Las Fallos(火祭り)(1/7)PDFで表示縦書き表示RDF


文章中で、主人公たちやスペイン現地の人たちは、すべてスペイン語で会話をしています。
Las Fallos(火祭り)
作:高村恵美



第1話


 空港から乗ったタクシーを降りて、大きなスーツケースを引っ張りながら歩く。どうやら、このあたりが目的のオスタルがある住所らしい。
「グラン・ヴィアって、ここだよね。」
「うん。オスタルはここから通りに沿って東に徒歩1分だから、迷うことはないでしょ。」
「イスパノ・アルヘンティーノって、オスタルでしょ? 雑居ビルだよねぇ?」
「んー。とりあえず、看板くらいあると思うんだけど。地図によれば歩道の右側だから、こっちの建物でIで始まる看板を……。」
 そこまで私が言うと、隣を歩く真琴が、すぐ右の雑居ビルの壁を指差した。
「あれじゃない? Hで始まるけど、ヒスパノ・アルゲンティノって書いてあるし、オスタルみたいだし。」
 彼女が指を指す先には、スペインとアルゼンチンの国旗が重なった絵の、30cm×20cmくらいの小さな看板がかかっていて、確かにHostal Hispano Argentinoと書いてある上に、三ツ星宿泊施設であることを示す星が三つ並んでいる。
「ヒスパノ……?」
「そういえば、スペイン語って、Hは発音しないんだよね。」
 ……早く言おうよ……。

 どうやら、今夜の宿はこのビルの6階にあるらしい。旧式のエレベーターでゴトゴトと6階まで上がって廊下に出ると、イスパノ・アルヘンティーノはすぐに見つかった。入り口がガラス戸で、チャイムがついている。チャイムを外から鳴らすと、カウンターにいた背の高い、人のよさそうなおばちゃんが出てきて、ドアを開けてくれた。
「ブエナス・タルデス(こんばんは。)」
 私は自分を指差しながら、
「SUTOKU.」
と名前を言い、真琴も
「TAKEUCHI.」
と言うと、おばちゃんはにっこりと笑ってチェックインの手続きをしてくれた。
 キーボックスは全部で12。その中から、10号室の鍵を渡される。
 部屋に入ると、そこはダブル(日本で言うツイン)の部屋で、お世辞には広いとは言えないけど、かわいらしいデザインの部屋で、冷暖房とちゃんとバスタブ(日本のワンルームのものよりも少し小さいくらい。小さなオスタルでは、シャワーだけとか、お風呂場は他の宿泊客と共同というところが多い)がある、清潔な感じの部屋。この部屋で60ユーロ(日本円で約9000円 1ユーロ=約150円)。
オスタルとは、スペインの家族経営の小さなホテルで、雑居ビルなどのワンフロアを使う、日本で言うペンションみたいなものらしい。旅行者向けだけではなく、独身のサラリーマンや大学生の下宿としても使われる。三ツ星から一つ星まであって、三ツ星のオスタルは、二つ星ホテルと同等か、それ以上の施設・サービスが提供される。ただし、たいていのところでは素泊まり(食事なし)。まぁ、このマドリッドであれば、まず食事に困らない。何と言っても、スペインの夜は長くて、繁華街では真夜中まで飲食店が営業している。強いて言えば、昼食がシエスタの13時か13時半から16時まで。夕食に至っては、20時から23時くらいまでという、日本とは少しずれた時間なので、普段、仕事でこの時間に食事をする人でなければ、ちょっとそれまでお腹が空くことくらい。
 私たちは部屋の隅っこに荷物を置くと、ごろんとベッドに倒れこんだ。布団はふかふかで、何とも言えない心地よさが襲ってくる。

