チェンジ!!
「あの...和久寺滋さんっ」
突然背後から声をかけられて、足を止める。ゆっくりと振り返るとそこには見ず知らずな男が突っ立っていた。とても思いつめたような、それでいて真っ赤な顔をして。
「...何?」
はぁ。またかよ...今月これで何人目だ?4月に中学へ入学してからというもの、後を断たない「呼び止め」に正直ウンザリしてる。
挙句の果てに「あの」とか「その」とか男らしくない態度で言いたいことも言えない輩が、俺のこれからの予定を多少なりとも狂わせることになると思うと腹が立つ。
「何だよ。俺に何か用があるならはっきり言え。」
―――驚いて見開かれた眼。そして次にはキョロキョロと辺りを見回す。ここは学校の校庭の端にあるクラブハウスへと繋がってる通路。今はもう部活の時間が始まってるから、誰もここを通らない。ほかに誰もいないことを確認してから声をかけてきたはずの奴は、それでも突然目の前で起こったことを現実と把握できずにうろたえている。
「だから、何か俺に用かって聞いてるんだよ。」
はいはい。今しゃべってるのは俺。あんたの目の前にいる俺なんですよ?そんなにキョロキョロしない。
「あの...いえ。何も...」
奴はそう言って呆然と立ち尽くしていた。俺はそれに構わず奴に背を向けてすり抜けてスタスタと歩き始めた。
俺は小さい歩幅ながらかなり歩くのが早いと言われる。武道をたしなむ者があまりノロノロと歩くのも見た目がふがいなさ過ぎるだろ?
まぁ、俺の周りには同じ身長の女子がウヨウヨしてるから。その子らと比べると「歩くのが早い」というだけであって、部活の仲間の間に入るとそれはごく自然なことになる。
「あ。滋...お、遅かったんだね。」
部室の前でまるで鍵を無くして家に入れなくなった子供のようにウロウロしてる男が、少しどもりながら俺に声をかけてきた。
「お前、部室の鍵持ってないのか?しょーがねぇな。ホラ。」
チャリっと言ってキーホルダーにくっついた鍵が宙を舞う。男は「あぁ...!」とか情けない声を上げながらそれを危なげにキャッチした。
「滋...中学生にもなってまだその言葉使いなの?ダメだよ?仮にも滋は...女の子なんだし...」
きっとコイツはまた俺が怒ると思ったんだろうな。「女の子」と言う前に本当に少しだけど間があった。
―――そう。俺の名前は和久寺滋。性別で言えばれっきとした「女」だ。
だが、それがどうした?
黒い髪は腰の位置まで伸ばしてあるが。ついでに制服もこんなピラピラしたミニスカートよりズボン(最近の公立ではスカートとズボンを選べるところもある)がよかったが。それらは全て母親が泣いて頼んできたから仕方なく、のことだ。この外見を除けば、俺はれっきとした「男」であると自負できる。
まぁ、中学校ともなると体格の差が出てきてどうしても男に紛れて乱取りなんか出来なくなるが。それでもそこいらの貧弱な男よりもずっと強いぞ。
「想。お前はまだそんなこと言ってるのか?しょうがねぇだろうが...こればっかりは生まれもった気質があってだな。」
小さい頃からよく一緒に遊んだ幼馴染の英田想。こいつは立派に男として生まれついたくせに、軟弱極まりない。争いを好まず格闘技をするなんてもってのほかだ。
いつも静かに読書をたしなみ、その容姿は驚くほど整っている。世間で騒がれているジャニーズとかいうヤツラよりもよほど。
「滋...」
背後からため息の音。
「ダメだよ?滋は女の子なのには変わりないんだから。いつまでも男の中で柔道なんてやるもんじゃないよ。」
俺は知っている。読書が好きなコイツが文学部とかに入らずに柔道部のマネージャーをしているのは、俺が柔道を続けると言ったからだ。父も母も「中学へ上がる前までなら」と渋々許してくれていたが、中学に入ってもまだ続けると言った俺に顔を真っ青にして怒った。
「だって、女子の部が無いんだから。仕方ねぇだろ。」
バサっと制服の上着を脱ぎ捨てる。想は恥ずかしそうに視線を横へ反らした。
コイツの目の前で着替えることなんて、今更恥ずかしいとは思わない。だが、相手はそうではないらしい。年頃の恥じらい、というものらしいが。俺にはそんなの理解出来ない。
―――なんで女だからって、柔道をしたらダメなんだ?
―――なんで女だからって、自分のこと「俺」って言ったらダメなんだ?
