土台から替えればいいじゃない
『精霊が見える者はね……その強大すぎる力ゆえに囲もうとする連中が後を絶たないの』
数年前の話だが、それは風の精霊に好かれたエルフのフィアの言葉だ。
彼女の場合、本気を出せば城壁を砕く風を放ち、災害レベルの竜巻だって起こせる。
それが集団ではなく個人で出来るのだ。強大な力を得ようと、欲に塗れた貴族や王族に狙われるに違いない。
だから精霊が見える者はそれを秘匿する。
世界から身を守る為に。
「リース……君は、精霊が見えるんだね?」
「っ!? どう……して?」
俺の言葉にリースは目を見開いたまま固まり、怯えた目で体を震わせていた。
この怯えよう、やはり彼女は知っている。精霊が見えて、そしてそれがどれだけ強大で狙われる力なのだと。
「落ち着きなさい、リース。俺は……いや、俺達は絶対にこの秘密を話したりしない。二人もいいな?」
「当然です! 安心してリース。私達は絶対に話したりしないと誓うわ」
「兄貴と姉ちゃんの言葉だ。俺も死んでも話さない!」
その声に安心したのか、リースの目から怯えが消えて体の緊張を解いた。
「ごめんなさい、取り乱したけどもう大丈夫です。母様が、精霊が見えるのは絶対にばれてはいけないっていつも言っていたんです。ばれたら貴方の人生が終ると、何度も聞かされていたので怖くて……」
「すまない。こういうのは何て言ったら良いかわからなくてな、無駄に怖がらせてしまったようだ」
「いえ、私だって逆の立場でしたら何と声をかけたらいいかわかりませんから。ですがどうして精霊が見えるとわかったんですか? もしかしてシリウス君も精霊が?」
「それは違う。俺の適性属性は知っているだろう? 四属性の精霊に好かれる要素が見当たらないな」
「あ……ごめんなさい」
仲間が居たと思って喜んだり、俺の属性で謝ったりと彼女の表情は目まぐるしく変わっていく。感情が表情に表れやすい素直な子だな。
「リースが謝ることじゃないさ。質問の答えだけど、俺は過去に精霊が見える……いや、好かれた人と会った事があるんだ。その人から感じた違和感……おそらくそれが精霊だと思うが、それを君からも感じたから解ったんだよ」
「私みたいな人に会った事があるんですか!?」
「大人で旅をしていた人なんだけどね、彼女もまた精霊が見えるのを隠していた」
「母様が言っていた事は間違ってなかったんですね」
「ですがシリウス様。大切な話なのはわかりますが、その精霊が見えるのと、リースの『フレイム』と何の関係があるんですか?」
「関係は大いにある。その人によると精霊は凄く嫉妬深いらしいんだ」
「嫉妬深い……とは? 偉大なる存在と言われている精霊が、そのような事をするんでしょうか?」
「残念ながらするらしい。こればっかりは好かれた人じゃないとわからないからな」
フィア曰く、風を使う時はやる気満々だが、土を使おうとするとヘソを曲げて力を貸すどころか逆に邪魔して一切使えなかったとか。
ここまでくれば彼女の精霊は嫌でもわかる。火を消し水を増幅するのだから、彼女は水の精霊に好かれているわけだ。
「リースは精霊が見えるし、声も聞こえるんだろう? 水と火を使った時の精霊を思い出してみるといい」
「確かに……水を使う時は嬉しそうに寄ってくるんですけど、『フレイム』の時は一切寄ってきません」
「君は夢中だったからわからなかったかもしれないが、『フレイム』発動直前に君の手元に違和感が集中していた気がする。おそらく、嫉妬して火を消してしまうんだろう」
「そんな……いつも楽しそうに漂っていて、時折話しかけてくる良い子なのに。そんな事をしていたなんて……」
信じていた者に裏切られた気分なのだろう、リースは目に見えて落ち込んでいた。
だけど考えてほしい。彼等は気まぐれでそうしているわけじゃなく、それが精霊であり習性みたいなものなのだ。人が易々と変えていい存在じゃあないんだ。
「それが精霊だから仕方ないさ。どうしても使いたいのなら、彼等を知り話してみることだよ。一回だけでもいいから、邪魔をしないでほしいとお願いしてみたらどうだ?」
これもフィアから聞いた実体験だが、必死にお願いして辛うじて『アース』らしき魔法が使えたらしい。ただ、その都度願うのも非常に疲れるので、その内『アース』は一切使わなくなったそうだが。
「やってみます。お願い……ちょっとだけ……ちょっとだけでいいの。私に火を使わせてほしいの」
彼女は目を瞑り、必死に精霊へと問いかけ……そして『フレイム』を発動させた。
開いた手から浮かんだのは小さいが、確かに火の玉であった。
「小さい上に形が歪だけど、間違いなく『フレイム』だな」
「おめでとう、リース!」
「出来た……出来ました!」
リースが喜びの声を上げると火はすぐに消えてしまった。やれやれ、どれだけ意志があるかわからないが、精霊ってのは本当に気難しいんだな。
「あ……もう、仕方のない精霊さんです」
「喜び過ぎたせいだな。感情をストレートに出しすぎだ」
少し膨れっ面であるが、原因が判明した御蔭もあって彼女の顔は晴れやかだった。
「何にしろこれで解決だな。今度実技があったらあの野郎に見せ付けてやれよリース姉!」
「いや、それはどうだろうな」
はたしてこれをあのグレゴリが認めるだろうか?
