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同じ墓標のもとに

作者: あきら

 まるで昼ごはんを聞いてくるかのごとく弟は気軽に聞いてきた。

「しんじゅうってどこでするもんなの?」

 構内には数えきれないほどの人が歩いていたけれど、誰もこの言葉に反応はなかった。

 心中。

 けして軽い単語ではないと思うのだけれども、だからこそ学生服をきた二人が気軽に言うとは思わなかったのか。

 まあ、どう考えても、他の人間の事など気にしていないだけなのだろうけど。私だって周りの誰かの言葉なんて脳みそに取り込んでいない。

「何となく、海のイメージ」

 彼は続けた。

「手を繋いで?」

「水しぶきのある崖の上で」

「それじゃあ犯人を追い詰めるみたい」

 私たち二人はそう言って鈍行に乗った。

 最初は満員だった列車も、一つ駅を超える度に人が減り、まばらになった。スカスカになった座席に私たちは人一人分空けて座った。

 しゃべることはもう無かった。

 もう、決めたのだから。

 夏の空はどこまでも青く、青く、青すぎて、辛かった。雲が白い塊となって浮かんではいるけれど、空の青さを棄損することは一切ない。完璧な青なのに、三時を回った今は何となくぼやけている。どう目を凝らしても青いのに。

 私たちの色は白黒だ。

 公立高校の制服など、丈夫さだけが取り柄で、デザインなど望むことがない。ただひたすら凡庸なだけで、でも、セーラー服だったのは幸いだった。白と、黒と、古臭い型。

 最後にふさわしい真っ当な格好だと思う。

 もし間違って、私の死体が海から引き上げられて、水を吸って膨らんだ、魚に食い荒らされた肉の塊になっていて、でもその時来ているのがこの服だったら……馬鹿には見えないと思う。誰かは悲劇の少女として妄想してくれる、そんなことがあるかもしれない。

 でも、やっぱり見つかりたくないな……二人だけで静かにしていたい。誰の視線も考えず、正しさを忘れて。ベッドの影でくっついてた時のように。

 あのベッドは部屋に形が合わず、微妙な空間を作り出していた。

 頑張ればカラーボックスくらい置けたと思う。でもどう考えても使いづらい。小学生の頃はそこにランドセルをはめ込んでいた。そうしておけば何となく部屋が片付いてるように見えたのだ。

 今はどうなっているのだろうか。昨日確かに私はあの部屋にいたはずなのに、ぼやけている。

「片付け何もしてこなかった」

 それは声に出てしまった。

 死ぬ時って身支度を整えてから行うんじゃないかと思いだしたのだ。

「誰のために?」

「まあ、私たちの荷物なんて誰も見ないね」

「兄ちゃんは片付けるかな」

「掃除とかしないでしょ、あの人は」

 四つ上の兄正樹はとか進学のためとか言いながら高校で家を出て、そして一度も帰ってきてはいない。私の知る限り手紙のたぐいも来ていないから、多分連絡する気がないんだと思う。

 真面目とは言いづらいけど、雑な質でも無いから、確信犯。

「荷物も置きっぱだしなあ」

「だったらなおさら、私たちの荷物になんて関わらないでしょ。ってかアレは置いていったんじゃなくて捨てていったのよ」

 妹と、弟と、家族と一緒に。要らないものは持っていくだけ無駄だ。

 身軽になった彼は今楽に暮らして居るだろう。

 それは私も一緒だ。

 捨てると決めたら嘘のようにすっと気が楽になった。列車に乗った瞬間、更に軽くなった。今ならもう一度やり直せるんじゃないかと思うほどに。でもそれは、帰りの列車に乗った瞬間に消えてしまう感情だ。

 鈍行は一駅ごと人を減らし進んでいく。そういえば駅の間隔もだいぶ広がって居た。

 やがて同じ車両に人が居なくなった後、悠斗が口を開いた。

「ねえ、まゆう」

「んー?」

「うちってあんまり良くない家だった気がする」

「……今更」

 いっそ暴力をふるってくれれば簡単だったのに。

 大きなアザでもあれば学校に泣きついた。それがダメなら警察。児童相談所は小学生じゃなくてもいけるのか、そもそも本人が行けるのかは分からないけれど、まあどこかは助けてくれた気がする。冷たい社会だの何だのいってもいたいけな女子高生の一人や二人、あるいは過去なら中学生か? まあとにかく何かが起きたと伝えられた。

「愛に溢れる家だったら私たちはここに居ないし、おにぃは家を出て行かなかったでしょ」

 暴力は無かったが愛もなかった。

 常に持たされたGPSに室内には盗聴器。ありとあらゆることで結果を出さなければ罵声を投げつけられ、大事にしていたノートは捨てられた。イラストが書かれているようなノートは学生にふさわしくないらしい。ミュシャの綺麗な表紙のノートだった。中学の入学祝いだった。何も恥ずかしくもない、と今だに思うけれど、母は気に入らなかったらしい。

