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女勇者セレス 作者:松宮星

ケルティの闇と光

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極光の剣 16話

 異空間に閉じ込められながら、武闘僧ナーダはケルティ中の地獄絵を見せつけられていた。闇の中に、数百の現実が切り取られ、映っている。その全てで殺戮が行われていた。
 とりわけ、シベルア移民の支配に辛酸を嘗めさせられてきたケルティ人の蛮行は凄まじかった。鬱屈した怒りを剣にこめ、容赦なくシベルア移民を、新王朝の協力者を殺してゆく。女子供も見逃さない。
 残虐行為を繰り返し……
 そして……
 彼等は、少しづつ人間でないモノに変化してゆくのだ。
 無慈悲な行為をなす者にふさわしいモノ――魔族に……
「あなたの正体……ようやくわかりましたよ」
 姿は見えないが、魔族は近くにいる。武闘僧は言葉を続けた。
「大魔王四天王最後の魔、ゼグノス……あなたは、サリエル、ウズベル、イグアスとは全く違う形で今世に現れている。サリエルは着替えと称し、幾体もの憑依可能な人間を抱えていましたが、一度に動かせる体は一つだけでした。けれども、あなたは違う。あなたは、今、何千、何万という人間に分散して同時に憑いている」
 ナーダは苦笑を浮かべた。
「たとえて言うなら、あなたは風邪です。流行り病も同じです。己が魂を幾千幾万にも分け、幾千幾万の人間の体内に入りこみ、同時に人間を病に染めています。黒の気という病に、ね。幾千幾万にも分断されている為、その一つ一つのあなたは、あまりにも微々たる存在、最弱な小物魔族ほどの力もありません。だから、皆、あなたの存在に気づけなかった。祓うべき敵とすらみなされなかった為、聖職者の内にすら入り込めた。あなたはケルティ中の人間の中にこっそりと入り込み、待てばよかった。人が悪感情を抱き、闇へと進んでゆくのをね」
 武闘僧は、ケルティ中で繰り広げられている死の宴を眉をひそめて見つめている。
「今、ケルティ中で鳴り響いている鐘が、人々の内のあなたに活力を与えている……殺意、憎悪、嫉妬、羨望……他を退け、貶め、辱める事を望めば望むほど宿主とあなたの結びつきが強まり、宿主の心も体も黒の気に染まってゆき、魔人に堕ち、そして、最後にはあなたそのものになる……違いますか?」
《人間風情にしては鋭いな》
「そうでもないですよ、見ればわかる事です。ケルティ中に満ちている黒の気……どれも一緒です。あなたそのものです。さっき私が倒した大司教は、数多くあるあなたの分身の一体に過ぎなかった……それで、あなたは滅びなかったのでしょう? あなたの体は同時に幾千幾万も存在しているから、その全てを同時に滅ぼさない限り、あなたはこの世界に存在し続けてしまう」
《そうだ。人が人である限り……人が欲望を捨てきれぬ限り、我が気を宿す肉体が幾千幾万も存在し、我が分身は無限に生まれゆく……我が魂を滅ぼしたくば、この国に存在する人間全てを殺すしかない。だが、それは不可能だ。我が気は全てのものに取り込まれている》
 空間が振動する。ゼグノスが、人間を嘲笑っているのだ。
《おまえも、だ。おまえの内にも我が気は入り込んでいる。この国に入った時点で、女勇者一行は我が手に堕ちたのだ。我が気は、我が気を宿した者と接触しただけで伝染(うつ)る。直接触れなくても、息がかかっただけで黒の気は伝染(うつ)る。おまえは今、神族の力を借りた結界に籠もっておるゆえ聞こえぬようだが、その結界が解けた時、鐘の音が聞こえよう。人間の本能を目覚めさせる鐘の音が、な。おまえの内の我が魂の一部がおまえの邪悪な感情を増幅し、鐘がおまえを狂気へと走らせる。人が人である限り……欲望を捨てきれぬ人間は魔に堕ちてゆき、我が分身となる運命なのだ》
「……あなたの思い通りにはなりませんよ、ゼグノス」
《おまえ達に大魔王四天王ゼグノスは滅ぼせぬ。『勇者の剣』の振るい手といえども、我が魂を宿している。いずれは女勇者もその従者も、数に勝る魔に倒されるか、魔そのものに進化する。この国は、間もなく、魔族の国となる。我が分身しか生き残れぬ運命なのだ。インディラ僧よ、古くからケルベゾールド様に盾突いてきた愚かな神の下僕よ、きさまらに勝利は無い。深き絶望の中で死ぬがいい》



