第2話
「ん……?」
朝は窓にかかっているカーテンの隙間から差し込んでくる光と、お風呂場から聞こえてくる水音で目が覚めた。どうやら、真琴は先に起きてシャワーを浴びているらしい。
時差ぼけはすっきり抜けている。昨日、昼寝しなくて良かった。してたら今ごろ、まだ夢の中にいることは間違いなさそうだし。
「あ、起きた?」
気がつくと真琴がシャツにジーンズという格好、タオルで髪を拭いて立っていた。
「おはよう。」
「おはよう。さ、シャワー浴びたら朝ごはん食べて、買い物に行くわよ!」
ああ、彼女は今日も元気だわ……。彼女はきっと、低血圧なんていう言葉を知らないんだろうな。何てうらやましい。
シャワーを浴びて、お化粧を済ませると、私たちはオスタルから出て朝ごはんに向かった。行く先は昨日と同じようにソルへ向かい、ラ・タウリーナの向かいにある(笑)、こちらもまたバルのムセオ・デル・ハモン。
店に入るとこれが「すごい! 何だ、これ?」の一言しか出てこない。何がすごいって、もう店内は「ハムの博物館」と表現がぴったりなくらい、とにかくカウンターの天井から生ハムのかたまりがどーん!といくつもぶら下がっている(だから店名が「ハムの博物館」なのかしら……?)。
「チューロ、カフェ・アメリカーノ。」
「ボガディーリョ、カフェ・コン・レチェ。」
私が頼んだチューロは、カリカリに揚げた細長いドーナツ。これにどろどろに溶けた、熱々のチョコラーテ(チョコレート)を浸して食べるのがスペイン流。カフェ・アメリカーノは、スターバックスやタリーズコーヒーなんかでもおなじみのアメリカン・コーヒー。
真琴が頼んだボガディーリョはスペイン版サンドウィッチ。しっかりイベリコ豚の生ハムを使用したものを頼んでいる。カフェ・コン・レチェはエスプレッソに温めたミルクを入れたもの。いわゆるカフェ・ラテね。これ、朝食とそれ以外ではカップの大きさが違う。朝食はタサ・グランデと言って、普通、大き目のカップで出してくれて、それ以外は普通の大きさ。もちろん、朝食以外でもタサ・グランデを指定することもできるので、がっつり飲みたいときはこっちがオススメ。
「「いただきまーす。」」
すぐに頼んだ朝ごはんは出てきた。カップのチョコラーテからは甘い香りの湯気が立ち上っていて、何とも言えない食欲を誘う。チューロも揚げたてらしくてカリカリしてるのにホクホク。
真琴のボガディーリョもなかなかおいしそう。
朝ごはんはすぐに胃袋に収まった。何と言っても、できたては何でもおいしいのよ。
「さて、今日は……フラメンコのチケットを買いに行って、ちょこっと買い物して、プラド美術館に行って……。」
ここでちょこっとガイドブックを広げてみる。チケットを売っているのは地下鉄3・5号線カリャオ駅のすぐ南にあるフナック。ここのプレイガイドには、市内で行われるコンサートなどのチケットがずらりと並んでいるとか。
「地下鉄で行くのもちょっともったいないな……。」
ソルとカリャオは3号線で隣同士。歩いても精々5分くらいしかかからない。
「じゃぁ、ここの大きな道を歩いて行けばいいかな。」
地下鉄が真下を走る道の隣に大きな道があって、その隣の道がプレシアデス通り。これが少し広い通りらしい。
石畳の道をソルから北へ歩くこと3分。カリャオ駅の手前にある広場でカルメン通りとの合流地点にフナックはある。店内のAV部門にはスクリーン、CD部門には試聴機が置いてあって、納得して買えるシステム。
目的のお店はソル駅からマヨール通りを東へ徒歩10分ほど、マヨール広場の東にあるラス・カルボネラス。夕ご飯は先に済ませていくので、ドリンクのみの入場券を買う。金額は1人15ユーロ(ディナー付だと料理にもよるけど1人32〜42ユーロ)。
「さて、ショッピングにでかけますか。」
……と言っても、ショッピングに行きたいお店は、カリャオ駅の目の前。グラン・ビア通りをカリャオ駅から西へ徒歩3分。「ヨーロッパのGAP」の異名を持つサラ。日本をはじめ世界中に支店を持つ、カジュアルブランド。しかも、流行のデザインなのにお手ごろな金額で手に入ると言うからここは必見。
店内に入ると、そこはとてもおしゃれ。トップスからボトムス、靴に下着、香水やバッグなんかもそろってる。全体を一言で言うと、「エレガントなのにスポーティ」。黒や白を基調にしたモノトーンのアイテムを集めたコーナーがあれば、ベージュなどのナチュラルカラーのコーナーもある。そして何より、一番充実しているのがジーンズ。細身で脚が長く見えるデザインがそろっている。真琴はこういう服が似合うんだなー。
「形がきれいだよね。」
「うん。スタイル良く見えそう。」
真琴、あなたはこれ以上スタイルを良く見せる必要なんかないでしょ……。
