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孤独の観測者

作者:二鳥クロロ
 生命が吹き込まれた。

 男が女に命の種を注ぎ、女はそれを受け入れた。

 別れが起こった。

 母の手を握り、その最後を看取った男がいた。

 裏切りが起こった。

 二人を繋いでいた信頼は断ち切られ、二人はそれ以降会うことはなかった。

 恋愛が起こった。

 女は男に惹かれ、眠れぬ夜を何度も繰り返した。

 倒産が起こった。

 失業者が溢れ、恐慌の萌芽があちこちでその根を下ろした。

 天災が起こった。

 自然が反旗を翻し、家屋を飲み込み、破壊した。

 温暖化が進んでいた。

 見境いのない開発は、天に吐かれた唾に相違なかった。

 それらの出来事を、地球は楽しげに見つめていた。戦争が起きれば尚面白い。地球は自らの手で天災を起こすことも出来た。その天災の規模をうまく操れば、国家の間の関係を悪化させ、戦争にまで発展させることも不可能ではなかった。しかし地球はあくまで傍観者でいた。自然の摂理のままに、どのようにして地球が壊れていくのか、廃れていくのか、もしくは持ち直すのか、地球で起こること総てを観察することに決めていた。はたしてそれは実に興味深いものだった。例えば、男が性欲を抑えきれずに女を襲うときの心理。例えば、幼少から追いかけていた夢がひどく穢れたものであったと知った時の青年の心情と表情。例えば、女同士の笑顔の裏に隠された嫉妬、憎悪、軽蔑。例えば、車の流通。例えば、核兵器の開発。例えば、王の墓。例えば、太陽系の発見。例えば、二つの戦争。例えば、地域による連合。地球はこれらの出来事に、時に感心し、時に高笑いし、時に感動し、時に憤った。それは非常に波乱に満ちた物語だった。事実は小説より奇なり。その言葉もまた、地球の内側で生まれたものだった。
 地球は、こうした自らの内部で起こる出来事について、火星に話して聞かせた。火星は隣の星であったから、両者は非常に仲が良かった。火星は地球の話を聞くと、それは面白そうだと羨んだ。火星では地球ほどに文明が発達していなかった。書き言葉もまだ満足に使われておらず、見ている分には非常に退屈であるとのことだった。しかし、地球で言われている火星の像とはまったく異なる状態であることは、興味深いものだった。地球と火星が話す時はよくその話題になった。地球の人類はいつになったら火星の真の姿を知るだろうか。そうした会話をすることは両者にとって有意義なものだった。
 地球は土星や金星たちにも地球での出来事を話して聞かせた。地球の人類が太陽系と名付けた惑星の中では、やはり地球の文明が突出しており、地球の話が最も興味深いものであった。土星と金星は地球の話を聞くと深く頷き、面白い話を聞けたと喜んだ。金星は、地球で戦争が起こることを期待していた。まだまだ先のことになりそうだと地球が告げると、人間の歴史など我々の寿命に比べればあっという間だと言って笑った。

 会話が起こった。

 地球と火星が、ああではないこうではないと話し合った。

 移動が起こった。

 惑星の大きさと比べればほんの僅かな距離だったが、それぞれの距離が縮んだり開いたりした。

 爆発が起こった。

 銀河の隅で、轟音と共に一つの星が弾けた。

 宇宙は、膨張を続けていた。広く、広く、どこまでも広い宇宙では様々なことが起こった。それを、一人の男が見ていた。突き抜ける闇の中に、多数の神々しい光を見つけた。時折、近い場所で爆発が起こった。といっても、それが本当に近いのかさえ男にはわからなかった。少なくとも男にとっては、そこで距離というものを掴むことは困難だった。
 男は、宇宙に放り出されていた。気が付くと宇宙にいて、呼吸もせずに漂っていた。迷い込んでいる、といった印象があった。恐怖はもちろん、しかし興奮も男の中にあった。男の星で数え方で一年が経過し、それでも男は宇宙に漂っていた。なぜここにいるのか、なぜこうしているのか、いくら問い掛けても答えが帰ってくることはなかった。男は自分の状況を考えることを辞めて、ただ宇宙の様子を見ていた。
 黒くて暗くて寂しい場所だった。かろうじてある星の光だけがそれを紛らわせてくれたが、そうしたある種の救いがあることが返って孤独を増長させるものであるようにも感じた。見えているのに触れない、もどかしい感情を呼び起こすのがその光だった。最初それは、酷く意地の悪いものであるように男には感じられた。しかしながら、後に男は、その光があるからこそ自分は人らしく有れたのだと思い至るようになった。光は、手が届かないにしても他者に変わりなかった。他者の存在は、男の中に憧憬や欲望といった感情を灯し続けてくれていた。光がなければ、発狂していたように男は思った。何億、何兆、何京の星の輝きは、男に他者を与え、世界を与え、それと相対する自己を与えていた。
 そうして男は、宇宙について考えた。星、光、男、それらが究極に所属している宇宙という存在について考えた。

 憧憬が起こった。

 男は、三百六十度で光る星の輝きに、胸の空くような羨望を抱いた。

 欲望が起こった。

 男は、鈍く光る星たちに、一度だけで良いから触れたいと強く思った。

 理解が起こった。

 男は、他者の存在の意味を知り、星屑の光を愛した。

 宇宙は、膨張を続けていた。広く、広く、どこまでも広い宇宙では様々なことが起こった。それを、宇宙は一人見つめていた。地球という星の海のさざめきも、地球と金星の物騒な会話も、銀河の隅で起こる小爆発も、自らの永遠の膨張も、宇宙に迷い込んだ男の存在も、総てを見つめ、知り、理解していた。宇宙は総ての母であり、万能であり、究極であった。しかし、宇宙には欠けているものが一つだけあった。宇宙に迷い込んだ男は、そのことに思い至ったようだった。宇宙は孤独だった。それは、もっと本質的な孤独であった。もっとどうしようもない、究極の孤独であった。宇宙には、自己の孤独を嘆く相手が存在しなかった。
 つまるところ、それは、他者であった。宇宙には、他者が欠けていた。地球という星で、地球の人類が一人も見ていない僻地で、タンポポという花の強く咲き誇るのを、宇宙は知っていた。銀河の隅、もはや誰も認識していないその場所で、どんな照明よりも美しい、星屑たちの小爆発を、宇宙は観測していた。しかし、それらの感動を伝えるべき相手は宇宙には存在していなかった。なぜなら、それらは総て宇宙の内部で起こっていることだった。宇宙には他者が存在しなかった。言い換えれば、宇宙には外部が存在していなかった。

 悪い風邪を引いた。

 それを、伊太利亜の老爺は医者に診せ、相談した。

 月経が訪れた。

 それを、露西亜の少女は恥じながらも母親に打ち明けた。

 心臓が脈打った。

 それを、日本の青年は詩にして、それは世界中で読まれた。

 宇宙は、膨張を続けていた。広く、広く、どこまでも広い宇宙では様々なことが起こった。それを、宇宙は一人見つめていた。自らの内側で起こる総てを、宇宙は一人見守り続けた。銀河の輝きを内側に抱えて、宇宙は一人見守り続けた。
 どこかで、産声を聞いた。いつか吹き込まれた生命が芽吹いた瞬間だった。それを宇宙は嬉しく思った。泣き笑い、歓びを分かち合う男女を、無数の星屑の輝きが照らしていた。

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