「起きろ、ハリレーレクの甥」
 ハリハールブダンは目を開け、自分を揺さぶる大柄な赤毛の男を見つめ……慌てて身構えた。巧みに剣を操るこの男に遅れをとり、殴られた事を思い出したのだ。
 だが、今、この男から敵意は感じられなかった。邪気が消えれば、その顔にはアジの先王の面影がある。緑の瞳もアジンエリシフを思い出させる……
「セレスから聞いたぜ、あんた、シャーマン戦士なんだってな。王族でシャーマン、これで五体満足なら問題ないんだが……」
 赤毛の戦士は、ハリハールブダンの黒の眼帯で覆われた左目を指した。
「その怪我はどの程度のものなんだ? 片目じゃ悪いが、あんたじゃ役不足だ。『欠けたる者』に神降ろしの資格はねえからな。ジジイに適当なハリの王族を探させる」
「神降ろし?」
 ハリの戦士は周囲を見渡した。不安そうな女勇者、見知らぬ老魔術師がたたずんでいる。先ほど共に戦った少年と老忍者は、近くの岩の上に倒れ気絶していた。
『極光の剣』は、まだ鞘ごと大岩に突き刺さったままだ。
「おまえ、この地に神を降ろす気なのか?」
「まあな」
 赤毛の戦士は肩をすくめた。
「あの剣がお許しくださればだが、な。実は、さっき、あれに触れようとしたんだが……雷を落とされて拒まれた。ジジイが魔法防御結界を張ってくれなきゃ、あの世に逝ってたな」
「は?」
 赤毛の男はニヤリと笑み、顔を崩した。その表情は実に……アジの先王に似ていた。許婚の父であった先王とはよく共に狩をし、武術の鍛錬につきあってもらったのだ……
「『極光の剣』は、信心に欠ける男はお嫌いだそうだ。けど、まあ、俺しか居ないんだ。言う事を聞いてもらうしかない」
「………」
「俺は魔族を祓いたい」
「………」
「この国は魔族の黒の気で覆われている。何処もかしこも、真っ黒だ。親父やお袋、アジンエリシフにアジャニホルト、アジフラウ……家族の眠るこの地が穢されているのは許せねえ。俺はこの国に巣くう魔族を全て浄化したい」
「魔族を祓う為……その為だけに神を呼ぶのか?」
「ああ」
「この地上の人間の争いに、神を巻き込むつもりはないのだな?」
「ああ」
 ハリハールブダンは、静かに目の前の男を見つめた。
 数多くの戦場を乗り越えてきたと思われる逞しい体、先王を思いださせる困難に屈せぬ気性、意志の強い緑の瞳……間違いなく、この者はアジの新王だった。
「あんた、他人の考えが読めるんだってな。なんなら、俺の心を読んでもいいぜ、ハリレーレクの甥っ子」
「ハリハールブダンだ」
 名を名乗り、ハリの戦士は眼帯を外し、左眼を開いた。普段、眼帯の下に隠しているので、視力は多少衰えていた。が、左眼自体に欠陥はない。『欠けたる者』には王位継承権がない。ケルティ新王朝の監視を厭って左眼を潰す演技をし、片目を装っていただけなのだ。
「ハリハールブダン……そうか、あんたが」
 赤毛の戦士は昔を懐かしむように瞳を細めた。
「会うのは初めてだが……俺はあんたの名前を知っている。ガキの頃、俺は、あんたの悪口を言っては、アジンエリシフに張り飛ばされていた。俺のアジンエリシフ盗むハリの馬鹿惣領……俺はあんたをぶん殴りたくてしょうがなかったんだ」
「では、さきほど、宿願はかなったな」
 ハリの戦士は快活に笑った。
「アジンエリシフは美しく勇敢な少女だった。俺も今では妻も(めかけ)も居るが、アジンエリシフに勝る女には出会えなかった」
「ったりめえだ」
「残念だな……運命の歯車が狂わなければ、おまえは俺の義弟になっていたのだ。アジクラボルト様の子息よ」
「アジスタスフニルだ」
 赤毛の戦士はニヤリと笑った。
「力を貸してくれ。うまくすりゃあ、ハリレーレクに操られていたハリのシャーマン達も助けられる」
「わかった」
「あんたが『知恵の指輪』と共に神に願ってくれりゃ、俺も『極光の剣』に触れられるかもしれん」