 思い出せば出すほどに死への推進力が湧いてくる。

 友達と遊ぶのが禁止だった。休日も出かけられなかった。おかげでクラスでは浮いた。携帯もネットもテレビも大抵の物は禁止だったから、そもそも話し相手なんて居なかったんだけど。

 随分と優しくやる気のないクラスメイト達は特段いじめをして来ることもなく、ただただ私と接する機会を作らなかった。彼らは悪く無い。班行動を支持されれば協力的だった。

 本当に、もっとわかりやすく不幸になりたかったものだ。

 あるいは私は、私達は不幸ではなかったのか。

 五体満足で、生き延びてて、学校にも通えて、幸福と感じられない精神状態が貧しいだけなのか。わがままな性格だけだとしたら、本当に今私の中で当たられている人にはいい迷惑だろう。

 だからそれは表に出さない方が良い。間違っていたら私の愚かさを表明するだけになってしまうから。

 わかっていても言いたいことはあった。

「ばっかみたい。人間関係狭めたら、その分深くなるだけなのに」

「俺、兄ちゃん好きだったよ」

「……私は?」

「いや、まあ、まゆうはここに居るから」

「ふーん」

 悠斗は私が最も接する時間の多い人間であった。それは悠斗からしてもそうだろう。

「私たちは一緒に居るからこうなのかなあ」

 狭い人間関係しか作れなかった姉弟が親という共通の敵を手に依存しあっている。多分。理論的に考えれば。そして正しい。

 お互いの性格を認め合ってとかそんな立派な関係でもない。運命に導かれたわけでもない。

 なんともつまらない関係なのだ。

 そのつまらない関係をこじらせた結果、今私達は列車に乗っている。鈍行でしか行けない遠くの海に向かって、死ぬために。

「……つまらないなあ」

「え? ヤメるの?」

「まさか」

 残念なことに私はこのつまらない関係をこじらせている。手を離すことにあまりに強い苦痛を持っているのだ。

 それに、多分彼は言葉の意味を別にとっている。多重に意味を含んだ言葉を、全く関係ない意味でとっている。

「そうじゃない。弟が姉より兄が好きだから。負けるのは嫌」

「じゃあまゆうは兄ちゃん好きだった?」

「さあ? どうだろ」

「兄と弟で比べられる方がつまらない。絶対勝てないし」

「弟の方が可愛いじゃん」

「可愛くていいことあるの?」

「女装が似合うと思う」

「そこまで……?」

「いや、たぶんあんたでも似合わない」

「はあ? だったら良いとこ無しじゃん」

「残念だったねえ」

「くそっ」

 軽口は楽しかった。思えば今日家を出てから初めて笑った。

 この子が死ぬのは惜しいなと、思った。

 自分が死ぬのは解放を感じて気持ちが軽くなる。一緒に死ねるのは寂しくなくて、幸せで。けれども弟が死ぬのは悲しかった。冷たくなって魚に食われる姿が頭に浮かんでは必死で消す。

 でも一人だけなのは辛い。

 我儘なのか、決意が足りないのだろうか。一番は独占欲だと思うし、ほんとに面倒くさい姉だから、このまま生き続けていたら絶対迷惑がかかる。そもそも心中することが一番の迷惑だ。どうしても辛いのか。

 喋らないでいた間は止まっていた感情が、吹き出す。

 悲しくて涙が出る。

 これから私は息の詰まる環境を捨てれるのに。独占欲で縛り付けている共依存の相手を道連れにできるのに。悲しいし、寂しいし、怖い。

「……赤の他人なんて、死ぬ三時間も前にサインとはんこをすればおんなじ墓なんだよ」

 泣いてるのが少しでもバレないように、逸らしていた顔を弟に向けた。

 彼は無表情だった。

 怖い。

 止めると言われるのが。一人になるのが。寂しい。

「それに比べて”きょうだい”と来たら、誰かが家を出たら終わり。生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで一緒に居ないとおんなじ墓には入れない」