カジュアルブランドのせいか、ミニスカートや細身のハーフパンツが多い。まぁ、この年になって太ももぎりぎりのミニスカートは抵抗あるので、膝くらいまでの長さのスカートがいいな。会社にも着ていけるデザインだと、なお良し。
「これいいなー。」
1時間くらい店内を回って見つけたのが、黒い膝丈のタイとスカートと、同じく膝丈だけど、シフォン生地でブルー系のボーダーのフレアースカート。両方とも仕事に着て行くにはもってこいのデザインで、サイズもちょうど良さそう。
ブルーのスカートを試着して一回外に出てみると、デザインの良さは一目瞭然。フレアースカートなのに、濃い目のブルーを使っているせいか甘すぎない。
次はタイトスカート。こっちも形がベーシックだから、TPOを問わず着れそう。しかも、生地が細く折ってあって、全体を引き締めている。
どっちにしようか本気で悩むけど、両方買うと、あともう1軒寄りたいお店があるから、そっちにもお金を残しておきたい。
考えた末、ブルーのフレアースカートを買うことにした。金額は39.90ユーロだから、日本円に換算しても6000円くらい。このデザインでこの金額はかなりお買い得。さすが「ヨーロッパのGAP」だわ。
このお店では関係なかったけど、支払いの時に忘れてはいけないのが免税手続き。スペインでは対象となるお店で買い物をすると、16%のIVA(付加価値税)がかかるが、旅行者は手続きをすれば、最大で13%の金額が戻ってくる。
条件は、1.1店で90.16ユーロ以上の買い物をした場合、2.その商品を未使用の状態で国外へ持ち出すこと の2つ。
支払いの時に「タックスフリー・プリーズ」(英語で大丈夫)と言えば、タックスフリー・ショッピング・チケット(TFSC=税金払い戻し小切手)を発行してくれる。換金方法は、
1.出国の時に現地で最後に乗り換える空港(ヨーロッパでは、最後に乗り換えるEUの空港)で現地通貨を受け取る
2.税関脇のポストに封筒に入れたTFSCを投函すると、後日、日本銀行からクレジットカード口座に送金されるか、銀行小切手が自宅に郵送されるので、銀行で換金する(換金に2500円くらいの手数料がかかる)
3.帰国後、成田・関西国際空港でTFSCを提出すると、日本円の通貨で換金される
の3段階。
真琴も白いタイトスカートを買ったらしい。彼女が選ぶ服は、「出来る女」という感じのシャツにタイトスカートやパンツルック。それが嫌味な感じではなく、似合っているからうらやましい。
店を出ると時間は11:30。次に目指すはここからまたカリャオ駅方面へ徒歩2分のヤンコ。
ここは100年以上の歴史を持つ老舗の高級皮革店。もともとはスペイン本土の東にあるマヨルカ島という地中海の島で生まれた靴屋さん。紳士靴の専門店だったお店だから、丈夫で履き心地の良さには定評が。今は婦人靴の他にも、バッグやベルト、革のジャケットなんかも扱っている。
お店の中は買い物客がいるけど、うるさくはない。静かに音楽が流れていて、じっくり商品を選べる雰囲気。価格は紳士靴で240〜320ユーロだから、日本円にして4〜5万円。高級靴の中ではかなりリーズナブルだと思う。ハンドバッグなら200ユーロ(約30000円)。本革のジャケットでも何と800ユーロ(約7万2000円)で手に入る。日本の高級ブランド店ではまずこんな金額でお目にかかれない。
ちなみにヨーロッパの中でもスペインはイタリアと並んで靴の生産が多い。なんとヨーロッパ貿易額におけるスペインの靴の輸出額は1.6%を占める一大産業。それだけいい靴屋さんが多いのね。
ここで私はパンプスを購入。白を基調にして縁に黒いライン。バックストラップと少し高めの7センチヒールが、脚を細く華奢な印象に見せてくれる。
真琴はターコイズブルーのストラップがあしらわれたサンダル。日本でも今年流行のウェッジソールで、こちらも脚を華奢に見せてくれる。
「じゃ、戻ろうか。これを部屋に置いて次へ行くぞ!」
ブランド物の買い物袋を提げて街中を回るのははっきり言わなくても危ない。「ブランド物を買いました。ねらって下さい。」と言わんばかりの行動なので、絶対にしてはいけないこと。できればタクシーで部屋に戻り、買ったものをセーフティーボックスに入れてから、もう一度外出するのが良し。
部屋に戻った私たちは、荷物をセーフティボックスに入れた。使い捨てカメラ(デジカメは盗まれる危険があるので持たないほうが無難)、美術館入館料の3.1ユーロ(450円。安い!)と昼食・夕食代、タクシー代と予備の40ユーロをジャケットのポケットや靴の中などに分散させて入れて、タクシーでプラド美術館へ向かう。オスタルからタクシーでグラン・ヴィア通りからプラド通りを走って、このシエスタ前後なら10分から15分。
