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シンメトリーな報復

作者:双桑綴
何もかも匿名の一夜に起きたホラー・ミステリ。二名の視点で描かれる短編版。(初稿:2011年)
 生まれた町を背にして終電を待つのは初めてだった。
徘徊の跡をどこにも残したくなかったから、カードの類は置いてきた。片道だけの切符を買い、慣れない手つきで改札に入れる。最後の一行を表示する電光掲示板をくぐって、通い慣れたホームで列に並ぶ。そこに列と呼べるほどのものはなかったが、僕は人がいる乗降場所まで歩いて、その後ろに並んだ。
 見慣れた駅員が改札の脇から僕を見ていた。その視線に嫌なものを感じて、僕は顔をそむける。売店のシャッターはとうに閉まっていて、駅はいつもよりも少し暗かった。その暗さを切り拓くように、最終電車のライトが光った。

 瞼を閉じようとする町を後にして、くたびれた電車に身を委ねる。自分の中の、およそ自分らしさとは認めたくない部分が、今日は強く主張している。だが、不思議なほど落ち着いていた。僕の判断基準は簡単に揺らぐ。食欲、性欲、睡眠欲、そして好奇心に、容易くひれ伏してしまう。そこに一種の俯瞰が混ざり合って、今の冷静があるらしい。僕は、暗い住宅街を切り取る車窓をぼんやりと眺めていた。
 しばらくすると電車は、隣の駅に停車した。わずかに残った乗客と、電光掲示板の最後の一行を削り取って、電車は再発進する。香水を効かせた女が乗ってきて、空席に目もくれずドア横に立った。時間が押しているのだろうか、せわしなく時計に目を遣っている。僕は他に見る当てもないので、彼女の姿を眺めていた。やがて女はそれに気付いて、僕を睨みつけた。僕は目を逸らし、そして自分の冷静を確認した。
 終点のひとつ前で、僕は電車を降りた。
 初めて降りる駅だった。人の流れも商店街の佇まいも、自分の町とどこか違っていた。見慣れた町の面影を目にした瞬間、これはただの夜遊びになってしまうだろう。熱に浮かされたように、この町までやってきた。だから、最後まで熱に浮かされたまま、この町を去らなければならない。
 乗り合わせた女はかなり急いだ様子で、反対側の出口へ走っていった。僕は彼女にかすかな予感を抱いていた。しかしそれは僕の見当違いだったのだ。

待ち合わせ場所までは駅から十分かかる。そう教えてくれた彼女の顔を、僕は知らない。本当の名前も、年齢も、哲学も思想も、僕は何も知らない。しかしそんな「誰か」と僕は出会い、一夜を共にする。女を、買うのだ。僕は、一夜明けて元通りになるくらいの小さなを非日常を求めていた 待ち合わせ場所までは駅から十分かかる。そう教えてくれた彼女の顔を、僕は知らない。本当の名前も、年齢も、哲学も思想も、僕は何も知らない。しかしそんな「誰か」と僕は出会い、一夜を共にする。
 駅前広場に、クラゲを逆立ちさせたようなオブジェが建っていた。落ち着いた町並みから完全に浮いている銀色のそれは、お世辞にもセンスが良いとは言えない。街灯の光が生々しく反射して、天高く伸びた触手のような棒状が不気味にきらめいている。使い捨ての違和感。即席の異世界。とても安っぽくて、それでも腹は膨れるのだ、この夜に似つかわしい。僕は自嘲気味に小さく笑った。