火が小さく維持も出来ない魔法なぞ認めん……とか言うに違いあるまい。そうすればまた苛められるのが目に浮かぶし、現状は変わらない。
「リースに失礼だけど、私も駄目な気がします」
「私もわかります。確かにこの程度では認められないでしょう」
「だったらどうするんだ? このままあの野郎の所に居て、またリース姉が落ち込むなんて嫌だぞ」
全員の視線が俺に集まる。レウスに至っては剣を片手にアイオーン組へ乗り込みかねないし、何とか案を出さなければ。ふむ……彼女をどうにかするんじゃなくて、環境か?
「そうだな……いっそ、リースをカラリス組に移動させるか?」
コネは使って何ぼだ。マグナ先生を通して学校長に伝えてもらおう。彼女は苛めにあってるので俺達の組に移動させてほしい。そして俺が彼女をエミリア達みたいに鍛えたいと伝えれば、学校長は面白がって許可するかもしれない。
グレゴリも『フレイム』が使えない者に興味は無いだろうし、手を放すのを惜しまない筈だ。
「それは良い考えですね! 私達も嬉しいですし、リースも安心です。是非ともやりましょう」
「流石兄貴だ! 俺は何でもするぜ!」
「ええっ!? ちょっと待ってください。そんな簡単にクラス替えなんて出来るわけが……」
突拍子の無い案にリースがありえないと反論する。そりゃあ一生徒である俺が、学校長を通さねばならない案件を言い出せば当然だろう。
「まあリースの言う事も一理あるが、君に聞いておきたい。リースは俺達の組に入りたいと思うかい?」
「それは……はい。皆さんと一緒に勉強出来たら嬉しいですけど」
「なら問題ないな。早速明日から動くから、もう少しだけアイオーン組で頑張ってほしい」
「あの……どうして私にここまでしてくださるのですか? 私は貴族でもお金はありませんし、精霊が見えるからー……った!」
何か失礼な事を言い出したので、彼女の頭に軽いチョップを食らわせる。痛くはないだろうが、頭を押さえつつこちらを見上げる彼女に少し真剣な顔で告げた。
「精霊だとか貴族とかは関係ない。リースは俺達の知り合いで、エミリアの友達だから助けたい。それだけの話だ」
俺と弟しか見えていなかったエミリアの友達になってくれたのがリースなのだ。前世の俺に相棒が居たように、心から信頼できる仲間が居るだけでも頼もしいものだ。
だからその彼女が困っているなら助けてやる。それがエミリアの為にもなるし、問題なんか一切無い。なにより、こんな良い子が泣いているなんて許せないだろう?
「……ありがとう……ございます」
「礼なら終ってからもらうさ。さて、そろそろ夕御飯の時間だが、今日はここで食べるか。リースも食べていくか?」
「え? でも食堂へ行けば用意されなくても」
「今から帰って食べるのも何だし、リースを初めて招待した記念だ。遠慮なく食べていきなさい」
「大丈夫よ、シリウス様のご飯は食堂の御飯より絶対に美味しいから。あのケーキを作ったと考えれば期待して損はないと思うけど?」
「ケーキ……そ、その……いただきます」
リースは唾を飲み込みつつ、申し訳無さそうに頷いた。そうそう、子供は素直が一番だぞ。
「献立はどうしようか。何が食べたい?」
「何でもいいけど、肉は外さないでほしい」
「こういう時こそお鍋です。皆で美味しくいただきましょう」
「じゃあ肉と野菜たっぷりの山菜鍋だな。レウス、血抜きしたブロック肉を狩ってこい。時間は三十分な」
「余裕だぜ。行ってきまーす!」
「私は野菜を洗って持って行きますね」
各々が作業に移る中、一人やる事がないリースは思わずエミリアに声をかけていた。
「あの……エミリア? 話の流れからシリウス君が料理を作るようだけど、普通は従者の貴方が作るんじゃあ?」
「私が作る時もあるけど、普段はシリウス様が作るのよ。あのケーキを開発したのもシリウス様なんだから」
「ケーキも!? う、う〜ん……本当にお母さんみたいね」
「シリウス様をそこらの人と一緒にしては駄目よ」
貴族を知る彼女からすれば、主人である俺の行動がおかしく見えて仕方ないのだろう。
だが、他所は他所で家は家だ。常識など知らぬわ。
さてと、出汁用の昆布はどれだけ余ってたかな?