美術館は広いレティーロ公園の東にあり、すぐ南には王立植物園、アトーチャ駅、そして南北に1本ずつ、2本の地下鉄が走っていて、交通の便もいい。さらに驚くことなかれ。このプラド美術館から半径約700メートルの範囲にソフィア王妃芸術センター、ティッセン・ボルミネッサ美術館、装飾美術館が集中している、まさに「芸術地帯」。
とりあえず、時間も時間なので館内地下のカフェテリアでお昼ご飯。
夕食にちょっとスペイン家庭料理を食べたいので、お昼ご飯は軽めに。
美術館に併設されているので、しっかりしたご飯は正直言って期待していなかったけど、その認識が甘かったことを実感させられる。カフェテリアとは言っても、少々時間はかかるけど、パスタやスープなんかもしっかり出してくれる。
お腹がすいてきたのと、スペインは夕ご飯の時間が日本よりかなり遅いので、お昼ご飯は少々食べ過ぎかなくらいに食べることにした(それでも現地の人たちよりは少ないんだろうけど)。
今日のお昼ご飯は「口から火が出るほど辛いのがいい。」と言われるほど辛いために「怒り顔のパスタ」という意味のペンネ・アラビアータ。「スペインに来てまでなぜにイタリアのパスタ!?」というベタなツッコミはなしで。
おいしいけど……辛い! 本気で辛い。しかもしっかり炒めて辛味が増した唐辛子の他に、ニンニク(現地ではアホという 笑)も「これでもか!」と言わんばかりにたんまり入ってる。口臭ケアのタブレットとか日本で買っておいて良かったよ……。スペイン、侮ることなかれ。
ちなみに真琴は同じくパスタだけど、ボンゴレのロッソ(ロッソは「赤」という意味で、すなわちトマトソースのボンゴレ)。うん、こっちもおいしそう。
館内は1階と2階でいくつかの部屋に区切られていて、2階のゴヤ門、1階のゴヤ門とムリーリョ門の3ヶ所から入館できる。そして所蔵する絵画の数8000点は、絵画館としては世界一。全部をゆっくり鑑賞するには、開館時間9時〜19時(火〜土。日・祝日は9〜14時)の10時間が最低でも必要だとか。効率よく回るには、お目当ての作品をピックアップして鑑賞するのがおすすめ。1階と2階に1ヶ所ずつブックショップがあり、日本語のガイドブックを利用すると便利。観光客にはうれしいことに、フラッシュをたかなければ写真撮影も可能。ただし、作品保護のため、館内の照明は暗めにされている。
所蔵する作品は14〜16世紀のイタリア・スペイン・ドイツ・フランドル絵画から17世紀フランス・オランダ・フランドル絵画、17・18世紀のスペイン絵画、そしてスペインを代表する画家として、世界史や美術の教科書でおなじみのゴヤやベラスケスが別枠で展示されている。
見る作品全てに圧倒されっぱなし。特にスペイン絵画のコーナーでは「胸に手を置く騎士の肖像」という絵で有名なエル・グレコがたくさん飾られている。
「美術の教科書とかで見たよね。」
「あった。この人の絵は独特の雰囲気があるよね。」
実は私、高校のときは美術部員だった経歴があったりするので、一応、画家の基礎的な知識は頭に入っている。一番好きなのはオランダのゴッホなんだけど。高校の部活でゴッホの「アルルのはね橋」や「ひまわり」を模写したくらい。
ガイドブックによれば(私もエル・グレコやベラスケスは詳しくない)、エル・グレコはギリシャのクレタ島生まれ。名前も「ギリシャ人」という意味で、若い時期にイタリアで絵を勉強したため、当時の画風はヴェネツィア派。その後、マドリッド南にあるのトレドに移住してから個性的な光を表現する画風に変わったとか。白百合を持った天使と振り返った聖母マリアが向き合う「受胎告知」という絵は、美術だけでなく、よく世界史の教科書にも載っていたりするから、見たことがある人も多いはず。
ゴヤの後、17〜18世紀のスペイン絵画を見た次のコーナーで立ち止まった。
「ベラスケスだぁ……。」
バロック(16世紀末〜18世紀の豪華な印象が特徴の美術様式)時代、17世紀に活躍したベラスケスもゴヤやエル・グレコと並んでスペインの巨匠。有名なのは「ラス・メニーナス」(官女たち)。キャンバスを鏡に映った空間として幼いマルガリータ王女と、彼女を着飾らせる女官を描いている。さらにキャンバスを描き込み、その前にベラスケス本人、奥の鏡には国王フェリペ4世と王妃を描いている。実際の空間を絵として描き上げたこの絵は、世界の絵画史上に残る1作。
そうこうしている間に気づけば18時。美術館も19時が閉館時間だし、そろそろオスタルに1回戻って休憩したくなる。
タクシーでオスタルに戻り、オスタルの隣に置かれている自動販売機で買った缶コーヒーで一息つきながら、美術館で買った日本語のガイドブックを眺める。今度はオランダのアムステルダム美術館でレンブラントの絵を見たいな。 |