「ドラッグ・ストアの脇に道があります。その道に入ると前方にコンビニが見えるはずです。そのまま進むと小さな郵便局があるので、そこを左に曲がって――」
 僕は彼女の教えたくれた道順を忠実になぞった。黄色い店舗のドラッグ・ストアの脇に入り、ローソンを通り過ぎた。僕の足は妙な確信を持って目的地を目指した。「公園を見つけてください。入り口のあたりで路上駐車している黒い自動車にいます」
 彼女からのメールは、ひどく淡白だった。要件だけを述べる簡潔な文章。絵文字や顔文字は見当たらなかった。
「私の家に案内します。ホテル代は要りません」
 それらしい車を見つけたら、無言で助手席に乗り込めば良いということだった。
 郵便局の角を曲がった先に、少し大きな公園があった。そしてその狭い駐車場に、黒い車が一台停まっている。路上駐車ではない。不審に映ると知りつつも辺りを見渡すが、他にそれらしい車はない。スモークガラスで中はよく見えない。ノックをしてみても、反応はない。数秒間立ち尽くしていると、車内で人影がうごめいた気がした。
 臆するな、言われたとおりにすればいい。いまさら考えを巡らす必要はない。僕は冷たい外気を吸い込んで、車のドアを開けた。
 中から、ぬるい呼気の塊がこぼれた。

 暗い車内に女がいた。顔は判然としない。彼女はこちらを見もせずに「ドアを閉めて」と言った。どこかで聞いたような、特徴のない女性の声だ。僕はそれに従い、助手席に乗り込んでドアを閉めた。サイトからの出会いというのは、恐ろしく淡白らしい。
「この町、初めて来ました。駅前の変なモニュメントは、何がモチーフなんですか?」
「モニュメント? そんなものがあるんだ」
「……この近くに住んでいるという話でしたよね」
「ここは、ふたりで相談して決めた町でしょう。行為に及ぶ場所だって、ふさわしい場所を選んだ。それより、逃げないでよ?」
 車が発進した。念を押した意味が、よくわからなかった。売春にはトラブルが付き物なのだろう、と僕は邪推し、改めて今晩の行為に背徳感をおぼえた。
最初の角を曲がったとき、背後で何かがゴトリと倒れた。僕が振り返ろうとすると、彼女は慌ててブレーキを踏み、ごそごそと胸元をまさぐった。
「これ、飲んでおいて」
 彼女はそういって、胸ポケットから出した二錠の白い薬剤を差し出した。これが巷で有名なセックスドラッグというものだろうか。さすが、金で体を売り渡すような女は違う。遊び慣れている。僕は女の手のひらから二錠の薬剤をつまみとり、口の中に放り込んだ。すると、女がミネラルウォーターを差し出した。僕はありがたくそれを受け取って、錠剤を胃に流し込む。
 女が車を再発進させたので、僕は携帯の明かりで後ろを照らす。後部座席に、七輪が転がっていた。身を乗り出して抱えあげると、練炭がこぼれて手が黒く汚れた。
 遅れてきた緊張感が僕の肩を叩いた。運転席の女の瞳には何も映っていなかった。