 そう考えればそうかもしれないけれど、随分と穴のある考えだ。

「別に離婚して戻ってきてもいいじゃない?」

 ティッシュなどといった気の利いた物はもってなかったので手の甲で涙は拭きとった。若干鼻水が出てきたのは無視をした。

「夢がないなあ、まゆうは」

「じゃあ二人で死ねばその場でおんなじ墓」

 それは今私たちがやろうとしている事であった。

 そうであって欲しいと説得している。

「やっぱりロマンがない。女子だから? それともまゆうだから?」

「良いじゃない、ずっと一緒で。夢溢れてる」

 冷静になるために制服の袖で鼻をこすった。

 これから何を言われても良いように、いつでも反論の準備をし無くてはならない。

「俺さあすっごいやり残したことあるの。どうせ死ぬから言っても良い?」

「……聞いてあげる・・・

「じゃあちょっと耳貸して、ナイショ話だから」

 外は見事な山の誰もいない車両でこれ以上コソコソする意義があるのか分からないが、断る理由もないので大人しく体を傾けた。

「絶対バカにすんなよ」

「いいから早く言って」

 何を言われるかこっちは気が気じゃないのだ。

 やめたいだけはやめて欲しい。

『あーあのな、絶対文句言うなよ』

「苛立つから早くして」

 何度もこすった鼻はそろそろ熱を持ち始めている。鏡で見たら真っ赤になっていそうだ。


『……真由とsexし忘れた』


 少し早口な内緒話に、なんと答えて良いのかわからなかった。考えたことなかったわけじゃなかったけど実行には移さなかった。と、言うかタイミングがない。

「良いだろ! 俺やったこと無く死ぬのかーとか、別に死ぬなら避妊?みたいな事しなくても良いなあとか」

「道連れの数が増える」

「それはそうなんだけどーさああー。やっぱりまゆうは女子だよ。この気持ちがわからない。俺さああー……」

「何よ」

「やめてもいっかなーと思ってるんだけど。ってかまゆうがやめないと意味が無いんだけど」

「えっ」

 あまりに流れで、先ほどのような溜めも無かった為に心の準備が足りなかった。心臓が跳びはねる、と言う感触も程々に頭のなかで反論の言葉が渦巻く。どれも理論が足りない。

 そうしている間にも彼は言葉をやはり早口で告げていった。

「俺高二じゃん? 兄ちゃん出て行ったの高校入る時だったなとか、後三年もすれば出ていけるし、えっと四年?で、成人だし、後二年で結婚できるし。そしたらもう家とか関係ないよなあって」

「だから、止めるの? やめて我慢して真っ当に生きるの? あんたがそうしたいならそうすればいいじゃない。私は嫌よ」

「まゆうがやめないならやめないってば。一緒じゃないと困る。でも、」

「私はやめない」

 もうほんとに脊髄反射だった。とにかく二人で海に沈みたかった。一人はやだった。

「……でも、後ちょっと我慢して一緒に暮らしたい。っていうかエロいこととかしてみたい。二人暮らしなら一緒に寝てても良いんだよな―とかおもったら楽しそうで」

 そこで彼は呼吸を止めた。

「一緒に死ぬのやめて一緒にお墓に入ろう」

「……捨てられる未来が見えるからヤダ」

「ロマンが足りない。大丈夫だって。むしろまゆうの方が捨ててくるだろ。兄ちゃん! ”きょうだい”がいいならまゆうには兄ちゃんも居るし」

「いや、私の兄はあんたの兄でもあるし」

「でも兄ちゃんとは寝たくない」

「私だってやだよ。なんかキモい。関わりたくない」

「えじゃあ俺は」

「それは……まあ弟は可愛いし……良いのかな。ってか”きょうだい”だけじゃないでしょ」

 だから一緒に家を出た。

 死にたいという気持ちを共有して、互いに独占欲を持っていたと思ってた。

「やっぱり今日はやめよう。大丈夫だ」

「なんでそうなるのよ。帰るなら一人で帰りなさいよ」

「絶対大丈夫だって。後二年で結婚できないけど出来る年齢だし」

「私はもうできる年齢だから」

「それはそうなんだけど。もう、まゆう泣いてないじゃん」

「……元々泣いてない」

 認めるのは敗北感を感じて出来なかった。感傷的になってたのが自分だというのが苛立たしい。自分は真剣だったのに、弟はのんきな事を考えていた。気持ちの差を感じて、また精神が沈みかける。

 やっぱり死にたい。

 そして一人で行かないといけないのかもしれない。

「あ、海」

 その声に素直に反応できなくて、外を見れなかった。目の前にあるのは山肌。多分後ろを見れば海がある。

「まゆう、ほらこっち」

 悠斗の手が無理やり体の向きを変えさせた。

 窓の真っ青な空の下で白く光る海があった。

 山の間を抜けていたはずなのに、水面が近い。思っていた海より随分と違う、底抜けた穏やかさ。落ちる時に岩に当たったらぐちゃぐちゃになるな、と思っていたが、ぶつかる所が無い。

 水ぶくれの水死体は可能そうだったけれど、そしたら水面で浮き輪のように浮く未来が見えた。やはり少ししまらない。

 そして背中には温かい体温があった。

「なんで”きょうだい”なのにあんたは自分勝手に育たなかったんだろう」

「なんでだろ? 姉がかまってくれたから、かな。自分勝手にしたらまゆうにも構ってもらえなくなるし。兄ちゃんみたいにまゆうにまで置いて行かれたら、それは困る」

「いや否定しなよ」

 真面目な顔をして説明されると困る。なんと返事をして良いのか。

 弟をあの家に置いていって行くことは妄想の中でならいくらでも繰り返したが、自分だけで行動するには覚悟が足りない。どうせそんな、姉だから。

「絶対最期まで一緒ならやめても良い」

 今は、一人で沈む勇気がない。ずっと二人で、いたい。

 この手を取れる限り取り続けていたい。他に渡したくない。一人じゃないなら、感情を共有できるなら、だらだらと逃げつ助けられる気がした。

「離婚は無しで、一緒のお墓になろう」

「嫌になったら今度こそ海だから。一人でも行くから」

「一緒だから大丈夫だって」

 彼は本当に気軽な言葉で言った。

 だから多分本気なのだろうと思った。

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