 あたたかな気を感じ、シャオロンは重い瞼を開いた。
 大魔術師カルヴェルの笑顔が目に入った。自分(シャオロン)を抱きかかえて老人は、ニコニコといつも通りに笑っている。
『聖王の剣』を手にしたアジャンの前に身を投げ出し、そして、意識を失ったのだが……
 生きている……
 死ななかったのだ……
 信じた通りだ……敵の呪に囚われていても、アジャンは一流の戦士だ。敵の呪に屈し、仲間(シャオロン)を殺すはずがない。
『共に戦う仲間を信じよ。友が闇に堕ちたように目に映ったとしても、信じ続けるのだ』
 英雄(シャダム)の教えが心に甦った。
 信じ続けて良かった……
 シャオロンの頬を熱いものが伝わった。
 当代随一の大魔術師は移動魔法で、教え子(セレス)の危機に駆けつけてくれたのだろう。カルヴェルが来てくれたのなら、もう大丈夫だ。もう全て解決したはずだ。
「ほれ、シャオロン、見えるのか?」
 カルヴェルが体を支えて起こしてくれた。シャオロンの横では、老忍者ガルバが不貞腐れた態度であぐらをかいていた。アジャンとの勝負に敗れ、気絶させられたのが悔しいのだろう。
 セレスとアジャンとハリ族の戦士ハリハールブダンが、立っているのが見えた。
 セレスは両手を顔の前に組み合わせ、祈るように赤毛の戦士を見つめていた。
 赤毛の戦士は緑の鋭い眼差しで、岩に鞘ごと突き刺さっている剣を見つめていた。黒の気は完全に消えており、いつものはすに構えた顔を見せている。
 ハリハールブダンは眼帯を外していた。左目が不自由な為、部族王を継ぐ資格が無いのだと言っていたが、それは芝居だったようだ。左の茶の瞳には何の異常も見られない。ハリ族の戦士は金の指輪を、左の二の指にはめようとしているようだった。
「これから、ショーが始まる」
 老人も三人を見ていた。
「ショー?」
「わしが生きているうちには、おそらく二度とお目にかかれぬであろう、凄まじく素晴らしいショーじゃ。じゃが、派手すぎて、かなり危険な見世物でもある。入口におったアジの戦士達も故郷の村に送っておいた。死なぬように、な」
「え?」
「シャオロン……おぬしの眼を貸してくれ」
「オレの眼を?」
「セレスの眼は、この世の神秘が全く見えぬ。わしも、魔法道具(マジック・アイテム)がなければ、さほど見えぬ性質(たち)だ。じゃが、わしの魔法道具(マジック・アイテム)では役不足じゃ、無理に見ようとすれば壊れるに決まっておる。おまえの眼を、わしとセレスに貸してくれ」
「オレの眼でお役に立てるのなら……」
 シャオロンは小さく頷きを返した。周囲の気が異様なほど緊張している。これから何かとてつもない事が起こるのはシャオロンにもわかった。
「すまぬな、シャオロン、このショー無事に終わらせてみせる……わしとセレスの力で、な」
 老魔術師が呪文の詠唱を始める……
 シャオロンは意識が遠のいていくのを感じた。