 満員で発車した終電も、幾つかの主要駅を過ぎればずいぶんと軽くなるものだ。
 長いこと使ってきた路線だが、定期の範囲外にあるこの駅で降りるのは初めてだ。そしてもう二度と、この電車に乗ることはない。通勤ラッシュの満員電車にも、二日酔いの始発電車にも、雨の日の蒸し暑い電車にも。
 しかしながら、自殺の動機を与えてくれたこの黄色い車体が、死に場所にまで運んでくれるとは皮肉である。
 痴漢冤罪で私は殺された。
 単純な展開だった。誰の脳裏でも一度は展開される理不尽なストーリー。その筋書きのバッド・エンドに向かって、今私は車体に揺られている。
 とはいえ、もともと人生にはひどく疲れていた。冤罪の有無に関わらず、生きること、日々の生活が、死刑の執行猶予期間であることに変わりはなかった。会社という名の監獄に通い、家庭という名の重荷を背負ってただ呼吸を続ける毎日。疲れ果てた私に「お疲れ様」と声を掛けてくれたのがあの女だったのだ。
 テレビの報道で『自殺サイト』というものを知った。半信半疑でアクセスしたが、思いの外スムーズに自殺仲間は見つかった。失恋で自暴自棄になったという女だ。それしきのことで、とは思ったが、死ぬという決心には主観では量りきれない重みがある。
 何通かメールでやりとりした結果、誰にも邪魔されずに死ぬための舞台が用意された。私は女の車に乗って、寂れた町のはずれ、墓地に面した雑木林へ向かう。そこで仲良く練炭自殺だ。
 駅を出ると、ひんやりとした空気が心地よく肺に溜まった。惰性で転がってきた人生を振り返るような気分で、私は背後の駅に向き直った。駅の屋根より高く、銀色のモニュメントが天に伸びている。向こう側の出口には広場でもあるのだろうか。しかし私はもうすぐ死ぬから、モニュメントの全貌を拝む機会は永久に訪れないだろう。
 女の言っていたドラッグ・ストアを見つけて、脇道に入る。セブンイレブンを通り過ぎて郵便局の角を曲がると、そこには公園があった。
「駅前に駐車場がないので、公園の駐車場でおちあいましょう」
 女はメールで、たしかに「駐車場」と言っていた。しかし、公園はひどく小さくて、駐車場など見当たらない。放棄された可能性が頭をよぎった。集合時間は過ぎている。もとより、電車の都合で私が遅れて着くという手筈だった。私を見限って先に逝ったのなら、それは私の落ち度であるが。鞄の中の最終手段に手をかけようとしたとき、車のエンジン音が耳に届いた。それは段々と近付いてくる。きっと、女の用意した車だ。おおかた下調べが不十分だったのだろう。 車が近くに停車したので、私は女に言われていた番号にワンコールすると、数秒待った後で車の助手席に乗り込んだ。
 甘ったるい香水の匂いが充満している。これから死ぬだけなのに、なぜ香水を、と訝しく思う。私は、無言でエンジンをかけた女の顔を、チラリと見遣った。
 私を社会的に抹殺したあの女の顔が、そこにはあった。





 車は市街地も住宅地も通り過ぎて、どんどん人気のない場所へと向かっていた。
「あの、貴女の家はこんなところにあるんですか」
 彼女は何も言わない。月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がる、冷たい輪郭。僕は寒気を感じて、窓の外に目を向けた。さすがに、そろそろ家に着かないとおかしい。見える風景は、郊外を思わせる田園風景だ。
「疲れているなら、着くまで寝ていても大丈夫だよ」
そういえば、少し前から軽くまどろんでいる。けれども何かが心にひっかかって、この場にからだを託せない。
「これといって話すべきことも見当たらないし」
 意味深な言葉を咀嚼しようして、眠気に邪魔される。もがけばもがくほど、まどろみの中に沈んでいく。窓を開けて外気を吸おうと、僕はからだに力を込めた。しかし、ゆるんだ筋肉は無反応で、あたまを持ち上げることすら叶わない。息んだ拍子に何かがプツンと切れて、視界がぐにゃり、歪んだ。
「あれ……?」
 相当強いドラッグだったのだろうか。上下左右がわからなくなってきた。一度脱力して深呼吸すると、凄まじい眠気が僕を襲った。車のシートに倒れこむ。唾液が口から垂れる。ああ、力が入らない。
「まさか、あなただったとはね」
 女は抑揚のない声で言った。
「意志が弱いみたいだから、手伝ってあげる。さっき飲ませたのは睡眠薬。練炭と併用するために用意していたけど、逃亡防止に役立つとはね」
 車が山道にさしかかった。グングン上っていく。
「別に恨んだりはしてないから。私なりのけじめだから」
 突然、女の携帯が鳴った。しかし、すぐに切れた。
「あれ、今頃ワンコールしたの? でも、その状態で出来るはずがないよね。変だな。あ、番号変えたんだ。道理で私の電話が通じないわけだ」
「変えてない」と言おうとして、言葉にならない唸り声が出て――僕は意識を失った。





