第7話
そしてあっという間に夕方。歩き疲れたので、バルで一休み。ここでもさっきと同じく軽く1杯。
「サングリア。グラス2つ。」
「パタータス・フリータス(フライドポテト)。」
「チャンピニョン・ア・ラ・プランチャ(マッシュルームの鉄板焼き)。」
サングリアがピッチャーに入って、グラスと一緒にカウンターに出てくると、グラスについで、乾杯!
「おいしい〜!」
「スペインのワインはいいよね。これで格安なんだもんね。」
「うん。お得だよね。日本で買うといくらくらいなのかな……。」
「それでも他の国で同レベルのものよりは、きっと安いよね。」
「ちまちま作っちゃダメだよね。大きなボトルにいっぱい作った方がおいしいだろうね。」
「うん。こういう安いもので作るときって、なぜかまとめて作った方がおいしいんだよね。ご飯炊や鍋だって、1人分よりも、3人分くらいの方がいいんだよね。」
「光熱費や調味料が節約できる。」
「そうそう。って、だいぶ1人暮らしが板についてきたわね、梨維菜。」
「まぁ、もうすぐ1人暮らし歴2年だからね。」
こう見えて、大学を卒業してからは、同じ東京都内なのに、会社が実家から離れているので、会社から電車で20分くらいのマンションで1人暮らしをしている。実家から会社まで、電車でも1時間近くは軽くかかってしまう。
1人暮らしは何かと物入りなもので、その費用やこうした旅行のお金を捻出するためには、ある程度の生活レベルを保ちながらも、細かいところでは節約が必要。
「あ、おじちゃん、アホ・ソパ(ニンニクスープ)とサルピコン(挽肉、卵、タマネギやアンチョビを入れたパイ)〜!」
「食べっぷりいいねぇ。」
おじさんはご機嫌のホクホク顔でスープとパイを出してくれた。
「おじちゃんおいしい。」
真琴、その言い方だと、おじさんを食べて、それがおいしいみたいだよ?
「サングリアもいいよね、ここ。」
ここのサングリアは、他のお店とは違って、砂糖の甘味ではなく、一緒に入れてあるレモンやオレンジの甘味の方が強くて、これもまた美味。
「サングリア美味。」
ふむ。日本に帰ったときには、砂糖よりも柑橘類を多めに入れて作ってみよう。冬だったら、日本のみかんでもできるかな……? 「みかん、静岡のおじさんから送ってきてくれないかな?」と淡い期待をしてみる。
そうこうしてる間にあっという間に日が暮れた。私たちはバルのおじさんに別れを告げて、また夜の街へ。
時間は午後6時。そろそろ街中から、ファジャが、私たちが泊まっているオスタルの向かいにある市役所広場へ集められてくる時間。
「じゃぁ、オスタルに戻って休んで、夜中にフィナーレを見ようか?」
朝から飲んで食べて歩き回って、脚もお腹も「お休みをちょうだい。」と切実に訴えているような気がしたので真琴に提案。
「そうだね。これ以上歩き回ると、バルに入ってまた食べて飲むから、お金がね……。」
そっちの心配!? 体は大丈夫なの? 脚とか悲鳴上げてない?
……まぁいいや。ツッコミはやめておこう。
で、いつの間にか来ていた駅の南の方から、オスタルのある市役所方面へ歩いて20分。人が多いから、普通に歩くときの2倍時間がかかる。
部屋に戻ると、3月とは言えどもまだ冷たい夜風に当たってすっかり酔いは抜け、完全にシラフ。さっきまで酔っ払いだった真琴も、いつものクールな彼女に戻った。
「さて、シャワー浴びてくるね。」
「行ってらっしゃいな。」
タオルと洗面用具を持ってバスルームに立つと、まずお化粧を落として、シャワーのお湯を勢いよく浴びる。バスルームいっぱいに湯気が白く立ち込めて、冷えた体も温まってきた。
髪を洗うと、グレープフルーツとラズベリーの何とも言えない、甘酸っぱくていい香りが、バスルームに漂った。
「お先に。」
バスルームを出ると、真琴はコットンで化粧を落としていた。化粧落として、すっぴんになっても真琴って美人だなぁ。
「だいぶファジャが集まってきたわよ。」
真琴に言われて窓から広場を見下ろすと、もうかなりの数のファジャが集められている。昨日見た日本の武将のファジャも、フラメンコダンサーのファジャもある。
「ここまできれいに作ったのに、優秀作品以外は、あと3時間で燃やされちゃうんだね。」
「そうかー。これもあと3時間か。」
苦労して作った分、燃やしてもそれはそれできれいなんだろうけど、何かもったいないなぁ。
「んじゃ、私もシャワー浴びてくるわ。」
「うん、行っておいで。」
真琴がバスルームに消えると、化粧水と乳液、美容液と保湿クリーム、洗い流さないですむタイプのトリートメントとブラシにドライヤー。バッグから出る出る。化粧水や乳液は小さいボトルに移し変えているとは言っても、この他にもいろいろ入っているんだから、女の旅行バッグが重くて大きいわけよね。
スキンケアを終えたら、トリートメントをつけながら、髪のウェーブをくずさないようにツイストしてドライヤーの風を当てて、乾かしていく。案外、これが手間のかかる作業で、この髪型にしたことをたまに後悔することもある。
いい感じに髪が乾くころには、真琴が髪をふきながらバスルームから出てきた。
「おかえり。」
「ただいま。」
あと2時間と少しでこの火祭りもおしまい。明日の昼すぎには、日本へ帰る飛行機に乗らなくてはならない。
「荷造り、しておかなきゃね。」