小学校の頃はまだよかったが、中学に入ると同時に向けられる好奇心の目。さすがに時々イヤな気分になるときがあるけど、でもこれが俺なんだから。
なんで、俺は女なんだろうか?昔テレビで見たことがある「性同一障害」って奴なんじゃないか?
なんで、想は男に生まれたんだろう?物腰はやわらかで穏やかな気質。まるで女じゃないか。できることなら中身を入れ替わってもらいたい。そうしたら俺は部活の仲間の中で思う存分稽古に励める。大会にも出ることができるのに。
「僕と滋の中身が入れ替わって生まれてればよかったのにね...」
ポツン、と。淋しそうにつぶやく声。
想は、俺の気持ちをよく理解してくれてると思う。小さい頃から一緒にいたんだから当たり前のことかもしれないけど。俺にとっては唯一とも言える心安らぐ存在だ。
「そうだよなー。今でも遅くないから、ある日突然目が覚めたら中身が入れ替わってたなんてこと、無いかな?」
ははは、と笑う。笑うしかない。そんなこと、あり得ないんだからな。
翌朝になって。俺は見慣れた部屋をグルっと一周見回した。
いや、見慣れてるんだが...ここは俺がいつも目覚めている場所ではない。
俺の部屋は「せめて部屋くらいは女の子らしく」と母親が勝手に飾り立てたピンク系で統一された内装だ。
カーテンなんか淡いピンクにこれでもかってくらい花柄がプリントされてる。
だが、ここは...
壁はシンプルなオフホワイト。天井はそれよりも少し暗めの色になっている。カーテンは薄い青で無地。机の上はきちっと明日の用意がされてるんだなと思わせる学校指定のカバンが置かれてある。
―――ここは、どこだ?いや、知ってるんだけど。俺はなんでこんなところで寝てるんだ?
それに、ここの部屋の主は一体どこにいるんだ?まさかベットで一緒に寝てるなんてことはないだろう。シングルベットで二人寝ようとするとどうしても「気を付け」の姿勢になってしまう。そうしても腕やら肩やらが触れ合ってしまうくらい狭いんだから。
「想ー!早く降りてらっしゃい!滋ちゃんがお迎えにきてくてるのよ!」
女性の声に思わずビクっと肩を揺らしてしまう。この声は―――おばさん?
あぁ、おばさんっていうのは想のお母さんのことで。俺にとってはもうひとりのお母さんのような存在。
やっぱりここは想の部屋、そして想の家なんだ...!でも、どうして?!
一体何がどうなってるのかさっぱりわからない。それに、「滋ちゃんがお迎えにきてくれてる」とか言ってなかったか?俺はここにいるのに...
とりあえずノロノロとベットから立ち上がる。クローゼットの横には全身映る大きな鏡がある。そこに映った人物を見て俺は絶句した。
―――ちょっと待て?今ベットから立ち上がったのは俺、だよな?そして、この鏡の前に立ってるのも俺...
なのに、なんでそこに映ってるのは想なんだ?!
「想ー!いいかげんにしなさい!」
ちょっと怒気の篭もったおばさんの声。と、とりあえず現状を把握しないと...そんなことを考えながら、俺はフラフラと部屋を出て階段を降りた。階段を降りきると目の前は玄関になっている。俺はそこに立っていた人物の姿を見てまたしても絶句してしまった。
「...俺?」
玄関にいたのは、紛れもなく俺だった。しかし、いつも母親の目が届かなくなると着崩している制服はキチっとされていて、髪の毛にはリボンなんかもついている。毎朝母親が性懲りもなく「おリボンつけてあげるわよ」と迫ってくるのをかわして学校へ行くのに―――
「...想、くん。おはよう。」
ぎこちなく、「俺」である人はそう言った。笑顔とはいえない硬い表情で。
「おはよ...って。え?お前、その格好...」
俺にはもう目の前の「俺」が誰なのかはっきりとわかっていた。短い挨拶だが、その言い方からは幼い頃から一緒にいた人物だと断言できる。
「ほら!想!滋ちゃんがせっかく朝から綺麗にしてこうやってお迎えにきてくれてるのに!」
おばさんは俺の頭の髪の毛を撫でつけた。多分寝癖がついてるんだと思う。
「と、とりあえず着替えてこなきゃ...そんで、一緒に学校行こう?」
顔を少し斜めにしてそう言う「俺」はどこから見ても立派な女の子だった。
「...どうなってんだ?」
まだ学校が始まるまで少し時間がある。近くの公園のベンチで2人肩を並べて座ると、俺は頭を抱え込んだ。
これは、理解の範疇を超えてしまっている。こんなことが起こってなるものか―――
「僕だって、目が覚めたときはビックリしたよ...まさか、って。」
普段は男言葉を発しているやや高めの「俺」の声は、ゆっくりとした口調でそうのたまった。「俺」なのに、「俺」じゃないみたいだ。
「ちょっと確かめたいんだが...お前は、想だよな?そして、俺は滋...」
最近声変わりが始まったが、まだまだ高めの声でそう確認するように言うと、「俺」はゆっくりと頷いた。
「そう。僕は今滋の身体の中にいるんだ。そして、滋は僕の身体の中にいる...」
―――つまりは、「入れ替わった」ということだ。
「え、えぇぇえ?!」
また頭が混乱してくる。つまり俺は想で、想は俺。で、どうなるんだ?!
