焔駆けつ(9/11)PDFで表示縦書き表示RDF


焔駆けつ
作:鏑木恵梨





 丘の上の我が館からすでに集落は見えなくなっていた。
 夕闇が荘を覆いつくし、冷たい夜が始まろうとしていたからだ。
「本末転倒だ」
 意思とは関わりなく口をついた、呟き。
 この館を去った者たちが集落でどうしているか。考えたくもなかった。考えることすらできなかった。
 三郎は子供にいい聞かせるように、私に説いてみせる。
「大嵐と思うがいい。所詮いっときのこと、去るときは早く、長くとどまることはない」
 私は無言のまま、なにも云い返せずにいた。
 すると、

 おおん、おおん。

 と、低い音が辺りに轟いた。
 なにも食していない腹まで響き渡る。不吉を感じ、私は思わず身をすくめた。
「聞きませい、出陣じゃい」
 自らの正しさを誇るように、鷲尾の三郎は大げさな身振りで声を大にした。
 三郎のことばは正しかった。
 一人、また一人。
 どこからか武者が現れる。
 対面の座に居た者たちもまた、弓を携え母屋から繰り出してくる。次々に馬を牽き、馬上の人となる。
 おそろしく手早く軍装が整えられる。そのさまを、私は呆然と眺めていた。
「庫の裏手にでも隠れていよ」
「隠れる」
「もう用済みだからな。姿を見せぬほうがよい。それに、ここからはなにがあっても手向かいいたすな。村人ひとりの犠牲が何十人に変わるぞ」
 三郎はそう言い捨てると、さっと身を翻し軍勢の元へ歩んでいった。
 三郎は振り返ることはなかった。
 私は、彼が武者どもの群れに交わってゆく様子を眺めていた。彼の姿が見えなくなってから、私は忠告どおり庫の裏手へ回った。
 夜の遠目でも彼らの姿はよく見えた。
 手にかざす松明の焔に照らされ、姿が幽鬼のように浮かび上がっていた。表情さえも明確に判別できる。
 ひとり九郎御曹司は焔を掲げていなかったが、彼もまた周りの灯りに照らされていた。
 その姿はこれまでとは別人であった。
 爛々と輝く眼。
 鷹の眼をしていた。獲物を眼のみで射抜く、酷いまでの眼光。
 ……狩りが始まる。
 私は突然いわれなき恐怖に慄き、背筋が凍った。まるで私が狩られるかのように、微動だに出来なくなった。
 眼を塞ぎたくなる衝動を抑え、ひたすら観察を続けた。
 そこに浮かぶ一群。それは、一様に悪鬼の表情であった。

「出陣!」
 九郎御曹司の声に応え、滑るように焔の列が動いた。
 坂を下る情景を私は見送っている。

 ……ようやく去ってくれるのだ。
 長く続く不作。そして飢饉という天祇地神の怒り。
 源氏という人々がもたらした、災厄。
 それもこの軍勢が去るいま、あとひと月を忍べば、春は確実にやって来る。
 そう、春は確実にやって来る。
 住吉社の米は、細く食えば夏までは耐えられる。新しき窯づくりと器づくりに取り掛かることもできる。
 苦しみのあとの春。それを謳歌する日を、私は夢想する。
 去り行く焔を見送りながら……。
 焔の軍列。それは私にとって、希望を出迎える儀式のようでもあった。

 だがその夢は次の瞬間、無残に打ち砕かれた。

 集落の闇に、焔が散った。
 その灯火はひとつ、ふたつ。ふたつがよっつ。
 確実に増えていった。
 そして大きくなっていった。
 私は三郎のことばを反芻した。
 ……なにがあっても手向かいいたすな。
 どうにも出来ない。手向かいなどできるはずがない。
 私は無力感に苛まれた。
 それでも……甕に水をくべると、集落へと駆けた。












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