――― エミリア ―――
「はぁ……エミリアの言った通りだね。あのナベって料理、初めて食べたけど食堂のご飯よりずっと美味しかったよ」
「シリウス様の料理はもっと沢山あるのよ。お鍋なんかその内の一つでしかないんだから」
「何であんなにアイデアが出るのかわからないけど、不味い料理なんか一回も作った事ないよな」
ダイア荘で食事を終え、私達は学生寮へと帰っている途中です。
そんな中でリースはシリウス様の作った鍋料理がとても気に入った様子で、満足そうに私達の横を歩いています。初対面であるリースの心をここまで掴むとは、流石はシリウス様です。
「貴方から話を聞いた時は、そんな凄い人っているのかなと疑問に思っていたけど、実際に会ってよくわかったわ。確かに凄いけど……どこか不思議な人ね」
「不思議? 不思議なのかリース姉?」
「ええ、とっても不思議な人よ。私は貴族になって少ししか経ってないけど、貴族社会で見た従者の扱いはあまり良くなかったわ。なのにあの人は平民とは言え、従者である貴方達に嫌がる命令なんか一切しないし、まるで家族のように大切にしている」
エリナさんも同じような事を言っていました。
あの御方は私達を従者ではなく家族のように接する貴族としてあるまじき行為をしておられますが、そんな御方だからこそ支えたい、期待に応えたいと思えるのです。それはシリウス様のお母様であるアリア様と同じだと。
「だから不思議な人だなぁ……と、思って。私の家族はもう父様だけなのに、エリュシオンまで来てまだ一度しか会った事がないし、どう思われているのかさえわからないの。だから……不謹慎だけど貴方達がちょっと羨ましいかな」
「だったら……リースも従者になる?」
「ええっ!?」
うん、ふと浮かんだ案ですが悪くない気がします。リースと一緒に居れますし、シリウス様も悪く思っていない様子です。リースが落ちるのも時間の問題ですし、第一婦人として候補に入れておきましょう。
「…………無理! 私貴族だし、無理だから!」
「妙に間があったけど、想像でもしたのかしら?」
「違うから! レウス君も何か言って!」
慌てふためき、レウスに助けを求めるリースは可愛いです。だけど、レウスは時折困った発言をする時がありますから、あまり無闇に話し掛けると火傷しますよ。ほら、さっきから何か考えているけど、今度は何を考えているのかしら?
「……駄目だ! やっぱり俺にはわからねえよ」
「え、何が? 従者がわからないの?」
「違うよ。リース姉が言った、兄貴が不思議な人って話だよ。俺から見れば凄いしか言えないんだ」
この子は時折こんな風に一言で確信めいた事を言うのよね。今回は良い方向で何よりだけど。
「いや、凄くて優しい……だな。というかリース姉、他の貴族なんかどうでもいいんだよ。兄貴は凄い! それだけだ」
正にその通りです。シリウス様は素晴らしい……それだけです。良い事を言ったわレウス。明日のおやつは少し多めにしてあげるね。
「レウス君……そうね。シリウス君は凄くて優しい人。精霊が見えるのをあっさり見抜いたり、私の悩みを解決したどころか、クラスまで移動させるとか言い出したんですもの。そんな事絶対出来ないって思うけど、あの人なら……って思うわ」
貴方もシリウス様に負けないくらい優しいですよ。そんな貴方だから、私もすぐにシリウス様に頼ってしまったの。あの御方ならきっと貴方を助けてくれるって、そう信じているから。
「そうだよ、兄貴に任せておけば大丈夫だ!」
「私もレウスと同じよ。少なくとも悪い事には絶対ならないから、安心して」
「二人とも……うん。皆と一緒に勉強出来るのを期待して待っているね」
私もそう思っています。学校へ来て初めて出来た私の友達……今みたいにもっと笑っていてほしいな。
そして学生寮前まで帰ってきましたが、駄目……やはり気になります。
シリウス様は今頃ちゃんと休んでいらっしゃるかな? お風呂に入っていらっしゃるかな? ああ……気になります。
いつか絶対! 絶対……あのダイア荘に住んでみせます。すでに幾つかの荷物を運んで牽制をしているんですけど、あまり実を結んでいないようです。
次はお酒を持ち込んで、酔っ払った振りをして泊まるという作戦はどうでしょう? でも未成年でお酒が飲めませんし、一回だけなら……ですがシリウス様に怒られそうです。
「エミリア? ちょっと、いきなり考え込んでどうしたの?」
「あー……いつもの癖だから気にしないで。ほら姉ちゃん、足元危ないよ」
「……お酒って、どうかな?」
「何を言っているの貴方!? しっかりして」
その日、寮に帰ってベッドに入るまでリースに心配されてしまいました。
私は健康なのに……どうしてだろう?
