フロム・ザ・バレル。
いや、
一口含むその前に、濃厚かつ刺激的な芳香に揺さぶられた。
フロム・ザ・バレル。
無骨なニッカのウイスキーを仕事帰りのスーパーで手に取る。
刺激がほしい。
停滞する心と沈みゆく肉体を鼓舞し、叩きつけて、魂を燃え上がらせるような刺激が。十二時間を優に超える労務からの開放感とその翌日に広がる休日への浮ついた心が、俺に一本のウイスキーを握らせた。
アサヒ フロムザバレル 2,462
2×58
BPおふろ洗剤つめかえ用 116
TVカビ取り洗剤本体 178
香料無添加ファブリーズ本 408
合計 \3,164
深夜3時の男は数センチ四方の感熱紙に転写された。
虚飾を排したい。
なぜか、そう、理由もなくこの一文が打ち込まれる。仕方なしに、けれども当然のように、卓上のウイスキーを煽る。湯飲み茶碗の底に揺れる琥珀の液体に舌が痺れる。
度数は五十超、ああ、口の内の細胞たちが一斉に悲鳴を上げる。これは毒である。暴力的ですらある液体は舌の表面を焦がし、歯の裏の肉を焼き、さらに熱を帯び、口蓋を痺れさせる。恐らく何千、何万という細胞の生が奪われた、それが故の快感に、文字通り酔いしれる。
いや違う。
書くために書いてはいけない。
表現のために表現してはいけない。
もう一度、フロムザバレルを煽る。華やかな香り。鼻の奥深く、胸の少し手前辺りが甘酸っぱくざわめく。甘さと揮発性に富んだ刺激は、脳髄の3分の2くらい表側の部分を焦らすように、焦がすように優しく激しく撫でつけ、魂の髄を揺さぶる。
では、一体何が書きたいのか?
鼻から抜け去った香りは戻らない。
突如として茫漠とした不安が襲い掛かるが、今日は違う。のそりと心の襞の裏側から姿をあらわす黒き靄を払うために求めた武器を、この琥珀を湛えた液体を、茶碗へと注ぎ込む。
カキン、
コポッコポッコポッ。
ガラス容器と茶碗が衝突した後、液体を注ぐ小気味よい連続音が鼓膜を揺らす。知らぬ間に目を細め目尻を下げる自分がいることに気づく。
第2ラウンド。
麦茶のような濃いブラウンの水面がパソコンに文字を打ち込む度にゆらゆらと揺れる。反射した蛍光灯の光ごと少し口に含み、その芳香を鼻腔の奥へと送り込む。静かに目を閉じる。靄にかげる内なる道に仄かな明かりが灯される。
月曜の午前5時、そのウイスキーのラベルを開けた。夜勤従事者にとっての、アフター5。間もなく子供たちが起きる。時間割の一週間が始まりを告げる時刻に、俺は2462円の魂を開封した。背中の窓越しにはスズメのたち鳴き声。いや、俺には聞こえない。聞こえはしない。
矛盾を恐れてはいけない。
自らの来し方、その意味すら分からぬはずなのに。胸の内側に疼く傷は、この世のすべてが理路整然としている訳ではないことの証しのはずだ。ああ、ああ、多くを口に含みすぎたが故に火の玉を飲み込んだかのような熱量が気道と食道を激しく焦がす。むせ返り涙目になりながらも、51.4度をしっかりと身体の底に収める。
そして、始まりの終わりの朝が来てしまった。
俺の一日の、
至高の
思考のひと時の、残り香の余韻は
ドアが開かれ勢いよく出発を宣言する幼き声に、掻き消された。
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フロム・ザ・バレル
お読みいただき、ありがとうございます。
写真を追加いたしました。光の当て方を変えて、最もうまそうに輝く瞬間を収めました。そのあと、お腹にも収めました。執筆はほぼリアルタイムで、脱稿は「いってきます!」の声の数分後でした。昼過ぎに起き、軽い二日酔いを心地よく感じながら写真を投稿し、後書きを執筆いたしました。
パン大好き