「とりあえず、今日はこのままいつも通りに登校するしかないよ。」
ベンチから立ち上がる想(外見は俺だけど)は案外落ち着いてる様子で、それにさらにびっくりする。
お前、なんでそんなに冷静なんだ?!口をパクパクさせてると、想は平然と言った。
「だって、学校さぼるわけにはいかないでしょう?ほら、滋も立って?」
また首を少し傾げてそう言う想(しつこいようだが外見は俺)。
手には学校指定のカバンと、柔道着。あ、忘れずに持ってきてくれたんだな。これがないと放課後部活に行けないから。
―――って、想が代わりに部活に出るのか?運動音痴な想が?!いくら身体は「俺」だからって、いきなり柔道なんかできるはずがない。
「とにかく、こんなこと言っても誰にも信用してもらえないだろうし。2人で今後のことを考えなくちゃね。」
そう言いながら、もう足は学校へと向かって歩き出している想に俺は慌ててついていった。
不思議な光景だ。いつも想が俺の後ろを歩くんだけど、実際その「場所」から「俺」の姿を見たことはない。
身長はほぼ「想」と同じだが、「俺」は自分が思っていたよりもずっと華奢な身体をしていた。
歩くたびにゆらゆらと左右に揺れる黒髪は、朝の日の光りが反射してとても綺麗だと思う。昨日まではしっかりと自分の身体であったそれをこうして観察することになるなんて―――本当に不思議だ。
それに対して。実際「想」の身体になってみて初めて気付いたこともあった。
朝着替えるときにTシャツを脱いでみると、細いわりに鍛え甲斐のありそうな身体が鏡に映っていた。細いことには変わりないが、元はよさそうだから、鍛えたらそこそこいい線いくんじゃないかと思う。ラグビーとか柔道みたいな運動じゃなくて、バレーとかバスケが似合いそうな体型だ。
「おはよう!」
後ろから声をかけられ思わずそれに応えようとしたが、想は素早くそれを制した。
「おはよう、紀子。」
ふわっと、笑顔でそう答えたのは「俺」である想。紀子とはクラスが同じ女子。小学校も一緒だったし、気が許せる女友達だ。
「...どうしたの?なんか変よ?いつもなら「オッス」とか言うくせに。」
紀子は大きくくりくりした目をパチパチと瞬きさせた。
「そ、そうか?いつもと同じだけどな...」
俺はフォローを入れようとしたが、紀子はさらに目を大きくして驚いた。
「びっくり...想くんもなんだかいつもと違うー。」
しまった...「想」らしくするには「そうかな?いつもと同じだと思うよ?」とゆっくりとした口調で言うべきだった!
俺と一緒の小学校だったということは、想のことも良く知っているということだ。想ならこういうときにこっと優しく微笑んで「おはよう」と言う。まさしく、さっき「俺」の体で想がそうしたように。
紀子は不思議そうに首を傾げながらも、上履きに履き替えてる途中に他のクラスメイトを見つけ「おはよう」と声をかけた。
昔、こういうのをドラマで見たことがある。
街角で偶然ぶつかった2人。そしてその瞬間に稲妻がピカっと落ちるんだ。
気がついたら、2人の中身は入れ替わっていて―――そして、最後にはどうなるんだっけか?