「いくぜ!」
 赤毛の傭兵が気合をこめ、封印された剣――『極光の剣』の柄を握った。


 鐘の音が最も厳かに聞こえる場所……
 金箔の張られた輝く教会の最奥――聖障の先の司教の祭壇に、ゼグノスの分身が二体いた。
 二人とも黒の気の塊と化していた。 
 が、身につけている物から、本来の正体はわかる。
 一人はその体を、王冠や宝石、ローブで飾り立てている。この国の名目上の支配者、ゴドゥノフ国王。その成れの果てだ。
 もう一人も、国王に劣らぬ豪奢なローブをまとっている。黒の気の塊となる前は、この国の実質的な支配者として権力をほしいままにしていた男、摂政ボルコフの変わり果てた姿だ。
 傀儡の王である事に不満を抱いていたゴドゥノフ王や権力志向の強いボルコフは、以前から、魔の気の影響を強く受け、ゼグノスの操り人形となって動いていた。シベルア移民を厚遇しつつケルティ人迫害の政策を強化し、両者の格差を広げたのはこの二人だった。
 鐘の音が聞こえた時、ミサに参加していた二人は人の姿をあっさりと捨て、教会に籠もった。術に囚われ衝動のままに殺戮に向った者達が去った後、二人っきりになった教会から千里眼の魔法で全てを見ていたのだ。
 王宮内で繰り広げられる殺人の宴を……歓談し、鑑賞していたのだ。
 ところが……
 鐘の音、響く教会に……
 侵入者が現れた。
 二人は同調(シンクロ)した動きで同時に首を動かし、珍奇なものを見るかのように侵入者を見つめた。
 扉を蹴り破って入って来た者は、右手に刀を持ち、肩で息をしていた。東国風の黒の着物に袴に覆面。その体は血に染まりきっていた。
 殺人の宴で勝ち残った殺戮者だ。数え切れぬほどの人間を手にかけ、生き延びた者ならば、黒の気に染まり魔に堕している筈。人の殻を捨て、黒い気の塊となっておかしくない。
「きさまらが術師か?」
 けれども、その頭部を覆う覆面から覗く黒の瞳は……正気を保っていた。不思議な事に、国中に満ちているゼグノスの気に全く染まっていないのだ。人が人である限り、必ずゼグノスの影響下に入るはずなのだが……
「鐘の周囲に結界を張って接近者を拒み……一定間隔で勝手に鳴るよう鐘に魔法をかけているのはきさまらか?」
《おまえは何だ?》
 二人は同時に思念を発した。
《人間か?》
「きさまらを殺せば……終わりそうだな」
 苦しい息を吐いていた男が、突然、素早く動く。右手の刀を構え、二人の魔族を狙う。
 ゼグノスの分身達は、侵入者を狙い、気弾を発した。だが、侵入者は高々と跳躍してその全てを避けきると、その刃を魔族へと振るった。
「滅びよ!」
 その者の振るった刀がボルコフであったものを、両断する。遅れて刀身より飛び散る、聖なる水。
 返す刀が、ゴドゥノフ王のなれの果ても狙う。急ぎ小距離の移動魔法で逃げたゴドゥノフ。ボルコフは一握の塩となって消え果てた。が、ゴドゥノフは無傷だ。
「ちっ!」
 舌打ちを漏らし、刀を構えなおし、侵入者が振り返る。ぜいぜいと吐く息は苦しげに乱れていたが、その黒の瞳は射るように鋭くゴドゥノフをねめつけていた。
 移動魔法で距離を開いたゴドゥノフは、恐れを込めて男を見つめた。
《きさま、何故、正気なのだ?》
 血染めの忍者装束の者が摺り足で距離を縮めて来る。
《あの鐘の音が聞こえないのか?》
 侵入者は不愉快そうに目を細めた。
「……鐘の音など聞こえんわ」
 そう言うや、忍者ジライはゴドゥノフに斬りかかって行った。


 赤毛の戦士はためらう事なく、目の前の大岩に鞘ごと刺さっている『極光の剣』の柄を握った。
 バチバチ! と、柄より火花が散り、肉の焼ける匂いがした。掌が焦げたのだ。だが、赤毛の戦士は口元に歪んだ笑みを浮かべながら、一層、力強く柄を握り、一気に大剣を鞘から抜いたのだった。


 両刃の幅広の大剣――『極光の剣』。アジ族と部族神との契約の証の聖なる武器。
 緻密な細工の施された黄金の指輪――『知恵の指輪』。ハリ族と部族神との契約の証の魔法道具(マジック・アイテム)
『極光の剣』と『知恵の指輪』……二つの祭器より光が広がっていった……


 遥か彼方の地の底から、魔獣のうなり声のような低音が響いてくる。
 それは徐々に近づいて来る。
 徐々に大きくなってくる。
 セレスは唾を飲み込み、喉を鳴らした。
 何かとてつもなく大きなモノが地中で蠢き、近寄って来ているのだ……