――― シリウス ―――
「なるほど……それは確かに問題ですね」
早朝、少し早めに登校した俺はマグナ先生を訪ねて職員室を訪れていた。グレゴリ先生に聞かれたら困ると思いきや、マグナ先生は地位が上の人なので職員室は個室であった。流石は学校長の右腕、ここなら遠慮なく話す事が出来て助かった。
話したのはリースが苛めに遭っている点と、カラリス組に招けば彼女の才能が目に見えて伸びるだろうという事だ。
「というわけなので、学校長に話を通していただきたいのですが。あ、これ差し入れです。二つありますので、一つはマグナ先生がどうぞ」
「困りますね、買収ですか?」
「いえいえ、純粋な差し入れです。私が作ったお菓子ですが従者達には好評なので、大人の意見も聞きたいなと思いまして」
どう見ても買収に見えるが、俺はそのつもりはない。中身は昨日の余ったケーキだが、念の為マグナ先生に中身を見せて確認させておく。
「ほう、初めて見るお菓子ですね。本来なら受け取らないのですが、これは興味があります。頂いておきましょう」
……かかった。
今の俺の内面を表情に表せば、とんでもなく悪い顔をしているだろう。他の生徒から聞いたマグナ先生がお菓子好きという情報は正しかったようだし、後は時間を待つばかりだ。重ねて言うがこれは買収ではなく、布石なのだ。さあ、様々な人間を魅了したケーキ爆弾を食らうがいい!
「そうそう、貴方達は基礎が全く必要ないのはわかりますが、せめて授業を受ける振りだけはしておいてくださいね。幸い他の生徒は気付いていないようですが、周囲に良い影響を与えませんから」
……ばれてら。
昼休みになり食堂へ向かおうとしたら、マグナ先生ではなく学校長であるロードヴェル自身が現れた。勿論ヴィル先生に変装した姿でだ。
「ああ、シリウス君。例のお話があるので一緒に来ていただけますか?」
呼ばれたのですぐに行きたいが、二人はヴィル先生が学校長と知らないしな。連れていくわけにもいかないし、別の仕事を頼んでおくか。
「シリウス様、お昼ご飯に行かれないのですか?」
「話が長くなりそうだから先に行っておいで。リースの様子も見てきてほしい」
「リース姉、今日も実技あるって昨日言ってたもんな」
「そうね、落ち込んでたら励ましてあげましょう。シリウス様、お先に失礼します」
二人を見送りヴィル先生の元へ向かうと、彼は姉弟が去った方角を眺めながら優しげな微笑を浮かべていた。
「励まして……ですか。彼女は良い知己を得ましたね」
「リースを知っているんですか?」
「少々縁がありましてね。それより例の話をしましょうか。私に付いてきてください」
ヴィル先生に先導され、先生達の個室が並ぶ廊下までやってきた。この廊下の突き当たりが学校長室で、その隣が今朝も行ったマグナ先生の個室だ。昼休みのせいか生徒と先生の姿がちらほら見えるので、堂々と学校長室に入るのも目立つよな。どうやって行くんだろう?