 一息ついたところで、自己紹介を……。
 崇徳梨維菜すとくりいなです。独身、東京在住の24歳、会社員。
 特徴はこれと言ってないけど、セミロングの髪はゆるいウェーブで、ナチュラルな栗色に染めている。
 性格は、見た目はおっとりしているらしいけど、実際に話してみると、わりと普通らしい。
 これだけ。……短い。
 そしてともに旅をするのは、竹内真琴たけうちまこと。同じく独身、24歳。
 彼女は大学時代の友達で、卒業後はそのまま大学の事務員として就職。
 漆黒のストレートロングヘアと、切れ長めでエキゾチックな目が印象的な美人。
 モデルじゃないかと思うくらいに長身でスタイル抜群で才女と三拍子そろっている。昔から、「天は二物を与えず」とは言うけれども、彼女に関しては例外だと思う。
 なぜ私たちがスペインにいるかと言うと……、この時期(3月12日から19日)まで地中海沿岸のバレンシアという町で開催される「サン・ホセの火祭り」(略して火祭り、またはラス・ファジャス)を見るため。ただいまシーズン真っ只中のサッカー(シーズンは9月から翌年5月)のサッカーは、いくらなんでも、
「ベッカムってどの人?」
と言うほどではないけど興味なし。国技とも言える闘牛もあまり興味がない。
本当なら、ミラノなどを経由してすぐにバレンシアに行くこともできるけど、どうせならフラメンコを見たいし(でも本場はスペイン南部のアンダルシア地方)、スペインに飛行機が着くのが19時すぎ(日本から直接スペインに飛ぶ飛行機はないため)で、それ以降の時間に移動するのは危ない(どこでもそうだけど、夜は治安が悪い)から。スリや強盗などの犯罪が多く、EUで発生するうちの7割がスペインで起こっているらしい。特に日本人は危機意識が薄いと言われるためねらわれやすい。身分証明書のパスポートを奪われることが多く、本来はパスポートの原本を持ち歩くことを義務付けられているけど、日本人に限ってはカラーコピーで対応することが許可されているほど。