「俺は、アジ族の最後の王アジクラボルトの長男アジスタスフニルだ! 血の契約に基づき、汝を呼ぶ! 長きに渡りアジとハリは汝を信仰した! 汝の子らの求めに応じよ! 汝の子らの大地は汝の大地! 穢れし大地を浄化せよ!」


「俺は、ハリ族の現王ハリビヤルニの長子ハリハールブダンだ! ハリとアジの神よ……我らに栄光を授けし神よ、汝の子らを救い(たま)え! 美しき大地を穢す穢れし魔族をこの地より祓い給え! まばゆき光にてこの世を照らし給え!」


『極光の剣』の柄を右手に握ったアジャン。
『知恵の指輪』を左の二の指にはめたハリハールブダン。
 アジとハリのシャーマンの呼びかけに……
 地中より何かが応えた……


 地鳴りに、洞窟が揺れる。
 セレス達はカルヴェルの結界に守られているので振動を全く感じないのだが、そうでなければまともに立っている事すらできないだろう。洞窟の天井からは岩さえ落ち始めている。
 カルヴェルは魔術師の杖を右手に、左腕でシャオロンを抱きかかえる形でアジとハリのシャーマンを見つめて座っていた。その顔はいつになく真面目で、その口は絶えず呪文を紡いでいた。
 大魔術師の腕の中の東国の少年は、まるで大きな人形のようだった。
 その顔からは、一切の感情が抜け落ちている。
 少年の硝子のような瞳は、二人のシャーマンと地中から近づきつつあるものの姿を捉えていた。
 岩を擦り抜け、それは現れた。
 セレスは目を見張った。
 そちこちで、何かが岩を通り抜け、次々に現れ……セレスや仲間達の体を通り抜け、天井の岩へと吸い込まれてゆく。けれども、それが何なのかセレスにはわからなかった。小さい生き物が無数にいるようにも思えるし、全てが繋がっているようにな気もする。しかし、それ(それら?)は、あまりにも漠然としすぎていて、形がわからない。
 ただ、嫌な感じはまったくしない。むしろ、あたたかな感じがする。欠けたるものが満たされてゆくような充足感があった。
《神獣じゃよ》
 セレスの頭の中に、カルヴェルの思念が届いた。
《アジとハリが『動物達の母』と称える、鉄の羽根と鉤爪を持つ巨大な雌鷲……シャーマンと部族神との繋ぎ手……シャーマンを神の子たる王に産み直し、シャーマン王に真の王たる能力を与え、シャーマン王を守護し、神の御力を託し、その臨終と死に立ち会うものじゃ》
「雌鷲……?」
 言われてみれば、巨大な羽毛のようなものが見える。羽毛一枚だけでセレスよりも大きい。だが、地中から出て洞窟の天井へと飲み込まれ行く羽毛を目で追っても、何が何だかよくわからなかった。岩を通り抜けてゆくモノがあまりにも巨大すぎて、全体像が掴めないのだ。
 カルヴェルの側の老忍者は、天井ばかりを気にし、低く身をかがめていた。彼の体の中も巨大な雌鷲の一部が通り過ぎているのだが、気づいてすらいないようだ。
《ガルバの眼には現実しか映っておらぬ。わしとおぬしはシャオロンの眼を借りておるゆえ見えるが、『動物達の母』は実体を持たぬ精神的存在。人の眼には映らぬ生き物なのだ》
 アジャンもハリハールブダンも両目を閉ざし、その場に佇んでいた。激しい気性のアジャンもハリの戦士も、まるで神像のようだ。厳かな静かな顔をやや傾け、口元に穏やかな不思議な笑みをたたえている。