「話だけですから私の部屋に行く必要はありませんよ。マグナ先生の部屋へ行きましょう」
学校長室にはどんな物があるか気になったが、そう言われては仕方あるまい。
事前に伝えてあったのだろう、マグナと書かれた扉をノックもせず入室すると、すでにマグナ先生が俺達の到着を待っていたようだ。
俺とヴィル先生がテーブルを挟んで座り、マグナ先生がお茶を用意したところで本題へと突入した。
「さて……お話は聞かせてもらいました。どうやらリース君が色々と大変な目に遭われている様子ですね」
「はい。彼女とは昨日初めて話をしたのですが、かなり心が疲弊しています。早急な対応が必要かと」
俺の話を聞いてリースの心中を察したのだろう、ヴィル先生は頭を抱えるようにして溜息をついていた。
「はぁ……全くあの男は。生徒を何だと思っているのか。嘆かわしい」
「自分の駒としか思ってないのでしょうね。彼女もですが、彼に対しても対応すべきかと」
「わかっている。だが今はリース君だ。例の話はどうだったかな?」
「それが……拒否されました」
「そうか。予想はしてたが呆れ果ててものも言えん」
二人で話を進めているのでさっぱりわからない。何か行動は起こしたが、どうやら結果は芳しくなかったのはわかるが、とにかく説明を求む。
「ああ、すまんね。実は君が考えたリース君をカラリス組へ入れる案だが、午前中にはグレゴリ先生に打診しておいたのだよ」
「素早い対応、ありがとうございます」
「うむ、あのお菓子がとても美味しかったので頑張らせてもらったよ。だが、先ほど聞いたようにあの男は拒否したようでな」
「お言葉ですが、グレゴリ先生にとって彼女に何の魅力があるのでしょう? 全ての初級が使えないと駄目だと言っているのに、彼女は一つ使えないんですよ? なのに放したがらないとは矛盾していますね」
昨日話を聞いた時点から思っていたことだ。俺の予想だと、おそらく彼女の父親は相当な上級貴族ではないかと睨んでいる。グレゴリが有名貴族ばかり集めている上での想像だが、彼等は何か知っているようだ。
「君は彼女についてどれほど知っていますか?」
「最近になって貴族になったとしか知りません。ですが私はそんなのはどうでもよいのです。彼女はエミリアの友達で、俺達の仲間だから助けたいだけなんです」
ヴィル先生とマグナ先生が目線を交わし、二人はゆっくりと頷いた。
「私は彼女のとある秘密を知っています。複雑な問題なので知るべきだと思うのですが、聞きますか?」
「必要ありません。いずれ本人の口から聞こうと思ってますし、複雑な家庭も興味ありません。それより何か案があるのですね?」
「合格です。シリウス君の心意気、しかと理解しました。そんな君に私達から案を授けましょう。面倒なのが難点ですが、一つだけ確実な手がね」
「説明をお願いします」
「最近では全く行ってませんが、先生が指名した生徒を交換できる試合『入替戦』というのがあります」
入替戦。
元々、とある先生が他の先生が受け持つ生徒に目を付け、自分の方がその生徒を上手く育てられると言い出したのが始まりと言われるらしい。
先生同士だと年齢にばらつきが出て勝負にならない場合があるので、自身が育てた生徒同士で戦い、勝った方が指名した相手を引き抜けるというわけだ。
なるほど、面倒だが勝てば確実にリースを引き込める話だ。
「ただ、双方受け入れないと駄目でしてね。グレゴリ先生がカラリス組の生徒を欲しがらなければ試合が出来ないのですよ」
「グレゴリ先生がカラリス組から欲しがる人材ですか。マーク君はありえそうですが、必要ならすでに自分の組に入れているでしょうし……」
確かにマークは家柄も良いし、魔法の腕も立つ。だが彼の性格がグレゴリに合わないのだろう。もう面倒になってきたし、強行突破狙ってみるか?
「いっそ一方通行でどうですか? 生徒から袖の下を貰っているようですし、黒い噂多いんでしょう?」
「脅迫ときましたか。あまりよろしい手ではありませんね」
「いえいえ、勿論話し合いですよ。ただ、机の上に不正書類等が落ちているだけです」
「落ちているだけですか?」
「ええ、落ちているだけです」
ヴィル先生と見つめ合い、やがてにやりと互いに口元を歪ませた。交渉成立である。
「はぁ……本当に君は子供なのでしょうか。果たしてグレゴリ先生が私の話を聞いてくれるかどうか……」
「頑張ってくださいマグナ先生。あ、そういえば私のお菓子はどうでしたか? あれはケーキと言うのですが」
憂鬱そうなマグナ先生に俺が渡したケーキの感想を求めてみた。すると先ほどまでの憂鬱な顔が切り替わり、満面の笑みで俺の肩を掴んだ。おお、予想以上の凄い食い付きだ。