「さて、そろそろ夕食に行こうか。」
 起き上がった真琴が言う。気が付けば20時半を回っている。
「そうね。んじゃぁ、ここからだとプエルタ・デル・ソルがいいかな? いっぱいお店ありそうだし。」
「よし、いくつかお店をピックアップして……。」
 ガイドブックからめぼしいお店をピックアップしてメモに書き出す。こうしないとスリや強盗にねらわれやすい。海外でガイドブックを片手に歩くのは、自分で「観光客で、ここには詳しくありません。」と公言しているようなものらしい。
 そして、財布は持ち歩かない。必要な分の小銭とパスポートのコピーだけポケットに入れて、後は手ぶら。財布やパスポートなどの貴重品は、部屋のセーフティボックスに保管する。これが鉄則。
 オスタルを出て、グラン・ビアの駅から、地下鉄1号線でアトーチャ駅へ向かう。グラン・ビアからプエルタ・デル・ソル駅までは、地下鉄で1分ほど。隣の駅だから、歩いていくこともできる。しかし、ここは日本ではなくスペイン。夜に女2人で出歩くのは危険極まりない行為らしい。男性でも危ないらしく、15〜6年くらい前、某メーカーのスポーツドリンクのCMソングを歌っていたこともある、日本のある男性歌手がスペインでレコーディング旅行中、強盗に首を絞められて、声帯を変形させられてしまったという事件があったくらいだ。その人は日常生活で話すことはできても、もう歌を歌うことはほとんどできないらしく、アレンジャーとして活動していて、彼の昔の曲を今の他の若いアーティストがカバーしたCDが出ているくらい。
「すごいねー。これからが夜って感じよね。」
 プエルタ・デル・ソル(市内では単に“ソル”と言うらしい)は、マドリッド市内でも繁華街といえるような場所。東京で言えば五街道の基点である日本橋のように、ここから10本の道路が放射状に延びている。もう21時になろうとしているのに、ここはまだまだ人がいっぱい。渋谷や新宿のような人出。
 まずはガイドブックに載っていて、ソルから近くて、安いけどおいしいらしいお店へ。
 ソルから西へのびるアルカラ通りの一本南にある少し細めの道を徒歩1分。石畳の歩道の右に建っているのがラ・タウリーナ。このお店は、現地でバル(バール)という居酒屋だけど、平日は朝の8時から翌日1時までシエスタなしで営業している。たいていのオスタルでは朝食は出ないから、旅行者や独身の人は、こういう朝から営業しているバルやカフェで朝食を食べるらしい。
 ちなみに、バルはつづりこそ英語で居酒屋という意味のBarと同じだけど、実際には、酒場、レストラン。定食メニューもおいてあるので、男性でもかなり満足できるとか。お店によっては、食料品店、よろず屋、宝くじ屋も兼ねる、いわばスペイン版コンビニ。
「いやー、すごいわ。」
 店に入って、私の第一声がこれ。だって、店内の壁一面に闘牛士マタドールの写真がずらりと飾ってある。どこを向いても素敵な闘牛士。うん、なかなかいい男。さすがスペイン。ちなみに、スペインと言うと、私たち日本人には「闘牛」のイメージが強いけど、これは1年中行われているわけではないそう。闘牛が行われるのは、これから私たちが見物に行くバレンシアの火祭りから、10月に行われるアラゴン地方にあるサラゴサのピラール祭りまでの期間。この期間はお祭りがあるたびに、大都市では毎週末にどこかの街で闘牛が行われている。シーズンがあるから、日本で言う相撲や野球みたいな感じかな。
「いらっしゃいませ。」
 カマレロさん(ウェイターさんのこと。背が高くてちょっとかっこいい!)が声をかけてくれ(もちろんスペイン語ね)、カウンター席へ案内される。
 まずはワインでしょう! スペインのワインは、品質の割りに安いことで有名。中には、同じレベルの味のカリフォルニアワインの半額なんてものもある。
 たなに並んだワインのボトルをながめていた私たちを見て、カウンターの中の愛想のよさそうな、ぽこっとお腹の出たおじさんが、
「どういうワインにする?」
と聞いてきた。残念ながら、私はワイン初心者。真琴もそれを心得ているのか、
「サングリア2つ。」
と注文してくれた。この子、何ヶ国語しゃべれるんだろう? スペイン語わかってるみたいだし、英語もペラペラに近いし。大学のときの第二外国語はフランス語だったはずだけど。
 カウンターのおじさんが出してくれたサングリアなるものは、空のグラス2つと赤ワインに果物のぶつ切りを放り込んだ巨大なピッチャー。グ、グラスで出てくるものだと思ってた。
 現地の人に言わせると、サングリアの赤ワインは高いものを使ってはならないのだそうで、安ければ安いものほどおいしいサングリアになるのだとか。……日本に帰ったら作ってみようかなぁ。冷蔵庫で瓶に入れて冷やしておけば、夜に重宝しそうだし。
「サングリアは、赤ワインをソーダやオレンジジュースで割って、レモンなんかを加えたカクテルみたいなものなんだよ。ただし、口当たりがいいから、飲み過ぎないように。」