《『動物達の母』はアジとハリの部族神の御力を今世にもたらすもの、神の光をこの世に降ろす存在であり、アジとハリの祖先の魂を運ぶものじゃ。アジはその右の翼を、ハリは左の翼を担う。それゆえ、両部族のシャーマン王たる者が揃わねば、『動物達の母』は飛び立てぬのだ》
「飛び立つ……」
《昔、アジクラボルト殿が言っていた。アジの王の試練は、『動物達の母』と対話にあると。人としての生を殺してもらい、四肢を切断してもらい、新たに生み直してもらう……むろん、精神的にじゃが、相当、苦痛を伴うものらしい。その試練を乗り越えて初めて、アジの王たる資格を得るらしいが……アジスタスフニルはその試練すら必要なかった。優秀なシャーマンであるあの男、見事に右の翼を羽ばたかせておる。左は、まあ……ぶきっちょながらどうにか。『知恵の指輪』だよりの動きじゃな。祭器が逆じゃったら、『動物達の母』は飛び立てなかったやもしれぬ》
 洞窟が激しく振動する。
《神の試練を乗り越えた二部族のシャーマン王が心を一つにして望めば……『動物達の母』を通し、神は無限の力を二人の王に貸し与える……神の御力がこの世に降りてくるのだ……そう口承が残っているとも、昔、アジクラボルト殿は教えてくれた。今から神の御力をこの眼にできるのだ》
 カルヴェルの興奮が、セレスの心にも伝わってきた。
 今、目の前に、聖なる生き物――神獣が居るのだ。人が生まれる以前の太古より神の使いとして、奇跡を起こしてきた生き物が居るのだ……
《頃合じゃ……同調(シンクロ)する。セレス、『勇者の剣』を構えよ。おまえの働くべき時は必ず来る》
 カルヴェルの指示通り、『勇者の剣』を中段に構える。その途端……セレスは宙に浮いていた。
(え?)
 そこは地上だった。粉雪舞う薄曇の空が間近にあり、足元には雪に埋もれた森がある。
 その森から……
 翼を広げた巨大な鷲が羽ばたき、天を目指し昇って来る。
 その羽根が羽ばたく度、巨大な衝撃波が波紋のように広がっていくのが見えた。その衝撃波は、鷲の周囲に人が張った神秘の力――カルヴェルの結界に吸収され威力を弱められていた。が、それでも強風を起こし、周囲に雪を舞わせ、枝を折っていくほどの力があった。カルヴェルの結界が無ければ、森は根こそぎえぐられ、荒地と化した事だろう。
 鷲が鳴く。
 その鳴き声に、空気が振動する。
 その巨大な鷲が舞い上がって来る様を見ていたはずが……気がつくと、鷲の姿は見えなくなっていた。何時の間にか、視界が変わっている。セレスは遥か彼方を見据え、闇の中を飛んでいた。
 空も大地も森も人も……全ての生きとし生けるものが闇に犯されている。
 醜い魔に……
 神の造りし世界を……邪悪な魔が穢しているのだ。
 怒りは形となった。
 進むだけで……
 羽ばたくだけで……
 穢れし魔は光に抗えず消えてゆく……
 羽ばたきが生む浄化の光が、全ての穢れを祓ってゆく。人や物に取り憑いていた魔族は己を保てなくなって消え去り、魔界へと戻ってゆく。
 後には、あるべき美しい世界が甦る。雪と氷に閉ざされた静かな大地。神の子らの末裔。光あふれる世界……羽ばたきが地上に本来の姿を取り戻させてゆく。
 羽ばたき……?
 ようやくセレスは気づいた。自分が今、何の魂と共感しているのか……
 アジ族とハリ族の部族神の使い、神獣『動物達の母』。
 巨大な雌鷲と同調(シンクロ)し……
 この国に巣くっている魔を浄化しているのだ。