「あんなにふわふわで蕩けるような甘いあれがケーキですと!? いえ、貴方の作った物ですから考えるだけ無駄ですね。とにかく、大変素晴らしい物でしたよ! 良ければまた作っていただきたいのですが」
「ええ、いずれ。ところでマグナ先生はチーズは好きですか?」
「チーズと言うと、あのガルガン商会が売り出し始めた食べ物ですか? それなら先日食べましたが、とても美味しかったですね」
「そのチーズを使ったケーキを今度作ろうと思うんです。濃厚で甘酸っぱいケーキなんですが……試食しますか?」
「是非! お金が必要なら言ってください。貴方の言い値で払いましょう」
金貨十枚です……と言ってもポンと払いそうな勢いなんですけど。ここまで好きだとは予想外だったが、俺の布石はしっかり生きてくれたようだ。
「試食ですからお金はいりません。ですが、リースの件がありますので、それを終らせないとケーキ作りに集中が……」
「わかりました。早速グレゴリ先生と話してきましょう。学校長、後はお願いします!」
「任せておきなさい。面白くなってきましたよ」
マグナ先生は歩いているのに、飛ぶような速さで部屋を出て行った。少しだけ顔を出して様子を見れば、物凄い勢いでグレゴリの扉をノックする光景が見えた。うん……あの勢いなら大丈夫かもしれない。
「さて、私も戻って書類を作るか。ところでシリウス君、入替戦は生徒同士で戦うのだが、誰が戦うのか決めているのかね?」
「もちろん私です。言いだしっぺが何もしないなんて、情けないのにも程があります」
「自信は……いや、あるからこそ受けたわけか。手伝いはいらないかね?」
「全くいりませんね。試合を用意してくださるだけで十分です」
目立たないようにとは考えていたが、やり方次第でどうとでもなるさ。問題は戦いのルールだが、そこは決まってから考えるとしよう。
「わかった。私はこれ以上何も言わぬよ。シリウス君、最後に一つだけ言っておく事があるのだが……」
ヴィル先生は打って変わって真面目な表情となり、その迫力に思わず身構えてしまった。くっ……敵ではないとはいえ油断した。今のが殺す気だったらやられていたかも知れない。
「私にもそのチーズで作られたケーキを頼みます! なるべく大きいサイズで!」
……殺気を込めながら言う台詞じゃねえよ。
甘味が乏しい世界だからなのか、ケーキという麻薬は四百年生きた者でも虜に出来るというのがわかった。
最強はケーキだった。
そして授業終了後、俺はマグナ先生から一枚の紙を渡され、アイオーン組と入替戦が行われる事が決定したと聞かされた。
突発的な行事だが、生徒同士が戦うだけなので準備はほとんど必要なく、開催は明日の午前中だ。
マグナ先生とヴィル先生は、渋るグレゴリを勢いと脅迫で何とか押し切り、リースを一方的に貰える交渉に成功したらしい。普段からアホな事ばかりやってるから、偶にはアホな目に遭えばいいと思うので罪悪感は皆無だ。
しかし一方的な要求なせいか、ルールの決定はグレゴリが行ったので気をつけてほしいと念を押された。それ以上にケーキについても念を押された。
渡された紙を持って、リースを含めた俺達はダイア荘に集まっていた。
机に置かれた紙には入替戦のルールが記載されており、姉弟とリースに見せながら結果を報告していたわけだ。
「ここまで大事になるなんて、本当にごめんなさい」
「大事にしたのは俺だ。君は気にせずカラリス組に入る準備をしていればいい」
俺の流れでは……リースを移動させてください、難しいです、ケーキで買収……と、簡単直結な三段階で終る予定だったのだが、ままならないものである。
まあ過ぎた事を考えていても仕方あるまい。今は目の前の入替戦に目を向けるべきだな。
さて、紙に書かれたグレゴリが定めたルールは以下の通りだ。
・魔法は中級まで。
・武器は木製を使用。直接攻撃は致命傷の攻撃でなければ何でも可。
・人数は二人 。
・勝敗は、相手がまいったと言うか、審判が続行不可能と判断したら勝利となる。
・チーズケーキは大盛りで。
書き足された最後の項目は線を引いて消しておいた。
ふむ……あの男にしては項目が少ない気がする。ルールに抜け道があるか考えたが、特に困るような抜け道は考え付かない。
アイオーン組はエリート思考の生徒が多いから、俺達なんか簡単に倒せると思い込んでいるんだろうな。舐められている証拠だろう。
「シリウス様、ルールでは二人と書かれているので、私とレウスが出ます」
「駄目だ。先生にも言ったが、俺が言いだした上にやりたいと決めた事だ。心配する気持ちはわかるが、俺が出るのは絶対だ」