 真琴はしっかりくぎを刺してくれた。24歳にもなれば、もうつぶれるような飲み方しないって……。
 ためしにサングリアを口にふくんでみると、これがすごくおいしい。本当に口当たりがよくて、いくらでも飲めそうなくらい。
 そしておつまみには「スペインと言ったらこれ!」というくらいに世界でも有名な生ハム、ハモン・セラーノは白豚の後ろ脚のモモ肉を塩漬けにして、乾燥させたもの。切り方は2種類。日本では2mmくらいの薄さに切ったロンチャが主流だけど、スペインでは拍子木切りのタキートという食べ方もあり、それぞれが好みの切り方で食べる。私たちは食べやすいからタキートで頼んでみた。
 他にはカナッペ(クラッカーの上にマヨネーズやタルタルソースをぬって、ツナやきゅうりなどをのせたオードブル)、ちょっとボリュームのあるサラダ。量が多いし、お酒が入るからこれだけでお腹は満足しそう。
「美味〜。」
「生ハムはさすがだね。」
 生ハムはさすが本場。ここではあつかっていないみたいだけど、スペインではイベリア半島原産の黒豚のイベリコ豚という品種の豚ハモン・イベリコが最高級らしくて、それは和牛で言えば松坂牛や米沢牛みたいな感じ。生産量もスペインで1割程度しかないという超希少品。生ハムは4.5kgくらいのかたまりで売られるのが普通だけど、これで5万円というものもあるとか。
 おいしいのでかなりお酒も進む。サングリアを空けて今度はロゼワイン。ちょっと辛口だけど、赤いルビーのような色合いがとてもきれい。しかも、香りがフルーツみたいな甘い香りがする。
 真琴が注文したのはカヴァというスペイン版のシャンパン。シャンパンというのは、フランスのシャンパーニュ地方で作られるスパークリングワイン。昔はどこで作ってもシャンパンと言ったらしいけど、現在、シャンパーニュ地方で作られたものでないとシャンパンと言ってはならないのだそうで、他の土地で作られたものはカヴァと言うのだとか。一口飲ませてもらった(回し飲みは高級レストランではマナー違反ですので、しないように!)けど、程よく冷えていて、炭酸が口の中ではじける感じがとてもいい。
「おいしい。」
「ほんと。日本に帰るのが嫌になるかも。」
「……毎日こんなに飲んで食べてたら、帰るころには太るわよ。」
 う、痛い指摘。スペインは北部の沿岸地方でなければ基本的に肉料理が中心なので、結構カロリーが心配。周りの若い人はそうでもないけど、おじさんやおばさんたちは、なかなか立派なお腹をしている人も多い。
「でも、せっかく来たんだから、食べないとね。この日のためにせっせとダイエットに励んできたんだから。」
 そう言って私はカナッペをかじる。
「そうそう。今度はチョリソ(サラミソーセージに似たソーセージ。最近、日本でもホットドッグに入れる店も多い)なんかも食べたいね。あと、トルティーリャ(スペインオムレツ)。」
 真琴、この細い体のどこにそんなに入る胃袋を持ってるんだろう? 食べても太らないし、付き合いはもう6年になるけど、一度もダイエットをしているのを見たことがない。それなのに見ている側まで気持ちいいくらいにご飯を食べる。彼女の胃袋は宇宙のブラックホールにワープしているに違いないと思う。
「パエリアも食べてみたいよね。ヴァレンシアが楽しみ。」
 最近、世界中で食べられているパエリア(パエーリャ、パエジャなど言い方は地方や人によって違うとか)は、スペイン料理として有名。これはスペインの米どころ、ヴァレンシア地方の郷土料理で、もともとは外でまきや炭火で焼き上げるものなのだとか。具もウナギ、エスカルゴ(言わずと知れた食用カタツムリ)、インゲン豆と米をオリーブオイルで炊き上げたもの。しかも、これは主食ではなくて、なんとおかず。日本で言うごった煮みたいなものらしいと言うから驚き。肉じゃがみたいなあつかい……?
 気がつけば時計はすでに22:30を過ぎている。もしここが日本国内であれば、今日がスペイン初日でなければ、日付が変わるころまで飲んでもいいんだけど、さすがにちょっと時差ぼけだし、飛行機に長時間乗ったせいで体が疲れているらしくて、お酒の酔いが回るのがいつもより早いので、今日はさっさとオスタルに帰って寝ることにしよう。
 帰りは夜遅いので、歩いたり地下鉄を利用しないことをおすすめ。バルでお店の人にタクシーを呼んでもらうと、私たちはお金とチップ(高級レストランなどではないから、代金に1人あたり1ユーロ上乗せするくらいでオッケー)を払って店を出た。
「いいねぇ、スペイン。」
「うん。食べるものはおいしいし、お酒も良し。祭りも楽しみだね。」
 お酒を飲んで、シャワーを浴びている間に倒れるのは嫌だから、シャワーを浴びるのは明日の朝にすることにした。お化粧を落とし、歯を磨いて、新陳代謝を良くしてくれるお水をコップに1杯飲むと、私たちは布団にもぐりこんで電気を消した。


第2話もグルメいっぱいです!











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