『動物達の母』はその羽ばたきだけで、大魔王四天王ゼグノスの魂を殺していった。
 ゼグノスに憑かれていた人間は、人としての心を残しているか否かによって運命が分かれた。人としての心を捨てた者はゼグノスと共に浄化されてこの地上から消滅し、そうでない者は理性を取り戻した。
 天を舞う巨大な雌鷲を目にしその神々しい姿に心打たれ跪く者もいれば、屍が広がる地獄の宴の跡の凄まじさに正気を失う者もあり、人の心を取り戻しても戦いを続ける愚かな者もあった。
 だが、誰の心にも等しく強烈なイメージが刻まれた。魔を浄化する神獣と、その操り手の二人の戦士……この国の救い主達の姿は聖なる気と共に人々の心に伝わっていた。魔力・霊力が無い者にも等しく、その奇跡は起こっていた。解放者――アジスタスフニルとハリハールブダン。二人のシャーマンに、人間達は感謝の念を捧げたのだった……


《おのれ……》
 浄化の気を放つ神獣の出現に、魔族ゼグノスは怒りと恐怖を感じていた。神族の浄化の光に対し、魔族はあまりにももろい存在だ。神獣の翼がケルティ中を覆えば、ゼグノスの分身は全て消滅する。憑依した者達から離れ異次元に逃げ込めばその翼から逃れる事は可能なのだが、掌中に収めかけていたケルティを失う事となる。ケルティは再び神族の支配下に置かれてしまうのだ。
《させぬわ!》


「む?」
 忍者ジライは後方に飛び退り、敵の様子を窺った。
 糸が切れた操り人形のようにゴドゥノフの衣装をまとった黒い塊は倒れ、その後、微動だにしない。明らかに様子がおかしい。
 教会の床に倒れたモノは、やがて空に溶け込み、消えた。一握の塩すら残さずに、ケルティ新王朝ゴドゥノフ国王は消滅したのである。
 いぶかしく思い周囲を探っていた東国忍者は、ハッと頭を上げ、天井を見上げた。
 彼の耳に初めて聞こえたのだ。高らかに鳴り響く鐘の音が。絶え間なく響く厳かな音色。一定の間隔で鐘を鳴らすよう魔法がかけられているのだ。
 しかし、それは……
 どう聞いても、ただの鐘の音だった。
 近衛仕官アレクセイやナーダの部下達は、鐘の音に惑い、殺戮へと走った。その狂気を誘う術は、鐘の音から消滅しているように思われた。


 ゼグノスは人間達の体を捨てた。せっかく魔に堕とした人間も、ゼグノスが離れれば中身を失い形を散じてしまう。非常に残念だったが、小物魔族など造ろうと思えば幾らでも造れる。今は小さな殻に分かれて宿っている己が魂を可能な限り一箇所に集中させ、能力を取り戻すべき時だ。
 最も精神力の強い憑代――とあるシベルア司教の体に、ゼグノスは己が魂を集合させた。魂を分散していては、たいした能力は使えない。神族に対抗する為に、ゼグノスは地上で最も能力が使える姿をとる事にしたのだ。


 天を舞う巨大な雌鷲『動物達の母』に、ゼグノスの集合体は向って行った。
 翼の放つ浄化の光が、黒く巨大なゼグノスの気を少しづつ削いでゆく。
 己が魂が消滅していく痛みの中、尚も、ゼグノスは突進を続けた。
 狙いは術師。巨大鷲を操る人間(シャーマン)さえ倒せばいい。二人の術師のうち一人でも消えれば、巨大鷲は地上との縁を無くし、地下に帰らざるをえなくなる。いま一人の術師も、乗り物を無くした衝撃に、おそらく魂を保てず消滅するだろう。
 雪曇の空を飛ぶ鉄の翼と鉤爪を持つ巨大な鷲。その翼には、右翼にアジの、左翼にハリのシャーマンの魂が宿っている。
 狙うのならば……左であろう。術師の技量が低く、神獣との同化も弱い。わずかに揺さぶるだけで、耐え切れず、ハリのシャーマンは魂を散じるだろう。
 片翼さえ落とせば、勝てる。
 ゼグノスが左翼のハリのシャーマンめがけ、邪悪な気を放とうとして……その時だった。
 巨大な鷲に重なるように、金の髪を振り乱す乙女が現れた。澄んだ青い瞳でまっすぐにゼグノスを捉え、身の丈ほどもある巨大な大剣を振りかざす。
 女勇者と『勇者の剣』!
 気づいた時には、ゼグノスの魂はその刃で両断されていた。


「あら?」
 セレスは目をきょとんとしばたたかせ、振り下ろしていた両手剣の切っ先を上げた。
 一瞬、自分が何処にいるのかわからなかった。が、すぐに洞窟に戻ったのだと気がついた。岩が頭上から降ってきては、目に見えぬ障壁に阻まれ別所へと飛んでゆく。
 セレスのすぐ側には、『極光の剣』を手にしたアジャンと『知恵の指輪』をはめたハリハールブダンがたたずみ、少し離れた所でシャオロンを抱えたカルヴェル、それにガルバが座っている。
 巨大鷲を狙った魔族を倒した事で、鷲との同調(シンクロ)が解けたのだ。
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