「だったら兄貴、当然二人目は俺だよな!」
レウスは勢いよく立ち上がり、拳を握り締めてやる気満々である。普段ならレウスを押しのけ立候補するエミリアだが、今回は何も言わず紙を眺めているだけだった。どう説得しようか考えていたが、妙に大人しい。レウスも同じ考えのようで、恐る恐るエミリアの顔色を窺っていた。
「……姉ちゃん、俺が出ていいのか?」
「今回は貴方に譲るわ。貴方の方が私より強いのだから当然よ」
「本当にいいのかエミリア?」
「本音を言わせてもらえれば、私は貴方と共に戦いたいです。ですが、これはリースの将来を左右する大事な試合です。だったら確実性を考えてレウスに出てもらうのが一番です」
「エミリア……ごめんね。それとありがとう」
リースは感極まり、エミリアに抱きついて涙を流していた。
そうか……お前は俺と共に居たいと常に感情が優先していたのに、今は友達の為に引く事を覚えてくれたんだな。成長したな、エミリア。
「私は大丈夫だから泣かないでリース。シリウス様とレウスが必ず勝ってくださるから、私は信じて待つだけよ」
「うん……シリウス君、レウス君……お願いします」
「「任せておけ!」」
俺達がやる事は明日勝つ以外に何もない。
すでに幾つかの想定は済んでいるので、後はレウスと連携を確認するだけだな。
いつもと変わらない訓練を終え、全員で晩御飯を食べて今日は終えた。
次の日。
広大な敷地を持つ学校内には様々な施設があるが、驚くことに闘技場なんて物がある。
本来は年間行事や祭の際に開放される場所だが、生徒同士の勝負でも申請すれば使えるという、意外にも緩い校則だ。実際、戦う以外に使う事が滅多にないので、使うならどうぞというわけだな。
その外観は前世で見たコロシアムのようであった。奥の人も見えるように階段状の石椅子が並べられ、中央の試合場では剥き出しの土が広がっており、俺とレウスはそこへ降りて準備をしていた。
「闘技場って大きいな兄貴。ここで戦うのか?」
「そうだな。何もこんな所でやらなくても、適当な広場で十分だろうに」
後方の観客席にはカラリス組の生徒が座り、その向かい側の席にはアイオーン組の生徒が座っている。あちらさんは貴族ばかりなので従者を引き連れている分、人数が倍近く差があるのが特徴か。
一番違うのは彼等の視線と態度だろう。俺達カラリス組は純粋に応援しているが、アイオーン組は全体的に侮辱した目付きでこちらを指差す者が多い。
ちなみに行事ではなく、突発的なイベントなので他のクラスは普通に授業中だ。ここにはカラリス組とアイオーン組、そして審判役の先生と衛生班しかいない。
「シリウス様、頑張ってください!」
「応援しているぞ、シリウス君!」
「二人共、応援しているからねー!」
「「「兄貴! 親分! ファイトーっ!」」」
「平民が煩いな」
「優れた血筋である我々に勝てると思っているのか?」
「全く……汚らわしいにも程がありますわね」
「このような無駄な事で、我々の時間を取らせないでほしいな」
それぞれの内容を聞き取ってみれば……よくもまあ、ここまでアホな貴族を集めたものだ。
呆れた表情でアイオーン組を眺めていると、彼等の端っこに入替戦の商品であるリースが心配そうにこちらを見ていた。
彼女はまだアイオーン組だから俺達を露骨に応援できない。だが祈るように手を握り、読唇術で言葉を読み取れば俺達を応援しているのがわかった。今の彼女は差し詰め、敵国に囚われた姫君ってところだな。
「兄貴、リース姉が見ているよ」
「だな。頑張ってくださいって俺達に言っているようだぞ」
「うん。すぐに助けてやるからなリース姉! ところで……相手はいつ来るんだ?」
レウスが言った通り試合場には俺達以外誰もいない。準備体操も終り、こちらはいつでも始められるんだが、相手がこない事にはな。いい加減呼びに行ってもらおうと思ったところで、審判役の先生と対戦相手が現れた。
「遅れて申し訳ありません。少々問題が起きまして」
「無能と獣人なぞ待たせて当然だろう」
やってきたのはそれぞれの担任であるマグナ先生とグレゴリ、そして対戦相手であるアイオーン組の生徒だが……数が多い。何故か五人もいた。
「では時間が勿体無いので早速試合だ。お前達、構えるがいい!」
「待ちなさい! 私はまだ納得できていませんよ!」
さっさと試合を始めようとするグレゴリと、それを止めるマグナ先生は珍しく怒っていた。俺とレウスが疑問符を浮かべていると、違う方角からやってきたヴィル先生が俺達に近づいてきたのである。
「待たせて申し訳ないね。実はルールに問題があったようでな」