 女は化粧を直していた。顔面は派手な装飾にあふれかえり、死化粧と言うよりはむしろ誕生祭だった。車に乗り込んできた私を見て、女は一度首をかしげ、そしてまた化粧にとりかかった。
「会う前に条件とか何も決めてませんでしたけど」
 女はその分厚く塗られた顔面に、下卑た笑みを浮かべた。
「少なくとも二はもらいたいんです。ホテル代とか一切かからないですし」
 自殺に際して金をとろうというのか、この女。先日私から数百万の示談金をむしりとっておいて、尚も、金。それに自殺場所はホテルではない。郊外の雑木林のはずだ。
 私が黙っていると、女が私のほうを覗き込んできた。
「……私、あなたと前に会ったことありましたっけ」
 驚いた、こいつは私のことを忘れているらしい。人を殺しておいて忘れている。どうせ覚えているのは示談金の額だけなのだろう。
「まあいいです。それより、条件を決めてください。まさか、お金持ってないとか言わないですよね」
「貴様はいったい何の話をしているんだ!」
 私がしびれを切らして怒鳴りちらすと、女はビクッっとして化粧道具を落とした。表情は驚きから怒りへと逆上し、生臭い声を荒げて言った。
「え・ん・こ・う、ですよね?」
「……騙したのか」
 私は静かな、しかし確かな怒りに震えた。この女に、自殺願望はない。自殺サイトで男を釣り、死なれる前に金をむしりとる手口だ。
「だから、お金くれないと私はヤりませ」
 がつん。気がついたら女の頬を思い切り殴りつけていた。肉のつぶれる柔らかい感触と、頬骨の砕ける確かな手ごたえ。化粧がはがれて鱗粉のように拳を汚した。
 ぐえ、おえ、とカエルのような声を出す女の、今度は腹を殴った。女は吐いた。吐瀉物は私の背広に跳ねる。汚いが、私はどうせ死ぬ身だ。それも、自殺という死に方だ。すでに社会的には死んでいる。黒に何を混ぜても、沈んだ濁りは変わらない。
 私は女の首を絞めた。眼を剥いてこちらを睨み付ける女の顔は、醜い豚のようだ。私は両手に力を込めた。女の口からは泡があふれる。今度は蟹のようだ。ガクンと首が垂れた。死んだ。
 私は香水臭い車内から出ると、公園の中に入っていった。
 鞄には、冤罪事件以来、常に持ち歩いている首吊り縄がある。
 手ごろな木とベンチを見つけ、私は縄を結わいて準備万端である。死のうとしている者まで食い物にする社会。世知辛いものだ。
 縄をくぐり、ベンチを蹴り倒して、私は、吊った。






 意識を取り戻したとき、すでに体はほとんど動かせなくなっていた。焦げ臭いにおいと、窓から見える暗い森。女が何をしたか、わかった。ドアなどの隙間はガムテープで塞がれていて、なぜかルームランプが点いている。
「あなたに フられた ショックで 死ぬことにした のに まさか 自殺仲間が あなただった とはね」
 切れ切れの声で女が言った。何とか眼球を横にスライドさせると、女の笑顔が見えた。束縛に耐えかねて連絡手段を断ち切った、昔の彼女がそこにいた。やられた。この女は売春の網を張って、僕に復讐したのだ。この女は、売春の網を張って僕に復讐したのだ。せめて乗り込んだときすぐに気づいていれば……いや、気づけなくなるほど、僕は彼女を忘れようとしていたのだ。
しかもこの状況、他殺には見えないだろう。心中とか集団自殺とか、そんな言葉が似合う死に方だ。
 練炭が燃えはじめた。酸素を、喰い始めた。時間がどのような流れ方をしているのかわからなくなった。やがて、顔も、何もかも動かせなくなった。真っ暗闇で、何も見えない。隅々まで、一酸化炭素が染み込んでいく。僕のからだが、止まっていく。こういった死に方では、聴覚だけが最後まで残っているという。その通りだ、ちゃんと聞こえている。聞こえているが、しかし。
 死んでいく音は、静かだ。


ミステリーを書こうと思ったら、露出する部分と覆う部分をもっと丁寧に検討しなければならない。短編でうまくいかず、長編ならなおさら難しいだろうと震えました。
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