っ、馬鹿なッ」
紫稲妻の背後の廊下にいる人間を見つけてしまったから。
*
輝明学園の目印とも言える仁王像と大鳥居を抜けると、上代刃太は奇妙な違和感を感じた。具体的に何が、と言うのはわからないが、何か懐かしい感じもする。
──ああ、あの夢の中と同じだ。
今朝方に見た夢を唐突に思い出した。あれで感じたものとこれは非常に酷似している。
なんだろう? そう疑問に思ったが、理由も分からないので答えが導き出せるわけもない。小骨が喉につっかえているような気持ち悪さを覚えながら、自分の教室に宿題を探しに行くことにした。それがここに来た目的なのだから。
刃太が玄関に手を掛けると、すんなり扉は開いた。
「あれ……?」
あまりの簡単さに拍子抜けしてしまう。普通、夜が更けたら鍵を掛けるものだと思うが。今も念の為に触ってみただけだった。
本当は裏口やどこか開いている窓でも探して中に入ろうと思っていたが、開いているのなら好都合でもある。釈然としないものを感じながらも、校内に足を踏み入れた。
夜ともなり中は暗く、外から差し込む月光だけが頼りだった。
げた箱で上履きに履き替えて、廊下を小走りに行く。
階段を駆け上がり、しばらくして教室にたどり着く。
刃太が自分の机を探ると簡単に宿題のプリントは見つかった。プリントを折り畳んでポケットに入れると、ここでの用事は終わる。
無事滞りなく宿題を見つけ出すことが出来たので、安堵に胸を撫で下ろして教室を出て行こうとした。
その時、急に違和感が膨れ上がった。
紅い。
教室内が血に染まったように紅い。ここだけではない。外の風景──それを照らす光自体が紅かった。
慌てて窓に走り寄って空を見上げた。
そこには、紅い満月が光輝いていた。
「なんだ、あれ……?」
さっきまでは普通の月だったはずなのに、鮮血で染め上げられたような色になっているのだろう。いやそれ以前に、今日は満月だったろうか?
得体の知れない不安感が這い上がってくる。心臓が鷲掴みにされたようだった。なんだ、なにが起こった。
──ドンッ。
窓や刃太の鼓膜が、瑠弾砲を発射したような轟音に揺らされた。
銃声は、意外に近い。すぐ真下辺りだ。
こんな状況下で、刃太の中に好奇心が生まれた。夜中の学校で突然の銃声。天空に昇る紅い月。変な違和感。
──行ってみよう。
結局、押される好奇心には勝てなかった。蜜に誘われる蝶のように、刃太は教室から飛び出した。
銃声を境に、剣戟音や奇声が聞こえて来て場所が分からないと言うことはなかった。
そして、発生源に到達する。
恐る恐る顔を覗かせようとして、見慣れた声を耳にした。それは少女の綺麗なソプラノ。
なんだ、と急に気分が弛緩した。この声は花川ひかりのものだ。ならこれは何らかの仕掛けか。夏間近でもあるし、一足先に肝試しでも始めたのだろう。
勝手に納得して、刃太は無防備に身体を晒してしまった。
身体が意味のわからなさに硬直する。
ひかりが機械で出来た棒状の物を手に持ち、隣にいる知らない男は二メートルはある砲芯だか大剣だか分からない物体を水平に構えていた。
「何故イノセントがここに……!」
青年が驚愕を絞り出した。
それを耳に入れながら、刃太はもうふたつの姿を目に入れた。こちらに背を向けて諸刃の剣を持つ女性と、背の低い異形を見た。
ふ──っ、女性が刃太に振り返る。ひかりとは違う、妖艶な美しさを持つ女性に見つめられ、刃太は息を詰まらせた。
誰、だ?
金縛りにあってしまったのか、女性、紫稲妻の冷たい無機質な瞳から逃れられない。
「いけないッ、刃太くん逃げて──」
「え?」
気づいた時、小さな異形が刃太に肉薄していた。
「キイイイイイイイッ!」
異形、ゴブリンが腕を振り上げた。刃太の背中が粟立つ。
形ある死がすぐ目前まで迫っていた。
ヤバい、そう認識した時には既にゴブリンの腕から逃れることは出来ず、
──ミツケタ。
紫稲妻の握った魔剣がドクンと脈動した。意志を持つように鼓動し、淡い光を放つ。
紫稲妻の手から魔剣が抜け出した。一本の線を描き、刃太に向けて飛翔。
途中閃光が放たれ、魔剣の姿が変貌していく。
魔剣が刃太とゴブリンの間に割り込むまでは、まさに刹那。
そして、振り下ろされたゴブリンの腕を"魔剣だった者"が受け止めた。
「……え?」
目を開いて、刃太は眼前の光景を直視する。
目の前には紫稲妻とは違う"女性"がいた。
ガラス細工のごとく繊細、それでいて精練された力強い美しさを兼ね備えている。
銀糸のような髪を靡かせて、西洋衣装を羽織ったその女性。
本来細い腕と五指を備えるはずの右腕は、右肘から先が銀色に紅き光を反射する刃になっていた。
刀身でゴブリンの凶手を受け止めた女性は、右腕を無造作に払った。
ゴブリンが体制を崩し、がら空きになった胸部に容赦なく右腕を付き込み、切り裂く。
耳をつんざく断末魔を上げてゴブリンは消滅した。
皆、唖然と女性を見ていた。