「問題ではない! しかとルールに記載しておったわ!」
「これのどこがルールですか! 貴族として恥ずかしくないのですか!」
再びいがみ合う二人に、ヴィル先生は溜息をついて俺に紙を差し出す。それは前日に俺達が貰ったルールが記載された紙だが、これはグレゴリが持っていた方だと教えてくれた。
「内容を見比べて見なさい」
昨日見た内容を思い出しながら見ようとしたが、思い出すまでもなかった。なにせ……。
・人数は二人……だが従者は含まれない。
比べるまでもなかったからだ。どう見ても俺達の方には書かれていない部分がある。
「ただの書類不備だろう? 一体何が不満だと言うのだ!」
「これを不備だと? ふざけないでもらいたい! そもそも従者が当たり前に居る貴方達と一緒に考えないでください」
何せコピー機が無い世界だ。手書きで作るのだから、書類不備とか言い出すのもわからなくもないが、これは露骨過ぎだろう。せこい。
「とにかく入替戦は決定し、すでに覆すことは出来ぬ。文句を言う前に貴様等も従者を出せば済む話だろう?」
グレゴリは笑いを堪えるように、出せるものなら出してみろと言わんばかりにこちらを見る。こいつ、俺に従者が居るって知らないのかな? それでも三人……いや、俺と従者姉弟ともう一人で四人か。それでも相手と一人分の差がある。
「とにかくやり直しを要求します。公平にせねば学校長に報告しますよ」
「何とでも言うがいい。ルール決めを私に任せたのはそちらなのだから、私の言い分は間違いない筈だ」
「落ち着いてくださいマグナ先生、グレゴリ先生」
舌戦が続く中、ヴィル先生は二人の間に入って会話を遮る。マグナ先生は不満気ながらも下がり、グレゴリは不快そうに睨みつけている。
「黙っておれ! ただの教師が煩いぞ」
「そのただの教師が見てて見苦しいから止めるのです。貴方達の意見がすれ違うのは当然でしょうが、まずは彼に聞いてみてはどうですか?」
そう言いつつヴィル先生は振り返り、俺を試すような視線を向けてきた。『貴方達なら、問題無いでしょう?』……と、言いたげにだ。
「戦う本人であるシリウス君に聞きましょう。君はこのルールに何か異議はありますか?」
「無い」
「シリウス君!?」
きっぱりと告げた俺にマグナ先生とグレゴリは揃って驚いていた。しかしグレゴリはすぐに馬鹿にするような目付きに変わったが。
「ではレウス君はどうでしょう?」
「兄貴と一緒だ!」
「と言うわけです。生徒達も待ってますし、そろそろ試合を始めましょう」
「ふふ……馬鹿者めが」
呆気に取られたマグナ先生を置いて、ヴィル先生とグレゴリは俺達から離れていく。その途中、ヴィル先生は期待していますよと囁いていた。
「シリウス君、私はこんなやり方を認めたくありません。負けても私達が失う物は何も無いのですから棄権するべきです」
「これ以上長引かせたら、リースの心が磨り減ります。大丈夫ですよ、五人くらいなら俺とレウスの敵ではありません」
「兄貴と俺なら無敵だな」
自信満々に答える俺達にマグナ先生は諦めたように息を吐き、優しげな笑みを浮かべて俺達の肩に手を置いた。
「わかりました、気をつけて戦いなさい。ですが危険だと判断したらすぐに止めますよ」
「必ず勝利してきますよ」
「任せて!」
マグナ先生が離れ、試合場の中央には対戦相手の五人が武器を持って待ち構えていた。
よく見れば、対戦相手に俺と一緒に面接を受けた貴族と従者が混じっている。あの貴族は炎と風の二重だった筈だが、試合に選ばれるという事は実力者なんだろうか?
相手を分析しつつ彼等と向かい合えば、にやにやと嫌な笑みを浮かべて俺達を見下していた。
「光栄に思う事だな。この二重であるアルストロ・エルメロイと戦える事にな」
「ああ、はいはい。どうぞ好きにかかってきてください」
「貴様ぁ……おいお前達。奴らに私へ挑んだ事を後悔させてやるのだ!」
「お任せください!」
「無能が、楽には終らせんぞ!」
「うるせえ! お前達こそ後悔させてやるからな!」
犬歯をむき出しにするレウスを宥めつつ、試合開始のカウントダウンは始まった。
明らかに違う人数差に、俺達の組から動揺の声が聞こえてくるが気にすることは無い。気にするとしたら、暴走したエミリアが乱入してきそうな点くらいだ。
戦力差は二対五と確実に不利。
だが俺とレウスならば一足す一は何倍にもなる。
アホな貴族共にコンビの戦いってものを見せてやろう。
「それではこれより、カラリスとアイオーンにおける入替戦を開始する」
ヴィル先生は俺と相手を見やり、大きく息を吸って手を上げた。
「入替戦……始め!」