授業中、そんなことを考えいたら数学教師に指名されてしまった。
「英田、どうした?お前ならこんなの解けるだろう?」
中学に入ったばかりとはいえ、小学校の授業とは全く違う。俺はいつも上の空で授業を受けていたから、こんな問題解けるはずもない。
「えぇっと...」
チラっと隣の席に目をやる。隣の席には想が座っている。ノートの端っこに答えを書いてくれてそれをスっと見えやすい位置へもってきてくれる。
「さ、3です。」
「座ってよし。」
数学教師にそう言われ、ホッと胸を撫で下ろして着席する。
昨日までは、まったく逆だったのだ。俺が席を立ってしどろもどろしてると、想がノートの端っこに答えを書いてそれを見せてくれる―――
「サンキュー。助かった。」
小声でそう言うと、想はニッコリと微笑んだ。俺って、ああいう顔をして笑えるんだな。新たな発見だった。
放課後になって誰もいない場所へと移動した俺たちは今後どうするかを話し合った。
「入れ替わった原因がわからないんだから。元に戻る方法もわからないよね。」
想はうーんと唸った。俺はそれ以上に唸っている。
「そう、だよなぁ...」
昨夜はいつも通り自分の部屋で自分のベットへと入った。なのに、目が覚めると想と俺は中身が入れ替わっていた。
「...僕、考えたんだけどさ。」
「なに?」
俺より頭がいい想のことだ。何かいい「解決策」が思い浮かんだのだと期待していた。
「別にさ、このままでも差し支えないよね?だって、滋はいつも僕と入れ替わりたい、って言ってたじゃないか。」
―――突然何を言い出すんだ?もしかして中身が入れ替わって頭までおかしくなってしまったんじゃないのか?!
おいおい、お前このあいだまでこの身体で男として生きてきたんだろうが?!もしこのまま「俺」の体の中で女として生きていくのなら...いや待てよ?!俺の身体で誰か知らない男と付き合ったり、結婚したりするのか?!俺の身体なんだぞ?!
それに、俺の今入ってるこの「身体」は昨日まで想のものだったのに...そんなに簡単に手放せるものなのか?!まるで洋服のように...
そりゃ、俺はいいよ?ずっと男に生まれてればって思ってたし。想のこの身体だってこれからが成長期。身長が伸びて筋肉もついて、俺が望んでいたように柔道が思い切りできる。だけど、それでもかつて「俺」だった体に何の執着も無いわけじゃない。
「ちょっと待てよ...お前、それでいいのか?今まで男として生きてきたのに、突然女になれるのか?!」
そうだよ。俺は別にいいぞ?でも、お前は別に女になりたかったとか、そういうわけじゃないだろう?
「僕、滋が僕と入れ替わりたいって言うたびに思ってた。もしそれを叶えさせてやれるならどんなにいいだろうか、って。僕はこの通りひ弱な性格だし、男として滋を守ってやるなんて言えないくらいだったし。女に生まれてれば、って。考えたことは何度もあるよ。」
それは、初めて聞かされる想の本音だった。
「それに...なんだか不思議なんだ。滋の身体になってみて、最初はすごく驚いたけど...なんだか、元からこの身体が自分のものだったんじゃないかと思えるくらいしっくりくるんだ。」
想は立ち上がってくるっと一回転してみせた。ふわっと制服のスカートが宙に舞う。
「別に女装とかしたかったわけじゃないよ?でも、もし滋と入れ替わったらこうやって綺麗に制服を着て...滋を女の子らしくしてやれるのにって思ってた。」
確かに。今目の前にいる「俺」は、中身が想になったことによってとてつもなく女の子らしくなったと思う。けっこう、かわいかったんだとさえ思えてしまう。
「滋は?そういうこと考えたことなかった?」
聞き返され、どう答えていいものか迷った。
俺は、ずっと想と入れ替わりたかった。だって、想は男なのにいつも物静かで。男の子らしいことには全然興味がない様子で、いつも俺の傍でニコニコしてた。たまにクラスの男子から「男女」とからかわれて、俺はすごく腹が立った。もし俺が想になったら、こんなやつら投げ飛ばしてやるのに。
「...考えてたよ。ずっと。」
そうだ。俺は考えてた。もし想になれたら、俺は誰よりも強くなってやるって。誰からも「男女」とからかわれることのない、男らしい男になってやるって。
「だったら、元に戻る方法なんて別に見つからなくてもいいよ。」
にっこりと微笑む想。いや、もう「滋」なのかな。
春の陽気もすっかり消えて初夏へと移り変わっている季節。
なんの因果か、はたまた奇蹟か。とにかく俺は「男」になり、想は「女」になってしまった。
これから一体どんなことが起こるのか想像もつかないけど。想改め滋が傍にいてくれるならなんとか乗り切れるんじゃないかなと早くも楽観的になりつつある俺・「想」は、不安などは微塵もなくなっていた。