「うん。明日はジーンズとセーターと、ジャケットでいいかな。」
テレビの天気予報を見ながら、何を言ってるのかよくわからないけど、地図に出ている太陽のマークと14という赤い数字を見る限り、それほど寒くはなさそう。
「日本に着くときの時間も考えておかなくちゃね。着くのは夕方前だから、少し寒いと思うよ?」
そうかー。日本まで17時間。時差は8時間。日本に着くのが午後3時だから、こっちにいる間はちょっと暑いけど、長袖のシャツはセーターの下に着ておかないといけないかな。家に帰るのはもっと遅くなるだろうし。
「あと必要なのは、細かい化粧品と、傘と、お金とパスポートにTFSC、飛行機のチケット、ハンカチとティッシュ。」
こんなもんかな。
「楽しかったね、火祭り。」
ちょっとしんみりしたような声で真琴がつぶやいた。
「うん。」
真琴の声に、窓の外に集まったたくさんのファジャと、その最後を見ようと集まってきた人を見ながら、私も何となくしんみりした声で返した。
窓際に置いた化粧台の椅子に、逆向きに腰掛けて缶コーヒーのプルタブを開ける。
「また来たいね、スペイン。」
何か、まだ真琴は気を遣ってくれているのかな。お兄ちゃんのこと。
「今度は別の時期に、別の場所に行ってみようよ。」
「うん。アンダルシアで本場のフラメンコを見たり、船で日帰りのツアーがあるから、それでモロッコへ行ってみるのもいいしね。」
アンダルシアのアルヘシラスはジブラルタル海峡を隔てて、わずか15キロ南にアフリカのモロッコがある。ガイドブックを見ても、アンダルシア海沿いの町のページには、海を挟んでアフリカを写した写真も多い。ビザなし、パスポートに船でスタンプを押してもらい、ツアーで行って、日帰りすることもできるし、タンジェ旧市街のメディナを見てアラブの世界を見てみるのもいいかもしれない。市場にはスペインや日本とはずいぶん違うだろうけど、カフェもあって、ミントティーがおいしいらしい。
窓の下には、まだまだ人が集まり、その数はどんどん膨れ上がっている。ファジャに火がつけられるまで、あと1時間を切ったところで、市役所広場で大きな音がして火花が散り、人ごみから歓声が上がった。爆竹だ。
「すごーい!」
地上は一瞬にして真っ白な硝煙で視界が埋めつくされる。
この爆竹のショーは、スペイン南部を掌握していたイスラム勢力を追い出したレコンキスタの時代、スペイン軍がイスラム軍を威嚇するために使った爆竹の名残。期間中のこのショーで、爆竹3000発、火薬120kgが使われる。時間にして1回あたり7分。1番に1回と計算しても、この1回のショーで爆竹が750発、火薬が30kg使われることになる。
破裂音がやみ、硝煙が風で晴れると、広場の前に置かれたステージの周りにきれいなドレスで着飾った女性、壇上には、周りより目立つ1人のドレスを着た若い女性。
「あ、今度は何だろ?」
「祭りの女王じゃない?」
バレンシアには地区ごとに祭りの会があって、その数は378。それぞれの会に「女王」と呼ばれる女性(日本で言う「○○娘」とか「ミス○○」みたいな感じかな?)がいて、そのうちの1人がバレンシア市の女王になる。祭りの期間中は、この女王が祭りを取り仕切ることになる。
「発表かな?」
観客の間からは歓声と拍手。
女王らしき女性が、持っていた紙を広げて、マイクを通して読み上げた。
「優勝作品『ハポネサ・カバレロ』!」
その瞬間、女王がステージに立ったときよりも、さらに大きな拍手と歓声が上がった。
「ね、『ハポネサ・カバレロ』って、昨日夜に見たファジャだよね?」
「多分。」
あまり大きくなかったし、1年のニュースを風刺した題材が選ばれることが多いって聞いた気がするんだけどな。
ステージに優勝作品のファジャと、その職人さんらしい男性が上げられる。素材は発泡スチロールだけど、その武士の姿は堂々としているし、前足を高く上げた馬からも生き生きとした感じが伝わってくる。
「去年は世界中で色々あったからね。日本の『和を以って尊しとなす』を言いたいんじゃない?」
「聖徳太子の『十七条憲法』か。言われると納得。それが世界中で実践されたなら、殺人事件とか戦争とかっていう言葉は死語になるんだろうけどね。結局、そんなものは夢物語に過ぎないのかな。」
確かに特定の事件の関係者をファジャの題材にすると、題材になった本人は見なかったとしても角が立ちそう。そういう意味では、起こったいくつもの事件全体を包括して、メッセージ性のあるものだという理由で評価されたのかもしれない。
「作ったのはスペイン人の職人さんだろうけど、これが選ばれたというのは、日本人としてはうれしいよね。」
「うん。」
そう話している間にもファジャの周りに爆竹がセットされ、燃やされることになったファジャは、静かにその瞬間を待つ。
ステージ上の女王が何かを言い、観客が一斉にカウントダウンを始めた。ついにその瞬間らしい。
「5、4、3、2、1、0!!!!」
女王・観客の「0」という掛け声とともに、耳をつんざくような爆竹の破裂音。そして夜空には色とりどりの光の花。観客の拍手と歓声。
爆竹のいくつもの小さな火花は、あっという間に白煙を上げ、ファジャに燃え移った。燃え移った火は、あっという間にファジャを飲み込み、紅蓮の炎と化して、観客の歓声に後押しされるかのように春の夜空をいつまでも焦がした。 |