魔剣だった女性が刃太に振り返り、優雅にかしづく。
「あなたは、わたしに相応しい。あなたを我が主とさせていただきたい」
女性は、凛と張った弦を鳴らす。
「わたしの名はドゥリンダナ。リンと及びください。わたしはあなたが剣にして戦の刃。立ちふさがりし敵は悉く我が刃を持って粉砕しましょう。──受け取りください」
ドゥリンダナと名乗った女性の身体は眩く発光した。身体の面積は徐々に縮小され長物、剣となる。
一目で業物と分かるそれは、次々と未知の事態に遭遇して混乱する刃太の手の中に収まった。
鉄の塊のはずだが、刃太にはやけに軽く感じた。まるで自分の身体の一部であるかのように。腕が延長された気分だった。
「魔剣が主を選んだ……と、言うことか?」
「刃太くんが、ウィザードに?」
ふたりが混乱するなか、紫稲妻だけは平然としていた。単純に感情を表に出せないのかもしれない。
ただ紫稲妻は刃太が魔剣を持っているのを確認すると、廊下を蹴って刃太に向けて疾駆した。
「しまったッ!」
混乱で気の分散したこの瞬間は致命的な隙だった。トレイターが照準を紫稲妻に合わせるが、このまま撃っては刃太に当たってしまう。
名が如く紫の稲妻を思わせる速度で接近、五指を硬質化させ刃と成し、刃太の喉笛目掛けて無表情に突き出した。
「うわぁッ」
明確な狙いで放たれた貫手は、跳ね上がった魔剣によって防がれる。刃と五指が鈍い音を立てた。
『マスター、聞こえますか?』
「は、あっ!?」
突然脳内に響くドゥリンダナの美声に、刃太はたまげて悲鳴を上げてしまう。
『聞こえているようですね。これからわたしの言うことをよく聞いてください』
「ちょ、ちょっと待って!」
『残念ながら、待てません。まずは目の前の障害を退けてください。方法はわたしが教えます』
刃太の異論を問答無用で排除、一方的に言葉を投げかけてくる。しかしそれは確かに正論だった。こんな時に議論を交わしている暇は存在しない。
『剣、わたしに精神を集中させてください。掌に意識を集中させるようにです。そうすれば、わたしに記録された剣技をあなたは断片的に行えるようになります。それでなんとか対応出来るはずです』
そんなことを言っている間に、紫稲妻の一房の髪が凝固。風切り音をひき槍の如く刃太へと突き出された。
とっさに意識を掌に集中。すると刃太の脳内に知らないはずの剣技が流れ込んできた。コンピューターに例えるなら、ソフトウェアを使いハードに情報をインストールするように。
新たに刻まれた知識から、身体が必要な動きを選択する。
剣を捻って紫稲妻の手を弾き、後ろに飛び退く。槍となった髪が眉間を皮一枚突き刺した。
「くっ、こンのォッ!」
やけくそに怒声を上げ、身を屈めて紫稲妻に向け突っ込む。
右足に力を込めて魔剣を振り抜いた。
胴を薙ぐ一撃を、紫稲妻は長髪を硬質化させて防いだ。髪が鋼より強力な盾となり、刃金と打ち合い金属質な音を立てる。
その隙に残像が網膜で捉えられないほどの速度で紫稲妻が膝を跳ね上げた。
「ぅあっ!」
状態からしても人間なら反応出来なさそうな膝蹴りに、刃太は魔剣の石突を振り下ろし迎撃した。ふたつの個体がぶつかり合い、鈍い音が耳を打つ。
──トンと刃太の肩に体重が乗った。
紫稲妻が刃太の肩に手を置き、軽業師のように宙へと身体を浮かせていた。
紫稲妻が刃太の背後に着地。背中をとられたことに冷や汗が吹き出し、
「伏せろ!」
「伏せて!」
ふたつの声に、刃太は膝を折って身を伏せた。
直後、
「射ッ」
「ニードルシュートッ」
トレイターによる箒、フォールンエンパイアによる遠距離射撃。
ひかりの箒、ウィザーズワンドから打ち出される射撃魔法。
このふたつが刃太の頭上を抜け、紫稲妻に直撃した。
「…………ッ!!」
弾丸と魔法を受けた紫稲妻は、数メートルの距離を吹き飛ばされた。
リノリウムの床を二転三転と転がり、地面に斃れ伏す。
「やりましたか……?」
ひかりの言葉に新たな弾丸を装填したトレイターが首を振った。
「いや……まだだ」
それを合図に紫稲妻が起き上がった。幽鬼のように揺らめきながら立ち上がった紫稲妻は、まだ致命打を受けていなかった。
だが、弾丸と魔法を受けた部位は黒ずみ、足下がふらついていることから効いていないわけではない。
身構える三人を一瞥して、紫稲妻は踵を返して駆け出した。
「あ、待ちなさい……」
「待て。行かせろ。このまま戦ってはこちらも危ない」
トレイターが力を抜くと同時、紫稲妻による月匣が解除された。空に映る紅い月が消滅し、通常空間に舞い戻る。
違和感もなくなり元に戻った校内と手にある魔剣を見て、刃太が疲れと共に吐き出した。
「……いったい、なんなんだ?」
ヘドロのような脱力感だけが、強く身体に纏わりついていた。
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